2004年2月29(日)
<<久保田>>
本日午後は、ゲーテの先生の荒神口の自宅で、ドイツに発つ不肖私めと、近く スイスに高飛びする殴りこみ通訳のAbschiedparty(送別会)。参加者は、松下 巨漢社員、清少納言、元塾屋、2人の子供連れで殴りこみ通訳、ドイツ語命娘 その1とその後輩娘、輝くフリータ氏、数学者になりたかった技術者。 ドイツ仕込みガラス職人は仕事が忙しくて来れず。それぞれが持ち寄った食べ物を、 松下巨漢社員が持ってきた「日本で一番うまい酒」などで楽しむ。 夕方頃散会。

それにしても、松下巨漢社員や清少納言は話のネタが膨大で、聞いていて 飽きない。話題は日常生活のちょっとした事ばかりだけど、よくあんなに色々 なネタを覚えているものだと驚く。きっと日頃から色々な事を考え、色々な事 を感じて、今度人に会ったらこれを話そう、あれを話そうと心の中で準備をし ているのであろう。ああいう人たちは年を取ってもきっとボケないだろうと思 う。うらやましい限りだ。

それに比べると、私などは毎日何も考えずにぼんやりと生きているのに等 しい。時々数学の事を考えたりする以外は、何も考えてないし、何も覚えてい ない。だから、パーディだ何だといっても、何も話すことが無い。誰かに何か 話しかけられた時に、それがツボにはまっていれば適当に面白い事も言える 場合がある程度である。勿論、「ツボ」の種類を増やそうと、自分なりに多少の努力はし ているのだが。しかし、こちらから話さないのに向こうから話しかけてくるこ とは少なく、そのチャンスをじいっと待っているうちに、体じゅうに苔が生え てくる。

しかし、その割には、毎日日誌に何を書こうかと悩むことはほとんど無い のが不思議といえば不思議である。

2004年2月28(土)
<<変なものしか撮らない>>
巨大野暮用は、まあ楽しいといえば楽しいのだけど、少し疲れる。午前中は休 養をとり、午後はプレプリントの仕上げ作業。夜は、デジタル・カメラの画像 を整理したり、最近遠のいていたドイツ語の勉強をしたり。そういえば、そろ そろドイツに行く準備を本格的に始めなくっちゃいけないな。

ところで私は、デジタル・カメラを「変なものしか撮らない」という確固たる 方針で使っている。2月17日に紹介した(正統派の)招き猫は、それを買っ た当時の私の心を映し出しているかのように、深い悲しみをたたえた表情をし ている(とも見えなくもない)。だが、この招き猫はどうだろう。野望と戦略の仕 掛け人、立命館の生臭次郎ことA堀先生を思わせるお腹の出っ張り具合。大判・小判 を抱えていない上品さ。酒饅頭に爪でスジをつけたような目。こういうも のが買えるのは、福を招きたいという切なる願いがある時ではなく、既に何かしら 小さな幸せを手に入れて、それを静かに確かめたい時に限られるのではないだ ろうか。比較的最近のとこだと思うが、私はこれを何時購入したのか、よく覚えていない。

2004年2月27(金)
<<不思議キャラクター>>
巨大野暮用の寒い一日。朝はいつもより早めに起きて近鉄特急に飛び乗り、京 都を離れ、夜帰宅。行きの電車の中で数学の本を読もうとしたら、間もなく睡 魔で気を失う。帰りの電車の中で、ここ数日ご無沙汰のドイツ語の勉強でもと 思った途端、また気を失う。

野暮用の副産物として、某田舎の駅のホームで面白い看板を見つけた。地方の テレビ局の”双方向型地域情報番組”なるものの宣伝らしいが、「エムテ レ」というネーミングや文字のちょっぴり昭和40年代風の古臭さ、そして、 何で光線銃持って戦っているのかさっぱりわからない、不思議キャラクターの 「エムっとくん」が、ちょっと可笑しい。

