2003年10月15日(水)
<<衣笠文系数学要員>>
午後から気合いの線形代数の講義。引き続き長い長い教室会議。開放されたの は20時頃。自宅に帰ったのは22時過ぎ。

会議では来年度の講義担当なども議題に上がった。来年度はおゲレツお下 品の情報処理の担当からもストレスの塊・気合いの工系基礎数学の担当からも開 放される模様。その代わり衣笠キャンパスでの文系数学や、数学も英語もわか らない学生達に関係代名詞の係り結びを教える外国書購読を担当することとなっ た。

文系数学や外国書購読は教師の間ではすこぶる評判が悪く、担当を嫌がる人が多いが、 私はそれほどでもない。他大学教育学部で非常勤講師として文系数学を何年か 教えていたし、学生達に関係代名詞の係り結びを教えることも嫌いではない。 ついでにドイツ語も教えてやろうかしらんと思うぐらいである。

最近思うことには、結局数理科学科の科目で特に教えてみたい講義なんて 無いのである。情報処理関連科目はおゲレツお下品だし、2、3回生配当基幹 科目(集合・位相とか、代数とか)はスケジュールがきつい上に自由度が低く てシンドイだけだし、4回生や大学院配当科目は折角色々準備して話しても誰 も理解してないか、伝説の講義になるかのどちらかだし。どれもこれもひとと おり担当してみたけれど、特に執着したいほど面白いものではない。 それに、そろそろ数理科学科単位調整科目担当要員から脱皮したいな、などと考え ているのだが、衣笠文系数学要員として生きるのも新展開で面白いかもね。

2003年10月14日(火)
<<ウワゴト>>
午前中は暴走講義。もしかしたら今日から伝説の講義シリーズに突入できるか も、とわくわくしながら教室に行くと、またも眠り天才君が唯一人、目をクリク リさせて待っていた。その後半時間ぐらい経ってから、もう一人情報学科出身 で確率論をやっている学生も入ってきた。今日も3回生前期レベルの代数学の 素養を前提として粛々と講義を進める。以下、講義後眠り天才君と交わした会 話。

「ところでK君(眠り天才君の本名)、こんな講義聞いてわかるの?」
「え?えへへ。全然わかりませんけど。」
「そうだろう。僕は学部生の頃から君の事を見ているけど、絶対分かりっこな いと思ってたんだ」
「へー、済みません」
「別に謝ることでもないけど。で、この講義の単位はもう取れてるのに、何で わざわざ出てきて黒板の写経やってるの?家で般若心経でも写してた方が心が 清められていいのに」
「いやーあ、一応履修するからには、講義にでなくっちゃと思って」
「ようわからんなー。このごろの子って、何かそういう風に躾られてるってわ け?」
「ええ、まあ。」
「ふーん。みょーな話やなあ。それって何かの宗教なわけ?」

午後は4回生の「可換環論・代数幾何学入門」の講義。トイレでバケツに 水を汲んできて、さてとっと講義体制に入ろうとしたとき、午前の講義をした 教室にワイパーを忘れて来たことを思い出し、一瞬立ち上がれないほどの衝撃 を受ける。「た、大変な事になりました!ワイパーを紛失したので、き、今日 はき、休校にしま...」などとウワゴトを言いかけたけれど、辛うじて体制を 立て直す。講義の後で、学生たちがワイパーを見つけて来てくれた。多謝。

隣教室の常に美しい人生を心掛けるKaz先生の講義で、例の青春カップル は今日は真面目に講義を聞いている風であった。夜は新任の先生の歓迎会。

2003年10月13日(月)
<<まともな人たちの世界>>
小説一気読みの夜更しのため、朝はゆっくり起きる。午後から自家養成サクラ I君の院ゼミ。結局祝日を蹴飛ばす事となった。一つ驚くべきことは、数学の 学生は何て真面目なんでしょう!ということ。彼らは卒研ゼミだの院ゼミだの を毎週きっちりやろうと頑張るのである。情報学科時代、卒研を真面目にやる 学生なんて1割居るか居ないかの状態だった事を思うと、つくづく私は今まと もな人たちの世界に居るのだなと思う。こういう真面目な人たちが報われる社 会でなければ、世の中間違っていると思う。

