2004年1月15日(木)
<<数学者の定義>>
寒い研究日。晴れたり曇ったり。自宅、マツヤ・スーパー、大丸ラクト店、お
よび、山科駅前Sbuxなどを移動しながら、もやもやと考え続ける。私は柿が大
好きである。特に干柿には目が無い。しかし今年は干柿が不作だそうで、去年
はスーパーに溢れ返っていたのに、今年はほとんど見当たらない。先日少しだ
け売っていた干柿も、賞味期限が3月まで大丈夫と書いてあるのに、既に青カ
ビが生えていたので返品した。数学を考えながら干柿を求めて街を逍遥、としゃ
れこむ。
ところで、八百屋の親父は店を畳めば八百屋でなくなるけれど、数学者は 大学を定年退職しても、定職にあぶれていても、「博士の愛した数式」(小川 洋子)に出てくる「数学者」のように、ずっと昔に数学の本格的な研究をやめ てしまって今はアマチュア数学雑誌の懸賞問題を解いているだけでも、やはり 数学者と呼ばれるようである。どうやら「数学者」というのは職業というより はむしろ、(ある種のタイプの人間という意味での)「人種」、または、ライ フスタイルに近い概念のようだ。
では、数学者とはどういう人種、または、ライフスタイルを指すのか。数 学者の定義については、数学者の間でも多少の幅があるような気がする。特に、 自分を数学者だと思っている人間にとって、「数学者とは何か」という問いは 「あなたの仲間は誰か」という問いと同じである。だから、非常に 排他的な数学者の定義を胸に抱いている人もあれば、そうでない人もあるわけ だ。
私の知る限りで一番緩やかな定義として、「数学の研究論文を最低1本は 書いて、その時の気持ちを保ち続けている限りその人は数学者」というのがあ る。私もこの意味で「数学者」であるつもりだし、日頃「数学者」という言葉 をこの意味で使っている。
2004年1月14日(水)
<<鉛筆転がし>>
昼頃に出勤。昼食をとってから、部屋で色々な雑用をやっている間に、午後の
気合いの線形代数の講義。今日は最終回であとは後期試験だけ。そのためか、
講義の後2、3名の学生が質問にやってきた。そのときの感触や、先日集計結
果が返ってきた講義アンケートの結果から考えて、3分の1程度の学生は「ま
あまあよく理解している」のではないかと希望的観測をしているのだが、どう
だろう。後期試験の結果が楽しみである。
それにしても、上記講義アンケートでは、「教員は私語等を注意している か?」(「私語等『に』注意しているか?」ではない)という問に対し、「ある 程度思う」が14名、「非常に思う」が1名も居た(全回答数40名、受講登録者 数100名余)。正解は 「全く思えない」7名のみ。私は私語を注意した事も、私語に注意を傾けた事 も、一度も無いぞ!!これは一体どういうことか?鉛筆転がして記入したんじゃ ないだろうな。
その後半時間程度臨時教室会議。
2004年1月13日(火)
<<超お買い得穴場教師>>
午前中は暴走講義。受講生は遠い遠いS藤王国からやってきたTy君。S藤王
国流の計算機代数しか知らないというTy君に、数式処理ソフトSingularの本
を貸してやる。この本は現代的な可換環論の本格的な入門書でもある。
可換環論や代数幾何学との関連をもった計算機代数がどんなも
のか、雰囲気だけでも味わってもらえれば良いと思う。(私も雰囲気しか知ら
ないけどね)
ところで、一般に私立大学はマスプロ授業で学生は放ったらかしとなりが ちであるが、教授と学生がマンツーマンという恵まれた状態も珍しくないので ある。この暴走講義がそうだし、T君ひとりで毎週3時間以上ゼミをやる卒研 もそうである。自家養成サクラI君の院ゼミもそうなのだが、彼の場合は毎週 せいぜい1時間分ぐらいしか予習して来ないので、ずいぶん損をしているな。
情報学科時代の(閑古鳥がさえずり、ぺんぺん草が生い茂る)私の研究室 での卒研も、大抵マンツーマンだった。実際は毎年15名ぐらい配属されてい たのだが、ほとんどの学生が「希望しない研究室に無理矢理押し込まれた」と 不貞腐れて、一度も研究室に顔を出さなかったから、残って いるひとりかふたりの学生は手厚く面倒を見てもらえたというわけ。
私は基本的に(学生達に)一般受けする趣味・嗜好を持ってないし、無意 識のうちにそういうものを避けているようなところがあるので(要するにへそ 曲りということである)、今後も立命館大学の超お買い得穴場教師として君臨 していく事になるだろう。でも、こういう穴場をうまく探して利用する学生こ そが、利口な人だと思うんだけどな。