2004年2月26(木)
<<そういうふうに出来ている>>
昨夜は中途半端にアルコールが入ったせいで、妙に寝つきが悪く、結局朝はか なりゆっくり起きる。天気も悪くないし、野暮用の後、山科駅前Sbuxへ。 引き続き京都駅まで出て、ホテル京阪ラウンジへ。しばらく寝かせてあったプ レプリントを見直して修正を加える。その後、アバンティーの中古CDショッ プとブックセンターを少し冷やかしてから帰宅。

新聞の夕刊で、阪大の哲学の先生が、大学では既に私語の嵐は去り、無言 の携帯メイル時代を経て、今や完全な無言・無反応の時代に入ったというよう な事を書いていた。そういえば、「『殺し屋』がダイナミック・アカデミック の立命館に長くいるうちにヤキが回って『教え魔』にダラクしたのではなく、 元々『殺し屋』であり『教え魔』だった」という、(私にとっては自らの浅は かさを思い知らされると同時に、人間の魂の深さを教えられるような!!)衝撃 的事実が最近明らかになった、常に美しい人生を心がけるKaz先生も、近頃は 学生達の無反応ぶりをしきりにぼやくようになった。なるほど私の個人的 経験は特殊な例では無かったようだ。

それにしても、何時の時代もそうなのかも知れないが、次から次へと新し いタイプの変な学生が大学に押しかけてきては去って行くようだ。しかし、教 師から見て何で彼ら学生はそうなのだろうかと色々観察したり考えたりしてて も、結局のところわからないままで終わってしまうものである。

例えば、大学教師になって以来ごく最近までの数年間、「講義中にも構わ ず平気でお喋りをする、あの人間によく似た生き物は何なんだろう?」という 問題に取り組んできたけれど、結局「彼らはそういうふうに出来ている生き物 である」以上の事はわからなかった。今大学の教室を席捲しつつある無言・無 反応の(そしてすぐに電池が切れて眠ってしまう)新しい生き物たちも、「そうい うふうに出来ている生き物」以上でも以下でもないのかも知れない。

2004年2月25(水)
<<地盤・看板・大看板>>
昨夜寝床で教科書の疑問点のいくつかを解決。あと2つ疑問が残っているが、 ぼつぼつ考えて行くことにしよう。昼前に出勤。今日は入学手続きをする親子 連れの人が訪れる日のようで、キャンパス内では、来客のある時だけ作動する、 通称「いらっしゃい噴水」が元気良く水を噴き上げていた。

午後から自家養成サクラI君が発表する修論公聴会。彼の発表は卒研 と修士の3年間の総決算と呼ぶにふさわしい立派なものであった。彼もやる時 はやるんだな、と心強く思ったものである。 夜は、草津駅近くの店で、数学教室の入試採点打ち上 げとその二次会。帰宅は12時過ぎ。

D大先生の在任中は(少なくとも内輪では)「数論の立命館」と呼ばれて おり、採点打ち上げの宴は、ジーゲルだのハッセだの高木だの志村だのという 話で強引に盛り上がっていたようだ。その後一瞬静かな時代があって、「計算機代数 の立命館」構想も一部にはあったようだが、S藤先生の逃亡により不発に 終わる。そして今は 「確率論の立命館」の全盛時代のようであり、採点打ち上げもマルチンゲール がどうのイトーがどうのという話が中心となった。さらに、野望と戦略の仕掛 け人A堀先生も加わって話は一段と生臭さを増している。

かように、変わらない事が取り得のような数学教室の風景も、実は結構変 遷が激しいようである。そしてどうやら4月からは「確率論の立命館」の勢い の火に益々油が注がれそうだし、それとは別の大看板も打ち立てられるのでは、 という観測もある。まさに地盤・看板・大看板の立命館の面目躍如といったところ。

