2003年11月30日(日)
<<発見と判明>>
10時前に起きて、歯医者に行って、スーパーに行って、昼飯食べて床屋に行っ て...なんて調子でやってるうちに夕方。勉強したり考えたりするにはすこぶ る悪環境の床屋の待ち時間と教授会での時間潰しに長年苦慮していたのだが、 電子辞書で遊んでいれば良いことを発見。その後、散歩がてらに山科駅前Sbuxへ 行き、ドイツ語の宿題など。夜はまたせっせと野暮用。

野暮用の合間に、塾屋がカラオケで歌っていた「99ナントカ」という歌 の正体を突き止める。これは1982年に大ヒットした Nenaという人の "99Luftballons"であると判明する。東西冷戦の時代に、99個の風船を 敵の攻撃と間違えてあわや戦争かという事態まで発展するとう風刺物語の歌で、 最近編曲されてまた歌われているらしいが、昔とは全然違った感じの曲になっ ているとか。とにかくCDを探してみることにしよう。

2003年11月29日(土)
<<暴落>>
ゲーテとスポーツ・クラブの土曜日である。清少納言は時折ごんごん咳をして いたが、体調の方は先週よりもかなり回復してきたようである。休み時間にス ナック菓子などをつまんでいたぐらいだから、きっと歯痛の方も良くなったこ とであろう。かくして彼女の絶好調は不動のものとなり、隣に座っている私の 精神は引き続き厳しく厳しく鍛え続けられることであろう。

今日は先週のドイツ語検定試験の話でもちきりで、大変な騒ぎだった。こ ういう時は絶対に大人しくしていない清少納言は勿論のこと、これをネタにせ ずに大阪人が務まるかとばかりに、松下巨漢社員も隣に座っていたドイツ語命 娘その1を相手に何だかんだと強引に盛り上がっていた模様。「強引に盛り上 がる」、嬉しがりの清少納言でもさらりとやってのけるこの芸当は、私には決 して出来ないことである。彼のような大阪人根性を耳掻き一杯ぐらい分ぐらい でも持ち合わせていれば、私も人生が変わっていたかも知れないな。

クラスのほとんどが受験していたため、今日のレッスンでも、レッスン最 初のドイツ語による雑談の時間は検定試験の話題となってしまった。

彼らが検定試験の話題で盛り上がれるのは何故か。それは、ひょっとした ら合格するかも知れないし、下手をすれば不合格になるかも知れない。そのス リルがたまらないからなのだろう。しかし、私のように「車の免許の筆記試験 よりも難しい試験は必ず落第する」と固く信じている人間にとっては、(誰を 相手にしても、たとえ温泉の卓球場でその辺のわけのわからないハナ垂れ小僧 を相手にしたとしても)必ず負けるとわかっている卓球の試合をするようなも のである。要するに面白くも何ともないというわけだ。

そういえば今日の出席者で検定試験を受けなかったのは、私と(カバンに 「のらくろ」のバッチをつけた)ドラえもんと数学者になりたかった技術者の 3名である。おそらく、ドラえもんにとってドイツ語は彼女の専門である歴史 学研究の道具でしかないだろうから、検定試験なんて興味が無いのであろう。 では、尋常ならざるドイツ語学習意欲に燃えていたはずの、数学者になりたかっ た技術者は何故受験しなかったのか?

帰りにたまたま彼と一緒になり、色々話を聞いたところ、彼はドイツ系企 業に勤務していて、ドイツで仕事をするチャンスを夢見てドイツ語を勉強して いたそうである。しかし、事業縮小のあおりを食って、ごく最近ドイツとは何 の接点も無い会社に転職することになり、ドイツ勤務は見果てぬ夢となったそ うだ。おそらく尋常ならざりし学習意欲も、尋常なレベルまで暴落しつつある ものと推察される。

2003年11月28日(金)
<<常時接続>>
自宅研究日のはずだが、野暮用多し。午前中はフレックスADSLに切り替えるた めのNTTの電話工事など。自宅で仕事をすることが増えてきたので、遅まきな がら常時接続に切り替えることにしたのである。それに伴うPCの設定作業や その他の野暮用の後、午後は西友山科店前上新電機へLANケーブルを買いに行 く。このあたりはちょんまげ天国のK川先生の縄張りなので、あたりを見回し ながら用心して歩く。その帰りに山科駅前SBUX でひと休み。久しぶりに論文 を丁寧に読む。夜も野暮用の後ドイツ語の予習など。