2003年10月12日(日)
<< Oktoberfest>>
実は昨日の夜はゲーテでOktoberfestなる催しをやっていて、清少納言や巨漢 社員達に講座の後でちょうど良いから一緒に行きましょうなどと誘われたのを 振り切って、スポーツ・クラブの方を選んだのである。彼らの誘いを無碍に断っ た重みをかみしめる余り、思わずトレーニングに力が入り過ぎてしまい、今日 は全身筋肉痛状態なのである。

Oktoberfestは「10月祭」と訳されているドイツの伝統行事だぞうで、以 前ゲーテの講座で同じビデオを2回ぐらい見せてもらったのだが、単に広場に 巨大仮設ビアガーデンを作って、民族音楽(?)の演奏などを聞きながら皆で ソーセジとジャガイモを肴に只々ビールを飲みまくって騒ぐだけの催しのよう である。私はドイツ贔屓だし、ビールが飲めればそれで良いではないかという 意見には全面的に賛成するのだが、それを踏まえたとしても一体何がそんなに 面白いのかよく分からない催しである。少なくとも会場の盛り上がり具合に面 白さが釣り合ってないような気がするのだ。 私は現代ドイツ(人)には何と なく垢抜けたイメージを持っていて、特に美術関係はかなりレベルが高いと思 う。だけど Oktoberfest というのはちょっとイメージが狂っちまうな。

清少納言は先日「里帰り」のためにドイツに行き(ああ、相変わらずよく わからない人だ)、ドイツで一番有名なミュンヘンのOktoberfest に潜入し、 ビールを飲むこともソーセージ食べることもせず、只々1時間に24枚の写真 を撮りまくり、Oktoberfest Muenchenなどと書かれたトレーナを買ってきたそ うである。おそらく昨夜のOktoberfestでも、ミュンヘンのOktoberfestはこう だったとかいう土産話などして、著しく嬉しがっていたことでしょう。

さて本日終日野暮用にて休息日となる。実際は休息どころか、あちこち移 動してずいぶんくたびれたけれど。朝、新聞の書評を見て、四条ジュンク堂に 寄ったついでに「博士の愛した数式」(小川洋子)を買う。私は基本的に小説 は読まないのだけど、まあ、数学者の話だというので買ってみた。どうやら藤 原正彦氏がバックについて書かれた小説らしく、数学に関する記述、特に、数 学とはどういう性格の学問か、という描写は実に正確だったと思う。

夜はドイツ語の宿題を少々。「博士の...」は面白いので、寝床に入ってか ら思わず一気読み。役に立つものは腹の足しにはなるけれど心の支えにはなら ない。しかし、役に立たないものは、それ故に永遠の心の支えになれるという、 我々には当たり前のメッセージをちゃんと語ってくれている小説だと思う。

2003年10月11日(土)
<<伝家の宝刀>>
ゲーテの冬学期第一日目である。京都市役所前で地下鉄からバスに乗り換える 時、昨年の冬学期で一緒だった人と偶然再会。あれま、お懐かしや。仕事の関 係でこの前の夏学期の講座には来れなかったのだが、また都合がつくようになっ たらしい。彼女は、時間帯は私のと同じだけど、別のクラスに通うことにした という。

さて、今度の冬学期の中級クラスの講師の先生は夏学期と同じ人だが、生 徒がどんな人達かは、おおいに気になるところ。蓋を開ければ次の通り。

今日も給水を怠らない松下巨漢社員、中級終了試験を一発合格したのに何 でまだ中級講座にいるの?の数学者になりたかった技術者を始め、塾屋、ドラ えもん、殴りこみ通訳、お美人、ハンサム君、輝くフリーター、そして何故か ドイツから帰ったばかりで時差ボケで臥せっているだの、否、時差ボケは治っ たのだけれどその後色々「悪さ」をして体調を崩したそうだから今日は来ない かも知れない等々の噂を流しつつ、しかしながら1時間遅れで余裕をかまし、 おもむろに登場した女王様の清少納言(!)の9名とはまた一緒に勉強するこ ととなった。うーむ、凄い面子だ。今度の講座もひと荒れしそうだぞ。楽しみ、 楽しみ。。。

