4月1・2日(土・日)
平和な3月はあっという間に終わり、4月に入る。いよいよ数理科学科の教員であ る。 1日は昼頃大学へ。昼食後2回生の微積分の講義ノート作りに励む。実際にノートを 作って みると、微積分というのは想像以上に説明すべき事が多いことがわかる。1セメス ターで終 われるか心配になってきた。

最近の寝る前の読書は、何を隠そう中公新書の「デリバティブ」である。 この歳になるまで経済・経営系の話はずっと避けて通してきたのだが、 案外面白いものである。先日書店で「ファイナンスのための確率微分方程式 -- ブラック=ショールズ公式入門」(トーマス・ミコシュ著、遠藤靖訳) なる本を見つけ、買おうか買わまいか迷っている。 うーむ。興味が発散してしまうという悪い癖がまた出てきたなあ。

1〜2年前は、情報学科の卒研でフラクタル・グラフィックスをやらせたのを きっかけ に、カオスやフラクタルの本を買い込んでいくつか読んだのだが、数理科学科移籍 が決まったら急にやる気が失せて、読まないまま本棚に眠っている本が2,3冊あ る。 暗号理論の本も全く同様の経緯でもって、何冊か本棚に眠ったままである。 このままだと、ファイナンスも同じ運命をたどりそうである。 要するに「つまみ食い」である。駆け出し数学者の私としては、 つまみ食いをしている暇があれば、ちゃんと栄養のあるものをしっかり食べねばなら ない のである。「Hartshorn "Algebraic Geometry"はどうなってんだ?最近サボってるで しょう!」 「はい、そうです。」「それはいけませんなあ。」これが心の中の2人の私の会話で ある。

もっとも、つまみ食いは悪いことばかりでもない。つまみ食いで色々 雑学を仕入れておけば、便利なこともある。大学には、メインでない科目というのが ある。「枯れ木も山のにぎわい」的に色々科目を並べておかないとちょっと寂 しいし、 メインの科目だけでは卒業単位数が揃わない。しかし、その科目があったところで、 その 講座で何を教えなければならないというわけでもない。そういう「その他もろもろ」 的科目を 担当する時に便利である。情報学科でも数理情報系科目は全てそうである。元々は高 邁 な教育理念から設定されたそうだけど、実際は「その他もろもろ」科目でしかない。 また、他大学の友人から「このコマを何でもいいから面白そうな話で適当に埋めてく れ!」 と非常勤講師を頼まれることがあるが、こういう時にも雑学のレパートリーが豊富だ と便利で ある。

こんな調子で、学生のゼミで教科書の最初の50ページぐらい付き合っただけの ゲーム理論や、簡単な教科書をさらっと読んだだけの暗号理論でずいぶん あちこちで「お座敷芸」をやってきた。ブラック=ショールズ公式や確率微分方程式 の話も、レパートリーに入れば儲けものだな、という助平根性もあって、気が変わら ない うちにちょっと勉強してみようか、とも思っている。

イギリスに発ったH先生に、ちょっとした用事でメイルを出していたのだが、 その返事が1日の夕方頃届く。「こちらの大学は綺麗で立派で夢のようである。 この夢の中で一生数学をやっていたいものだが、残念ながら6ヶ月という短期間 で現実に戻らなければならない。」とのこと。H先生は元々夢の中に住んでいる人か と 思っていたけれど、その人が「夢のようだ」という位だから、さぞかしタイやヒラメ の舞い 踊りで素晴らしい所なのでしょう。イギリスに行きたしと思へども、イギリスはあまり にも遠し。 せめては新らしき背広を着て、きままなる旅にいでてみむ。

2日は休息日。ドイツ語をすこし復習する。

4月3日(月)
朝早くから大学へ。今日は数理科学科新入生のガイダンスがあり、招集が掛かっ たのである。70名程の新入生である。情報学科の時は、後ろの方がかすんで 見える程大量の学生がひしめいていたものだが、70名というのは心温まる 人数である。

ガイダンスでは、10名程の教員が自己紹介なんぞをやったが、さすがに 「私は○○学と言って、△△を××しやすくするための技術を研究してます」 なんて事を言う人は居なかった。たいへんよろしい。 私は純粋数学至上主義者であり、計算機(および計算機科学などといういかがわしい 学問)は大嫌いである事は言ったが、何が専門なのかを言い忘れた。 数学は大きく分けて、代数、幾何、解析、純粋数学至上主義の4つが あると思い込んでしまった新入生が居たら面白いのだが。

