2003年11月15日(土)
<<見せびらかす>>
ゲーテとスポーツ・クラブの一日。今日は東京出張の際に買ってきた独英・英 英・英独・独独電子辞書を、殴り込み通訳に見せびらかしてやろうと意気込ん で行ったのだが、本日彼女は休み。ちなみに「見せびらかす」のは良いけれど、 「自慢する」となると他人のフンドシでいくらでも自慢できるS藤先生みたい になってしまうので、この点はきちんと区別しなければならない。私はあくま で「見せびらかす」だけである。

松下巨漢社員に秋葉原の石丸電気(何故石丸電気なのだろう?)で買って 来るように頼まれた電子辞書用ケースを持っていったのだが、自他共に認める サッカー狂である彼はガンバ大阪のナントカで休みとか。

お美人は19時の飛行機に乗って実家に帰るのだと、大きな荷物を持参。 数学者になりたかった技術者がしきりに「大変ですねえ」などと言っているが、 何が大変なのか。ま、どうでもいいか。さらにどうでもいい事だけど、お美人っ て私の母親の娘時代の顔(当然私は直接見たわけではないが)にちょっと似て いるな。もっとどうでも良いことだが、どらえもんのカバンにはのらくろのバッ チが付いていた。輝くフリータは私の電子辞書をうらやましそうに眺めていた。 奴は買うのかな。あとは、ドイツ語命娘たちとガラス職人、塾屋など。

そして、数学者になりたかった技術者は、自分で録音したらしいドイツの 流行歌だか子供の合唱曲だか何だかのカセットとCDを持参し、何故か授業中 に皆で聞くことになった。彼は先日のパーティーの時も、ドイツの民謡のよう なテープを持参して鳴らしてした。

今の所クラシック以外のドイツ音楽は、"ローレライ"と夏学期の打ち上げ の時に塾屋がカラオケで歌っていた"99ナントカ"というロックの曲以外は全 てバツである。上記例外を除いて、どれを聞いても著しく気が滅入る。私はこ んなに私の心のツボをことごとく外した歌をこよなく愛する人達の言葉を嬉し そうに学んでいるのかと、自己嫌悪に陥りそうになる。両手で耳を塞いでわー! やめろー!とか叫びながら教室を飛び出したい衝動に駆られる。なのに隣に座っ ている清少納言は「これは『ベルリン大好き』って内容の歌ですよ」などと私 に解説してくれたりしながら、嬉しそうに聞き入っていた。

「清少納言さん、ずいぶん快調みたいだけど、歯痛はもう大丈夫なんです か?」とかボケのひとつでもかましてやろうかと思ったけれど、本当に「清少 納言さん」と言いそうになった(まだ彼女の名前を覚えてない)ので、やめた。

2003年11月14日(金)
<<ちょっと見直す>>
本日久しぶりに出勤し、雑用などを片付ける。

そういえば、情報学科で去年着任したばかりの先生が一年半でやめてしまっ たらしいという話は聞いていたのだが、今日それが誰だか見当がついた。私は その人に対して、君はこんな世の中の流行の上っ面ばかり追いかけなければな らない所で表の顔と裏の顔を使い分けながらやっていくような、馬鹿馬鹿しい 真似をして生きていくべき人間ではない。まだ若いし実力もあるんだから、こ んな所で人生を浪費してないで、学問として基本的な問題に堂々と取り組める 研究機関(今時そんな所があるのかどうか知らないけど)を見つけて、さっさ と飛び出して行くべきだ、というような事を言った覚えがある。

その一方で正直言って、何だこいつウチの情報学科の教師なんかになって 喜んでるようじゃ大した奴じゃないな、ばーか、ぐらいの事は頭の隅で思って た(ちなみに私なんぞは情報学科の教師になった最初の頃は小躍りして喜んで た「ばーか」なんだけどね)。だけど一年半で本当に飛び出してしまうなんて、 ちょっと見直したな。何処に行っちまったのかは知らないけどね。

2003年11月13日(木)
<<よくわからない世界>>
可換環論シンポジウムに行ってきた。このシンポジウムには去年から参加して いるが、昨年は巨大雑用などに忙殺されて半分以下ぐらいしか参加できなかっ た。まともに参加したのは今年が最初である。今年は最近とんと姿を見せない 怪しい学生K君のその後の消息や、ここ2,3年面白い動きを見せているヒル ベルト第14問題についての連続講演や、その他多くの面白い講演を聞くこと ができた。シンポジウムの世話役の人達は非常に大変そうだけど、とてもため になる良い催しだと思う。

