2004年1月31(土)
<<いつも同じ場所>>
今日もWebでドイツ語のニュースを拾い読みしてから、昼頃出勤。部屋で少し 雑用をしてから、4回生可換環論・代数幾何学入門講義の後期試験。小さなク ラスなので、結構受講生の顔を覚えている。見覚えの無い顔は試験だけ受け にきた学生たち。

卒研生T君の保護者K君は毎週講義には出てたけど、試験は受けていなかっ た。おそらく何か思うところがあって講義だけ聞いて、単位は最初から考えて なかったのかも知れない。今時の学生にしてはシブイ事をするものである。感 心感心。

G君は毎回内職をするためだけに教室に出てきて、講義は全く聞いていな かったようだ。だから、単にこの講義を受講している仲の良い友人に付き合っ ているだけだろうと思っていたのだが、何と試験場に来ているので驚いた。試 験まで付き合う程仲の良い友人って、どんなのだろう。

昔から、試験や講義の後ですすっと私の所に寄って来て、ぼそりと一言何 だか鋭い指摘や質問をする習慣があるFt君は、今日も試験終了後すすっと私の 所に寄って来て、問題のちょっとしたミスをぼそりと指摘してくれた。あちゃ あー!このミスのお陰で、問題がずいぶん簡単になってしまっていた。まあ、 問題が簡単になる事は良いことだけどね。私は如何にもっともらしく見えて、 実は馬鹿みたいに簡単な問題を作るか、それなりに苦心していたのである。で も、やっぱり試験中に指摘して欲しかったなあ。

いつも教室の一番前でせっせとノートを取っていたFj君は、試験の時も全 く同じ席に座っていた。そう言えば、過去いろいろな講義の時でも彼はいつも 同じ場所に座っていたような気がする。彼が卒業してからも、私は時々その席 に彼の幻を見てしまいそうな気がする。

この講座は情報学科の某講義と合併授業のため、情報学科の学生も試験を 受けていた。ひとりの学生の答案の隅には、個人的な事情を綿々と書き連ねた 上で、ぜひ単位を下さい卒業させてください、という旨の事が書かれていた。 講義にも出てなかったし、この試験のために何か準備をした気配もないけれど、 それが故にか答案にこういう事を書いてくるところは、いかにも情報学科の学 生って感じがするな。

試験後さっさと大学を出て、山科駅前Sbuxで数理研でコピーしてきた 文献を眺める。今のところ結構展望は明るい気がしてるのだけど、ちゃんと詰 めてみないと本当のところはわからないな。

夜はスポーツクラブ

2004年1月30(金)
<<拍子抜け>>
午前中はWebでドイツ語のニュースを適当に拾い読み。今日は出勤するつも りは無かったのだが、昨日コピーしてきた文献の要所要所で参照されているテ キストが大学に置いてあるため、午後から出勤。さてと、今日は部屋で文献を ゆっくり読んで過ごそうかなどと呑気な事を考えていたのだが、先日の線形代 数の試験の採点の仕事があるのを思い出す。

19時頃採点終了。A+判定該当者なし。線形空間の概念の理解を問う基 本的な問題で、教科書にも例が出ているようなのを「点取らせ問題」と思って 入れておいたのだが、ほぼ全滅。これがA+判定ゼロとした大きな理由。また しても「(学生は)技術的に多少複雑なことを理解するのは容易だが、概念的 に少しでも新しいことを理解するのはとても難しい」という私の仮説が、図ら ずしも裏付けられてしまった。

それ以外では、A判定1割強は講義アンケート等から予想していた「まず まずよく理解していそうな学生の数」とほぼ一致する。B判定7割強は、あの、 睡魔が支配する倦怠感溢れる午後一番のクラスの様子を思うと、ちょっと多過 ぎるような気がするが、まあ学生達はそれなりによく勉強したということなの でしょう。しかし最も熱心に講義を聴いている様子だった期待の学生が、C判 定2割弱の中に入っているのにはちょっと拍子抜け。さらに不合格1名。ひと りだけ不合格では淋しかろうと思って、何とか合格にできないかと答案を調べ 直してみたのだが、やはり不合格以外に道は無し。

2004年1月29(木)
<<救急車>>
某コホモロジーの幻の公式を探しに京大数理研へ。2002年にイタリアの国 際会議で某偉い大先生からちらりと聞いた話を頼りに、某文献を調べるのが目 的。期待通りそれらしい記述を見つけたので、コピーのために一時借り出し手 続きをして、数理研の隣の生協へ。

