4月11日(火)
昼前に大学へ。昨日発見した疑問を晴らすべくノートの計算を見直すも解決せ ず。殺人会議中も色々見直していたが、やはりわからん。殺人会議は何と夜7 時前に終る。画期的な短時間(!)会議であった。帰りのバスの中で、懸案の 「中山の補題より明らか」の「明らか」は何でか?という問題(の一つ)がわか りかけたものの、最終結果に至らず。何とも煮え切らないので家に帰ってドイ ツ語のMDを聞きながら、夕刊と買ったばかりの「2001年度版日本の大 学」(ダイヤモンド社)を眺め、布団に入ってからはエルデスの伝記を少し読ん でから寝る。

教授会では語学教育の事で少しもめていた。理工学部の教員の中には、専 門さえちゃんとできれば、語学、語学ってうるさく言わなくてもいいではない か、という考え方の人も多いようだ。この考え方が底流にあって、今回のひと もんちゃくにつながっているような気がする。私はといえば、「下手の横好き 気まぐれ語学オタク」の端くれなので、学生諸君には第一外国語の英語のみな らず、第二外国語、第三外国語、... と、気力と余裕があれば、いくらでも勉 強すべし、と思っている。アンドレ・ヴェイユは語学マニアだったそうだし、 代数幾何のR. Hartshorn も同様で"Algebraic Geometry"のテキストの の著者紹介には"Professor Hartshorn ... speaks several foreign languages"と書いてある。もっとも、学生時代の第二外国語であるフランス語 は、専門の勉強が忙しい事を口実に、まじめに勉強しなかった。この事を今で もちょっと後悔している。

ところで、教員の意識というのは、言わず語らずのうちに意外と学生に伝染 するようだ。例えば土木あたりだと、たぶん教員は「線形代数と微積分学は 商売道具だから、これぐらいは最低限ちゃんとやっとけ」という気分だと思う。 で、土木の学生の一般教養の数学への取り組み方は比較的まじめらしい。すく なくとも、まじめにやらねばならぬものとは思っているようだ。情報学科の場 合は、大多数の教員が「数学なんて全く必要無い」と思っているから、数学の 講義中の学生の態度は極めて悪いらしい。

もっとも、どこの情報学科でもうちのような感じでも無いらしい。私の学 生が某国立大学の大学院に進学するというので、そこの指導教員となる先生に その学生の事を色々話した事がある。その先生は実は私の長年の友人で「君の ように(!)計算機科学に美しさを追求するようではいかんのだ。」と言う普通 の計算機屋であるが、卒研ではもっぱら代数学を勉強させていると言うと、 「代数学を直接使う事は勿論無いが、そういう勉強をきっちりやった人に活躍 して欲しい現実的な問題は沢山あるし、大歓迎だ。」と言っていた。私はそう いう事がさらっと言える人こそ、一流の計算機科学者であると思っている。

4月12日(水)
昼前に大学へ。射影的加群の特徴付けについて少し確認してから昼食、そして 第1回の外書購読の授業へ。テキストはGeneral Topology である。1単位の 講座だからといって、君達にとって価値の低いものだと思ってはいけない。演 習科目に不当に少ない単位数を割り当てるのは立命館大学の悪い所で、そうい うのに過剰適応してはいけないと、ひとしきり外書購読の重要性を説明した後、 主な専門用語の訳語一覧を黒板に書き並べた。open set とか continuous map とかいう基本的な用語の意味を調べるのに労力を使うのは、余り良い勉強法で はないと思うからである。勿論 open set の英文の定義を読んで、「ははあ、 これは『開集合』のことだな」と察知する事は大切だが、とにかく英語に対す る抵抗感を無くす事が先決なので、とりあえずはそのレベルまでは要求しない 事にした。さて、来週からどうなることやら。

実際、立命館大学における実験演習系科目の単位数の少なさは問題だと思 う。自分で手足を動かして、あるいは頭をひねって学んだ知識こそ本物の知識 である。それを極端に低く評価し、大教室での先生の講義を大人しく聞いて、 受身の知識を詰め込む方が大事であるとして、そちらの方に学生を誘導してい るのが現在の制度である。これは、日頃「受身の勉強じゃいかん」と言ってい る教員の発言とは矛盾している。

その後、教室会議。会議の後、今ぶつかっている計算に関連した定理の証 明をじっくり見直そうと思ったが、まずは外書購読の受講生が、ちょっとした 相談にやってきて、次にS先生がやってきて数理科学科の計算機環境の拡充計 画や教育に関する「熱い情熱に満ちた話」を聞かせてくれて、その直後に、数ヵ 月前に可換環論の質問をしてきた正体不明の怪しい数学の学生が、再び代数幾 何学の勉強法について質問にやってきて、千客万来のひとときであった。腹も 減ってきたので、数学はやらずに帰る。