私は政治的な人間では無いので、大看板を打ち立ててわーっとやっていく ことには何の興味も無い。しかし、大看板の陰や隙間というのは案外平和で、 一人でウロウロしている分には結構居心地が良いのである。その意味で、看板 をいくつか作る事は良いことだと思っている。

2004年2月24(火)
<<埋め尽くす>>
自家養成サクラI君の修士論文発表会の準備をチェックし、研究室の情報コン セントのIPアドレス変更に伴うPCの設定をし、会議に出て、その間に図書 館で論文をコピーしてそこに書かれているある定理を理解し、その勢いで教科 書を読んでいて見つけた疑問の幾つかを一気解決し、さらに研究室のドアに笹 屋伊織のどら焼の魔除赤紙を貼りつけ、最後は歯医者で締めくくる。以上が本 日の予定であった。

実際は、魔除赤紙は自宅に置き忘れ、疑問の幾つかを考える暇は無く、さ らには、おそらく日頃から行いの悪い情報学科が理工学部から追い出されて別 の建物へ引っ越すのに伴う混乱のとばっちり故か、情報コンセントのIPアド レス設定は待てど暮らせど一向に変更されず。しかし、それ以外のことはまず まず実行できた。

自家養成サクラ I君のこの3年間を振り返ると、特に2年目から3年目の最初の頃までは、数 学の勉強に集中できなくなるような事を次から次へと巧妙に見つけてきては、 一所懸命自分にブレーキをかけているように私には見えたのだが、実際のところ はどうなのだろう。しかし、少なくともここ2、3ヶ月は1年目の頃と同じぐらい熱心に 勉強しており、彼の机の後ろにあるホワイトボードは美しい数式で埋め尽くさ れているのである。

2004年2月23(月)
<<意味なし>>

昨日の巨大野暮用の疲れから、昼前まで熟睡。午後は引き続き自宅で 寝転がりながら、および、山科駅前Sbuxにていつもの中国茶タゾ禅 を飲みながら、教科書読み。2、3の不明な点を残しているものの、今日でほ ぼ終了。ただ、「2、3の不明な点」はぜひとも解決しておきたい基本事項 であるが、5分後に解決するのか1週間後もまだ解決していないのか、全く不明。

ここに示したのは、タゾ禅茶のティーバックの端の、指で摘む部分の紙ラベ ル。"TAZO"の文字のデザインがちょっと中世ヨーロッパ風な感じ、あるいは、 ”島津藩における隠れキリシタンの秘められた物語”(特に意味はありません) という雰囲気があって、洒落ている。

2004年2月22(日)
<<寄りきり>>
日曜日なのに早起きして、巨大野暮用のため京都を離れ、夜帰宅。電車の中で 今読んでいる教科書を進めようとしたものの、睡魔に襲われ思うように進まず。 でも、教科書も馬鹿にせずに丁寧に読んでみると、自分の理解のあら捜しが出 来て大変よろしい。

さて、「おどろおどろしい」ものと言えば何と言ってもお寺である。大人になっ てしまうと、「お寺というのはそういうものだ」という意味づけが出来上がっ ているので、せいぜい「へえー」と思うぐらいだが、子供の頃は、たまに親 に連れて行かれるお寺は結構スリル満点だったように思う。

ここに示したのは、さる田舎の何ということもないお寺の本堂内にある、 これまた何ということもない台燈籠であるが、なかなかの迫力である。これが 50センチぐらいの大きさなら私も黙って見逃すのだが、 ここに写っている部分だけで優に1メートル、台座も含めると2メートル近い 大きさがある。しかも、ぼんやりと明るい灯りの部分が、何だか 巨大な化け物が薄目を開けてこちらを見ているようにも 思えて、不気味である。

こうなるともう、「ああ、これはちょっとお寺っぽい台燈籠ね」という私 の意味付けと、そんな安っぽい意味付けを突き抜けようと迫り来る、台燈籠の存在そのものの圧力との 激しいバトルが展開され、結局台燈籠に「寄りき」られてしまうのである。