2003年11月27日(木)
<<利用価値>>
自宅研究日。しかし昼前に雑用の旅へと出発。山科で色々買い物をして、その 辺で昼食を摂って、Sbuxでひと休みして、それから大学へ。ここでもいくつか の雑用を片付けたり文献を探したり、文献を斜め読みして先週から作り始めて た「ここは何処?私は誰?」メモを整理したり。

事務室に寄ったついでに院生室を覗くと、珍しく座敷童S太郎君のキンキ ン声が聞こえてきたので、彼の進路について少し話し合う。今や自分は神様の ように偉いのだと、隙あらば誰彼となく自慢して回っているらしいS藤先生の 神通力をとことん利用して、ウマウマとやっていこうという路線で、二人で色々 作戦を考えてみた。「偉さ」は自慢するためのものではなく、利用するための ものであり、「偉さ」の度合いは自慢の繰り返し回数で決まるのではなく、そ れがいかに利用価値があるかで決まるのである。S太郎君、指導教授というの はとことん利用するものなんだよ。

2003年11月26日(水)
<<雑用を思い出す>>
午後から気合いの工系線形代数の講義。その後引き続き教室会議。と、その前 に明日からの自宅研究日に備えて論文をコピーしようと図書館へ。何故かコピー 機が混んでいて、会議には1時間近く遅刻。帰宅直前に、いくつかの雑用を思 い出し、明日か明後日か出勤しなければならない事となる。まあ、とにかく今 日は帰ってドイツ語の予習でもしよう。

2003年11月25日(火)
<<熱いぜ!>>
本日午前中は、大学院暴走講義。その前に「数学教室でとんでもない事が起こっ た。詳細は昼過ぎの緊急教室会議で説明されるであろう」との連絡あり。何だ ろうなと思いながら教室に行くと、今日は眠り天才君一人だけ。いよいよ伝説の講義 に王手がかかったかと、一瞬緊張が走る。

講義を始めてしばらくするうちに、何でたった一人の写経学生相手に講義 なんかやってるんだろうと、だんだん気が抜けてきた。こんな事を考えるよう では、私も焼きが回ったものである。これは「伝説の講義も辞さず」の 決意が薄れてきた証拠である。猛省。とにかく今日のところは時々眠り天才君と 雑談をしたり、板書写しの遅い彼がついてこれるまで廊下で散歩したり窓から 外の風景を眺めて時間調整したりしながら、ホモロジー代数の基礎 の章を終えて、ゆっくりと加群の極小自由分解の章に入る。

それにしても近頃の学生は押しなべて頑固である。何が頑固かというと、 板書写しのペースを絶対にこちらに合わせようとしないし、そういう工夫をす るという概念がまるで無い。彼らは皆、私の板書よりもはるかに綺麗な字を一 文字一文字心を込めてちくちくとノートに書き留めている。だから、私が黒板 を左から右に書き進み、また左に戻って書き始めても、学生達は皆いつまでも 黒板の右側を見ながらちくちくやっているという状態である。

私が学生の頃は、板書の全てを写すのではなくて要点だけ書き留めるとか、 乱雑でも良いから速記して後で整理するとかしたものである。いずれにせよ話 を聞いて要約しないとそういう芸当はできない。今の学生はそういう力が落ち ているから仕方が無いのだという指摘もある。

しかし、誰でも最初からそういう事ができるわけではないのだ。私に言わ せれば、綺麗な字を一文字一文字心を込めてちくちくとというやり方以外の事 は絶対するものかと固く決心し、(誰に吹き込まれたのか知らないが)そうい うノートのとり方に合わせてくれない先生が居たら、その先生の方が間違って いるのだと深く信じて疑おうともしない石頭だから、いつまでたっても要約する力が つかないのだよ、ばーか、ということになる。

もっとも眠り天才君の場合は、時折おとづれる”一瞬の煌き”を除いて私 の暴走講義はさっぱり理解できないようなので、要約も何もあったものではな いようである。

さてその後は緊急教室会議。数学教室の先生って熱いぜ!この熱さこそが、 数学という学問を今日まで守り続ける力の源なのだ、ということを改めて痛感 する。

会議の後、大急ぎで昼食、そして午後の講義。可換環論・代数幾何学入門。 剰余環への自然準同型によるイデアルの対応関係、極大イデアル・素イデアル の定義とその特徴付け。簡単な例など。