作業が終わってコピーの束を整理していたところ、目の前で文献をコピー していた女子学生が、全く突然に何かの発作を起こしてばったりと倒れ、大騒 ぎになった。行きがかり上、私と近くに居たひとりの男子学生が彼女を介助し、 その間に生協職員の人が救急車の手配をした。最初その子の様子はかなり危な い雰囲気になり、おいおいこの子は私の目の前で最後を迎えるのかよ、えらい こったなあと思ったけれど、男子学生が脈を調べてくれて大丈夫そうだと言っ ていたし、そうこうしているうちに呼吸はしっかりしてきた。それから間もな く、かなり朦朧とはしているものの少し意識を取り戻した。救急隊はすぐに駆 けつけてくれて、ほどなく彼女は病院に搬送された。全くの素人判断だけど、 一連の症状を見るに、とりあえず命には別状無いのじゃないかしら。というよ り、そう信じたいものだな。

その後、久しぶりに喫茶進々堂に立ち寄り、コピーの束を眺める。以前こ こに入り浸っていた頃 -- (ということは、山科駅前Sbuxが出来る前である) -- 、私と日当りの良い窓際の席の無言の争奪戦を繰り広げていた”作家先生” (と私が名付けた人)も相変わらず窓際の席で何やら作家っぽい(?)作業を していて、「いやあ、お久しぶりですね」とか何とか言って握手でも求めよう かと思ったのだけど、そういえば私はこの人とは一度も話した事が無いことを 思いだし、踏みとどまる。

2004年1月28日(水)
<<跋扈>>
午後一番で教室会議だったらしいが、すっかり失念。どっちみち15時から気 合いの線形代数の試験監督なので、まともには出席できない。ということで、 本日昼頃出勤。生協で昼食の後、部屋で某コホモロジーの幻の公式を求めて MathSciNetを検索したり、参考書をひっくり返したりするも、見つからず。 てな事をやっているうちに試験監督。

試験監督というのは退屈である。60分というのは中途半端に長く、かつ、 短い時間だし、その間に本を読んだり計算をしたりというわけには、なかなか いかない。教室を回りながら学生達の答案を見た限りでは、流石に毎週教室で 居眠りしているだけのことはあるな、という印象をもつ。

試験監督後は、自家養成サクラI君の修論の添削。以前は学生の論文を丁 寧に添削していたのだが、結局それは学生のためにはならないという結論に達 した。今回は、修正すべき部分の指摘と簡単なコメントをつけるに留め、あと は学生本人がどこがどう良くないのか、どう改善すれば良いのか、自分で考え るように仕向けようとしている。と、いう理論武装に基づいて、適当に手を抜 いているというわけ。

清少納言から、週末の豆腐パーティ中止の連絡が入る。何でもG先生の風 邪が重く、一週間ぐらい治りそうにないからだとか。インフルエンザかしら。 鳥インフルエンザだのW32/Mydoom だの、あちこちでウイルスが跋扈している な。

2004年1月26・27日(月・火)
<<ぼおーっとする>>
26日の早朝、というよりはまだ夜中、にふっと目が覚めて、それからなかな か寝付けず。布団の中でああでもないこうでもないと考えてるような眠ってい るような時間を過ごしているうちに、「あっ!あの証明のあそこは間違ってい る!」などと判明。大体私の電撃的天啓は「あれは間違いだ!」とか「あれは 自明じゃないか!」というのばかりで、素晴らしい発展的なアイディアという のはほとんど皆無である。それにしても、どうやって間違いを修復すれば良い のだろうかと色々考えているうちに気を失い、はっと我に返った時は朝。 (これにて、お勉強モードが半日で吹っ飛んだことになる。)

その後、野暮用のため京都を離れ、27日夜帰宅。野暮用で駆けずり回り ながらも何となく間違いの修復方法を考えていたのだけど、特に進展無し。コ ホモロジーに関するある種の公式があれば解決されるはずなのだけど、そんな 公式見た事ないよなあ。何故そんな公式が無いのだろう、ちょっと考えてみよ う、えーと、うーん、結構難しいな。そういえば、去年イタリアの国際会議で 某偉い大先生に聞いた時、それはウチの学生が今書いている博士論文で示され るはずだから何なら送ってやろうか、はい、ぜひお願いします、などという話 をしたのだが、結局無しのツブテだな等々。こんな事を考えながら野暮用をし ている私って、傍目にはひどくぼおーっとしたように見えるのだろうな。