ところで、シンポジウムの10日程前に、このシンポジウムにも参加を予 定していたK大のO氏が不慮の事故で亡くなった。私は名前だけはずいぶん前 から知っていたが、長い間人物としても数学者としてもどういう人かは全く知 らず。さらに名前が顔と一致したのはやっと半年ぐらい前。そうか、この人が O氏か。最近は超難問のヤコビアン予想の研究で著しい盛り上がり方をしてい るし、見るからに善人のメキシコのVillarrealさんとも初対面で仲良しになっ たりしているし、これは何だか面白そうな人だぞと注目し始めていた矢先なの で、とても残念である。

シンポジウムにはO氏の元指導教官のN大先生も参加されてたが、懇親会 の挨拶でO氏の事を触れる時に涙ぐんでいたのには驚いた。そうか、指導教官 というのは弟子の事で涙を流すものなのか。そういえばHerzog先生も、優秀な 弟子達が数学の道を捨てて実業界に行ってしまうのを悲しんで泣いてたが、あ の時も驚いたものである。

それにしても、わからない。どうやら数学者の師弟関係にも涙を流し合う ような、それなりにウェットなものがあるようだが、私にはそれがなかなか信 じられない。もっとドライな関係、つまり”善意は有るが愛は無い”みたいな 関係を想像しがちなんだけど。いずれにせよ、師弟関係に余り縁の無い私には、 よくわからない世界だな。

2003年11月9日(日)
<<原因の半分>>
昨日のゲーテではいつになくたっぷり宿題が出た上に、明日から木曜日まで東 京出張である。ということで、本日ドイツ語の宿題に励む。途中衆議院選挙の 投票に出かけたり、夕方に宿題を抱えて山科駅前Sbuxへ行き、その帰りに 京都薬大前交差点でちょんまげ天国のK川先生とばったり会ったりする。

選挙というはつくづくつまらないものである。有権者の3割がある党に投 票し、5割が棄権することによって結果的にその党を支持するのと等価な行動 を取り、両者を合わせて事実上に一つの党が有権者の8割の支持を獲得する。 その党が何党であれ、そういうのがずっと続いていて変わりばえしないのだか ら面白いわけがない。だから選挙なんか行くもんかという気にもなるが、上記 8割理論からすれば、選挙をこんなに面白味の無いものにした原因の半分は5 割の棄権者達にあるわけで、彼らと同類なるのにはおおい抵抗が ある。だから、必ず投票に行くことにしている。

2003年11月8日(土)
<<黒服文化圏?>>
ゲーテの土曜日である。今日は松下巨漢社員がカシオ・ヨーロッパから発売さ れている電子辞書を持ってきた。 ちょっと見せてもらったけれど、独英・ 英独・独独・英英、すなわち私の欲しいものが全部入っている。これはいい! 日本では東京丸の内のゲーテ書房 だけが扱っているそうなので、来週の東京出張の時には是非買って来る ことにしよう。殴り込み通訳も、へえーってな顔して覗き込んでいたから、彼 女がこれを購入するのも時間の問題だな。

巨漢社員は再来週東京出張するから、皆になんとか屋(忘れた)の芋羊羹 を買ってきますと言っていた。やっぱり彼はいい奴だ。赤い猫でも青い猫でも 芋羊羹を買ってきてくれる猫は良い猫だ!

そういえば清少納言は夏学期の炸裂パワーが影をひそめ、歯が痛いだのド イツでひいた風邪をこじらせただのと色々不調のようである。お陰で私は授業 中に余裕を持って発表したりできるけど、やはりちょっと刺激とスリルが足り ないな。早く元気になって、また女王様として君臨して欲しいものだ。

塾屋と嬉しがり新人娘は休み。彼女らがいつも座っている席に、今日は先 週欠席のお美人が座っていた。その隣にはドラえもんも居たな。

ドラえもんは半年ぐらい前には学位論文を書いているとか言ってたけれど、 学位取れたのかしら。あの頃は目が釣りあがっていて、そういう顔の人だと思っ ていたけれど、今は目じりが横にすっと伸びているから、無事に学位も取れて 元の顔に戻ったのであろう。

そういえば、以前同じクラスで、仕事で半年ゲーテを休んでいて、今度か ら別のクラスに行ったY嬢は、近頃は講座の始まる直前と休憩時間ぐらいしか 顔を合わさないけれど、いつも上から下まで黒を基調とした衣装で決めている な。前からずっとそうだったような気もする。彼女自身の趣味なのかも知れな いけれど、もしかしてドイツ流なんじゃないかしら。