2004年2月21(土)
<<贅沢な時間>>
久しぶりのゆっくりできる土曜日。昼過ぎまでのんびり過ごし、午後は自宅や 山科駅前Sbuxで教科書読み。基本的な文献や教科書を丁寧に読破した後で 研究に入って行くのが正統派のやり方なのだろが、私はいつも自転車操業でやっ てきたので、折に触れて学部や修士の学生が読むような教科書を読み返す必要 に迫られる。

計算機屋時代は、数理論理学の方法を使った研究をやっていたのだが、で はゲーデルの完全性定理や不完全性定理をきちんと理解していたかというと、 これが結構怪しかったと思うし、今でも怪しいままである。一応、理論計算機 科学をやろうと思った当初、Kleeneの"Introduction to metamathematics"と いう古典的名著の教科書を読んだのだが、わかったようなわからないような 状態のまま見切り発車で論文の勉強に入っていった。まあ、ほとんどゼロ の状態から3,4年を目処に論文を書いて学位を取って大学に潜り込める手は ずを整えないと、研究者として生きて行くチャンスは二度と訪れない状態だっ たので、邪道だろうが何だろうが悠長な事は言ってられなかったのである。

目出度く大学に移れた時、これからは今までのようなやっつけ仕事みたい な調子ではなく、腰をすえてじっくり研究して行こうと思い、もう一度数理論 理学の基本的な教科書からじっくり勉強しようと考えた。集合論の専門家でも あるS藤先生が友人に居るから、P. Cohenの強制法もちゃんと理解しなくっ ちゃ、などと殊勝なことまで考えていたのである。

しかし実際は、何となく当時の研究テーマとは無関係な(しかし今の研究テー マとは多いに関係する)、ガロア理論だの、複素関数論だの、層のコホモロジー だの、代数的位相幾何学だの、ホモロジー代数だの、複素代数幾何学だのといっ たものばかり勉強(復習)してしまい、ひたすら数理論理学の勉強からは逃避していた ような形である。それで、自分はやはり数学基礎論は嫌いなんだと悟った次第。

それにしても、今は研究に関連しそうな本の関連する部分だけを、下心を たぎらせながら読むばかりになってしまったが、当時は例えば「この夏休みの2ヶ月 は、Cartan & Eilenberg "Homological Algebra"を1ページ目から読めるとこ ろまで読み進もう」といった調子で、全く自分の楽しみのためだけに勉強して いた。たぶんそんなのんびりした勉強は、正統的な勉強をしている大学院の学生でも 出来ないのではないだろうか。今思えば素晴らしく贅沢な時間だったと思う。

2004年2月20(金)
<<千と千尋>>
めっきり春めいた一日。午前中はWebで少しドイツ語放送を聞いてから、午後 一番の短時間の会議のために出勤。その後、部屋で数学。基本的な教科書のあ る部分を丁寧に読み返してみる。途中院生室を覗いてみたけれど、自家養成サ クラI君はソファーにひっくり返って「爆睡」中であった。

さて、昨日は「意味が分かればおいしそう。しかし、とりあえず意味を忘 れてみると、おどろおどろしい」例をひとつ紹介したが、今日はその続き。ま ず最初は私の大好物、毎月20、21,22日にしか売っていない笹屋伊織の どら焼きの包み紙。単に「毎月21日に限り販売、どら焼き、風味の変わらぬ 間○ヾЩ★♂(私には判読不能)▲ц◎京都七条大宮西入る御菓子司笹屋伊織、 云々」と書いてあるだけの何の変哲もない包み紙である。しかし書道に堪能な 人ならともかく、私のような活字と楷書だけで生きている人間にとって一瞬 ぎょっとする雰囲気がある。特に「どら焼」の部分の迫力には、一体何事かと 身構えてしまう。こういうのを研究室のドアの所に張っておけば、季節の変わ り目にどこからともなく押しかけ来る、怪しげな営業マン除けのお札代わり になるのではないかしら。