だだ、「今日は代数の先生がみえてませんね」という発言があったので、 すかさず訂正を申し出る。まあ、最初だからやむおえまい。やむおけなければ、仕 方が無い。しかし、1年後にまだこんな調子だったら、ちゃぶ台をひっくり返 して怒って見せることにしよう(ちゃぶ台をどこから調達しようかしら)。数学 の世界でもパフォーマンスは大事である。

ところで、数物学系の事務室は7階で、私の部屋(5階)からは遠くなった。 情報学科時代は同じ階に事務室があったから、気分転換を兼ねて何やかんやと 頻繁に事務室に出入りしていたが、これからはそうも行かない。また、事務室 が物理科学科と共同なので、居心地がいまひとつである。(物理には恐そうな 先生が多い!?)

昼前に外国書購読のテキストの印刷を発注し、午後からは微積分学のノー ト整理。5月の連休前ぐらいの分までやって、放り出す。こんなんばっかり、 やってられまへん!ついでに初等数え上げ組合せ論と上級数え上げ組合せ論の 講義プリントのupdateを行い、WebのHPにリンクを張り、これでもって新学期 の準備はとりあえず終わりとする。あー、しんど!

この段階で夕方になっていたので、気分転換にドイツ語の例文の整理を 行う。明日から計算を再開しよう。

4月4日(火)
朝から大学へ。午前中はWebでドイツ銀行やエッセン大学の情報を集める。午 後からは計算の再開。数日ぐらい間があいているので、色々微妙なところを忘 れていて手間取る。結局何だかよくわからない計算をやって終わる。明日もう 一度見直すことにしよう。

本日殺人会議があるらしい、との噂があったのだが、どうやら無いらしい。 大変結構なことである。情報学科では教員間の連絡は全てメイルであるが、数 学教室ではどうなのだろう。たぶん対面式または電話での連絡方式が主流では ないだろうか。今日の学系長会議の報告も、主任のN先生が各教員の部屋を回っ て連絡していた。こう考えると情報学科の方が情報の流れがスムーズで風通し が良いようだが、その半面本当に大事な事は数人の有力(?)教員間の根回しに よっていつの間にか大勢が決まっている、なんて事がよくある。

面倒な事が嫌いな数学教員が、メイルを使わずに何故各教員の部屋を回っ て連絡するなどという面倒な事をするのか?これは謎である。「メイルを読む と雑用が増える」と言って一週間に一度しかメイルを読まない人がいるからか? それもあるが、数学では対面式のコミュニケーションを大切にするからではな いだろうか?

共同研究でもゼミでも、当事者が一緒にああでもない、こうでもないとやっ ているうちに大切なアイディアが生まれたりする。物凄く偉い数学者と雑談し ているだけで、何かわかった気分になる事もある。こういう事は数学では大切 である。数学者が一番お金を使うのは出張費で、それはとにかく会って話をす ることを大切にするからであろう。

また、情報学科では教員が海外留学する年でも、お構い無く卒研の学生を 配属する。電子メイルなどで遠隔指導できるはずだから、というのがその理由 である。数学の場合、それはとんでも無いことである。

同僚S先生は大学には来ているらしいが、何やら忙しく飛び回っていて部屋 にはほとんど居ない。実験室と大量の学生をかかえていると、色々大変である。 情報学科時代はS先生と私は運命共同体であった。一緒に一つの研究室の運営 をしなければならなかったからだ。しかし、私はもう実験室も学生も手放した ので、彼とのコンビは事実上解消され、普通の一同僚としてのおつき合いにな るのではないかと思う。

夕方頃2年前の卒業生からメイルが来る。ホームページで、卒研打ち上げ パーティの時の写真を送るから連絡せよ、と書いてあったのを見たらしい。こ の学年の卒研は異常に雰囲気が良かったのである。なにはともあれ、卒業生か ら音信があるというのは、嬉しい事である。

