2003年9月15日(月)
<<仕込み>>
すっかり秋の気配で、涼しい。今週からリハビリ・モードに入ろうと思い、朝 から起きて出勤してなどと考えていたのだが、起きたのは結局昼前。まあいい や、とにかくリハビリは延期だ。こうなったらぎりぎりまで夏休みを貪ってや ろうかしら、などと思いながら午後から始動。またぞろ「無茶苦茶な証明」の 解読作業など。まあ、夏休み中にできるだけ研究の「仕込み」をやっておかな いと、新学期が始まってからでは身動きが取れないからな。

2003年9月14日(日)
<< 土曜集中コース >>
ずいぶん涼しくなった。夏休みもあと一週間で事実上終わりである。「滅茶苦 茶な証明」の解読作業で楽しんでばかりもおれず、そろそろ別の仕事もはじめ ないと。今日も午後から活動開始。野暮用のため近所に出て、夕方頃から学会 発表の準備など。

夜は独作文を少し。10月からのゲーテの講座は何を取ろうかしら。あっ ぷあっぷのハイレベル土曜集中コースか、お手頃レベルの水・金夜の分散コー スのどちらかの2つに一つ。私はマゾだから、土曜集中コースを選んでしまいそう。

2003年9月13日(土)
<<たぶん幸福>>
夜更し生活が定着してしまい、本日も午後から活動開始。明け方布団の中で夢 現で解いた、問題の解答を確認してノートに整理。こういう問題をいくら解い ても、既に発表されている他人の論文の「伏字」を埋めているだけで、決して 新しい発見をしているわけではない。しかし、冷房の効いた県立図書館に籠っ て、時間や進捗を気にせずに数学難問集の問題解きに興じた高校時代の夏休み を思い出して、ちょっとなつかしい気分にはなる。あの時は幸福だったと思う。 今もたぶん幸福なのであろう。

夕方は野暮用で近所をうろつき、夜はスポーツ・クラブ。

2003年9月12日(金)
<<民間伝承>>
図書館で論文を調べるために出勤。この時期は、図書館をお喋りサロンと勘違 いしている遊民学生が居ないので、静かでよろしい。季節の変わり目のためか、 途中、雲行きが怪しくなって猛烈な雷雨になったかと思うと、しばらくしてすっ きり晴れ渡った。「無茶苦茶な証明」の解明は今日もほんの少し進む。 自分では、可換環論研究者達の間で標準的とされているテクニックをかな り身に付けたと思っていたけれど、こうやって蚯蚓モードで悪戦苦闘している と、まだまだなのかなとも思う。

大抵の論文は教育的配慮とは無縁で、既にその分野やその問題に必要な既 知のテクニックを知り尽くしたプロ向けに書かれている。プロ達の間ではルー チンとされている論証を、黙って(!)省略するぐらいは朝飯前である。では、 そのルーチンがどこかの教科書なりその分野で古典的とされている論文に書か れているかというと、そうとも限らない。

プロ達の間では「よく知られている」ことになっているが、今まで一度も 論文なり教科書なりで明示された事のない事実も、論文の中では黙ってどんど ん使われる。それらは「ちょっと考えればわかる」(嘘つけ!)ものであった り、「民間伝承(folklore)」--- 私はこれを「詠み人知らず」と呼んでいるが --- として知られる、かなりまとまった内容のもので あったりもする。

「民間伝承」というのも厄介な代物である。たまにこの状況を見かねた数 学者が、「以下の事実は民間伝承としてこの分野の研究者の間でよく知られて いることであるが、私の知る限りどこにも明示された事は無いので、読者の便 宜のために証明を示すことにする」と男気(著者は男性とは限らないが)を出し てきちんと証明を示してくれたりする。しかし、民間伝承のままで放置されて いる「よく知られた事実」は膨大で、大抵の論文は「わかる奴だけが分かれば よい」というスタンスで書かれている。

だから、学生であろうと既にある分野の専門家であろうと、(天才でない) 新参者は論文を読むのに苦労し、黙って省略されている「ルーチン」的な論証 の中味を推理しながら、七転八倒してテクニックを少しづつ学ぶことになる。

苦労してテクニックを学ぶと、他の分野に目移りしにくくなる。テクニッ クを駆使するのが面白くて夢中になってしまうという面もあるが、他の分野に 新規参入してまた苦労してテクニックを学び直さなければならないかと思うと、 げんなりするからである。