もうひとつは、私の近所のラーメン店に架かっている「焼豚鉢一面入り」提灯。 夜、山科駅から「自動操縦モード」で自宅に向かっている時にこの提灯が目に 飛び込んで来ると、ぎょっとしてしまう。赤地に黒文字の漢字がやけにワケ有 り気で、一瞬「千と千尋の神隠し」で出てきた妖怪変化達が集う温泉街の世界 に紛れ込んでしまったのかとドギマギしてしまう。まあ、1〜2秒後には、意 味の世界が私に追いついてきて、「あ、なあーんだ」ということになるのだが。

2004年2月19(木)
<<自動操縦モード>>
午前中はWebでドイツ語放送を聴いたり、大学院暴走講義のノートの更新作 業をしたり。昼頃、天気も陽気も良いので、山科駅前にふらふらと出かけ、そ の辺で昼食を取り、その後Sbuxで一時間ほど過ごしてから電車に飛び乗り出勤。 「身辺整理」の続きをしたり、数学をしたり。途中、院生室を覗いてみると自 家養成サクラI君が来ていたので、少し数学の雑談。夜は久々のスポーツクラ ブ。入試の採点等で3週間近く運動していないうえに、採点食と採点お八つの 飽食の構造に絡め取られたが故に体重が少なくとも1.5キロぐらい増えてお り、最近どうにも調子が悪い。面倒臭いので気が進まないのだが、たまりかね て行くことにした。定期的に運動をしていないと体調が維持できないのは、年 を取った証拠であろうか。4月からドイツに行ったら、現地のスポーツクラブ を探して行ってみようかと思う。

ところで私の自宅から山科駅までは、片道徒歩20分ぐらいである。やや 遠い気がするが、色々な店が立ち並ぶ所を歩くので退屈しない。数学で根を詰 めている時は、頭の中が数式一色のため周りの風景は目に入らず、言わば 自動操縦モードでいつの間にか目的地に着いているという感じだが、そうでも ない時は頭の片隅に数学の問題をぼんやり思い浮かべながらも、何か面白い事 は無いかなときょろきょろと辺りを見回しながら歩いているのである。

例えば、20分の道のりの間に夫婦でやっている床屋が3軒もあって、夕 方遅く通りかかると、いずれの店も客がおらず、順番待ちの客のために設置さ れた小ぶりのテレビを、来ない客を待ちながら(?)夫婦で暇そうに見ている 様子がよく見受けられる。そういう何の変哲もない風景も好きなのだが、何の 変哲も無い看板にも妙に気になるものがある。ここに示したのがそのひとつ。 書かれている事の意味がわかれば、おいしそうな看板であるが、とりあえず意 味を忘れてぼんやり眺めていると、字の形や光の加減などが結構おどろおどろ しい。そういえばまだ字が読めなかった子供の頃は、こういう看板を見ては よく怖がっていたような覚えがある。

2004年2月18(水)
<<フリーク>>
春が近いことを思わせる、小春日和の一日。午前中は自宅およびラクト山科近 辺を放浪。午後は出勤。部屋に散乱する賞味期限切れの紙類を捨てたり、放置 した資料を整理したり、借りていた本を図書館に返却したり等等、4月から5ヶ 月間留守にするので色々身辺整理をしながら数学。この時期の大学は、学生達も あらたか姿をくらまし、雑用も少なくて平和である。