4月5日(水)
昼前に大学へ。計算を見直すも、微妙な所で疑問にぶつかる。考える間もなく、 カードキーの件でごたごたする。そうこうしている間に5回生M君とのゼミの 時間。何だか知らないが、すいすい進んでしまう。この調子では、後期に佐藤 グループと合流する時には、佐藤グループのゼミの範囲はとうの昔に終わって いる事になろう。数学の学生より情報の学生の方が偉い、という逆転現象が起 こりそうだ。ゼミが終わってからも、カードキーとその他の雑用でばたばたし て疲れ果てる。

その間A先生を見たような気がする。そして、数学教室では、会議などの連 絡は郵便ポストに紙で入っているという事を聞いたような気がする。そうか、 そうなのか。いくら対面コミュニケーションを重視すると言っても、いちいち 電話したり走り回ったりするわけないよな。また、その間にスーツを来たY先 生に出食わす。「スーツを来たY先生」なんてのは、「泳げない魚」とか「火 傷しそうに熱い氷」とか「几帳面なS先生」とかいうのと同じで、ほとんど形 容矛盾と言ってもいいくらい珍しい。一生に1回お目にかかれるかどうか、と いうぐらい珍しい。今日は良いものを見てしまった。何かいい事がありそうだ、 なんて馬鹿な事を考えたりする。たまたまK先生の部屋の近くを通りかかった ので、「今日のYt先生はぜひ見るべきだ!見ないと一生後悔しますよ。」と忠 告しておいた。

このばたばたした雰囲気と、成績照会や諸登録手続きのために事務室前に あふれ返っている学生を見るに、新学期だなあという気分が湧いて来る。

4月6日(木)
午前中から大学へ。今日から講義である。数理科学科2回生の微積分と情報学 科4回生の暗号の講義。微積分の方は、数理科学科の学生の感じがよくわから ないので、あれでやさし過ぎたのか、難し過ぎたのかよくわからない。「やさ し過ぎて退屈じゃ。もっと早う話せ!」という顔をした学生が前の方に数人、 ちょうど良さそうな学生が多数、何かようわからんという学生が10数人といっ たところか。最初のガイダンスの雑談では私語が多かったが、本題に入ると静 かにしている所が、オリコウサンでもって鳴る(?)数学の学生らしい。

暗号の方は、2年ぐらい後期にやっている講義だが、前期に担当するのは 初めてである。4回生後期の授業は、単位の揃っている優等生は取らない。ほ とんどは、就職が決まったけど単位が危ないという、あっぷあっぷ学生であり、 就職活動疲れか何だか知らないが、一様に元気が無かった。お通夜授業である。

一方、4回生前期の講義は、就職活動で誰も出席しなくなるものと予想さ れる。今日の感じでは、まだ彼らには元気が残っているようで、元気に私語な んぞやっている学生がいた。どうせ情報学科の消化試合みたいな講義だから、 適当にやろうかと思っていたが、数学の学生も数人いるので、まじめにやるこ とにした。しかし、暗号の話は私にとっては「お座敷芸」でしか無いので、余 り突っ込んだ話はやりたくても出来ない。雑談とか基礎の基礎みたいな話で適 当に引き延ばすことになろう。数学の学生には退屈かも知れないなあ。

数学教室に移ってからは、受け取るメイルの量がぐんと減りそうである。 情報学科では教員のメイリング・リストが作られ、それで連絡や場合によって は議論(電脳学系会議)も行われた。数学教室ではそういう事はなさそうである。 (ただ、ここ2〜3日は主任のN先生がばたばた走り回って個別連絡をしている ようだが。)今でも何故か情報学科のメイリング・リストに名前が入っている らしく、何やらあわただしい内容のメイルが飛び交っている。それをヒトゴト のように眺めながら、やっぱりあそこはせわしい世界だったんだなあと思った りしている。

本日は講義と講義の準備を少しして終わる。休み明けの講義というのは、 くたびれるのである。

4月7日(金)
早朝から大学へ。毎週金曜日は朝1番の講義である。午後にもひとつ講義があ る。朝1番の講義なんて誰も出て来ないだろうと高をくくっていたら、教室に 学生があふれ返っていた。すぐに50人ぐらいに減るだろうけど。午後の講義 は、学生の母体が午前の講義とほぼ同じなのだが、午前中のオドシが効いたの か、学生数は半減していた。