午後は可換環論・代数幾何学入門講義。準素イデアルとその基本性質。 その後、徳島大学の学生達のレポートの採点など。
2004年1月12日(月)
<<眠い眠い病>>
暦と入試については誰も全容を理解できないぐらい複雑な変則ルールを作りた
がる我が立命館大学も、伝統的に成人式の祝日は蹴飛ばさないことはよく知ら
れている。そこで昼過ぎに静かな大学に出勤。今週の講義3つ分の準備など。
昨夜は割と早く寝たつもりだけど、またぞろ「眠い眠い病」が起こってきたよ
うで、通勤途中の電車やバスの中では思わず気を失ってしまう。どうしたこと
か。
2004年1月11日(日)
<<体育>>
午前中は歯医者。第三の虫歯かと思って治療してもらおうとしたが、虫歯では
ないとのこと。欲の無い歯医者だな(そういう問題ではない、という話もあ
る)。午後は久々のスポーツ・クラブ。帰りに山科駅前Sbuxで、ゲーテで
もらってきたドイツ語のパンフレットを眺めていたら、睡魔に襲われ気を失う。
久々の運動で疲れたせいか、夜は何となく数学をやる気がおこらずぼんや りと過ごす。体育の授業が2時限続けてあって、その後英語の授業があって、 昼休みと掃除の時間の後、午後から数学の授業、みたいな感じである。 当然ぼんやりしてしまう、というわけ。
2004年1月10日(土)
<<巡回図書館>>
久々のゲーテの日。年末にハンブルクに里帰りしたG先生がまだ帰っておらず、
初級クラスの時に教わったU先生が代理授業。割合大雑把な感じのG先生の授
業に比べ、U先生は緻密な感じの授業展開である。
清少納言はG先生の真似をしてドイツに「里帰り」しているのか、本日欠 席。そういえば、ドイツ語命嬉しがり娘(その1)は以前一年間オーストリアに 留学していたらしく、ドイツ文学か何かで修士論文を提出した今、オーストリ アに「里帰り」すべく、そのチャンスを模索中らしい。「里帰り」という言葉 を使うところに、彼女らのドイツやオーストリアへの深い思い入れがうかがえ るな。ドイツ流三種の神器(バケツ、スポンジ、ワイパー)で講義して喜んで いる私も、自分がドイツに「里帰り」するという風には決して思わないしね。
それにしても、奈良の某国立大学では1月始めに修論提出だと。2月中旬 締切りのウチの大学は、やっぱり「ぬるい」な。
今日も給水に手抜かり無い巨漢社員は、自分の読んだ新書本を「これ面白 いよっ」て感じで親しい人に何気なく渡す習性があるらしい。私もとうとう今 日「40歳からのバカになれる脳の鍛え方」などという”課題図書”を渡され た。もう十分バカになってますから結構ですと断るのも芸が無いので、「へえ、 おおきに」と有難く拝借することにした。綿密な聞き取り調査の結果、ゲーテ のクラスでは、巨漢社員は「巡回図書館のおじさんみたい」と言われている事 も判明した。
数学教室でも「これ面白いよ」って感じで同僚や学友同士がリーマン全集 やEGAを何気なく渡し合うなんて習慣は、、、あるわけないよな。もし、確 率論屋さんが急増しつつあるウチの数学教室で「これ面白いよ」って「確率論 (伊藤清)」(岩波書店)などをさり気なく渡されるような事態になったら、 こちらも「これ面白いよ」って「可換環論(松村英之)」(共立出版)を、こ れまたさり気なく渡して孤軍奮戦で対抗、なんて事になるかもね。
2004年1月9日(金)
<<むふふ>>
寒さは少しだけ緩み、本日快晴の研究日なり。例によって紅茶を飲みながら、
Webでドイツ語のニュースを少し読んでから活動開始。夕方頃には山科駅前S
buxまで散歩など。昨日考えて行き詰ったメモを見直したしりする。
「評伝岡潔」の巻末には詳しい年譜が書かれていて、本文の内容とあわせ て読むと、何歳の時に何をしていたのかがよくわかる仕掛けになっている。 「グロタンディーク」(山下純一)もやはり同様な仕掛けである。こういった 本の楽しみ方は、若い時と今では自ずと異なる。
岡潔もグロタンディークも大体30代半ばから40代前半あたりが絶頂期 だったようであり、数学史に永遠に残る記念碑的な仕事をしたのはこの頃であ る。学生時代の私は、彼らの数学の癖とか性格とか生い立ちなどの中に、自分 との類似点を強引に見出し(勿論相違点は全て無視する)、若い時分の彼らの 真似をしようと思ったものである。それによって来るべき30代40代の頃に は、自分も少しは良い仕事ができるかも知れないなどという夢に浸っていた。 これは10代20代の楽しみ方である。