4月13日(木)
昼前に大学へ。午後一番で数理科学科2回生の微積分の講義。なかなか思うよ うに進みませんなあ。情報学科で担当している単にコマさえ埋めれば良い講義 と違って、夏までにここまでやるべし、というのが決まっているので、大変で ある。それにしても、集合論の講義を担当しているS先生も言っていたが、数 学の学生は講義の後色々質問しに来て面白い。今年の2回生が特に元気が良い からかしら。数理モデル論は、まだ7〜80名ぐらいの受講者がいる。

resolutionの計算の方は、元の証明等を見直してもよくわからない。別の 例を計算してみることにする。帰りもこの問題が気になって、ずっと考えて しまう。とても単純な見落としに気付けば解決しそうな気もするし、本質的 な問題なのかも知れないし。よくわからん!

帰ってから、今年新設された大学の何割かが、相当な定員割れを起こした というニュースを知る。いよいよ氷河期到来ですな。立命館大学が潰れたらど うしようかしら。放浪の数学者エルデスは、あまたの大学の終身雇用契約の申 し出を断り、世界中を旅して好きな時にあちこちの数学者を訪ね歩く自由を選 んだそうである。あちこちの大学から一時的に招聘されたり、数学の講演をし た謝金だけで80年以上の人生を過ごしたのだから凄い話である。エルデスの ようにはいかないけど、今のうちに「お座敷芸」を磨いておいて、どさ回りで もして食ってこうかしら。

4月14日(金)
早朝から大学へ。今日は朝一番と午後の講義。2週目に入って、2日連続合計 4連チャン講義にも慣れて来た。それにしても、いい加減な講義の癖は相変わ らず抜けない。「いい加減」というのは、話しながらふと思い付いた事をしゃ べってしまうという事である。ほとんどが思い付きと言ってもいいぐらいであ る。すると往々にして大抵計算を間違えたり、色々妙な事になって立往生する。 今日も午前午後の両方の講義で立往生した。実は大筋だけはあらかじめ押えて あるから、大抵は何とかなるのである。そして、私自身、心のどこかで立往生 から何とか脱出するスリルを楽しんでいるふしがある。はてまた、思い付きで しゃべった事が後で考え直せば説明不十分であって、翌週に追加説明をするな んて事もよくある。この辺は、数学の学生諸君などは、妙な説明をするとすぐ に質問してくれるから有難い。

学生諸君には大いに迷惑かも知れないが、先生が立往生すると、学生達も 一緒に考えていたりするので、刺激があってよいのである、と弁明しておこう。 もうひとつ弁明しておくと、全てが計算しつくされた講義よりも、教員がその 場で考えながら話す講義の方が、数学のライブを見ているようでよろしいので はないかと思う。欲を言えば、私が立往生から脱出する様子を見て、数学のや り方を学んでもらえればなおよろしい。

K先生によると、2回生の微積分の講義を教科書の順にやってくれないとこ ぼしている学生が居るようだ。私としては教科書に書いてある順に説明すると いう「人間教科書レーダー」をやるなんてヤーなこった、なのである。教科書は その著者の思考の流れに沿って書いてある。著者の思考の流れと私の思考の流 れは違うのである。従って、講義としては自分の思考の流れを停止して、 著者の思考をなぞっていくか、あるいは著者の思考の流れを私自身の思考で再 構成して話すかのどちらかである。私は講義の時間でも数学してたいから、後 者の方法を採用している。

この場合学生諸君の取るべき方法は3つある。その1:教科書は独自に読 み進み、私の講義ノートを参考書として使う。話す順序は異なるが、内容的に 教科書を外れた事はほとんどしゃべらない予定なので、きっと両者の連係が取 れるはずである。その2:私の講義ノートを中心に勉強する。教科書は、ノー ト整理の時の参考に使う。その3:講義は出ずに教科書だけで自分で勉強する。

オススメは1番の方法である。さらに教科書と講義ノートを見比べて、そ の内容を自分自身の思考で再構成して、自分独自のノートを作れば申し分無い。 自信のある人は3番も悪くはない。私も含めて昔の学生はほとんど3番の方法 で勉強したのである。数学なんて、自分で苦労して本を読まない限り絶対に身 に付かないのである。これは受験勉強の方法論の変化によって学生諸君の勉学 に対する意識がどう変わろうと、いまだに真実のままである。

