2003年10月31日(金)
<<久しぶり>>
今日も終日自宅で研究日。シンポジウムの発表準備を適当に片付けた後は、ド イツ語の予習をしたり、次の実験の作戦を考えたり。途中久しぶりに山科駅前 まで散歩。SBUXで1時間ほど過ごす。

2003年10月30日(木)
<<花も嵐も踏み越えて>>
研究日として使える久しぶりの木曜日。終日自宅で11月のシンポジウム の発表準備など。それほど満足できる結果でも無いので、あまり力が入らない。 しかし満足できる結果でなければ発表しないなどというのは、よほど偉い数学 者かよほどの自信家だけに許されることであり、然らざる者は花も嵐も踏み越 え、恥を忍んで適宜学会発表すべきであると私は考えている。

そういえば、昨日の教室会議も「半額モノ」の議題があり、いくらかパニッ ク症候群を起こして何やかやと発言してたのだが、その割には後遺症は酷くな い。

2003年10月29日(水)
<<一筋の道>>
午前中は自宅で仕事。昼過ぎに出勤してストレス全開!気合いの工系線形代数 の講義。さらに引き続き長く重い教室会議。どさくさ紛れに来年度の講義担当 で微積分学の演習が追加されてしまった。会議から開放されたのは20時過ぎ。

私の稀有なる人生行路は、学生時代に微積分学の勉強を徹底的にサボった事 から始まる。微積分学が完璧でなければ当時の院試は絶対に合格しない。合格 しなければ進学は諦め就職で、就職すれば大方の予想通り(?)不良社員で、 不良社員なら転職するしか無く、会社で覚えた計算機を教える名目で大学に潜 り込み、予定通り(?)ドサクサ紛れで数学者宣言をし、でもそんなに旨く行 く訳もなく半額シールを貼られ現在に至る。かくして、微積分学から半額シー ルに至る一筋の道が作られており、微積分学に対するリベンジを果たさない限り 人生に決着がつかないのである。

2003年10月28日(火)
<<日夜奮闘努力>>
「日々確かに押してきて、確かに進んでいく(夢見るH先生評)」眠り天才君 が、一瞬の煌きを求めて目をくりくりさせて教室で待っている暴走講義の日で ある。今日は何故か計算機代数を勉強しているTy君も現れた。

計算機代数業界の事はよく知らないが、私の見るところ計算機代数屋には ニ種類あるように思う。一つは可換環論・代数幾何、はてまたD加群だの超幾 何級数といった純粋数学の研究と接点を持ち、数学研究の手段として計算機代 数も深く研究しているタイプ。もうひとつは、特に純粋数学の研究にモチベー ションを持っているわけではなく、計算機代数それそのものの興味や問題意識 に従ってやっているタイプである。ウチの大学の計算機代数グループは後者の タイプのようで、そのせいか(純粋)数学の関連分野に対しては特に興味は無 いようである。

だから、Ty君が可換環論プロパーの話題を扱うこの暴走講義に出てくるこ とは、軽い驚きとともに、何だか遠い世界からはるばるやってきたお客様って 感じもするのだ。それはさておき、

「日夜奮闘努力をしているつもりなのですが、なかなか受講者がゼロになりませんねえ」
「先生、どんな努力をされてるんですか?」
「え!?まあ、いろいろ。。。」

と眠り天才君と挨拶を交わしてから、雑巾を絞り、スポンジとワイパーを 準備し、おむろに講義開始。今日は先週やり残したテンソル積の右完全性の証 明を終わらせ、左完全性が成り立たない具体例を示し、中山の補題を証明して 加群の極小生成元の話に入る。中山の補題は行列式のトリックを使って証明し ている教科書が多いが、ここではセールの教科書にならって生成元の個数に関 する帰納法と剰余加群を使った証明で煙に巻くという方針。