新しい人も数名入ってきたようだ。皆さん「ドイツ語、命!」みたいな、 ただならぬ切羽詰った雰囲気の若い女子学生ばかりである。ちなみに私はオジ サンである。オジサンは若い女の子が好きと相場が決まっているそうだ。しか し私は変なオジサンなので、若いぴちぴちのコもいいのだけど、テキトーにヒ ネた、年恰好が自分に近いオジサンやオバサンの方が好きである。それに、日 頃職場で平均年齢20才ちょいという連中ばかりを相手にしているので、推定 平均年齢35+α才の夏学期のクラスはほっと一息つける場だったのだ。だか ら、今回クラスの平均年齢がぐっと下がってしまったのは少し残念なのである。

それにしても、新しく入ってきた若いコの中に、清少納言に負けず劣らず の嬉しがりがいるようで、今後の動向がちょっと気になる。彼女らはともに、 思いついたまま何の苦労も無くすらすらとドイツ語が出てくる人たちである。 そんな貴女達!中級クラスなんぞで油売ってないでさっさと上級クラスに行き なさい!何考えてるんですか!?という問題はとりあえず置くとして、この手 の人たちが紳士淑女に相応しい抑制を利かす事をおろそかにして、教室の中で 本能のままに喋りまくるとえらいことになる。それは何故か。

ゲーテも中級クラスともなると、皆さん教室で少しでも長く、かつ、沢山 喋ってドイツ語の腕を磨こうと目を爛爛と輝かせている。だから、できるだけ 多く発言のチャンスを掴むべくシノギを削るのである。しかし、そこに圧倒的 な力を持つお喋り人間が居ると、チャンスの寡占状態が生じる。私などは、そ の奥ゆかしい人格が災いして、こういうトーク・バトルでは簡単にはじき飛ば されてしまうのだ。はじき飛ばされ花と散るのが嫌ならば、気合と根 性だけを武器に飽くなき闘いを挑まねばならないのである。ああ、くたびれる。

清少納言一人だけなら、「誰かこいつに猿轡してその辺の柱に縛りつけて おいてくれ!」で済んだけど、似たような人がもう一人居るとなると、いよい よ(論点のズレを承知の上で)「そこの二人!お喋りがしたいのなら、廊下に 出てやりなさい!」と私が大学の講義で私語学生に使う伝家の宝刀を抜かねば ならなくなるかも。とにかく大変なのである。大変だ、大変だ、とか言って喜 んでるんだけどね。

夜はスポーツ・クラブ。

2003年10月10日(金)
<<絶対死守!>>
少し前なら今日が「体育の日」で祝日である。それが最近は月曜日になったそ うである。おまけに私大のフンザイで国立大の真似などして1セメスター15 週開講絶対死守(!)などと石頭な事を言っているため、ウチの大学では体育 の日なんて蹴飛しちまえだの、いやいや土曜日に補講せよだのと色々頭の痛い 話になる。それやこれやで、結局自ら好き好んで首が回らない状態に陥って大 騒ぎし、集団マゾ喜びをしているのがウチの大学の真実の姿なのではなかろう か、などと考えながら終日自宅で研究日。今日は一歩も家の外に出ず。

そういえば近所にWaelderというドイツ・フランス風のパン屋があって、結 構重宝しているのだが、一つだけ気に入らないのは店の名前である。Waelder (ae 部分は実際は a のウムラオトの形で書かれている)は「森」という意味 の Wald [ヴァルト] の複数形だが、発音は [ヴェルダー] が正しい。ドイツ 語で a のウムラオトは口を横に大きく開けてはっきりと「エ」と読むのであ る。しかるにこの店は「ヴァルダー」と読ませている。これが気になってしょ うがないのである。しかしながら案外、ドイツのある地方だとかフランスのス トラスブルグあたりでは「ヴァルダー」と発音してて(これは単なる推測であ る、念のため)、そこでパン作りの修行をしてきた店の親父がその方言を名前 に使ってる、なんて話だと面白いのだが。一度店の人に確かめてみたいと思っ ているのだが、未だ試みていない。