昔は、講義を聞いてもわからないからと言って、下宿で自分でシコシコと 本を読むという学生が多かった。今の人は、講義を聞いてわからなければ「も う知らない!」と放り出すそうであるが。細かい所までわからないとわかった 気になれない人や、そもそも人の話を聞いてすぐには理解できない人(S先生な どはその典型である!)は、特に3番の方法がよろしい。講義を聞いて理解で きない程「頭が悪い」ようなことで果して数学で大成できるのだろうか?と不 安がる必要は無い。この手の「頭の悪さ」でも大成した人は沢山いる。いや、むしろ 理解が遅いからこそ大成した数学者の話というのはよく聞くのである。

最後に、2番はとりあえず単位だけ取りたい人向けの方法である。

講義の合間と後に新しい例を計算してみる。可換代数・代数幾何学専用数 式処理システムMacaulay2が、例の計算に使える事がわかった。これで計算 が加速しそうだ。

4月15日(土)
昼前に大学へ。Macaulay2で少し例の計算をやって、14時から5回生M君と Groebner基底のゼミ。早くGroebner基底やBuchbergerアルゴリズムの所を終ら せて、Elimination Theoryに進みたいものだ。Elimination Theoryは代数幾何 の古典的手法で、Grothendiek流の代数幾何の全盛期である1970年代あたりは 「過去の遺産」と忘れ去れていたようだが、現在では代数幾何の最も重要な方 法論の一つとされている。

S先生はシステム管理のため珍しく土曜日出勤。先日から何やら必要があっ て、卒業した院生の設定した環境を苦労して調べているようだ。S先生は、数 理科学科の計算機環境の整備を一手に引き受けているエライ人で、数理科学科 においては無くてはならない重要人物である。彼はシステム管理の成果を逐次私に報告 して(別に報告してくれと頼んだ覚えは無いのだが)、自慢するのが楽しみのよ うである。ワークステーションの配線の仕方もわからず、私にドヤシつけられ ていた数年前の事の彼とは、全く別人のような進歩である。彼は豊かな数学的 素養の持ち主ではあるが、もはや数学の研究には興味が無く(ずっと前から 計算機屋だから当り前ではあるが)、従って(例え数 学についての)雑談をしていても数学的インスピレーションを全く感じない所 が、私にはちょっと物足りない。勿論それはそれでいいのだけど。

4月16日(日)
休息日である。午前中はほとんど寝ていて、昼は買物に山科をうろつき、午後 は録画しておいた「ショムニ」を見て、次にドイツ語のビデオをみているうち に気を失い昼寝。夕方は散歩で、書店で少し立ち読み。夜は以前買いためてお いたNHKドイツ語講座のテープから作ったドイツ語MDを聞く。あとは「ファイ ナンスのための確率微分方程式」を少し読んだり、DG-algebra resolution と DG-module resolutionから、free resolutionを構成する方法について漠然と 思いを寄せたり。

4月17日(月)
本日は何も無い日である。計算でもしに行こうと(計算はどこでもできるのだけど) 昼前に大学へ。K先生から非可換環論に関する微妙な質問メイルが届いており、 昼食をはさんで色々考えたり調べたり。結局「非可換環論ならO先生に聞くのが一番 !」 とO先生に振るべく、K先生のメイルに返事を出す。その後計算をシコシコと行う。

風邪気味な感じなので、早目に帰る。帰りのバスと電車の中で、 「なーんで、今の計算で妙な現象が起こるのだろうなあー」と、ぼーっと考えている うちに、半分ぐらい納得できる答を思いつく。「半分ぐらい納得する」というのは、 単に現象がよくわかった、という程度の意味である。それから、 今の問題にこれ以上拘泥するよりも、別の問題に目を向けるべきだという気がしてく る。

夜、ドイツ語を少しやっているうちに、猛烈に眠くなる。これは風邪の症状だろ うと 思って早く寝る。

4月18日(火)
朝起きた時に調子が悪かった。体がだるく、かつ眠い。これは絶対風邪だと判断。 早い目に治しておかないと、木・金曜日の講義4連発を乗り切れない。 今日は何も無い日だから一日寝ていようと決心。途中食事 で起きつつも、夕方頃までスヤスヤと寝る。夕方頃目を覚まし、メイルをチェックし たら、 K先生から、昨日の非可換環論のことについてO先生から聞いた話についてのメイルが 入っている。体調もかなり良くなったので、散歩に出てみたが、やはりまだ体がだる い。

夜はまた早く寝る。

4月19日(水)
体調がかなり回復したので、昼前に大学へ。今日は午後から3回生の外書購読 だ。しかしまだ病み上がりの感じで、少しフラフラする。歳のせいか、風邪の ウイルスが進化しているせいか、治ったと思っても、しばらくするとぶり返す 事が多いので、まだ安心できない。