エッセンに居たとき、どうしてここの若い女性(学生は除く)はみーんな黒 い服ばかり着てるんだろう?そしてどうして(年齢を問わず)スカートをはい た女性が居ないのだろうと不思議に思っていた。Y嬢はボンに住んでたってい うから、ボンからデュッセルドルフ、エッセンにかけての地域は黒服文化圏だっ たのでしょう。よく知らないけどね。ドイツで見たテレビ映画を思い出した限 りでは、フライブルクは黒服文化圏ではなさそうだ。シュトゥッツガルトに住 んでた南ドイツかぶれの清少納言は別に黒服の趣味は無いみたいだから、南ド イツは違うのでしょう。そういえばハンブルク出身の先生はいつも黒いパンツ をはいているから、ハンブルクも含めた北部ドイツ黒服文化圏が形成されてい るのかも知れないな。

夜は3週間ぶりのスポーツ・クラブ。久しぶりの運動なので軽く流す程度 に留める。

2003年11月7日(金)
<<ザワザワしたもの>>
自宅待機のまま東京出張に雪崩れ込もうという目論見であったが、必要があっ て昼前に出勤。久しぶりに研究室で研究。大学の研究室というのは研究するの に都合良く作られているが、同時に雑用が無節操に飛び込ん来るので、なかな か集中できないものである。

中学生の頃だったか、ある学習雑誌に、勉強にやる気を起こすにはどうす れば良いかという特集をやっていて、勉強部屋では勉強以外の事をしてはなら ないというアドバイスが書かれていた。折角の勉強部屋なのに、漫画を読んだ りゲームをしたりと勉強以外の事をやっていると、いざそこで勉強しなくっちゃ と思っても頭が騒々しくなってなかなかその気になれないのだという。その部 屋では勉強しかしないようにしておけば、その部屋に入っただけで条件反射的 に自然に勉強に入っていけるはずだ、というのである。

この理論は研究室にもあてはまると思う。上司に常時監視されながらの大部 屋暮らしだった会社員から大学教師に転じたばかりの頃は、それまで喉から手 が出る程欲しかった個室を与えられて、幸せ一杯の気分で勉強したり考えたり していた。しかし、間もなく研究室は雑用部屋あるいは雑用待機部屋になり、 「漫画を読んだりゲームをしたりと勉強以外の事をやっている」部屋になる運 命にあったのだ。

この事から連想することだが、バブル以前の時代には日本の企業にも「基 礎研究をやらなくっちゃ」という雰囲気が一部にあって、私が働いていた電機 業界でも大企業が基礎研究を中心とした研究所を作ったりした。バブルの絶 頂期には超有名企業の幹部が「これからは企業が基礎研究を担うから、大学は 教育だけに専念すればよい」などという寝言を言い出すまでになり、こんな有 名企業の幹部でさえ、今日と明日の事しか考えら得ないような見識しか持ち合 わせていないのかと驚いたものである。

しかし、一方で「研究所も少しは事業貢献せよ」との声により、事業部や 工場の委託研究(という名の下請け開発)をやってザワザワしているうちに、 いつの間にか心静かなる基礎研究の割合いは限りなくゼロになってしまう。す るとその研究所は開発研究所という位置付けにして、また新しく基礎研究所を 作る。その基礎研究所もまたいつの間にか開発研究所と化す、というような事 を繰り返していた。

やはり、心静かなるものは必死に努力して守りつづけないと、ザワザワした ものにたちまち駆逐されてしまうようだ。

2003年11月6日(木)
<<立派な心掛け>>
自宅研究日。しかし、自宅のダイヤルアップのインターネットを常時接続に乗 り換えるという下品な話で、色々調べたり問い合わせたりといった事で時間を 取られ、完全に調子が狂ってしまう。気分転換に夕食後山科駅前SBUXへ。

ところで、話し好きの人というのは、大抵は自分の話の問わず語りか、あ るいは、自分の身の回りで起こった面白い話をしているようである。後者の場 合は、日頃からネタを仕込もうと意識して努力しているようだ。そういう努力 を全くせずに、面白い話もその場限りで「あー、面白かった」と次から次へと 忘れ去っていく我が身を振り返ると、それはそれで立派な心掛けであることが わかる。前者の場合は、何なのかよくわからない。自分をネタに笑いを取る才 覚に長けいるのか、それとも自己愛が特別強いのか。少なくとも私とは世界の 見え方が違う人間であろうと思う。

