2003年6月30日(月)
<<積分が嫌い>>
午前は厳しく打つべし自家養成のI君再教育サクラ院ゼミ(だんだん呼称が乱 れきたな)。体K上の代数関数体のカテゴリとアフィン代数多様体とその間の 支配的写像のカテゴリの関係、アフィン代数多様体のザリスキ位相の開基など。 修論で「三次曲面の27本の直線」を論じるところまで行けるか、「隠しネタ」 のネータ正規化定理で行くことになるか、微妙なところである。

「リーマン面」(ワイル)を読みながら昼休みを過ごし、午後は卒研ゼミ。 アフィン代数多様体の定義、ザリスキ位相、ヒルベルトの零点定理。この調子 だと後期に層のコホモロジーに入れそうである。

夕方終了。「つまらない事」の後始末をするにはちと時間が中途半端なの で、明日の講義の準備を少しと、「リーマン面」に出ていた簡単な積分の計算 をやってみる。

私は積分が嫌いである。関数論に出てくる、コーシーの積分定理からあり とあらゆるものが証明できるなどという、見通しの良い話は好きだが、ルべー グ積分のように「たかが積分」の定義のためだけにいつまでも議論しているの は我慢ならないのである。そんなにうだうだ議論しないと積分できな いような気難しい関数なんか、積分しなけりゃいいのである。

また、例えば微積分で出てくる初等関数の積分といった具体的計算問題に 至っては最悪で、全く積分なんか計算して何が面白いのだ、FreeBSDの再イン ストールよりは少しマシかも知れないけどねって、今でもそう思うのだ。

まあ、以上のような調子で学生時代を過ごしたために、今でも「積分記号 を見ると頭がぼうっとする」のである。そしてこの事が私の人生に多くの悲喜 劇をもたらしてきたたような気がする。せめて、こういう本に出てきた積分ぐ らいは真面目に計算してみようと思うのだ。

2003年6月29日(日)
<<野暮用の日曜日>>
例によって野暮用と睡眠の日曜日である。ささやかな抵抗運動として、「リー マン面」(ワイル)を少し読み進める。だんだらだらだらと読みにくい本だな、 これを生講義でやられたらたまらんだろうなという気がしてきた。有難や有難 や、ナンマンダブ、ナンマンダブと唱えながら読む。

2003年6月28日(土)
<<清少納言日記>>
ゲーテとスポーツ・クラブの土曜日は、まるで「清少納言日記」を書いているような 感じだな。しかしそれは、清少納言がいつも私の隣の席に陣取り、授業中は流暢な ドイツ語でなんだかんだと、そして休憩時間は流暢な(当たり前か)日本語でなん だかんだと騒いで目立ちまくっているので、必然的に彼女についての記述が多くなるのである。

では、何故清少納言と私が隣同士に座っているのか。私が今座っている席は先生に 一番近い席で、最初はベルリン主婦が陣取っていたのである。そしてベルリン主婦と仲良 しらしい清少納言が今も昔もその隣に座っているのである。

いっぽう、あっぷあっぷの私にとって、頼れる武器はやる気と気合いのみ である。やる気 と気合いは受身の態度からは生まれない。明日のために打つべし打つべし、なのである。 だから、ベルリン主婦が休みがちになった頃に、真っ先に先生に当てられるその席に自ら身を 投じ、先生からの質問攻勢と勢いづく清少納言の十字砲火を受けて立とう決心したのである。 (要するにマゾってことなのか。)

ところで、今日の巨漢社員は風邪をひいたとかで(腹痛だの風邪だのと色々賑やかなお方 である)、授業の直前は烏龍聞茶340ml缶、授業の前半は生茶340ml缶、そして休憩時間を 挟んで授業の後半では、コカコーラ・ペットボトルを飲んでいた。そんなに水ばかり飲んで どうするんだろう。頭は今日も「あぶらむし」だったな。

