8月1(火)
8月である。8月と3月は大学教員にとっては稼ぎ時である。ここで研究しな いで何時研究するのだ。ゆうべは久しぶりで良い夢を見た。例の「読みにくい 論文」について色々考えているうちに、面白い事を発見して、それを一所懸命 夢の中で証明しているのだ。残念ながら、何を発見して何を証明していたのか 全然覚えていない。

午前中に大学へ。本日は「読みにくい論文」の続編にあたる論文を読む。 「読みにくい論文」は2名の共著で、著者のどちらが論文を読みにくくしてい るかは大体わかる。一般に読みにくい論文には論理の筋道がゴタゴタしている ものと、証明のギャップがたくさんあるものとがある。この論文の場合、論理 の筋道は明解で、証明にも大きなギャップは無いのだが、所々どうにもわかり にくい議論をしているのが難点である。結果とアイディアは斬新であるが、そ れが退屈な議論で導かれているところが何とも不満なわけだ。でもこういう論 文は、「まだこれに関して何かできそうだ」という気がそそられて後に引く。 夕方になっても、まだ昼食のゲップが出るようなものである。実際はもう何も 残されていないのかも知れないが。続編の論文は、読みにくい証明を書く方が 抜けて、新しく別の著者が加わって書かれたものなので、ずいぶん読みやすい。 読みやすい論文は、往々にしてその先がもう無いかのような気がしてしまい、 これもまた厄介である。実際は面白い問題が潜んでいるのを見落としてしまい かねない。私が見落とした問題を誰かがやってしまい、「しまった!」と思った 苦い経験も無きにもあらすである。数学が人生の縮図ではなくて、人生が数学の 縮図なのである。

日本数学会の学会誌最新号に「社会における数学」という特集が出ていて、 企業の研究者(数学出身者とは限らない)が何人か意見を書いている。中には数 学の事は眼中に無いかのように、自分の専門のコンピュータグラフィックス (CG)の話ばかり延々と書いているだけの人もいる。この人はCGに深くのめり込 みCGを深く愛しているのだ、という事だけはわかる。しかし、他の著者は概 して今日明日の実用性とはややかけ離れているとは言っているものの(これは 事実だから仕方がない)、数学の重要性はきちんと認識している。その意味で まともな意見が書かれていると思う。一流どころの企業人というのは近視眼的 なようで、案外視野は広いものだ。私の会社員時代でも、そう感じた事は多々 ある。

数学セミナー別冊「数学のたのしみ」20巻"小平数学の調和と美"には、 京大の佐藤雅彦先生の「ぼんやりのすすめ」なる文章が出ていた。佐藤雅彦先 生は神戸大の林晋先生と並んで、私の理論計算機科学者時代の師匠である。こ の文章には、学生が良く発して我々をうんざりさせる「この勉強をやって何の 役に立つのですか」という質問に対する明解な答が示されていて、なるほどと 思った。私の言葉で言い替えると、あらかじめ何の役に立つか全てがわかる程 人生も世界も薄っぺらなものではない。自らその勉強に入っていって、自分が 成長したときに初めて何の役に立つかわかる事が沢山あるのだ、ということだ。 大学でも、学生に対してあらかじめ何の役に立つか全て説明できる講義ばかり にしてしまうと、とても薄っぺらな学科が出来上がってしまう。

あと"小平数学特集"をさらっと眺めて思った事は、やはり学生時代に解析 をサボった事は、私の数学人生の中の最大の誤りだということだ。解析を やらずして数学の豊かさを語るなかれ。

8月2(水)
午前中は久ぶりに京大へ。吉岡書店を冷やかしたり、ルネで本を買ったり、数 学教室と数理研をうろついたり。京大では(代数的)代数幾何学と可換環論の卒 研は担当教員が2名で、学生は合計10名以上いるようだ。えらい人気である。 私の学生時代は合計3名しか居なかったが。京大近辺をうろつきながら、例の 「読みにくい論文」のアイディアについてぐずぐず考える。どうも基本のアイ ディアはものすごく簡単な事のようだ。

昼過ぎ大学に戻る。「読みにくい論文」の続編の「読みやすい論文」の一 箇所が昨日からわからず。しかし具体例を計算したり時々サボったりして、数 時間ぐずぐずやっているうちに何となくわかってしまう。もうひとつ「読みに くい論文」の『前編』があるが、これは気になる結果をさらっと拾い読みして 終る。色々ゴタゴタやっているが、現段階ではどうも本質の所から離れた議論 のような気がするからだ。余り論文を読み過ぎるのも良くないような気がする。