外書購読で学生2名をイジメているうちに、少し元気が出て来た。病気の 時は、若いコをイジメルにかぎるねえ!来週からは毎回3名ぐらいずつイジメ たいものだ。

数学教室に移って19日目の感想。「講義が多くて忙しいが、心静かでな ところである。」数学者にとって、暇でかつ心静かなのが一番である。「暇」 と「心静か」とどちらか一つだけ選べと言われれば、どっちかな?やはり「心 静か」かも知れない。物理的に「暇」でも、「頭が忙しい」状態では数学はな かなかできない。

A先生から、「数学研究会」のチュータやらんかね、という有難きお誘いあ り。やってみたい気もするが、前期は講義5コマに卒研1つで、ちとシンドイ、 と返答。後期は学生がドイツに来るならやってもよい。ビールとソーセージぐ らいならおごります。ポテトもおつけしましょうか?渡航費と滞在費までは面 倒見ませんから、悪しからず。まあ、今年は様子を見ましょう。

しかし、単なる線形代数とか微積分の補習ゼミっていうのなら、かったる いからやりたくありません。古典的名著を読むのなら話は別。若者よ!古典を 読みたまえ!1, 2回生で読めそうなものとして、微積分関係なら(古典ではな いけど、古典的内容を扱っている)M. ケッヒャー「数論的古典解析」とか、 (線形)代数関係なら1897年のD. ヒルベルトの不変式論についての歴史的 講義録 "Theory of Algebraic Invariants"ぐらいなら相手してもよろしい。 他にも 微積分+線形代数+位相空間 3点セットの話題として今や古典に数え て良いと思われる J. Milnor "Topology from the differential viewpoint" (三重大蟹江先生の翻訳あり)で、立命館の学生に特有の(?)幾何アレルギーを 解消(または増幅?)するのもまたよろし。

昔の(今でも?)京大教養部では、「数学ゼミ」という科目がちゃんとあっ て、単位ももらえた。教員も「数学ゼミ」のチュータをやれば、講義1コマ担 当と数えられて、他の講義が免除される、という大変良い制度であった。こう いうのがあれば良いのだが。

外国語常勤講師のP先生から、「ロンドンのIrekナントカからメイルが来て、 お前に会いたがっている」との事。そりゃあIrek Ulidowskiだろう。計算機屋 時代の友人のひとりであります。なつかしいですなあ。エコール・ノルマルの 貴公子Eric Goubaultとか、Christine P. Mohring 姫とか、INRIA(パリ)のデ イビット・ボウイにしてフランスのエスプリの複雑怪奇ぶりを体現している(?) Gerard Huetとかは、どうしていることか。でも、今頃会ってもしょうがない んだよね。「俺、もうずーっと前に計算機やめたから、今はなーんにも知らん よ。」としか言いようが無いし。いくら馬鹿でも何年か同じ事やっていれば日 本国内外の同業者の友人が出来て、それなりに人脈が作られていくけど、そう いうのをぜーんぶチャラにしてしまったんだから、しょうがない。しょうがな ければ、やむおえない。

これまでの例から少し離れて、次はGolod環の例を作って色々計算してみよ うと思い立つも、明日からの講義4連発に備えて早目に帰る。

4月20日(木)
体調不安。インフルエンザだと突然高熱が出るが、ゆうべは就寝中に寒気等の 気配を感じる。今日明日は講義4連発だし、こりゃあまずいと思い、夢うつつ で無敵パックマン・イメージトレーニングを行う。これは、さしずめ強力な牙 をむいたパックマンの形をしたリンパ球が、悪玉ウイルスを次々と食べていく 姿を一心に思い描くことで、これで少しは免疫力が高まるのではないかと思っている。 あまり効いたためしはないけど。

朝一番で近所の医者へ。大した事はないらしく、薬をもらって昼前に大学 へ。午後一番の微積分の講義をしたら少し元気が戻る。数学科の講義は、必ず 何か質問する学生がいて、いつもなが ら楽しい。夕方は情報学科の暗号の講義。Euclidの互除法を説明した所で、い つものおしゃべりグループが何やら騒いでいるので、「何やってんねん?」と 覗き込んでみたら、悪びれもせずに質問してくる。どうやら中学数学の簡単な 式変形の話がわからないらしい。途中で分数を使う話をしたけれど、この調子 じゃあ全然わかってない学生も多数居ることであろう。ま、情報学科ってのは それでいいのでしょうという事で、気にせずに先に進む。

Golod環の例の計算は超曲面環の場合はうまく行く。Stanley-Reisner環の 場合も計算してみる。Macaulay2にもうまく乗る計算なので、やりやすい。