しかし、秀才はテクニック習得に苦労しないし、天才は他人のつまらない テクニックよりもうんと素晴らしいものを自分で開発する。いずれにせよ、私 のように「無茶苦茶な証明」といきまいたり、蚯蚓に感情移入して大騒ぎする ことは無いのだと思う。

2003年9月11日(木)
<<頑張れ!蚯蚓!>>
昨夜の夜更かしが過ぎて、午後から本格活動。夕方、散歩がてらに山科駅前S BUXに立ち寄った以外は自宅ですごす。「無茶苦茶な証明」攻略作戦は若干 の進展あり。散歩の途中、道端で体長15センチ程の蚯蚓(ミミズ)を発見し た。蚯蚓の歩みに自らの姿を投影させ、「頑張れ!蚯蚓!」と思わず声援を送っ てしまった。そろそろ他の仕事もしなくてはならないのだが、蚯蚓モード脱出 にかなかな踏ん切りがつかない。

2003年9月10日(水)
<<ウワの空>>
本日野暮用のため昼間は烏丸四条近辺と山科近辺をうろつき、くたびれ果てる。 モノグラフの疑問の山に思いを馳せて、半分ウワの空であったためか、あちこ ちで怪しい人物として警戒されたりした。まあ、悪い事はしないけれど、怪し い人物であることには違いないか。

野暮用の合間、1時間程山科駅前SBUXで考えてみる。しかし、ひょっとし てこの定理を使えばあの部分がわかるかも、といった水面下の進展はあったが、 本日目立った進展はなし。

今日は夜更かしの早起きのため猛烈に眠い。夜は数学は少しに押さえて、 独作文を少しやって、あとは「裁判官」(中公新書)を読んで適当に寝る。

子供の頃、人を殺したら死刑になるんだぞ!絞首刑だぞ、電気椅子だぞ、 毒ガスだぞ、今から口と鼻をふさいで息を止めてみろ、どうだ苦しいだろう、 それよりもずっとずっと苦しんだぞ等々と脅され、そうか!殺されるという事、 殺すという事はそんなに恐ろしい事なんだと強く感じ入った。死刑の存在は少 なくとも私に対しては犯罪の絶大なる抑止力になっていたと思う。ところが大 人になって分かったことは、殺人事件は毎日のように起こっているけれど、死 刑になる容疑者は稀と言ってもいいぐらい少ない。何か話が違うんでないの。

それに、例えば保険金目当ての計画性のある殺人が悪質なのはわかる。そ れまで実直に生きてきた人間が、追い詰められて思い余って犯した殺人事件に、 情状が認められるのもわかる。しかし、日頃から相手が死のうが構うものか、 まあ死んだら死んだ時のことさと考えているような輩が、いつもの調子でボカっ とかブスっとかやったら死んじゃったというのが、計画性が無いから悪質でな い、というのはよくわからない。日頃から相手が死のうが構うもんかと考えて いるのは、それだけで十分悪質なのではないか。そんないい加減な輩に殺され る方もたまったものではないし。そういうのが「人一人殺しても懲役5、6年」 というのは、死刑存続賛成・反対とか教育刑か報復刑かを論じる以前の問題と して、いくら何でも人の命が軽過ぎるんじゃないの、と常々思うのだけど。

というような疑問は、上記の本を読んでも解けないようだ。

2003年9月9日(火)
<<放浪の旅>>
やや夜型の生活にシフトしているせいか、ここんところ朝はゆっくり起きて、 午後から活動開始。本日も、モノグラフの「無茶苦茶な証明」についての膨大 な疑問の山を少しづつ切り崩す作業。自宅で考えててもなかなか分からないの で、気分転換に放浪の旅に出る。たどり着いた先はゲーテ。途中、フロアでド イツの衛星放送 Deutsche Welle のテレビ・ニュースを見たりしながら、主に 図書館ですごし、夕方帰宅。今日は小さな疑問が2つ解決し、大きな疑問1つ については解決の兆しを見出すなどの進展あり。