それ以外は、ほぼ常連メンバー。先週調子が悪そうだった謎のニコニコ主婦は、 今日初めて欠席。大丈夫かしら。殴り込み通訳は急用のため30分で退散。

あとは、休憩時間に一個200円のとても小さなケーキと一杯50円のインスタントの お茶・コーヒーなどが置いてあるのだが、「ケーキは『太らない』と思いながら食べれば 太らないんですよ。『心頭滅却すれば火もまた涼し』って言うじゃないですか。あれと同じ です」と主張する他クラスの子が居たりして、「ほー、それは初めて聞いた学説ですな」などと 気取ってたのだけど、本当は「じゃあ、『このケーキを食べれば頭が良くなって もっと数学の研究がはかどるに違いない』と思って食べたら本当にそうなるのかよ? だったら私はたった今このケーキを全部買い占めて一気食いしてやるぜ!」 と吠えてみたかったのである。

実際そうしなかったのは、”若い女の子をイジメている(つもりになっている) 変なおじさんの図”になってしまうのを危惧したからではなく、その子がニコニコ しながら「そうですよ」などと答えかねない雰囲気なので、下手をすると私が本当 にケーキの一気食いをしなければならなくなりそうだったからである。せっかく スポーツ・クラブでしんどい思いをしてカロリーを消費してるのに、ケーキの一気 食いなんてしてたら何やってるかわからんのである。 (死ぬまでに一回ぐらいはやってみたいが。)

要するに、スポーツ・クラブというのはしんどい思いをする所である。 何のために好き好んでしんどい思いをするのかは、人それぞれである。 例えば、「人生の目的は何でもいいから何かを自慢することであり、 自慢する行為それ自体に意味がある」と考えているS藤先生と、 人知れず慎ましく生きることをもってよしとする私とでは、自ずとスポーツ・クラブに通う 動機や理由は異なるのである。

それはともかくとして、スポーツ・クラブが肉体的にしんどいのは勿論だが、 館内に鳴り響く音楽もちとしんどい。 「ざわわ、ざわさ」の森山良子の息子とかが、時既に梅雨の真っ最中だというのにまだ鶏を絞め殺 すような声で「さくら、さくら」と執拗に歌い、無礼にも何の許しも断りも無く私の脳天を劈(つんざ)くのである。 お陰で数学考えている時も、頭の中で好きでもない「さくら、さくら」が渦巻いている始末で、 益々頭が悪くなりそうだ。にもかかわらず毎週懲りずに通ってるってことは、やっぱり私はマゾ?

2003年6月27日(金)
<<美しい思い出>>
午前中から出勤。前期試験問題作成の最終作業をしたり、情報処理のレポート で学生が聞いてきた、ちょっと興味深い質問に答えるため、Cプログラムを書 いて少し実験をしたり。昼下がりに全て終了。その後「つまらない事」の後片 付け作業など。

通勤電車やバスの中では、まだ放り出してない「リーマン面」(ワイル) を読む。90年以上昔に書かれた本だけあって、位相空間論やトポロジー、多様 体論がまだ整備されてない時代の(ずいぶん回りくどい)記述がしてある。現 代流の定義との対比を思い浮かべながら読めばよいし、そうする事によってレ トロな雰囲気を楽しむことができるけれど、やはり4回生のゼミのテキストに は向かないのかも知れないな。

10年程前に会社員をやめて大学に移って以後、時々思い出したように複 素関数論を勉強し直したくなる。この発作が起こると、吉田洋一「関数論」だとか、 小平邦彦「関数論」だとか、Ahlfors "Complex Analysis"などを を最初から読み始め、調子良く進んだ場合は大体リーマン面にさしか かって代数関数論に入るか否かあたりで諸般の事情(大抵は何かで 忙しくなってきて)で倒れる。 そしてまた時が流れ、図らずしも 「関数論は美しい」という思い出だけを残して あとはすっかり忘れてしまうのである。次の発作が起こった 時は、勿論最初から教科書を読まないといけない。 (ということで、吉田洋一「関数論」は学生時代を含めて3回読んだ。)