私の研究室には、昨日紹介した招き猫以外にもう一匹の猫、すなわち京都駅前 アバンティー地下のキティーちゃんグッズ専門店で買った「ハロー・キティー おいでやす・おおきに暖簾」が飾られている。2000年秋にドイツに滞在し ていた頃、日本に居る家族から送られてきた郵便の封筒に、ハロー・キティーの シールが貼られているのをふと目にした瞬間、何故か電撃的天啓を得て、それ 以後私はキティーちゃんフリークのままである。
ちょうどこの暖簾に向かって右手に作りつけのホワイトボードがあり、それを 使って色々計算をしたり、証明を考えたりするのである。どうもうまく行かなくて 疲れた時は、この猫の吸い寄せられるような目にぼんやりと見入っているうちに 良いインスピレーションが。。。得られた例は今のところは無いけどね。

2004年2月17(火)
<<インスピレーション>>
午後一番の会議のために昼前に出勤。会議は短時間で終わるも、来週に迫った 修論公聴会の段取りの取り決めについては、私が最後に思い出して注意を喚起 するまで、誰もが忘れていたようだし、入試採点後の打ち上げについても、会 議から数時間後に私が思い出して然るべき関係者に注意を喚起するまで、誰も が忘れていたようだ。何か、皆さんお疲れなのでしょうかね。

ただ、採点打ち上げについては、数理科学科に移籍してきた時「数学教室 の恒例になっています」と聞いて、それは良い風習だなと思っていたのだが、 どうもやろうやろうと騒ぐのは私ばかりで、私が黙ってさえすればすっと立ち 消えになってしまうと思われる。今年は思わず「打ち上げ、どうなってます か?」なんて野暮な事を言ってしまったけれど、来年からはダマを通して、定 期的な催しとしては数学教室唯一の飲み会である「採点打ち上げ」が絶滅して ゆくさまを、静かに見届けようと思う。

会議の後は、研究室で数学。

私の研究室には身長30cmほどの中型の招き猫が祀られている。これ は閑古鳥とぺんぺん草の楽園と化していた理論計算機科学の研究室を運営して いた情報学科時代に、学生集めに矢尽き弓折れ万策尽きて、最後の神頼みとして江坂の東急 ハンズで買ったものである。嗚呼、あの頃の私って、自分で言うのも何だけど、 やはり哀れである。

この猫は左手の招き方が大仰過ぎず、かつ、上品な顔つきなところが気に 入っているのだが、右手に大判などを持っていて、やることはけっこう下品で ある。清濁併せ呑むべし、か。このインスピレーションによって、私はそれま での高踏的で上品で優雅で深遠な研究テーマから一転して、即物的で刹那的で 浅薄で悪趣味な研究テーマを卒研の課題として掲げ、一躍学生人気ナンバーワ ンの研究室として躍り出たのであった。

2004年2月16(月)
<<幻饅頭>>
本日、自家養成サクラI君の修士論文提出日。彼の論文の最終確認をするため 昼前に出勤。総合報告ではあるが堂々30数ページの修論が完成した。その後、 久しぶりに大学の研究室で数学。「研究室」というのは、本来研究するところ だったんだよね(忘れてた)。

しばらくして、珍しく座敷童のS太郎君が事務書類を書けと言って現れる。 何と彼はSingularの本に興味を示したので、貸してやった。S藤先生の影響 で、Buchbergerアルゴリズムとその周辺にしか関心が無いのかと思ってたのだ が、ちゃんとした可換環論の本に手を出すとは、どうした風の吹き回しかしら。

夕方頃、西友大好きのK川先生が、シャトレーゼの「田舎饅頭」を買って 届けてくれた。何の変哲も無い饅頭ではあるが、私にとってこれは、2月14日 の日誌に示した、蜜柑と焼きチーズケーキの他に本来”採点お八つセット”と して支給されていたはずの、幻のお菓子なのである。 感謝の涙にむぜびながら、美味しくいただく。
饅頭配達記念にK川先生の写真を2枚程撮ったのだが、色々差し障りがあるかも 知れないので、ここには載せない。その代わりK川先生の自宅の近くにある某店舗の 看板を載せておこう。この看板をじいっと見ていると、何となくK川先生の顔に 見えてくるから面白い。