夜も切り崩し作業や独作文など。先日の中学の同窓会の写真が届く。

2003年9月8日(月)
<<大山鳴動して鼠一匹>>
本日、大学の図書館に籠ってモノグラフの「滅茶苦茶な証明」で参照されてい る文献を片っ端から引っ張り出して調べるべく、怒りの出勤。研究室でウイル ス対応ソフトのインストールという、美しき夏休みにはあるまじき下品な仕事 などを手早く片付け、大急ぎで図書館へ。

雑誌のバックナンバーを束ねた分厚い冊子をうず高く積み上げ、半日格闘 して何が分かったか。謎めいた式変形に対して、この文献を参照せよとなどと 書かれていたりするが、それらは実はほとんど意味の無い文献参照であり、謎 は全く解決しないこと。特に今私が格闘しているある一章は、著者がこのため に書きなぐったものではなく、ある有名な雑誌に発表された2つの論文をほと んど一字一句そのまま転記したものであること。従って、元論文にも「無茶苦 茶な証明」と意味の無い文献参照が示されていること。これらの状況証拠から して、「無茶苦茶な証明」は嘘八百系ではなく、伏字系であると推察されるこ と、等である。以前の私ならば、ここで「そうか、ちゃんとした雑誌に出た論 文からの転記か。じゃあ、分からないのは自分の頭が悪いからなんだ」と自分 を責めたであろう。

しかし、考えてもみよ。ちゃんとした雑誌で発表された有名数学者の論文 が間違っていることは十分ありうるし、「伏字系の美」を追求するにも程があ ろう。それに、私はこれまでずっと自分の頭の悪さを責め続けて来たのである。 学生時代は「俺は頭が悪いから大学院入試に失敗したのだ」と自暴自棄になり、 会社員時代は「俺は頭が悪いからこんな所で計算機屋をやってなければならな いのだ」といらだち、情報学科時代は「俺は頭が悪いからわけのわからない人 達にイジメられなければならないのだ」と青白い怒りを日々蓄積し、数学者に なってからは「俺は頭が悪いから数理情報系教員という半額シールを貼られて いるのだ」と涙がこぼれないように上を向いて歩いて来たのである。だが、も うこんな事はやめよう。自分の頭の悪さを責めたところで何になるのだ。今私 は胸を張って言おう、「有名な学術雑誌の査読者か何だか知らないが、こんな 無茶苦茶な証明書いた論文なんか受理するな!!」

と、まあ、冗談(半分マジですが)はさておき。大騒ぎの末、ある文献の とある1行のコメントがヒントになって、ここ数日来私を悩ませてきた、小さ な小さな疑問の一つが解決した。本日の成果はこれだけ。ま、何も無いよりは マシだね。

2003年9月7日(日)
<<無茶苦茶な証明>>
朝は日曜モードでゆっくり起き、ゆっくり朝食。午後からまたモノグラフと格 闘。切り崩せるところから切り崩そうと、あちこち突っつくも、いたる所に無 茶苦茶な証明が書かれており、結局進展無し。

ここで「無茶苦茶な証明」とは、内容的に嘘八百であるか、正しい証明を 言わば「伏字」だらけにして書いているのかのいずれかを意味する(私の見る ところ、偉い代数学者の多くは、証明を伏字だらけにして書くのが大好きであ る) 。前者ならば、わざわざ常に美しい生き方を心がけるKaz先生を呼ぶまで もなく、私自身で「こんなデララメ書くとはけしからん!」と吠え飛ばしてや りたいものだし、後者なら「ナゾナゾ遊びやってんじゃねーよ、真面目にや れ!!」と、これまた吠え飛ばしてやりたい。しかし、前者なのか後者なのか 区別がつかない事がまさに問題なのであり、「本日進展無し」と白旗を揚げざ るを得ない所以である。これはまさに「むかつく」状態である。

私は、研究者必携の有名なモノグラフだの講義録だので、「無茶苦茶な証 明」の無いものを寡聞にして知らない。まだ計算機屋だった頃に趣味で読んだ アチィヤの「K理論」の講義録なんて、ボットの周期性定理の証明の途中で、 どうも講義一回分の記述がごっそり抜けているような気がするし、グリックセ ン&レビンの「局所環のホモロジー」も、どうもよくわからない証明が書かれ てたような気がするし、エヴァンス&グリフィスの「シチジー」も間違いなの か「伏字」なのかよくわからない記述が多くて、読んでいるとノイローゼにな りそうだったし。今読んでいるモノグラフ(書名は秘密)も、ずいぶんな代物 で、しばらくわめき散らすことになろうかと思う。