明日からサーベイ・ノートに戻って、もう一度全体的に見直してみること にしよう。

8月3(木)
昼頃大学へ。3回生A君から、近況報告とも前期試験の言い訳ともつかないメ イルが来る。本日留学準備の雑用でWebをあちこちアクセスしまくる。色々な 事が全てWebで調べられるのは便利だが、何と言っても通信速度が遅い。昔の ハッカー(これは「スーパー・プログラマー」の意味であって、昨今話題になっ ている「不正アクセス常習犯」の意味ではない)は、プログラムのコンパイル をしている時間に短い睡眠を取ったと言われるが、新しいページにアクセスし ている時間に数学をやる、という調子には行かないところが残念。夕方頃ひと 段落し事務に成績表を提出した後、サーベイ・ノートの検討を開始する。

夕方"○んこ"君と大学院進学について少し雑談。少し心配な事があって彼 を呼んだのだが、杞憂であった。ジャイアン君も来週院試らしいが、どうなる ことやら。4回生以上は院試か就職活動で、3回生以下は夏休みで帰省。しば らく大学もひっそりしそうだ。

教員によって「優秀な学生は立命館の大学院へ、然らざる者は国公立大の 大学院へ行きなさい」という人とその逆を言う人がいて、混乱している学生も いるとか。これは一般論と考えるから混乱するのであって、その教員の下で大 学院生活を送るか否かの選択だと考えた方が良いだろう。つまり誰がそう言っ ているかが大事なのであって、教員毎に言う事が違ってても別に矛盾している わけではない。S先生はどちらかというと「優秀な学生は立命館の大学院へ」派 のようである。まあ計算機代数をまじめにやりたいのなら、日本ではS先生を おいて他に無いでしょう、と言っておこう。 (まあかなり真実である!)しかしS先生は、原則として博士課程には進学させない方針のようであ る。「俺の所で博士課程やる元気があるなら、アメリカに留学しろ。その元気 が無いなら民間会社などに就職しろ。」と言いたいようである。勿論民間会社 に就職したら、計算機代数はまず続けられないと思って間違いない。

では、私はというと、「まじめに考えた事はありません」というのが正直 なところ。少なくとも博士課程の学生を取る気は無い。代数的代数幾何学で数 学者になりたければ、「断固として」修士の段階から国立大の大学院に行くべ きである。可換代数で数学者になりたければ、「できるだけ」修士の段階から 国立大の大学院に行くべきである。間違って私の所に来て、それでも博士課程 進学を考えるのならば、修士論文の内容次第では他大学の適当な先生に紹介し て、そこの博士課程で面倒見てもらうように斡旋するぐらいの事はやるでしょ う。場合によっては外国の大学(たぶん私が秋から滞在する大学)に「放り出す」 こともあるかも知れません。

8月4(金)
昼前に大学へ。久ぶりにH先生の「英国だより」が更新されていた。何だか楽 しそうである。色々な事件で「がーっしゅ・・・」(Gosh!のことか?)とH先生 が半泣きになっている様は、(本人にとっては災難なのだろうが)想像するだけでも「楽 しそうやね」と言いたくなる。(「楽しんで」いるのは私の方か?)またいくつ かの国際会議と研究集会に参加したH先生は、「数学はますますコニュニケー ションの学問になりつつある」と書いているが、それに対して困った事だと思っ ている事も含めて全く同感である。数学は多くの研究者同志の議論によって 問題を見出し、解決の糸口を探るという傾向が益々高まってきているように 思う。Kaz先生によると、「一人籠って好き勝手な事を考える」というのが 昔の京大数学科のスタイルだったそうで、それが最近崩れて来ている(らしい) のは残念な事だという。

かく言う私は、学生時代に大学院入試に落第して就職活動をする際、会社の 人事課に電話するなんて恐ろしい事はとてもできなかった。で、「明日は絶対 電話するぞ」と眠れない一夜をすごし、睡眠不足でぼんやりしているところに強い酒 をぐいっとあおって、「この野郎〜!やったるでー!」と無意味な勢いをつけ てから電話ボックスに走ったのであった。私の学生達が、バイトの面接だとか、 会社訪問だとかで気軽に電話を掛けているのを見るに、彼らは私の学生の頃よ りうんと先を行っているなと感心する次第である。現在の私は、ウブな学生時代 とは全然違って相当ずうずうしくなり、かなりのスレッカラシである。「こ んな私に誰がした」と言いたいところであるが、コニュニケーション能力に問 題をかかえている事は基本的には変わっていない。