それにしても休み明け2日続きの講義4連発は疲れる。ものすごく疲れる。 情報学科の時はせいぜい1日限りの2連発であったが、4連発というのは初め ての体験である。思うに大学の先生というのは肉体労働である。旧制帝大など の一部の大学を除いて、数学者は週に4コマ前後の講義を持つのが普通のよう である。これはかなりの運動量で、数学者の健康維持に貢献していると思われ る。

確かに風邪をひいただけでも気力ががくっと落ちて、数学どころではなく なる。私を悩まし続けている中山の補題で有名な中山正は、結核により若くし て亡くなったそうである。中山大先生の業績はべつに「中山の補題」なんてい うチンケなもんではないようである。じゃあ、何が主業績なのかと言われても 私は知らない。何となく、高木の類体論の難解で複雑な証明をガロア・コホモ ロジーで明快に再構成するような事をやったのではないかと想像している。中 山大先生の偉いところは、結核のため階段を一段昇る毎にひと息つかねばなら ない状態であったにもかかわらず、あのような大仕事をやりとげた事だ、という 話を学生時代に聞いたことがある。

実は「数学は体力だ!」という事はよく言われる。某筑波大のK先生のHPを 見るとそう書いてある。またアンドレ・ヴェイユもそう言っていたそうである。 1958年頃だと思うが、有名な谷山・志村予想が発表された日光の国際会議 の折、ヴェイユやセールらと日本の数学者達が山道を散策していた時の事であ る。彼らは小さな湖のほとりにやってきたのだが、ヴェイユ先生はやおら服を 脱いでまだ水の冷たい湖に飛び込み泳ぎ出したという。セールもそれに続いた。 日本の数学者達は真っ青になり、湖岸づたいに2人を追いかけた。対岸までた どりついた2人は、今度は森の中を猛烈なスピードで走りだした(まるでトラ イアスロンですな)。そして、息を切らせて死にそうになってやっとのことで 追いついた日本の数学者達に、ヴェイユ先生はニヤリと笑って一言「数学は体 力だよ」と語ったそうである。(ところで、ヴェイユ先生が脱ぎ捨てた服はど うなったのだろう?東大などの偉い先生が、ヴェイユとセールの服を持って顔 を引きつらせながら追いかけたというのなら、なかなか麗しい図だと思うが。)

我らが筋肉大魔王S先生も、かつては同じ事を言っていた。しかし、私が 「あなたのやっている事は数学じゃない。ただコンピュータでじゃれているだ けだ!」(ひどい事を言うもんだ。私が言ったのだけど。)と言ってさんざんイ ジメためか、最近は言わなくなった。私も学生時代は肉体労働のアルバイトで 体を鍛えたし、一時期S先生に弟子入りしてスポーツ・クラブに通って筋肉付 けて喜んでいたし、会社員時代はスキーとテニスでめ一杯ミーハーしてたが、 最近は通勤と講義が唯一の運動である。

夕方4時に講義から解放され、しばらく放心してから「計算」を再開。 どうもわからん所があるので、元の定理と自分の計算をじっと見比べる。

ちなみに、12月23日の日記で不明としていた三岸好太郎の妻の名前は 三岸節子といい、昨年4月に94歳で亡くなっていた事を知った。

4月8日(土)
昼間は京大近辺で過ごす。ルネで昼食、Goethe-Institutでドイツ語のビデオを借り 替え、 ルネ書籍部で「ファイナンスのための確率微分方程式 -- ブラック=ショールズ公式 入門」 を買った後、中央図書館でいつもの計算に励む。夜はGoethe-Institutで借りたビデ オを 見て寝る。

「ファイナンスのための...」は、さすがに前書きに「数学的厳密性を犠牲にし て、わかりや すさを取った」と断ってあるぐらいなので、ブルーバックスよりも詳しく書いてある 概説書といっ た感じがする。これなら寝る前の読書に適当だろうと思う。装丁のデザインもちょっ と気に入っ た。

ところで3月頃に思っていた事だが、4月の始め頃はまだ自分が情報学科に居る のか数 学教室に居るのかよくわからん、中途半端な気分でいるのではないかと予想してい た。とい うのも、2月の終り頃には情報学科でのオシゴトはほぼ終了し、あとは数学教室に移 るのを待 つだけ、という状態であったにもかかわらず、何とはなしに情報学科のうっとうしい 気分が払拭 できなかったからだ。ところが、どういうわけか、4月1日を境に一瞬にして情報学 科がはるか 彼方の世界に思えるようになり、気分がガラリと変わってしまった。めでたいことで ある。