講義の後、引き続き久々の教授会。立命館大学においては、学部長の功績 は教授会の回数を年何回までに減らしたかで決まるのだと信じられている。少 なくとも私はそう信じている。その意味で、今の学部長は実に立派である。残 念ながら、一度開かれると4時間は止まらない暴走会議ぶりは以前と変わって いないが。今日は珍しく、こともあろうにこの私が(!)某人事案件で意見を 述べなければならなかった。これについて、会議の合間に常に美しい人生を心 がけるKaz 先生がいくつかのアドバイスを耳打ちしてくれた。そしてここでも、 数学教室の先生って熱いぜ!とぐっと来る。

それから先日のTurner Tate の件だけど、夢見るH先生によれば、あれは ロンドンのTate美術館所蔵のJoseph Mallord William Turner(1775--1851) の絵ではないか、とのこと。J. M. W.Turnerって、 確か中学校の美術の時間で習った覚えのある、19世紀イギリス・ロマン派画 家のあのTurner かしら。私も一瞬そうかと思ったけれど、あの本の裏表紙に は"Turner Tate, London 2003"と書かれてたので、「最近ロンドンにTurner Tateとかいう凄い絵を描く人が現れたんだ。こんちくちょう!見つけたら生卵 でもぶつけてやろうかしら、それともビールの一杯でもおごらせようかしら」 と、意味不明にして支離滅裂なライバル意識を燃やしていたのだ。

教授会の後、手元の美術全集でJ. M. W. Turnerの絵を調べてみたが、同じ 絵は見つからず。しかしそこに載っていた「ヴェネツィア風景」などのゾクゾ クする感じは書店で感じたそれと同じものであり、不変量が同じだから夢見る H先生の説が正しいと確信するに至った(ただし、書店で見た絵は「ヴェネツィ ア風景」よりも良いと思う)。そして生協で夕食を摂り、山科駅前Sbuxで少し 道草を食い、22時過ぎに帰宅。

長い一日であった。そして、数学教室の先生達の熱さとTurnerの絵の再発 見が、今日の大きな収穫である。

2003年11月24日(月)
<<実際そうした>>
冷たい晩秋の雨のそぼ降る祝日である。祝日を蹴飛ばして狂気の卒研・院ゼミ としゃれこもうという案もあったのだが、良識ある私の学生達は心静かなる自 宅学習を選んだようである。よろしい。では私は、昨日に引き続き自宅にて" 問いかけリスト"をひねくり回したり、講義の準備をしたり、ほんの少しドイ ツ語を勉強したりの一日を送ることにしよう。ということで、実際そうした。

2003年11月23日(日)
<<試験嫌い>>
日曜日である。昨日ゲーテにて、絶好調の清少納言が私の隣でごんごん咳まくっ たせいか、危うく風邪を移されそうになった。本日大事を取って、昼過ぎ頃ま で野暮用などを交えてのんびりと休息を取った後に活動開始。”問いかけリス ト”をひねくり回したり、論文を斜め読みしたり。

ところで、清少納言や輝くフリータなど、ゲーテの人達の多くは今日ドイ ツ語検定試験(所謂「独検」の1級とか2級)を受験したらしい。松下巨漢社 員などは過去6回受けて全敗し、今度が7回目とか言ってたな。私もかなりド イツ語に入れ込んでいるけれど、検定試験を受ける気にはなれない。私は学生 を試験で苛めるのは大好きで、物凄く生き甲斐を感じるけれど、自分が試験を 受けるのは真っ平である。

昔から試験は(一度も試合で勝った事が無い)卓球の次に苦手である。試験 の苦手意識がすこしばかり薄らいだのは、浪人してからの大学入試の時だけで ある。これは河合塾様様なのである。大学4回生の時に大学院入試を3つ受け て全敗し、捲土重来を期した5回生時にもう一度1つだけ受けてまた落ち、そ の勢いで地方公務員行政職の採用試験2つ、国家公務員上級職試験(現在の国 家公務員試験一種試験)1つ、教員採用試験1つに軒並み落とされ、これ以上 たて続けに落とされたのでは精神的に壊れてしまいそうだという理由で、受験 を検討していた国税局職員と消防署員と警察官の採用試験の受験は見送った。 今思うと、ほとんど受験勉強らしい事もせずに受験するという「人生をなめ切っ た」事をしてたわけで、落ちるのは当たり前であるが、当時としては猛烈にこ たえた。最後に車の免許の筆記試験に合格したときは、「やっと試験と名のつ くものに合格することができた!」とはらはらと涙を流して喜んだものである。