2003年11月5日(水)
<<元気?>>
午前中は自宅でサーベイ・ノートの整理など。午後から出勤し、気合いの工系 線形代数の講義。この講義については、私語を全く注意しない方針で、気合い 一本で今日までやってきたが、たまにボソボソやっている事もあるが、概して 静かである。気持ち悪いほど静かなのでふと教室を見渡すと、毒ガス攻撃を受 けたかのようにほとんどの学生が机に突っ伏して居眠りしているような時もあ る。しかし、そんな時でも教室の前の方に座って熱心にノートを取り続けてい る学生も何人か居る。今後の事は予断を許さないが、現在までは結構いい感じ で推移しているように思う。

10年程前は、ボソボソやっているのも見つけ次第徹底的に「攻撃」して 潰しておかないと、教室全体が騒音の渦に包まれてどうしようも無かったよう に思う。その記憶があるので、ちょっとした私語でも早い目に叩いておこうと 考えたりするのだが、今の学生はちょっと私語をしてたかと思うとすぐに寝て しまうので、そんな心配は要らないのかも知れない。そういう意味では、10 年前の学生よりも今の学生の方が大人なのかも知れないし、あるいは単に元気 が無くなっただけなのかも知れない。

週の後半は原則として自宅研究日、土曜はゲーテ、日曜は野暮用、来週1 0〜13日は東京でのシンポジウムに参加するので、次回更新は14日か17 日あたりになるかも。(でも、ひょっとして明日か明後日あたりに一度更新す るかも。)

2003年11月4日(火)
<<暴走講義クリクリ>>
暴走講義クリクリの火曜日である。否、眠り天才君は「一瞬の煌き」への期待 に胸ふくらませるが故にいつも目をクリクリさせていたのだ、というのは単な る私の思い過ごしであって、新しい眼鏡に替えてきた今日はクリクリは無し。 (何だ眼鏡のせいだったのか。)

それにしても、彼はもう講義中に爆睡しないし、ノートを取りながら艶か しくも苦し気なうなり声を出すような事も無くなった。夢見るH先生が言うよ うに、人間とは進歩するものなのだなとつくづく思う。

他には遠い遠いS藤王国から純粋数学至上主義の香りを満喫するため(?) にはるばるやってきた計算機代数屋のTy君と謎の確率論屋N君の2名。今日は 加群の極小生成元、局所環上の射影加群が自由加群であることの証明、および 複体とホモロジー群の定義。

午後は可換環論・代数幾何学入門講義。根基、根基イデアル、ヒルベルトの零 点定理とその意味。次回から零点定理の証明のための準備など。ネーターの正 規化定理を使わずに超越拡大体論を直接使う方法だが、適当にはしょって今年 は準素イデアル分解に時間を割こうかしら、などと画策中。

その後雑用が降ってきたが、適当に蹴飛ばして明日の気合いの線形代数の 講義準備など。

今日それ以外のニュースとしては、ちょんまげ天国のK川先生に彼の2種 類の歩き方を披露してもらい、全力疾走のO坂先生から沖縄で吊るし上げを食っ た話を聞かせてもらった。

2003年11月3日(月)
<<あまりにも文化的な>>
文化の日である。雨の中を出勤。こういう日はぜひ文化的な一日を送らなけれ ばならないと考え、学生達に「ひいーっ!こ、この教授、くっ狂ってる。。。」 と言われようが何だろうが、断固としていつもの月曜日通りゼミを敢行。午前 は卒研のT君、午後は院ゼミのI君のダブルヘッダーで臨む。うーむ、あまり にも文化的な一日だ。すばらしい。

I君の修論について、前回までに夢の目標テーマAと現実的目標テーマBま では設定してみたが、今回さらに予防線的テーマCも考えた。BまたはCぐら いで修論をまとめて欲しいところだが、何せのんびりしたI君のことなので予 断は許されない。ちょっとハラハラしてしまうな。「あんまりのんびりしてい るようだと、本当に落第させるぞ!」と言ってしまった手前、I君があんまり のんびりしているようだと、本当に落第させなければならないし。まあ、そう ならないようにせいぜい頑張ってくれやという気分である。

そういえば、立命館で教師をやって11年になるけれど、修士の学生はI 君でまだ8人目である。これは一人の教員が毎年数名以上院生を受け入れる 情報学科で8年間過ごした事を考えると、異様に少ない。これが「高山研は 閑古鳥とぺんぺん草の楽園」と言われた所以である。