2004年1月25日(日)
<<感じ入る>>
野暮用と歯医者、4月からのドイツ滞在を睨んだ 自宅のPC環境向上おゲレツプロジェクト、 そして少し数学の日曜日。生物学者の岡田節人氏曰く、勉強 は研究の力なり。研究には粘りが必要であり、そのためには粘った先には真実 が見えるに違いないという確信が必要であり、その確信を得るには日頃から勉 強していなければならないという。うーむ、いい言葉だなあと感じ入りながら、 代数の教科書を読み返してみようと思い立ち、お勉強モードに突入。

ところでゲーテの講座が終わったし、ドイツ語の勉強はもっぱらWebのニュー スを聞いたり読んだりといった調子。昔英会話を勉強した時みたいに、カセッ トテープを買い集めたり、NHKの講座を録画したりしなくて良くなった。便 利な時代になったものだ。

2004年1月24日(土)
<<伝説のクラス>>
ウジウジはすかっと忘れて、ゲーテの日。このクラスは2月7日が最終なのだ が、大学の仕事の都合で私は今日が最終日。松下巨漢社員や清少納言らともお 別れかと思うと、涙涙涙...なんて事はなく、またしても来週G先生のお宅で 行われる豆腐パーティーなるものには、しっかり参加するつもり。風邪でダウ ンしたG先生に代わって今日代講したU先生も、パーティーには参加するらし い。

それにしてもよく学びよく遊ぶクラスで、これだけ雰囲気の良いクラスは 珍しい。京都ゲーテ伝説のクラスになると確信している。そして、このクラス を著しく盛り上げた最大の功績者である松下巨漢社員と清少納言の銅像が、ゲー テの建物の前に建つことであろう。私はと言えば、このクラスに来てからの約 一年で、ドイツ語がほとんど喋れない状態から、まあどうにかこうにか喋れる 所までたどりつけたのだから、ずいぶん進歩したような気がするな。

夜は2週間ぶりにスポーツクラブ。

2004年1月23日(金)
<<忠犬ハチ公>>
野暮用と研究の日。最近(謙遜抜きで)ささやかな「定理」を1つ、その「定 理」を使って導かれる別の「定理」を発見したつもりになっているのだが、ま だ証明があやふやで、「定理」の最終的な形がどうなるかも流動的。 単純に証明が間違っていて全てが振り出しに戻ることも十分考えられる。 まあ、それはそれでしょうがない。

「大山鳴動して鼠ゼロ匹」状態になる場合は、他にも色々考えられる。何 せ(謙遜抜きで)ささやかな発見なので、実は既知あるいはほとんど既知の結 果である可能性も大きい。「定理」の最終的な形が、例えば、ある時ある教科 書の演習問題にも出ていることが判明して、ご丁寧にもコメントとして「本文 中の補題○×を使えばほとんど自明」と書かれている、なんて事になったりす る可能性もある。あるいは、誰かに最近私はこんな事を発見しましたと自慢し た時に、相手は宙を見つめて一瞬考えた挙句「でも、それって自明じゃないで すか。だって。。。」と3行ぐらいのエレガントな証明を示してくれるとか。 まあ、それやこれや考えてウジウジしてしまうのである。

ウジウジしないで済む方法がある。岡潔先生が多変数解析関数論の研究を 始める前に、複素力学系か何かの研究をやっていて、研究成果でフランスの研 究者に先を越された上に、自分の得た結果が正解とは全く逆の間違ったものと 判明したとき、「これからは一番難しい問題しかやらないと固く決心した」そ うである。これにならって超難問に取り組んで玉砕すれば、ウジウジしなくて 済むのである。うん、これぞ益荒男(ますらお)・手弱女(たおやめ)の美し い数学だな。そう、玉砕かウジウジか、二つに一つだ。

しかし私が遅ればせながら30代の終わりに数学者としてスタートした時、 某偉い大先生がそっと私に言ったのである。「(君はどうせ大した数学者には なれないから)大きな問題を狙おうとしてはいけない。(大数学者の真似して) 大問題を狙って潰れてしまうよりも、小さな問題で細々とつないでいけば、も しかしてちょっといい事にめぐり会えるかも知れないし、結果的にはそちらの 方がうんと良いかも知れないよ。」私はこの言いつけを忠実に守っている忠犬 ハチ公なのである。