講義の途中、情報学科出身の確率論学生と、何と!自家養成サクラI君ま でもが教室に入ってくる。またもや4名!伝説の講義への野望は捨てるべきか。 I君は予想通り白目をむいて意識朦朧の様子、謎の確率論学生も 最後の方は倒れこんで眠っていた模様。

午後は可換環論・代数幾何学入門講義。引き続き明日の線形代数の講義準備 など。

2003年10月27日(月)
<<勘違い>>
午前は自家養成サクラI君の院ゼミ。修士論文のテーマを決める。一応目標と して掲げていたテーマがあったのだが、常に私の予想を下回る彼のペースを鑑 みて、無理の無さそうな所でテーマを設定し直してみた。

しかし、「常に予想を下回る」という事は、私には彼の正確なペースが予 想できないという事を意味する。だから、「無理の無さそうな所」という予想 も外れてしまって、さらに目標を変更しなければならない可能性も否定できない。

では何故私には彼の正確なペースが読めないのか。理由は簡単で、それは 私には人を見る目が無く、I君を何年かに一人の飛び抜けて優秀な学生だと勘 違いしているからである。恐らく彼は、ただの「まずまず普通に優秀(プラス αぐらい)な学生」なんだろうと思う。

午後は卒研。先週やや生彩を欠いていたT君は、本日見事に復活。

2003年10月26日(日)
<<綺麗に除去>>
野暮用の日曜日である。昼前に起きて野暮用を済まし、昼食を取ってから歯医 者に行く。先日、虫歯の神経の中心部分を抜いたのだが、まだ歯の奥の方の神 経が残っていて、それが(半額シールがらみで時折パニック症候群を起こす神 経と同じく)治療作業に対して反応して疼く。それらを時間をかけて綺麗に除 去していくのが今後の治療内容だという。綺麗に除去ねえ... ついでに半額 シールの神経の方もお願いできないものかしら。

その後、野暮用のため湖西線沿岸をうろつく。階段を上り下りしたため、 右足が再び悪化。図らずしも、またぞろ湖西線と山科駅近辺のバリアフリー化 状況を調査しながら帰宅。夜は計算結果の整理を少し。

2003年10月25日(土)
<<スター不在>>
スター不在のゲーテの日である。本日、巨漢社員と清少納言、おまけに殴り込 み通訳やお美人までもが申し合わせたかのようにお休み。その代わりと言って は何だが、夏学期で一緒だったドイツ仕込みガラス職人が本日初登場した。秋 の新作品売り込みの仕事が一段落ついて、やっとゲーテ通いが出来るようになっ たとか。それにしても、スターが居ないと、この講座も何となく寂しいもので ある。

先週痛めた右足がまだ完治せず、階段を下りる時にまだ少し痛む。大事を 取ってスポーツ・クラブはお休み。夜はドイツ語の宿題に励む。

卒研生や院生を指導していると、学生の中には最初はちゃらんぽらんで箸 にも棒にもかなわなかったのが、いつの間にかぐんと力をつけているタイプも 居れば、最初はかなり優秀そうに見えたのだけど、期待した程も伸びなかった とか、ちょっと癖が強いコだけどそれを逆手に取ってスケールの大きい人に育 つかもと期待してたけれど、只々小じんまりとした癖が強いだけの人のままで 卒業していったというタイプなど、色々居ることがわかる。今までの経験から 断言できる事は、私には人を見る目が無く、新しく入ってきた学生の数年後の 様子を予想しても、それが当たった例が無いということだ。

2003年10月24日(金)
<<夷狄>>
少し肌寒いが秋晴れの良い日である。本日自宅研究日。水曜日の会議の後遺症 に伴う睡眠不足を解消すべく、昼前までしっかりと眠り、昼食後から活動開始。 引き続きMacaulay2で計算したり計算結果を整理したり。そろそろシンポジウ ム発表の準備をしないといけないのだけど、何となく気が乗らない。夜はドイ ツ語の予習。結局一歩も自宅を出ず。