さて過去7名の院生のうち、最初の2名は自分で勝手にテーマを決めてど んどん進めて行ったので、私は論文のまとめ方を簡単に指導しただけである。 3人目の学生は、かなり真面目にゼミもやり、論文の内容も細かく指導した。 4人目の学生は修士に上がって2ヶ月で何だかよくわからない理由で別の学科 に移っていった。5人目の学生は彼が希望したテーマの関係から夢見るH先生 に全てお任せした、6人目と7人目は諸般の理由で完全に放置することとなっ たが、ちゃんと修論らしきものを纏めて卒業していった。

こう考えると、修士の学生としてまともに指導したのは過去に一人だけで ある。そしてI君は2人目。次は10年後かも。いずれにせよ、たまにしか院 生の面倒を見ないので、いつも新鮮な気分でハラハラするのである。つまり、 院生指導にかけては私は新米のままであり、新米のままで教師生活を終える ことになると思う。

ゼミの合間には、シンポジウムの資料のコピー作業など。

2003年11月2日(日)
<<余韻>>
日曜日である。朝はゆっくり起き、野暮用のため近所の高台まで自転車を 押して行く。それにしても昨日のパーティは予想通り楽しかった。ああいう、 数学とも私の職場とも縁もかりも無い人たちとの集まりってのは、いいものだ。 などと余韻を楽しみながら、午後は昼寝をしたり計算機で実験をしたり。

そういえば松下巨漢社員が来週、カシオの海外子会社から販売されている 英独・独英の電子辞書を買って持ってくるそうだ。ぜひ見せてもらおうと思う。 英独・独英の他に独独が付いていれば文句無しだが、どうなのだろう。しかし 値段は5万円也。高い!物凄く高い!!夏学期の途中に2万7千円で今の電子 辞書を買ったばかりなのに、その倍の値段というのはかなりきつい。でも欲し い!私にとっては日独辞典よりも英語からドイツ語を引く方が楽なことが多い のだ。どうしよう。。。でも、結局買ってしまいそうな気がするな。

2003年11月1日(土)
<<ホームパーティ>>
ゲーテの日である。そして今日は2週連続でスポーツ・クラブをサボり、先生 が仕事場として借りているらしいゲーテの近くのマンションで、何の名目か知 らないけれどホームパーティー。先生の方は、肉だのサラダだのパンだのチー ズだのと、かなり気合いの入った準備をされており、クラスの生徒10名ぐら いが集まり飽食の構造を堪能した。

勿論その中には、この人の愉快話を聞かなきゃパーティにならない金つば 饅頭持参の松下巨漢社員と、マヨネーズを決して使わない南ドイツ風気合いの ポテトサラダ(Kartoffelsalat)を作って持参するため、1時間以上遅刻して きた嬉しがりの清少納言が居たし、三条河原町明治屋ででザウアークラウト (Sauerkraut酢キャベツ)を調達してきた数学者になりたかった技術者や、ド イツのビールに一番味が近いからとエビス・ビールを買いに行かされたガラス 職人も居た。そういえば私がまだコチコチのアメリカ嫌いではなかった16年 前に、ニューヨークのラガーディア空港からスチュワーデスが一人しか居ない しょぼいプロペラ機に乗って、気流のちょっとした変化で危うげに乱高下する 機内の窓から、地上を走る自転車を眺めたりしながら1時間程飛んでたどり着 いた、世にも美しいイサカという街のコーネル大学にNuprlと呼ばれる有名な プログラム自動生成システムを開発したロバート・コンスタブルとか言う名前 の教授を訪ね、彼の家のホーム・パーティに招かれた時にも食べた覚えがある スナック菓子を持参してきた塾屋、そしてパーティー初登場の輝くフリータも 居た。それから、冬学期から新しく入って来た「ドイツ語の命娘」たち数名も 来ていた。私は炊き込みご飯のお握り12個を持たせてもらって参加。

最後は、私の制止も虚しく(!)塾屋の提案でドイツ語単語の尻取りゲー ム(Wortspiel)が始まった。ドイツ語の単語はなぜかh, g, n, r, e, uで終 わるものが多い。結局この6文字で始まる単語ばかり延々1時間ぐらい探し続 けることとなり、皆さん次第に苦しくなってくる。塾屋は遅まきながら後悔し 始めて、日本語の「ん」みたいにゲームを終わらせる単語でもないかしらなど と言い出すが、最初に停止条件を決めずに動き出したためゲームの内部からは 止めようが無く、それからさらに半時間ほど続行された。そしてトイレに立っ た私の強制停止措置によって、やっと人々は苦しいゲームの輪廻から解放され たのであった。そして22時過ぎに解散。

楽しいパーティだったね。またやりましょう。