実のところ、この経験によって私は試験というものを徹底的に避けて人生 を渡って行こうと決心したのである。民間企業に就職活動する際にも、管理職 になる際に試験がある会社は最初から対象外とした。入社後にはアクチュアリー 試験を受けてもらいますよと言われた生命保険会社は、その試験が車の免許の 筆記試験よりも難しいと聞いた瞬間に辞退した。この4月から東京の民間企業 で働こうとしていた矢先の3月末に、教育委員会から高校教員の非常勤講師を やらないかとの連絡が入ったが、また教員採用試験を受けるなんて真っ平だと 断った。当時の私は、「民間企業で働くのは人生を棒に振ったも同然であり、 高校教員の方が少なくとも2千6百倍以上ましだ」という思想に凝り固まって いたため、教育委員会からのこのような寛大な申し出は地獄に仏と言うべきも のであった。しかし、こんなに試験に落ちまくったのだから、これからも落ち まくるだろうし、もう破れかぶれだ、思いっきり人生を棒に振ってやろうでは ないかと考えたのである。

そんな私が独検など受けるわけがないのだ。

2003年11月22日(土)
<<清少納言の復活>>
言わずと知れたゲーテとスポーツ・クラブの日である。

今日は松下巨漢社員が、東京土産に私の大好物のひとつ、舟和の芋羊羹1 8切入りを持ってきてくれた。本日の出席者は12名程度だったので、私は2 切もありつける幸福に浸ることができた。また、彼に秋葉原石丸電気で買って きた電子辞書のケースを渡し、ところでケースを売っている店は沢山あるのに なぜ石丸電気ご指定なのかと聞いたところ、突然「石丸〜、石丸〜、電気のこ となら石丸電気、石丸電気は秋葉原、デッカイわー」という懐かしい石丸電気 の歌を聞かせてもらう幸運にも恵まれた。私はこの歌を聞くと、NTTの下請け の電話工事会社だと勘違いして入社した某電機メーカの駆け出し会社員として、 埼玉県蕨市の独身寮で暮らしていた20代の頃を思い出して、とても懐かしい。

かように十分な幸福感に包まれて今日のレッスンを終えたはずなのに、教 室を去る時に私を襲った言い知れない虚脱感は何なのか?それは紛れも無く清 少納言の復活を意味する。そういえば先々週、私は迂闊にもこの日誌で、清少 納言は近頃弱っており、何だかスリルと刺激が足りないから早く元気になって 欲しいなどと間抜けな事を書いた。そして今日の彼女は、先週はずっと風邪が 治らずまだ咳が残っている状態であるにもかかわらず、のっけから絶好調だっ た。

絶好調の清少納言は無敵である。喋る喋る喋る。私が喋ろうと思ってた事 も私が考えもしなかった事も、どうでも良いような事もどうでも良くない事も、 聞かれたことも聞かれない事も、何から何まで嬉しそうに喋りまくる。この発 言のチャンスの寡占状態に敢然と立ち向かった、奥ゆかしい人格とあまり通ら ない声の持ち主である私は弾き飛ばされ、負けるものかと食い下がり、しかし また弾き飛ばされる。嗚呼、これぞまさしく私の精神を鍛え抜く悪夢のドイツ 語バトルの復活ではないか。かくして私は、学生時代の京大名物殺し屋ゼミの 発表の後のような、打ちのめされた気分で帰路についたのであった。

2003年11月21日(金)
<<ほくそ笑む>>
朝はゆっくり目に起き、午前中から昨日作った「下らない問いかけリスト」を 終日ひねくり回す。夜は色々な野暮用の後、少しリストをひねくり回した後、 ドイツ語の予習など。