ところで世間ではワールドシリーズとか言って騒いでいるらしいが、何故 アメリカ合衆国国内の催しなのに、おこがましくも「ワールド」などと言うの だろう。これはいかにもアメリカ人らしい発想なのではないか。すなわち、多 くのアメリカ人は、世界とはアメリカ合衆国のことであり、それ以外の文化果 つる地のバルバロイや夷狄どもがゴチャゴチャわけのわからない事を言うのは きっとモノの考え方が間違っているからであり、我々と同じ正しい考え方がで きるように教え諭してやるか、それでも言う事を聞かないなら制裁を加えるな り征伐するなりすれば良いではないか、と単純素朴に考えていると思われる。 そして、国が大き過ぎるため、その思想が是正されることなく国家規模で日々 純粋培養されるのであろう。

2003年10月23日(木)
<<心の闇>>
自宅研究日の木曜日であるが、先週と同様に何やかやと半日ぐらい潰れてしまっ た。半日棒に振ってしまった原因は、職場の健康診断と昨日の会議の後遺症。 昨日の会議では「半額シール」がらみで久しぶりに10語以上発言してしまい、 神経が昂ぶって睡眠不足の上に他の事に手がつかなくなったというわけ。

数学教室の会議は実務的にも政治的にも概して高度に技術的である。従っ て、私のようなぼんやりした半額人間はほとんどお手上げというか、議論につ いていくのが精一杯で、何か意味のある言葉で発言することはほとんど無い。

しかし、こと話が「半額シール」がらみになってくると、飼い殺し状態で 塩漬けにされていた情報学科時代の悪夢が蘇り、「大人しくしてたらどんな酷 い目に合わされるかわかったものではない」という考えに取り付かれ、俄然何 か発言しないといけない気分になるのである。まあ、一種のパニック症候群で すな。

結局夕食後ぐらいまでどうも調子が出ず、Macaulay2で計算したり計算結果 を整理したりして遊んでいるうちに少し気分が楽になる。やはり「半額シール」 は私の心の闇に通じる急所のようで、まさに「高山殺すにゃあ鉄砲は要らぬ、 半額シールを突っつけばよろし」って感じだな。

2003年10月22日(水)
<<教育熱心>>
昼前に出勤。昼食を挟んで可換環論・代数幾何学入門講義のノートの改訂作業 やその他の事務作業をしているうちに、ストレス全開!工系線形代数の講義の 時間となる。講義の後、引き続き3時間半近くに及ぶ教室会議。

立命館の先生達は教育熱心である。その証拠に、私が始業ベルが鳴る少し 前におもむろに部屋を出て、エレベータを下り、だだっ広いキャンパスの中を 季節の風を感じながら歩いて教室棟に向かい、始業ベルを聞きながら教室棟の 階段を上り、教室の近くのトイレでバケツに水を汲み、さてとっと教室に向かっ ている時には既に他の教室では講義もたけなわで、もう黒板の三分の一ぐらい 板書を進めている先生も居る。

さらには、私が講義を終え、バケツに汲み置きの水でスポンジを絞り、お もむろに黒板を拭き、ワイパーで水を切り、またスポンジを絞り、黒板の残っ ている部分を拭き、ワイパーで水を切り(以下これを3回ぐらい繰り返す)、 という作業をしている最中、つまり休憩時間が始まったばかりの頃に、もう次 の講義の教師が入ってきて、私の目の前でせわしく授業の準備などをはじめた りする。

私はこれが嫌いである。後片付け作業とは言え、まだ私はこの教室で仕事 中なのである。教育熱心なんだか何だか知らないが、私の仕事が終わってない うちにセカセカと侵入してきて人を煽るんじゃない!とスポンジの一つで もぶつけてやりたくなるのだ。