かくして未だにリーマン面とか代数関数とかがよくわかっておらず、多変 数解析関数論を少し真面目に覗いてみようという元気も湧かず、そしてこのこ とが、私が何となく代数幾何学に距離を感じてしまう一つの理由になっている。 まあ、最近は「代数幾何学は遠くにありて想うもの」でいいという気分に なってきてるけどね。

2003年6月26日(木)
<<「死んで」いる学生達>>
午前中は自宅でドイツ語の推薦状の校正などを行った後、昼前に出勤。前期試験 問題の作成やら、情報処理のレポートの整理やらに励む。今日も 「あー、仕事したなー」って感じ。

情報処理の講座の学生には、簡単なCプログラムのサンプルと、それを色々 書き換えたらどういう現象が起こるか実験してみよという課題を掲げたプリント を渡してある。そしてレポートには、実験結果ではなく、実験を通して疑問に思っ た事を書けと指示してある。レポートをチェックしていると、色々突っ込んだ 疑問を書いているものもあり、何割かの学生達はこちらの期待通りに色々実験を 行って、面白がってくれていることがうかがえる。

最近、情報処理の講義では出席者の7割ぐらいの学生が「死んで」いる一 方、残りの学生達は結構食い入るようにこちらを向いている。この3割の学生 達が実験を面白がっている連中なのだろう。最初の頃、ほぼ全員が 「半分死んで、半分舞い上がっている」状態だったのを思うと、少し雰囲気が 変わってきたようだ。

上記7割の「死んで」いる学生達が、数学の方では元気にしてくれている なら良いのだが、実際のところどうなのだろう。今年は1回生の数学を 担当していないから、よくわからないな。

2003年6月25日(水)
<<ま、しょうがないか>>
午後一番は線形代数の講義。クラーメルの公式まで終了。今日は講義してても 腹立つような事が起こらなかったな。こういう日は気分が良い。来週でファン デルモンデの行列式や終結式が終わり、最終回は小テスト形式の演習でもやろ うかしら。講義以外は、締め切りの迫った原稿書きや、ドイツ語で学生の推薦 状書を書いたり、その他色々な事務仕事などに忙殺される。何だか色々な仕事 が束になって一気に押し寄せてきたような感じだな。ドイツ語の推薦状は一応 書いてみたけれど、やっぱりゲーテの先生にちゃんと添削してもらわないとね。

「つまらない事」の考察は山を越す。これまで特殊な場合でしか証明でき ないと思ってた事が、ほとんど同じ証明法を使って実は完全に一般化できる事 が判明。一般化してみると何となくカッコ良く見えるのだが、 同時に「つまらない事」だということもよくわかる。面白ろうてやがて 悲しき一般化。 ま、しょうがないか。

2003年6月24日(火)
<<前線兵士>>
午後一番からの講義のため、昼前に出勤。生協で昼食用のパンなどを物色して いると、全力疾走する数学者O坂先生と出会う。彼と道々話しているうちに、 彼は私とほとんど同じ理由で情報処理の演習や工学系の一般教養科目の担当を 苦痛と思っていることがわかった。計算機の演習で何もやらずにただ騒いでい るだけの学生や、一般教養科目の講義中に私語に耽る学生を放っとけない。つ まり、喧嘩してでも追い出したくなる(そういう学生を見るとムカムカしてく るからである)。そしてそういった不埒学生と喧嘩するのはくたびれる。くた びれる原因は明らかだ。つまり、何でこんな連中の相手しなきゃならんのだ? と自分が情けなくなるからである。

大学の理学部数学科などで、向学心に燃えた優秀な学生だけを相手に自分 の専門に関する講義を1つか2つ教えて、あとは研究に専念できる数学者をエ リート数学者とすれば、自分の研究上の専門とは関係無く、工学や経済・経営 学の学生に線形代数や微積分学などの初等的な数学、情報数学と称する種々雑 多な応用数学、はてまた情報処理などを教える数学者は、いわば「前線」で世 の中と戦っている兵士のようなものかも知れない。数学者のほとんどは 前線兵士である。