2003年10月9日(木)
<<神経を抜く>>
快晴の秋の日。本日自宅にて研究日。夕方頃野暮用にて自転車で近所を回る。 ここ半年ぐらい疼いていた虫歯の痛みがいよいよ激しくなってきたため、夕食 後行き付けの近所の歯科医へ。奥歯の神経を抜くこととなる。

そういえば他にも色々抜いてもらいたい神経があるな。講義中のお喋り学 生が気になってしまう神経とか、額にべっとり貼られた「こやつは数理情報系 教員なり!」という半額シールを気にしてしまう神経とか、締め切り付きの仕 事があると早く片付けてしまわないと気になってしょうがない神経とか。それ やこれやのつまらない事を、なあんにも気にしなければ毎日ご機嫌で過ごせる かもね。

2003年10月8日(水)
<<気合いの講義>>
あっぷあっぷのゲーテ開講日が近づいている。午前中はドイツ語の予習を少し やり、昼過ぎに大学へ。大学院の暴走講義のノートの改訂などをやってから、 工学部線形代数の講義。少しでもダレさせるとすぐにお喋りだの何だのを始め かねない100名余りの子供達を、気合いで引っ張ったり抑えつけたりしなが ら無我夢中の90分を終える。

前期はお喋り学生を直ちに叱り飛ばすという武闘派路線であったが、後期 は無抵抗主義に方針を変えて、お喋り学生は徹底して放置するつもり。そのか わり、できるだけお喋りをさせないように気合いの講義をするのである。気合 いの講義では、(気合の流れを悪くする)技術的に細かい話はさらっと流し、 重要な定義や定理のアイディアを中心に話を進める。この意味で教科書の隅々 まで丁寧に説明する地道な講義ではなくなる嫌いがあるが、その辺は演習の授 業と自習で補ってもらおうという算段。

2003年10月7日(火)
<<伝説の講義シリーズ>>
午前は大学院暴走講義第2回。今日は分裂完全列、自由加群など。勿論学部3 回生前期レベルぐらいの代数は既知として粛々と話を進める。結局この講義を 一番理解できそうな学生が受講しておらず、既に教室の誰も理解していない模 様(そうでない事を祈っているのだが...)。途中、(昔の)旧制帝大大学院の 真似(?)をして、「単位の欲しい人は名前を書け」と学生に紙を回す。大学院の講 義でなまじレポートだの試験だのをやると、彼らが何ひとつ理解していない事 が白日の下にさらされて、断固として落第させたい衝動に駆られると同時に、こ れじゃあ案山子相手に講義してた方がましだったと自己嫌悪に陥りかねない。 紙を回すのは、学生も私もこのようなリスクを回避し、心安らかに平和を享受 する唯一の方法だと思う。

さて、学生達は単位の心配は無くなったことだし、5回目ぐらいから伝説 の講義シリーズに突入するのではないかと予想している。

午後は4回生の良心的講義傾向講義。自由加群を少しと、アフィン空間お よび代数的集合の定義とその例、イデアルの定義など。卒研生T君の付き人君 は、その居眠りとノート取りの周期が講義のペースと同期しており、まだ 講義についてきてくれてる模様である。可換環論自主ゼミF君は後ろの方に座っ ているため、どういう状態か不明。今日から登場のFj君は、例によって一番 前の席に陣取り、分かっても分からなくても分かったような顔をしてくれてい るところが心強い。

午後の講義の隣の部屋では、常に美しい人生を心掛けるKaz先生が講義をし ているのが一瞬見えた。教室の後ろの方では、あるカップルがいちゃいちゃし て遊んでいた。彼らの事は私もよく知っており、まだあんな風に前後の見境い 無く四六時中青春しているのか、進歩の無い連中だなあと思うのだが、Kaz先生は 雷を落とすわけでもなく、体の重心が緩やかに弧を描きながら上下する例の独 特の歩き方で教壇を歩き回り、絶好調の御様子であった。