2003年10月21日(火)
<<一瞬の煌き>>
暴走講義の日である。あとは眠り天才君と情報学科出身の確率屋を振り切れば、 晴れて伝説の講義に突入できる。伝説の講義とは、週一回誰も居ない教室を借 りて自分のために基礎事項の確認をすることを意味する。日頃既にわかり切っ ていると思っている事も、学生を相手に丁寧に説明するつもりで隅々まできち んと証明を付けられるかというと、そうでない事も時々ある。こういった自分 の勉強の穴を発見し埋めていく作業が伝説の講義なのであり、これは自分の研 究活動の一貫なのである。

というような事を考えながら教室に行くと、ガビーン!4人に増えている ではないか。伝説の講義への夢がまた遠のいたではないか。彼らは一体何の義 理があって来てるのか、あるいは何かの宗教的儀式なのだろうか。とにかく動 揺してはいけない。ここはひとつ、夢見るH先生の助言に従って彼ら4人を案 山子だと思って講義しようと自らに言い聞かせ、我にかえる。以下、例によっ て講義後の眠り天才君との会話:

「ノートを取っていると心が清められる思いでもするのですか?」
「いや、心は清められませんけど。。。」
「何だかとっても苦しそうだし、その苦しさに貴方達はどんな意味を見出して いるのだろうかと思いまして。。。」
「苦しいことは苦しいですけど、ときどきふっと『これは学部の時に勉強した ような気がする』ってはっとする事があります。」
「なるほど、『一瞬の煌き(きらめき)』ってやつですね。それを心の支 えにして苦しさに耐えているのですね。」
「ええ、まあ。でも『煌き』以上の事を覚えていない所が僕自身の問題だ と思ってるんです」
「いやいや、どうして。『煌き』を感じられるだけでも素晴らしいことです。 私は貴方達に一瞬だけでも煌きを与えられる事を誇りに思います」

午後は4回生可換環論・代数幾何学入門講義。ひきつづき自家養成サクラ I君の院ゼミ。基本的な定義に近い話で、これまで気にもしなかった微妙な問 題に気づき、2人であれこれ考えたものの結論が出ず。しかし、帰りの電車の 中でふっと解決する。

2003年10月20日(月)
<<画期的>>
午前中は自宅で具体例の計算。具体例の計算をしてみてわかることは、研究す べき数学の問題、つまり分からない事なんて山のようにあるということ。しか しモンダイは、その問題の山のどこから攻めれば良いかが容易にはわからない ことだ。ま、そこが偉い数学者とへぼ数学者の分かれ道かもね。

午後は卒研ゼミ。前層の層化について。前回のゼミが木曜日で中三日しか 経ってないためか、どうもT君の予習の詰めがいまひとつ。もう一週間ゆっく り考え直して来なさいということで、1時間ちょっとでゼミを終える。その後、 事務的な仕事をすこし片付けてすぐ帰宅。夜は計算の続きなど。

思うにウチの大学の卒研ゼミにおいて、代数幾何学入門に必要なイデアル 論を前期で片付け、後期から層の理論の部分に入れたというのはそれだけで画 期的だと思う。この大学での在職期間中に、こういうマトモな卒研ゼミにあと 何回めぐり合う事ができるだろうか。(たぶんあと一回未満というのが私の予 想である。)通常卒研ゼミといえば、まる一年かけて群論再入門とか、抽象的 な議論を避けて通れるグレブナ基底の話とか、イデアル論のごく最初の所をやっ て終りとか、まあそんなもんである。

2003年10月19日(日)
<<バリアフリー>>
終日野暮用にて京都市内のあちこちを移動。昨日のスポーツ・クラブでストレッ チを少しサボったのが原因なのか、ランニング・マシンを使っていて右足の筋 を痛めてしまった。平地の歩行や階段を上る時は良いのだが、階段を下りる時 が痛くて、半歩づつヨチヨチとしか進めない。これであちこち移動すると、京 都市内のバリアフリー化の進行状況よくわかる。