と言うか、大きな問題を考えていて、その難しさに後ずさりし ているうちに、図らずしもだんだん話が小さくなってくるだけなんだけどね。

2004年1月22日(木)
<< schöne Kälte >>
今日の京都は最高気温1度、最低気温マイナス5度。寒い!ドイツだとマイナ ス15度なんてザラだそうで、ゲーテのG先生などは(マイナス15度は),, schöne Kälte(「気持ちの良い寒さ」)''ね!なんて言っている。私 のエッセン滞在中は異例の暖冬で、せいぜいマイナス5度程度だったけど。そ ういえば、ドイツ在住15年熱烈尊敬のH先生などは、「日本の冬は暑くてた まりません」と言ってたな。H先生は今日も半袖シャツ一枚で街を闊歩してい ることであろう。

schöne Kälteの今日この日、さしたる用も無いけれど様子見出 勤。いくつかの雑用等の合間に、修士論文に全力を投入しているはずの自家養 成サクラI君を視察するために、都合3度院生室に立ち寄る。最初の2回はソ ファーで「爆睡中」で、同室のH場君が叩き起こそうとしても起きず。3回目 はやっと寝ぼけ眼で机の前に座っていた。

何でも20日の日誌におけるI君の一時間半遅刻の記述は「不正確」 なんだそうで。曰く、戻りの電車を間違えて乗り過ごしたのではなく、電車の 運行状況の急変に対処するために、草津で途中下車して次の電車を待ったので ある、とか。曰く、そもそもダイヤが乱れていて、京都駅で20分だか待ちぼ うけを食らった、とか。曰く、行きの電車を乗り過ごしたのは、修論のネタに 使うテキストを読んでいて、それに没頭していたからだ、等等。彼は一体何を こんなに必死に訴えているのか知らないけれど、行動パターン、および、全体にそ こはかとなく 漂う不器用な雰囲気が、十分数学者的であることは認められると思う。

2004年1月21日(水)
<<高飛び>>
昨夜遅くに紅茶を飲んだせいか、夜中にふと目が覚めて眠れなくなり、何度も 寝返りを打ちながら布団の中で悶々と考える。しかし、いつの間にかまた気を 失っており、次に目が覚めたのは昼前。本日研究日のはずだが一寸気が乗らず、 Webでドイツ語のニュースを冷やかしたりして逃避行動をしているうちに野暮 用。それから、夜中に布団の中で考えた事を少し整理しているうちに、野暮用。 さて気分転換に山科駅前Sbuxまで散歩でもと思っていたところ、野暮用。結局 一歩も自宅から出ず。夜はドイツ語の予習など。

この時期は、講義も終わって「さあーて、ゆっくり研究でもすっか!」と 開放感にひたれる楽しい季節である。しかしその一方で、後期試験の採点、入 試の採点と合否判定会議、修士論文を書いている学生の尻叩き、修士論文公聴 会、大学院入試、卒業式と案外学校行事が多いので、それらに気を取られてう かうかしていると、あっと言う間に4月になり、日本で一番早い新学期が始まっ て、忙しくなってしまうのである(でも今度の新学期は、ドイツに高飛びだ ぜい!)

2004年1月20日(火)
<<偉い!>>
午前中は大学院超お買い得穴場暴走講義の最終回。唯一の受講生、遠い遠いS藤王国から やってきたTy君の姿は見えず。

うっほほーい!『伝説の講義』で有終の美を飾れるぜ!!

と、元気よく伝説の講義を開始。実は、全然関係の無い学生がひとり、教室を 勉強部屋代わりに使っていたのだが、構わずどんどん講義を進める。彼は、目 の前で今歴史的な伝説の講義が進行している事実を理解できず、「このバケツ とスポンジを持ったおじさん、何で独りで喋ってんだろう?」と訝っている様 子だったが、そんなの無視!無視!

ところが、丁度先週分の復習を話し終えた絶妙のタイミングで、何とTy 君遅刻で登場(何だ、来るつもりだったのか)。ということで、伝説の講義は1 0分で終了。通常の暴走講義に切り替わる。本日をもって、多項式環の次数付 きイデアルの極小自由分解の理論までめでたく終了。実は、ヒルベルト多項式 の話も準備してあったのだけど、全く話せなかった。暴走し切れなかった、と いうワケ。

電車を乗り過ごし、さらに、戻りの電車を乗り間違えてまた逆方向に乗り 過ごし、結局TAのアルバイトに都合1時間半遅刻してきたという自家養成サ クラI君と修論の打ち合わせを少しやってから、午後は可換環論・代数幾何学 入門講義最終回。少しはしょったけれど、ネーター環の準素イデアル分解の話 を終了する。試験情報を聞き出すためか、いつもよりも受講生が数名程多かっ たような気がするが、「試験、頑張ってください」ぐらいしか言うことも無い し、「頑張ってください」じゃ馬鹿みたいだから、ということで結局ダマを通 す。

引き続き教授会。会議場に行ってみると資料がいつもの数倍の厚さ。「お おおっ!今日は徹夜会議か?!」とどよめきが広がったけれど、終了はなんと 19時。何だか知らないけれど、今の学部長はとっても偉い!