これらが何故優れた文献として度々参照されるのか?思うに、無茶苦茶な 証明で七転八倒した読者が、七転八倒ゆえに知らず知らずのうちに実力を付け、 怒りのエネルギーを蓄積し、「もう嫌だ!こんなわけの分からない文献に頼る のはやめて、自分で最初から考えよう!」と正しく決心させるからこそ、優れ た文献なのではないか。と、「正しい決心」ができる日を信じてもう少し頑張るこ とにしよう。

夕方、気分転換に近くの書店まで散歩。適当に立ち読みしたある本に、若 い人は「むかつ」いて「切れる」という言葉を頻繁に使うのに対し、年配の人 は「カチンとくる」という言葉を使うというような事が書いてあって、なるほ どと思った。

ちなみに私は「カチンとくる」世代に入るかも知れないが、何故か昔から この言葉が大嫌いで自分では絶対に使わない。どのぐらい嫌いかというと、 私が誰かと(仮にAさんとしておこう)話していて、Aさんが「あの時のBさん の態度にカチンときまして...」と言った瞬間に何故か私が「カチンと」きて、 ほんの少し目が釣りあがり、Aさんに飛び蹴りをかましたい衝動に駆られる、 という程度である。この言葉が嫌いな理由が自分でも分からないので、相手が この言葉を使う「不当性」を主張することはできないし、それに何よりも、い ちいち飛び蹴りをかましていたのでは人生もたないので、ぐっと我慢すること になる。これで血気盛んな若い頃は、ずいぶん精神修養することができた。 今では「飛び蹴り衝動」の方はかなり微弱なレベルになったと思う。

「むかつく」の方も、最初は”飛び蹴り級”に嫌いだったのだが、近頃はそ れほどでもなく、自分でもこっそり使ってみたりもする。ただ、「むかつく」 は胃の調子が悪い状態の意味として長年使ってきて、ちょっと前までは「最近 の若い人は、よく胃の不調を訴えるようになったなあ」などと不思議がってい た。そんな調子だから、怒りの表現として「むかつく」を使う場合は、「腹が立っ て胃の調子が悪くなりそうだ」「ハラワタが煮えくり返って胃に穴が開きそう だ」という持続的な怒りに限定して使うことにしている。

2003年9月6日(土)
<<罵詈雑言>>
様子見出勤。生協で昼食をとり、メイルのチェックやその他の2,3の雑用を 済ませて、「各自PCにウイルス対策ソフトをインストールせよ」との当局から のお達しに従って、ソフトを99%ダウンロードし終わったところで学内ネット ワークがダウン。なめとんのか、と思って作業中断。滞在時間3時間足らずで 大学を出る。

その後、山科駅前SBUXでモノグラフとにらめっこ。ぶぅあっす(was 何?)?もっとちゃんと説明せんかい!ぜんぜんわからへんやんか!しゃいせ (Scheisse クソ!)!こんな所でミスプリなんかかますなよ。くぶぅあっち (Quatsch 馬鹿馬鹿しい! )!どつきまわしてほしんか?等々(ドイツ語の復 習も兼ねて?)ぶつぶつ言ったとところでよく分かるもんでもないだけど。夜 もモノグラフとの格闘、独作文など。

ところで、以前図書館で罵詈雑言辞典なるものを見たことがあるが、ドイ ツ語には日本語とは比較にならない程豊か(!)な罵詈雑言の表現があると、 どこかで読んだような覚えがある。ゲーテでは中級クラスの後半になっても、 その手の表現は全然教えてくれないけれど、自主的に調査プロジェクトでも立 ち上げようかしら。

そういえば私の子供の頃は、やくざ映画を上映している映画館から肩を怒 らせたオジサンが続々と出てきて、目に見えぬ想像上の相手に独りブツブツと 啖呵を切っているという異様な光景がよく見れらたが、最近そういうのって見 かけないな。

2003年9月5日(金)
<<安上がりな快感>>
昨日までの出張野暮用の疲れもあって、朝はゆっくり目に起きる。しかし、午 後もまだ体がだるい。疲れが残っているのか、それとも昨夜は少し涼しかった から寝冷えで体が冷えたのかしらといぶかりながら、寝っ転がってモノグラフ 解読。あまりの分からなさに、腹を立てる元気も出ずにそのまま昼寝に突入し たり、また覚醒したり。その後、寝冷え説が有力になり、少し体を動かせば直 るだろうとラクト・スポーツクラブへ。予想どおり、体調は回復。夜もまた少 しモノグラフ解読。