4月9日(日)
休息日である。ドイツ語を勉強したり、寝っころがって「ファイナンスのため の...」を読んだり。散歩のついでに立ち寄った書店で、放浪の数学者エルデ スの物語の本を見付けたので、早速買う。エルデスはポーランド出身だと思っ ていたが、ハンガリー出身だとわかった。また、以前"Proofs from THE BOOK" という美しい本を買った(まだ読んでない)のだが、そのタイトルの由来もわかった。 THE BOOKとはエルデス独特の言い方だそうである。神様は全ての数学的事実の 完璧な証明を知っている。それが書かれているのがTHE BOOKで、人間はTHE BOOK に書かれている証明を探り当てようとしているだけだという。で、Proofs from THE BOOKとは、THE BOOKに書かれているそのままの証明という意味で、内容的に も美しさという意味でも完璧な証明という事らしい。「THE BOOKに書かれている そのままの証明だ」というのは、エルデスの最高の褒め言葉らしい。

数日前のことだが、H先生の滞在している「英国の夢のような数学研究所」のHPを 発見し、 覗いてみたら、研究所の外観だの玄関受付だの談話フロアだの図書館だのの写真が 載っていた。なるほど、タイやヒラメは居そうにないが、綺麗で快適そうな所であ る。

多くの大学の数学教室には談話室または談話フロアがあって、ゆったりとした スペースにソファーなどが置かれ、お茶やコーヒーなども自由に飲めるようになって いる ようである。そこでは教員や院生などがぼんやり考え事をしたり、新聞を読んだり、 雑談を したり、時には共同研究をしたりする。日本ではあまり聞かないが、お茶の時間を 決めて、その時間に気の向いた人達が集まって、小さな談話会を定期的にやる所もあ るら しい。こうすることによって、専門の異なる研究者達が、互いの研究動向を知ること ができる。 いわばサロンが組織されているのである。数学の研究において、談話室の効用も 馬鹿にならないと思う。個人的意見を付け加えれば、そこは日当 たりが良くて、昼寝をしたらとても気持ちいいだろうなあ、という場所でなければな らない。

残念ながら、立命館の数学教室には、談話室、談話フロア―といったものは無い ようで ある(私が知らないだけなのかも知れないが)。学生の溜まり場的な部屋はあるよう だが、教 員数が少なすぎるので、教員中心の談話室を作ってもしょうがないのだろう。 情報学科時代には、H先生の提案で談話室を設けようということになったが、談話室 は誰も 使わずじまいで結局うまく行かなかった。色々な原因が考えられるが、実験系の人は 共通の場所に集まるよりも、それぞれの研究室のタコツボに分かれて集まるのを好む 習性が あることと、談話室にあてられた部屋が、窓の無い居心地の悪そうな部屋だったこと が 挙げられると思う。(少なくとも私はあの部屋に入りたいとは一度も思わなかっ た。)

4月10日(月)
昼頃大学へ。今日は何も無い日なので計算に励もうと思っていたら、某氏から 怪しい電話が入り、昼食をはさんでそれへの対応をしているうちに夕方近くに なる。夕方から計算を開始。思うに「研究活動の日常」なんて、文章に書いて しまうといとも単純だ。計算をする。計算を見直す。計算を再開する。そればっ かりである。そのうち、歩きながら考える。夢の中で考える。計算機をぶん回 す。嫌になって放り出し、ふて腐れる。気を取り直してまた計算をする。なん て記述が付け加わり、そういうのが延々と続くわけだ。最後に、ひらめく。跳 び上がって喜ぶ。はしゃぎ回る。論文にまとめる。なんて結末になれば、メデ タシメデタシというわけである。

計算は進んだような進まないような。何とも歯切れが悪い。うんうんうなっ ている頃に、K先生が学生Y君を連れて大学院についての怪しい相談に来る。K 先生も院生を3人ばかり抱えることになるそうで、大変だあ!なんて言ってい た。私は今までずっと院生が来ないのが普通の状態だし、これからも来ないと 根拠無しに信じているので、院生という存在はどうもピンと来ない。