もう講義は無いので、次の更新日は28日あたりか?

2004年1月19日(月)
<<気合いが入る>>
午後からT君の卒研ゼミ最終回。今日は層のコホモロジーの諸性質。 コホモロジーが散布的レゾリューションの取り方によらずに一意に決まる事、 コホモロジー長完全列の導出、コホモロジー理論の公理的特徴付け等々、 「ごつい証明」の数々をねじ伏せる。チェックコホモロジーと連接層の話は 残してしまったけれど、「やーあ!よーう、勉強したなあ」って感じ。

卒研ゼミの合間およびゼミ後は、色々な雑用に駆けずり回る。17日のゲー テの宴会で幸せ気分一杯で、週末はぼーっとしてたのだけど、一気に気合いが 入ったな。

2004年1月18日(日)
<<合掌礼拝>>
本日二日酔いで何もする気が起こらず。完治したのは夕方近く。とは言うもの の、歯医者には行ったし、野暮用はやったし、夕方頃には少しだけ数学も。二 日酔いする程酒が飲める機会というのは、そうあるものではない。それだけ気 の置けない仲間に恵まれたという事である。合掌礼拝。

「考えてます」モードに入ると、勉強嫌いになってしまうのは、私だけだ ろうか。早く読まなきゃと思っている論文は積み上げたまま。どうせ大した事、 考えてないんだけどね。

2004年1月17日(土)
<<何てこった>>
ゲーテの日。今日は、遊びの天才清少納言プロデュースによる、名目不明の飲 み会。伏見の鳥せい本店にて 鳥料理と、ここでしか飲めないという生原酒を楽しむ。参加者は、清少納言、 もう塾屋でないことが判明した(元)塾屋、松下巨漢社員、数学者になりたかっ た技術者、輝くフリータ、ガラス職人、殴り込み通訳、ドイツ語命娘その1、 ドイツ語命嬉しがり娘、先生、そして私の11名。

それにしても「灯台下暗し」である。10年程前、私は伏見に1年程住ん でいたのだが、酒蔵が建ち並ぶこの店の近所の街の美しいたたずまいも知らず にいたのである。大阪府在住の清少納言の方がよっぽど詳しい。ああ、何てこっ た。ちなみに学生時代から合計すると京都市内在住通算16年なのにまだ祇園 祭の山鉾巡行を見たことがないし、金閣寺の近くに2年程勤めていたのに、金 閣寺を見たことも無い。ま、別にいいんだけどさ。

2004年1月16日(金)
<<首を洗って待つが よい>>
やはり寒い研究日。終日曇り。夕方頃ふらりと山科駅前Sbuxまで散歩した 以外は自宅に滞在。夜は、ドイツ・エッセン市のホームページを見つけ、そこ の外人局(Auslaenderbehoede)に問い合わせるメイルの独作文など。ちゃんと 返事が返って来るのかしら。

前回ドイツに滞在したときも、この外人局で滞在ビザの申請を行った。必 死に独作文して暗記してドイツ語で話してみたのだが、一言喋っただけで、 「おや?貴方はドイツ語が喋れませんね」と見破られて、英語の出来る係員の 所に連れて行かれた。まあ、しょうがないのだけどね。今度は全部ドイツ語で 手続きを済ませたいものだ。そうそう、またドイツ・テレコムと電話の契約を することになるだろうけど、今度こそはドイツ語できっちり話をつけてやるか らな、首を洗って待つがよい。

とは言っても、ドイツ語はようやくぽつりぽつりと喋れるようになってき たばかりで、あんまり自信は無いのだけど。しかし、ドイツ語でうまく行かな ければ英語で何とかしようと考えるからいけないのである。清少納言やガラス 職人などは、英語はあまり自信が無い状態で3年近くドイツに滞在し、そこで ドイツ語を覚えたそうである。そういう風にしないと語学は身につかないだろ うな。