数学の前線兵士は苦痛であるが、孤独ではないのが救いである。昔、情報 学科で理論計算機科学の前線兵士をやってた頃は、苦痛であるとともに孤独で もあった。これは組織戦で挑む数学業界と違って、研究者層も学問の歴史も浅い理論 計算機科学では、ひとりひとりが孤軍奮戦のゲリ ラ戦を戦い抜かねばならないからである。あんな経験はもうまっぴらだな。

午後は離散数学と情報処理の講義。その後、「つまらない事」の続き を考える。

2003年6月23日(月)
<<無事生還>>
午前中は打つべしI君の院ゼミ。支配的有理写像と有理関数体の関係など。こ の部分はいかにも代数幾何学らしい話題で、可換環論との違いがはっきりする 部分のひとつだと思う。私も以前勉強したけれど忘れてしまっている事などが あって、I 君の話を聞いたり一緒に考えたりして結構勉強になったりする。 I君は、可換環とその剰余環の間を行ったり来たりして議論するスタイルに、 かなり慣れてきたようだ。引き続き打つべし打つべし。

午後は教育実習から無事生還したT君の卒研ゼミ。生還は果たしたものの、 まだ頭の中が「ちゅう〜がっこう〜のせんせ〜」状態らしく、ヒルベルトの弱 零点定理とその証明をやって"肩ならし"をし、1時間ちょっとで終了。

その後は、「つまらない事」の続きを考えたりしてすごす。

2003年6月22日(日)
<<白一色の雪景色>>
野暮用に明け暮れる日曜日。今日は例の「つまらない事」を考える時間が少し 取れるだろうと踏んでいたのだが、見通しが甘かった。数学もドイツ語もやら ない一日が終わると、「人生に意味など無く、自分はただ生きているだけ」と いう気分が強くなる。ただ生きているだけでも結構な事じゃないかと思える程 心掛けの良い人生を送っているわけでもないので、寝る前のほんの短い時間に ワイル「リーマン面」を少し読んで悪あがきをする。

三日坊主の私が「リーマン面」をまだ放り出さずに細々読んでるのだから、 ちょっと奇跡的。この本はゲッチンゲン大学での講義の再現らしいのだけど、 定義、定理、証明、定義、定理、証明(以下繰り返し)という風にはなってお らず、ワイル先生の有り難いお話がだらだらと続く形の語りになっている。

以前、ヒルベルトの不変式論の講義録というか再現を読んだ時も、確かそ ういう形になっていた。有り難い数学のお話というのは、良く言えば「河の流 れのようにとうとうと」、悪く言えば「だらだらとメリハリ無く」進行 するものらしい。

数学は意識の流れであるから、これを定義、定理、証明、定義、定理、証 明(以下繰り返し)の形に整理することは、混沌に目鼻を穿つにも似た愚行だ とする説(ならば、数学は混沌なのか?)もあるが、このスタイルの講義(か つ、証明の行間が極めて少ないもの)は私の学生達には評判が良いらしい。

逆に、「河の流れ」の「だらだら」話がつづくスタイルの(有り難い)講 義は「何を言っているのかさっぱりわからない」とすこぶる評判が悪いようだ。 たぶん、自学自習の結果既に殆どの事がわかっている学生や何事も一瞬のうち に理解する天才学生といった、ごく一握りの人々にインスピレーションを与えるに は良いかも知れないが、その講義に沿ってゼロから(場合によっては、マイナ スから!)勉強しようとしている大多数の学生達にとっては、「白一色の雪景色 の中を元気一杯飛び跳ねる白ウサギ達は合計何匹?」と聞かれた時のような気 分で講義を聴くことになるのだろう。

私としても学生達の気分はわからぬでもない。しかし、 本として自分のペースでゆっくり読むぶんには、どちらでも良いような気がする。

2003年6月21日(土)
<<これは一体何なのだろう>>
梅雨の合間の粘着質の太陽が恨めしい。扇子を持ち忘れたことを悔やみながら のゲーテの土曜日である。

清少納言は復活どころか、いつもの嬉しがりぶりとおりこうさんぶりがしっかり 炸裂。やはり猿轡をして柱に縛りつけておくぐらいが丁度良いのか。とにかく元気 な人である。何でも明日にでもベルリンに帰ってしまうベルリン主婦の送別会を、 ゲーテの近くの飲み屋にセットアップしたとかで、皆を誘っていた。飲み会と聞くと 心がぐらつく私ではあるが、今日はスポーツ・クラブの日であることを理由に退散。