明日は工学部の線形代数の講義かと思うと、気が重い。あれは数学者にとっ ては戦場そのものだな。

2003年10月6日(月)
<<雷>>
曇りがちで少し肌寒い。本日終日学生のゼミに付き合う比較的ストレスの少な い一日。しかし学生達の調子は何故かいま一つ。こんな調子が続くようなら、 (また)雷を落とさねばならんな。

夕方はK川先生がやってきて雑談。彼もまたいま一つ元気が無いのは、最 近友人知人の訃報が多いらしく、生と死について思いをめぐらす今日この頃の ためらしい。生きてる間しか数学できないんだよ。一日一日を大切に生きなくっ ちゃ。

2003年10月5日(日)
<<突然の電話>>
朝はゆっくり起きて野暮用の後、午後からおもむろに仕事。夕方頃、珍しく昔 の同業者から突然の電話。電話はいつも突然掛かるものだが、それらしき前触 れの出来事も予告も無く掛かって来る電話を「突然」と言う。ここ10年以上 ご無沙汰であったが、相変わらず元気にやっているとのこと。夜はドイツ語を 少し。

最近中古CD屋で、福田進一というギタリストのJ. S. バッハの曲のCD を手に入れたのだが、これは大当たり!だった。自宅で仕事をする時は何度で も飽きずに聞いている。1回聞くとちょうど1時間ぐらいで、ああこれでもう 1時間考えてるけれどまだ答がわからんなあ、じゃあもう1回、などという調 子で砂時計代わりにもなる。

ところで私は(最近数十年ぶりに再結成されたという)サイモン&ガーファ ンクルの隠れ人間ジュークボックスである。7月にゲーテの打ち上げの後、松 下巨漢社員らに連れられて生まれて初めてカラオケ・ボックスに行ったのだが、 この時これまた本邦初公開で人様の前で「スカボロー・フェアー」だの「ミセ ス・ロビンソン」だの「明日に架ける橋」だのを非連結領域0.75オクターブし か出ない声を裏返したりしながら歌いまくった。おまけにアルコールが入って いた事もあって、あれ?何だよ!?「ニューヨークの少年」は無いのか!? 「アメリカ」はないのかよ!?「水曜日の朝午前3時」はどうした?「ペギー・ オー」や「ヒー・ワズ・マイ・ブラザー」ぐらい置いとけ!!とにかく、もっ と歌わせろ!!!等々と、アメリカ嫌いを標榜する私に似合わない(これは少 し論点が違うような気がするが)理由で、(心の中で)クダを巻いてしまった。

まあ、そんな事はどうでも良いのだが、サイモン&ガーファンクルは私が 中学生の頃には解散し、その後しばらくポール・サイモンは充電中ということ でフォーク・ギターばかりではなくクラシック・ギターも勉強している、 「特にバッハなんかいいよねー」とか言っている、という 話を聞いたことがある。当時、楽譜が読めないくせにクラシック・ギター少年 をやっていた私は、(あの気持ちの悪いヘア・スタイルをした憮然たるオヤジ 顔の)バッハにクラシック・ギター曲なんてあるんかよ、などととぼけた事を 考えていた。と、いう事を突然思い出して懐かしい気分になったのは、このC Dの中に昔よく練習した曲が一つだけ入っているのを発見したからである。

まあ、数学的発見もこんな感じでできたらいいな。

2003年10月4日(土)
<<悪い事しちゃおうかなー>>
校務にて朝から出勤。昼過ぎに開放される。折角大学に出てきたので図書館で 少し文献を探してから帰り、山科駅前SBUXで道草。夜はスポーツ・クラブ。 土曜の夜はやはりすいているのでやりやすい。

ところで、「事情で」来年度の卒研を担当しなくなった、というのは別に 悪い事をしたわけではないので、くれぐれも誤解のないように。

新聞などで世の(超)一流大学の様子を見ていると、「教育者としてある まじき不祥事」を犯した教員に対して、(不祥事の重さにもよるけれど)1年 か2年ぐらい研究室に学生を配属させない、講義を持たせない、場合によって は教授会にも出席させない、学内の各種役職も全て解職にするといった「ペナ ルティー」が課せられることがあるようだ(勿論、卒研などは担当させない)。