今年の夏休みは、まとまった事を考えるというよりも、まとまった事を(ざっ と)勉強して今後の方向を見つける事で終わりそうだな。まあ、焦ってもしょ うがないのだけどね。

そういえば、頭の調子がいまひとつすっきりしない時に、問題を解くなり (論理的ギャップが程良く散りばめられた)本を読むなりして数学を考えると、 頭がすっきりする。

よく偉い数学者が、発見の鋭い喜びを知っているからこそ、未知の問題を 考え抜く苦しさを乗り越えられるのだ、というような事を言っている。私は偉 くないせいか、「鋭い喜び」というのを経験した覚えは無い。しかし、私の場 合何かを発見する時は、頭の中に充満していた霧がすっと晴れ渡る感じがあっ て、この「すっきり感」はそこそこ心地よい。ちょうど運動不足で何となく体 調が悪い時に、軽い運動をした後の爽快感にも似ている。

しかも、この快感は上に述べたように、つまらない会議や雑用が続いて頭 がぼんやりしてきた時などに、ちょっと勉強するだけでも体験することができ るのである。思えばずいぶん安上がりな快感ではある。

2003年9月2〜4日(火〜木)
<<ちょんまげフリーク>>
野暮用にて実家に戻り、残暑厳しい中をあちこち駆けずり回る。一応モノグラ フと電子辞書、そして何かドイツ語で書かれた読みものを持っていったのだが、 ほとんど読む暇なし。

そういえば新聞の書評欄によると、「ちょんまげだけが人生さ」NHK出 版(ペリー荻野)という、まさにK川先生のために書かれたような本があるそ うだ。それに、私の家の近所の”村さ来(薬大前店)”が最近、「ちょんまげ」 という奇妙な店名に変わってしまった。この国のサイレント・マジョリティー (?)として、文字通りサイレントだった(と思われる)ちょんまげフリーク 達のカミング・アウトが加速しているのかしら。「ちょんまげ天国」なるCD をきっかけに賑々しくカミング・アウトしてしまったK川先生の勢いも、今 ちょっと手が付けられない状態だし。

こういうものは幼少時の父親の影響が大きいと思う。例えば、私の(プロ) 野球オンチは、私の父親がプロ野球に全く関心が無かった事が主因だと思う。 おとーさんは仕事から帰って来てビール飲んでナイターを見、小学生の息子は 父親と一緒に見るナイター放送で野球の予備知識を蓄えた上で「巨人の星」 も欠かさず見て、学校の友達と広場で草野球に夢中になるという図式が、当時の日 本人の典型的父子像であった。幸か不幸か、私はこのようなステレオタイプから 著しくかけ離れたポジションをキープすることができ、独自のひねくれた人格 を形成することに成功したのである。

ただし、私の父親は相当のちょんまげフリークで、私も小学生時代は下手人、 老中、桜吹雪、悪代官、岡引、十手、素浪人、旅籠、三度笠、峰打ち、忍びの 者、越前屋、街道筋、あだ討ち、切腹、打ち首獄門、葵の御紋、御用だ!御用 だ!等々の世界にとっぷり浸っていた。しかし、母親がTschonmagemuffel (ドイツ語で「ちょんまげ嫌い」の意. 実は私の造語)だったので、無意識の うちに母親の顔も立てようとバランスを取ったのか、現在の私は奇跡的にちょ んまげフリークではないのである。

2003年9月1日(月)
<<優雅な夏休み>>
9月である。まだまだ十分暑い。あと2週間程度で優雅な夏休みは事実上終わ り、院ゼミだの出張の準備だの出張だのと1週間程度助走期間をおいて、後期 に突入する。そして来年の2月下旬まで歯を食いしばって突進するのである。

昼間はモノグラフ精読。夕方は借りていたビデオ、CD,雑誌などをゲー テに返却しに行き、あちこちぶらぶらしてから旧京阪三条駅跡に出来たレスト ラン街で夕食。帰宅後再びモノグラフ精読、ドイツ語作文など。