そういえば、清少納言は毎週のように、講座後での「京大と同志社のドイツ人 留学生達との茶話会」だの、「鴨川河畔でのバーベキュー・パーティ」だの、「ベル リン主婦の送別会」だのを企画して、皆を誘っているな。これは一体何なのだろう。

今日は340cc缶のオレンジ果汁20%「すっきりり」を飲んでいた巨漢社員は 髪を油でなで上げてて、何だかゴキブリ(私の田舎ではこれを「あぶらむし」と呼ぶ) のような頭であった。そんな頭で会社に行 ってるのか。世間ではそれを「きちっとした頭」と言うのだろうが、いつものボサボサ 頭の方が君らしくていいけどな。

さて、謎のニコニコ主婦は本当に何時もニコニコしている不思議な人である (あった、と言うべきか)。中学時代に、興奮すると笑いが止まらなくなるO君というの がいて、怖い担任の先生から説教を食らっている最中に「発作」が始まり、担任は 「こら!こちらが真面目に話しているのに、笑うとはけしからん!」と益々怒りだし、 O君はその恐怖のあまり益々「発作」が激しくなり云々と、数時間そんな調子でやって たようである。私はO君の例を知ってるので、この人は嬉しい時も、悲しい時も、腹が 立った時も、困った時も、何も考えてない時も、どんな時も、ああやってニコニコしてい る、考えようによっては気の毒な人なのかもしれないなあ、などと思っていた。しかし 今日の彼女の顔にはいつもの”ニコニコ”が消えており、何となく調子が悪そうな感じ であった。まあ、かなりお年をめした方とお見受けするので、調子の悪そうな日があ って当たり前だと思うが。

それ以外は、輝くフリータ、ドラえもん、殴り込み通訳、塾屋、ロートレッ ク嬢、ドイツ秘書、硝子職人、数学者になりたかった技術者、音大主婦が出席。お美 人と印哲など、その他はぜーんぶ休み。もうこの講座も終盤である。何だか 一番思い出深い講座になりそうだな。

2003年6月20日(金)
<<蟄居>>
既に陥落した山科駅前SBUXには立ち寄らずに午前中から出勤。研究室に蟄居し て、終日「つまらない事」の続きを考える。普通私はぼんやりと物を考えるの だけど、今日は我ながら珍しく集中して色々考えてしまった。まだ考えたい事が あるのだけど、キリが無いので無理矢理中断。

それ以外は、パソコン購入のための下調べと、途中で頭に来て放り出した つまらない事務仕事。最近は事務から提出を求められた書類を書いているうち に、あまりの下らなさに頭に来て破り捨ててしまう事がちらほら。誰がこんな下ら ない仕事を作ったのかというと、実は我々教員なのであり事務部門はそれの取 りまとめを担当しているだけである。じゃあ、何故我々教員がわざわざ下らな い仕事を作るのかというと、それは大いなる謎なのである。

あ、そうだ。ドイツ語の予習しなくっちゃ。

2003年6月19日(木)
<<学生セラピー>>
午前中は山科近辺にて野暮用天国。数学研究会会長と同じ電車に乗って昼頃出 勤。さてと、今日は例の「つまらない事」を考えてみようか、などと思いなが ら廊下を歩いていたら、2回生の某君につかまり研究室にてHeine-Borelの定 理の証明を講義することになる。彼はわかった!と言って喜んで帰っていった。 こういうのは教師にとって一番楽しい瞬間ではないかと思う。最近色々と心が ささくれる事が重なっているのだけど、セラピー効果でちょっと気持ちが楽に なったな。