ゲーテの人達と一緒に勉強していると、時々ふっと自分は世の中で起こっ ているほとんど何事に対しても一様に関心が薄いことを痛感する。そういえば、 近頃はテレビをほとんど見なくなったし、新聞もいい加減に流し読みである。 本もたまに気が向いた時にしか読まない。プロ野球も相撲も芸能人も政治も経 済も社会問題も一通りは耳目に入ってくるけれど、全ては「流れゆく雲の如く」 であり、語るべき何かであるとは考えていない。少し前までは学生というもの がちょっと面白くて、あれは夏の終りの海で大量発生するクラゲのように実に 不思議な生き物だと思って、しげしげと観察していた時期もあったが、やはり 今では「流れゆく雲の如く」である。

元々私は「好きか嫌いか」あるいは「美しいか否か」で生きている人間で あり、心に響くものには少し近寄って眺めてみたりもするが、そうでもないも のはどうでもよいのである。そして、この傾向に益々拍車がかかってきたよう な気がするのだ。それで近頃心の響くものといえば、この日誌に書いているこ とがほとんど全てである。かくして私は、学生時代に憧れた立派な学者馬鹿に なってしまったのではないかと、密かにほくそ笑んだりしている。

2003年11月20日(木)
<<病み付きになりそう>>
本日午前中は日頃の睡眠不足の解消に努める。きついノルマ(立命館のノルマ は大した事はないという説もある)と意味不明の雑用に追われる私大教師のフ ンザイで、研究もし、趣味と実益のドイツ語も勉強し、日誌も更新し、別に好 き好んで行っているわけでもないスポーツ・クラブに通い、さらには嫌々歯医 者にも通う、などという強欲生活を送っているため、常に時間に追われている ような状態。近頃は夜更し気味になって、慢性的睡眠不足傾向にあるのだ。

午後は心を虚しうして、私は一体何がわからないのか思いつくままに列挙 する。垂れ流された下らない問いかけの山の中に、何か研究のヒントがあれば 儲けものと、じっと目をこらす。ちょっとやそっと「目をこらし」たところで 何か見えてくるぐらいなら誰も苦労はしないので、夜は野暮用も兼ねて京都駅 前アバンティ界隈をふらふらとする。

アバンティー・ブックセンターをぶらついていたら、不意に素晴らしい風 景画が目に飛び込んできて、ななな何だ?これは!と駆け寄り、うあぁぁぁ凄 いなーとしばらく見入ってしまったのだが、2200円もするあまり興味の持 てない本の表紙だったので、買うのをやめた。カバーだけ買うから50円に負 けて下さいという理屈が通るぐらいなら、誰も苦労はしない。Turner Tateと かいう人の作品らしいけど、誰や?それ。今後注意して探すようにしよう。帰 宅後はドイツ語の宿題と復習など。

それにしても独英・英独・英英・独独電子辞書はいいなあ。早く殴り込み 通訳に見せびらかしてやりたいなあ。ドイツ語を日本語で理解しようとすると 往々にしてわけがわからなくなるのだが、ドイツ語のこの単語は英語で言えば こういう意味、英語のこういうフレーズはドイツ語え言えばこう、という風に 説明されると、びぃしぃぃぃぃぃいっと分かってしまう。(分かったところで、 頭に入るとは限らないため、上達はすこぶる遅いのが泣きどころ。)この「びぃ しぃぃぃぃぃいっ」って感覚が病み付きになりそう。

2003年11月19日(水)
<<標本>>
昨夜はドイツ語の予習などで夜更しをしたので、朝はゆっくり目に起きる。 午後は出勤し、気合いの線形代数の講義。今日は後ろを向いて喋り続ける馬鹿 学生が若干1名程現れたが、当初の方針通り無視することにした。私の心の中 で彼は虫ピンで留められ、「古典的私語学生、おもに20世紀末に大繁殖し、 21世紀初頭に新種の居眠り学生の台頭とともにほぼ絶滅した」と書いたラベルを付 けて標本にされることとなった。

さて本日夜は、ゲーテにてヴルフィン・リースケというギタリストの演奏 会。何でも1912年に作られた銘器マヌエル・ラミレスとやらを奏でるそう で、楽しみである。

2003年11月18日(火)
<<頭痛と吐き気>>
午前は大学院の暴走講義。複体の準同型写像の定義と複体の比較定理の証明。 受講者は、眼鏡を新調してくりくり目玉が消えうせた眠り天才君、S藤王国 からやってきたTy君、謎の確率論屋N君の3名。伝説の講義への野望は捨てて、 真面目に粛々と講義を進める。昼休みはドイツ語の予習を少しやって、午後は 4回生の可換環論・代数幾何学入門講義。極大イデアルの存在証明、剰余環へ の自然準同型によるイデアルの対応など。その後少し時間が空いたのでドイツ 語の予習。