では絶頂期であるはずの30代半ばから40代前半を終え、「まさかと思っ たけど、やっぱり岡潔やグロタンディークにはなれなかったね」などとヌケヌ ケとうそぶいている今は、どうやって楽しむのか。それは、彼らが一体何歳ま で数学研究者として活動しているかに注目するのである。岡潔の最後の論文は 61歳の頃のもの。これは若い時の仕事の再生らしいから除外するとすれば、 その前の論文は52歳の頃に出ている。そうか!自分も50代前半までは行け るかもね、むふふ。という風に考えるわけである。太く短い人生が送れなかっ た自分としては、せめてか細くとも少しばかり長い糸ミミズのような数学者人 生を目指そうと、戦略の転換が図られているのである。
そして今や私にとっては、80代になっても大論文を書こうとしたザリス キー先生とか、70歳を過ぎてもガンガン論文を書いている志村五郎先生とか、 60歳を超えても異様なペースで論文を量産しているHerzog先生とかがヒーロー なのであって、52歳で最後の打ち止めをした岡潔先生は「店じまいがちと早 すぎるんでねーの?」って感じだし、40代になるかならないかのうちに引退 してしまったグロタンディークなどは「何だよ!勝手にさっさと行っちまいよっ て!」と言いたいところ。大体、40歳までに猛烈に良い仕事をして、それか ら間もなく現役引退してしまうような数学者は、カッコ良すぎて興ざめである。 40歳までに亡くなったアーベルとかリーマンとか谷山豊などは、とんだカッ コ付けの興ざめ野郎どもなのであり、20歳で数学も人生もやめてしまったガ ロアに至っては正直言ってもう論外で、「このおっちょこちょい野郎め、ばー か!」なのである。
2004年1月8日(木)
<< Zeit誌>>
午前中は小雪が舞い散ったりした寒い研究日。紅茶を飲みながらWebで少しば
かりドイツ語のニュースを読んだり聞いたりして目を覚まし、昼前より始動。
夕方頃山科駅前Sbuxまで散歩にでもと思っていたけれど、何となく行きそ
びれる。
夜は今の研究には直接関係ない可換環論の理論 をほんの少しだけ勉強したり、Zeit誌の 不動産のコーナー で見 覚えのあるエッセン大学の向かいのアパートの部屋が賃貸に出ているのを見つ けて驚いたり、ドイツ語の予習をしたり。本日さらに「評伝岡潔」を読了。
「評伝岡潔」は、マニアックとも言いたくなるような丹念なフィールド・ ワークで非常に細かいエピソードまで調べていて、読み物としても面白い。特 に、最初に「脳病院」に入院することになった、”広島事件”のくだりは(最 後の部分が俳句の話ばかりになって、事件の結末がウヤムヤになっているよう な印象が残るものの)鬼気迫るものがある。さらに、著者が岡潔先生と同 じ多変数解析関数論の専門家でもあることもあって、以前読んだ「天上の歌、 岡潔の生涯」に比べて数学の部分がよりリアルに書かれているところが特に面 白い。
その面白さに何となくあおられて、学生時代に買って眺めていただけの 「多変数解析関数論」(一松信)だの「複素関数論」(梶原譲二)だのを引っ 張り出してきて、今度こそはちゃんと読んでみようか、などと身の程知らずの 事を考えてみたり。「可換環論 -> 代数幾何学 -> 複素多様体-> 多変数解析 関数論」という繋がりで広い意味では自分の専門と関係あるし、今卒研でT君 に勉強させている層の理論も、元はといえば岡潔先生の不定域イデアルの話だ そうだしね。しかし、今回も「眺めるだけ」で終わるだろうな。
ところで、Zeit誌は毎週日曜日に発行される新聞で、求人欄には大学教員 の公募が沢山出ている。こんな一般誌に教員公募が出るなんて、ドイツの大学 の人事はずいぶん開かれているのだなと思ったものである。しかし、何人かの ドイツ人に聞いたところ、実際は有力候補者があらかじめ決まっている場合が ほとんどで、その大学の有力教授と研究上の繋がりが無い一般の応募者が採用 される可能性はほとんど皆無なのだそうである。ドイツの大学の人事制度も若 手教授制度( Juniorprofessor)などの導入ですこし風通しが良くなってきてい るようだが、私の感触では日本の大学の人事の方がいくぶん開放的なような気 がする。