夜はドイツ語の宿題やMacaulay2で具体例の計算など。

2003年10月18日(土)
<<想定問答集>>
午前中は計算の続きを少し。午後はゲーテ。相変わらず実力的にあっぷあっぷ なので夏学期よりもさら予習を強化し、宿題と単語調べに加えて想定問答集よ ろしく予想される会話はあらかじめ作文して行くことにした。それでもアドリ ブで何か喋らねばならない状況は沢山あってしどろもどろするのだが、そのぐ らいやらないと、清少納言だの数学者になりたかった技術者だの塾屋だの嬉し がり学生だのに対抗することはおぼつかない。何せ連中はいちいち考えなくて もすっとドイツ語が口を突いて出てくるのだが、私はまだえーとという感じで 少し考えないと何も出て来ない。

夜はスポーツ・クラブ。

2003年10月17日(金)
<<くねくね踊り>>
研究日である。昼間は自宅で専らMacaulay2を使って具体例の闇雲計算に励む。 夕方は散歩と野暮用を兼ねて山科南部の椥辻方面へ。帰りに山科駅前SBUX に寄ってドイツ語の予習を少し。地下鉄山科駅前には、くねくね踊りの練習を する若者が二人ばかり居た。夜も少しだけ計算をやってからドイツ語の続き。

くねくね踊りは若い人の間で大変な人気のようで、大学の方でも踊りサー クルの学生たちが建物のガラス窓を鏡代わりにして毎日せっせと練習している。 その数は年を追うごとに急速に増えて来て、今や「溢れ返っている」と言うの がぴったりするぐらいである。同じような連中は終電を過ぎた頃の近鉄京都駅 近辺にも現れている。

私は、あんな風に全身を動かしていればさぞかし健康に良く飯もうまいだ ろうなという事と、しかしながらヘルメット被って頭だけで全身を支えて逆立 ちでぐるぐる回りする振り付けがあるが、あれは頚椎にダメージが大きくて、 若いうちは良いけれど歳を取ってから変形性頚椎症などになって後悔する事に なるんじゃないかと思うぐらいで、大した興味も無い。ただ、彼らの異様なま での熱心さには、へえーと思う。

で、へえーと思って何故か次の事を思い出すのだ。私がこの大学に奉職し 始めたばかりの頃、教授会で「学生をサークル活動で遊ばせて何かに興味を持 たせれば、それが勉学の意欲に繋がるはずだ」というような議論を大真面目に やっているので、何てつまらない事を考える大学なんだろうと唖然としたもの である。勿論、熱心に踊りの練習をしている彼らが(もし学生ならば)勉強の 方も熱心にやっているかどうかという問題について、私は何の興味も関心も持 ち合わせていない。

2003年10月16日(木)
<<終焉>>
本日何故か卒研の日である。その昔、祭日がランダムに配置されてた頃は、教 師と学生の間で「えーと、来週は祭日になりますから、次のゼミは再来週です ね」「はーい!」などという会話がごく自然に交わされていた。怠け学生達は ゼミが無くなるのを単純に喜び、自学自習の正しい習慣を身につけた真面目学 生達は1週間余分にゼミの予習に時間をかけられる事を喜び、そして教師は臨 時の研究日が降って湧いた事をしみじみと喜び、誰もが余裕に満ちた喜びに浸 ることができたのである。あー、祭日っていいもんだな、と。

逆に「学問に祝日なんて関係ありません。来週もゼミはやりますから、ちゃ んと出席するように!」「ひえー!この教授、狂ってる...」あるいは 「『学問に祝日なんて関係ありません』って、何て素敵な言葉なんでしょう! (うっとり)」なんて事もあったかもしれない。しかし、これも教授の個人的 裁量であって、大学側がつまらない取り決めをして強制したわけではない。

しかしながら大学にも、全学的につまらない事に目くじら立ててエネルギー を浪費する事が大学氷河期を生き残る道だとする思想と論理が跳梁跋扈するよ うになり、学生と教師が祝日を喜び合えた祝福された時代も、貧乏臭い思想 と論理に忠実な石頭人間たちの手によって終焉を迎えることとなったようだ。