学生セラピー以外では、通勤途中にワイル大先生の「リーマン面」で数学 セラピー。数学も仕事に直接関係しないものでないと、セラピー効果は無いよ うである。あとは夢見るH先生にちょいとメイルを出して、「心がささくれた時、 皆さんどうしてるんでしょうね」なんて事を尋ねてみたりする。

夕方座敷童S太郎が押しかけてきた。何の用だろうと思ったら、要するにパ ソコンの自慢をしに来たのであった。こんな所まで師匠のS藤先生に似てしまっ てどうするんだと思うのだが、師匠と違う所は開発者に成り代わって製品の自 慢(私の定義では、これは「自慢」ではなく「他慢ボランティア」なのだが)を するのではなく、自分で色々設定をして使いやすくしたという自慢(これは確 かに「自慢」である)という点だと思う。

2003年6月18日(水)
<<本日は多忙>>
本格的な梅雨空の日である。昨日の「つまらない事」の続きをもう少し考えて みたいのだが、生憎本日は多忙。午後一番から工系学科1回生線形代数の講義。 正則行列の逆行列の公式まで終了する。あと講義が3回あるのだけど、時間が 余りそうだな。講義の後、一回生情報処理のレポートを整理しているうちに教 室会議、教室会議を途中で抜け出して留学生委員会の会議。終了は夜7時頃。

専門の代数の本で読みたいものや読まねばならない物はあるのだけど、仕 事と多少離れた読書もしてみたくなって、ヘルマン・ワイル大先生の有名な 「リーマン面」に手を出す(ま、またすぐに放り出すだろうけどね)。この本は "できれば死ぬまでに(もう)一度読みたい数学書のリスト"の中のひとつであ る。このリストの中には、他に「代数的整数論」(高木貞治)、「多変数解析 関数論」(一松信)、「数論講義」(J.P. セール), 「複素多様体論」(小平 邦彦)などがある。学生と一緒にゼミで読めればいいななどと思うけれど、 そんな事を考えていたら一生読めそうにないな。

2003年6月17日(火)
<<睡眠力>>
午後一番より2回生離散数学と1回生情報処理の講義。その後は、馬子にも衣 装作戦に関連して、ちょっとつまらない事を思いついたので、それについて考 えてみる。

講義中の学生達を見ていると、彼らは実によく眠る。確かに20代前後と いうのは睡眠力が旺盛である。私も新入社員研修の座学の時は一番前の席でずっ と眠ってたし、重要な会議の時にもよく眠り、先輩社員に蹴飛ばされて起こし てもらったものである。あの頃は何たって眠くて眠くてしょうがなかったのだ。 では、大学の講義中にすやすや眠ったかというと、そういうことはあまり無かっ たと思う。当時としては、眠るために講義に出るぐらいなら、講義をサボって 下宿で寝てるか、他の事をやってた方がましだという考え方が一般的だったか らである。

年を取ると睡眠力が衰えるようで、眠くてしょうがないとか、一日中でも 寝てられるという事は無くなった。教授会で居眠りしている人が意外と少ない のは、教員としての責任感があるからとか、議事司会者のマイクロフォンの声 がうるさくておちおち眠ってられないという理由だけではないと思う。ただし、 教授達の中に目を開けたまま眠る特技の持ち主が少なからず居ないとも限らな いが。

2003年6月16日(月)
<<馬子にも衣装作戦>>
午前中は厳しく再教育中の自家養成サクラI君の院ゼミ。彼はアフィン代数多 様体の有理写像の合成と支配的有理写像(dominating regular map) のところ の微妙な問題に引っ掛かっていたらしく、予習して来た分量はわずか。しかし、 微妙な問題に気づくのはそれなりにエライので、良しとしよう。引き続き打つ べし打つべし。

午後の卒研ゼミは、T君が引き続き教育実習中のため中止。思うところあっ て、9月の学会発表用原稿の大幅書換え作業を行う。走り書きのメモを見せた だけでも人々があっと驚くような素晴らしい定理ならばともかくとして、私の ような凡庸なる数学者のゴミのような結果の場合”馬子にも衣装作戦”は結構 重要なのである。