それから、某所に監禁されて1時間半ぐらい頭痛と吐き気を催すような話 を聞くはめとなる。そういえば情報学科時代には、学生の論文発表会とかで、 少なくとも年に2日はその手の話を、堅い椅子に座って終日じっと聞いていなけ ればならなかったし、それ以外でも毎日その手の胡散臭いノリが辺りに漂って いたな。あれは精神衛生上よろしくありません。それを思うと、今はつくづく 幸せだな。

2003年11月17日(月)
<<改善と慣れ>>
本日院ゼミ・卒研ゼミの日。午前の院ゼミはセグレ射について。自家養成サク ラI君の発表がいつもののんびりペースだったら、ちょっと修論が間に合いそ うに無いので、本日限りでゼミを終了して予防線Cテーマで直ちに論文執筆作 業に入るように指示するつもりだった。しかし、今日はよくまとまった話をし てほぼ予定通り進んだし、前回までのぼんやりぶりが改善されてきたようなの で、とりあえず現実目標Bテーマで進むことにした。

午後はT君の卒研ゼミ。商層、層の完全列、帰納的極限が完全列を保つこ との証明など。T君は層の議論のスタイルにかなり慣れてきたようだ。

2003年11月16日(日)
<<明確な序列>>
野暮用に明け、野暮用に暮れる日曜日であった。午後は四条近辺から三条河原 町さらには北大路界隈を歩きまわり、へとへとになる。 夜はドイツ語の宿題。

数学者というのは、日頃から偉さの序列を気にし合っているようである。 そしてその序列は暗黙のうちに明確に決まっており、何かの折にそれがふっと 顕わになる。たとえば冗談で「誰それが死んだ時には学術雑誌で追悼特集を組 む事になるだろうか。」「いや、(別の)誰それだったらまだしも、彼(女)じゃあ 無理だな(即答)」とか。あるいは、「特別講演の講師は誰にしようか。」 「○○はどうだ?」「いいねえ。でも彼(女)は来てくれるかなあ。」「じゃあ、 △△はどうか?」「奴はそんなに有名じゃないから駄目だ(これもまた即 答)」ってな調子。聞く方も大体答を予想していて、それを互いに確認し合っ ているようなところがある。

計算機科学業界だと、「何であの馬鹿が学会賞なんか取るんだよ。絶対お かしい!」「そうだ、そうだ!」というような話も多々あって、誰が偉くて誰 が偉くないかは曖昧模糊としている。「賞を取るのは偉いかも知れな いが、賞を取れないのが偉くないわけではない」という認識もほとんど言わず もなが、というぐらいに広く行き渡っており、そういう面では開放的で、誰も が元気を出してやっていける所が大変よろしい。しかし、数学者の序列につい ては争いがほとんど無くほぼ一意的に決まっているところが特徴だと思う。争 い無く一意的に決まる序列って、結構重くのしかかるストレスなんじゃないか しら。

私自身の学生時代の経験でも、失意のどん底の大学院入試(不)合格発表 の日に、院生の先輩と次のような会話を交わした事を覚えている。「(秀才の) 某君が不合格になったのは不思議ですね。」「ああ、そうだな。彼、どうした のかなあ(即答)」「あれ!?(まずまず秀才の別の)某君も不合格だ。不思 議ですね」「うーん、まあ、そうかもね。残念だったね(また即答)」「とこ ろで、僕も不合格なんですけど、不思議ですねー」「あ、そりゃあ、不思議で も何でもないわな(見事な即答)。はははははー。」ま、一意的に決まっている序列 をわきまえない言動をとると、どのような仕打ちが待っているかという ことを示す良い具体例である。

しかしまあ私などは、その後研究者として最も大事な時期を計算機科学だ の情報学科だので棒に振ってしまったから、後は野となれ山となれみたいな気 分であり、それがかえって幸いしている。つまり、明確な序列は学問の質の維 持に必要なんだろうけど、そんなものプロ野球の順位と同様に私には全くどう でも良い事なのである。今こうやって数学をやっていられる、それだけで十分 じゃないかって、まあ、そういう風に思えるわけ。だけど、この道一筋で来た ような人にとっては、場合によっては結構きついんじゃないかと思う。