教育的観点から見ればそうなるのかなとも思うのだが、労務的観点からす ればこれはペナルティーでも何でもない。要するに、悪い事をした教員にはご 褒美に研究に専念できる時間がたっぷり与えられるのだから、私も悪い事しちゃ おうかなーとか思ってしまう。

では立命館で「悪い事しちゃ」った場合、目出度くたっぷり研究できる時 間が与えられるかというと、皆さん良い先生ばかりでそういう例が未だ無ため、 何とも言えない。しかし、たぶんマスコミなどに騒がれるような事になれば、 クビになるのが関の山だろうと思う。理由は色々考えられるが、そのうちの一 つには「立命館は(超)一流大学ではないから」というのを挙げねばならない と思う。

2003年10月3日(金)
<<奇跡のように目出度い>>
ドイツ統一記念日でもあり私の誕生日でもあるという、奇跡のように目出度い 今日は、気持ちの良い秋の日である。午前中は自宅で野暮用。午後は昨日と同 じく、Macaulay2でつまらない具体例の計算に現を抜かす。夜は京都駅界隈に 繰り出し、ビールとソーセージなどでささやかなお祝いをする。帰ってからは ドイツ語を少し。

そういえば、事情により来年度は卒研を担当しないことになった。自家養 成サクラI君も今年度末に目出度く大学院を卒業するはずだし、来年度は立命 館の教員になって初めてゼミ生ゼロ状態になるというわけだ。ま、それはそれ で身軽で良いかも。

2003年10月2日(木)
<<田舎が嫌い>>
金木犀の花薫る秋の日。自宅にてドイツ語を少しと、Macaulay2を使って具体 例の計算。つまらない計算だけど、そういうのをやって”土地勘”を身につけ ないと、頭が働かないし。夕方は山科駅前SBUXまで散歩。

学生時代も山科に住んでいた。当時の山科駅前は、京阪バスが半ば立ち往 生するようにして走る狭い道路の脇に、古びた商店街の店が密集した何だか田 舎じみたゴタゴタした所だった。今は道路も拡張され、ラクト山科も出来て、 そこには一日一回ただ通り過ぎるだけでとても幸せな気分になれる大丸デパ地 下などがあってずいぶん賑わっているし、三条河原町界隈に簡単に出て行ける 地下鉄も通って結構街らしくなった。朔太郎じゃないけれど、私は田舎が嫌い である。しゃれた店や高層マンションの立ち並ぶ大都会が好きというわけでは ないが、賑わいのあるそこそこの街でないとつまらないのである。私などは、 無人島で一人で暮らして行かねばならないとなると、たちまち気が狂ってしま うクチだろうと思う。

2003年10月1日(水)
<<危険が一杯>>
神も仏も無い神無月である。12時半からの講義と思って早めに出勤。ところが 12時20分頃になって、講義は実は14時10分からであると判明。部屋で 文献などを読んで時間を潰す。まだ、本調子ではないな。工学部の線形代数の 講義の後は、教室会議。

私の後期の一週間は次のように進行する。月曜午前から水曜午後にかけて、 院ゼミ、卒研ゼミ、院講義、4回生講義、工学部1回生線形代数、そして木・ 金の研究日に突入して週末を迎える。すなわち、ストレス最小のものから始ま り、ストレス最大のもので終わるというわけである。これはなかなか良い順序 だと思っていたのだが、考えようによっては逆順の方が良いかも知れない。

何故ならば、教師にとって危険が一杯の工学部1回生線形代数のストレス が後を引いて、木・金の研究日を棒に振ることにならないかと心配するからで ある。逆順にすれば、月曜午前の工学部の講義で心傷ついても、ストレスの少 ない講義やゼミ等をやっているうちにささくれだった心が少しずつ癒され、水 曜日午後の院ゼミを最後に自然な形で研究日に入っていけるかも知れない。