「数学の楽しみ20号"小平数学の調和と美"特集」には、小平邦彦先生も 特に初対面の人と話すのが大変苦手であったとか、同僚の数学者に"Kodairaは 声も小さく、会話の中で聞き役に回ることが多いので損をしている"と言われ ていたとか書いてあった。コミュニケーション能力の不足は、歴史的業績でも あげない限りカバーし切れないとすれば、大変な事だなあと思う。

午後は情報5回生M君と消去理論のゼミ。ゼミの後、個人研究室の模様変え を敢行。ずいぶんすっきり広々と変身した部屋で、サーベイ・ノートの検討。 新たに読むべき論文(昔コピーを取って放ったらかしにしていたもの)が浮かび あがってきた。サーベイ・ノートは結果の抜き書きと証明のアイディアだけま とめて20ページ程度で押えたいのだが、文献表込みで既にTeXで40ページ を超えている。困ったもんだ。しかしこれを作らないと、一つの方向で考えて いる途中で既に忘れ掛けている別の方向の話が出て来て、それを見直している うちに前の話を忘れて、という風に「モグラ叩き状態」になってしまう。 そういえばアレはどういう話だったっけ?という時に、さっと見直せる ものがあるととても便利だ。

8月5(土)
夏休みの土曜日である。しかし数学者に休日は無いのである(嘘?)。昼頃大学 へ。今日はサーベイ・ノートの整理と追加の論文読み。

ところで理論計算機科学をやっている時は、サーベイ・ノートなんて作っ たことは無かった。最先端の研究といえども話はうんと単純で、3つぐらいの 方向を頭に入れておけば、あとはポツリポツリと出て来る新しい論文をフォロー して、頭の中のイメージを少しづつ成長させていけば十分だったのだ。ひとつ の論文も、だいたい1時間ぐらいで読めて、結論とアイディアも一言でまとめ られるぐらいに単純であった。話が単純だからと言って新しい結果を出すのが 簡単というわけでもないし、それなりにシノギを削るような競争もあったのだ が、今から思うとのどかな世界だったように思える。それに3つの方向のうち の少なくとも1つについては日本が世界の中心地であったから、情報も色々入 りやすかった。

月曜からしばらく帰省し、かつての栄華は見るべくもなくさびれ果てた、 三重県津市の旧市街(今はそう呼ぶべき現状である)で鰻を食べまくる予定であ る。次の日誌の更新日は未定である。

8月6〜10(日〜木)
しばらく実家で頭を空にしてきた。私は回りの雰囲気でモードが変わりやすい のだが、三重県津市に数学者モードの触媒となるものは何も無い。そこで出会 うものは、高校までのちょっと頭のおかしい高山少年としての自分と、浦島太郎の 玉手箱よろしく、ボワワ〜ンと白い煙とともにいつも間にか年月が経ってしま い、遠からずクタバってしまう「その辺のオッサン」としての自分だけである。 「ちょっと頭のおかしい高山少年」と「その辺のオッサン」の間には、さまざ まな紆余曲折、捨てる神あれば拾う神あり、人生万事塞翁が馬、因果はめぐる ちゃんちゃこりん、善人なおも往生すましていはんや悪人をや、祇園精舎の鐘 の音盛者必衰の響きあり、昨日の猫より明日の鰻、明日出来る事を今日やる事 なかれ起きて働く馬鹿者どもめ!、ウオの目より蛸の目、口から出任せこけ徳 利等々があったはずだが、そういうのは津に居ると全て霞の彼方のウタカタの 夢に思えてしまうのである。要するに自分の人生がアンコ無しの饅頭の皮だけ のように思えてしまうわけで、これは立派な自我の危機であります。

これではいけないと、私のお気に入りの三大鰻屋であるT屋, I屋, D屋の3 店に精力的に通い、鰻丼を食べまくる。日程がうまく調整できず、昼はI屋夜 はT屋と昼夜2連チャンで鰻丼を食べたりもした。もう一件S屋という店もある のだが、私の鰻屋ランキングでは番外の扱いとなっている。従来ランキングは T屋, D屋, I屋の順に1、2、3位でS屋は番外であったが、今回の調査ではI 屋が健闘しT屋が味を落し、結局I屋、D屋, T屋の順であった。番外のS屋は調 査対象にも入れていない。

しかし鰻などきで「自我の危機」が解消される程世の中簡単でもなく、三 重県津市なんかにいると、数学者である事をすっかり忘れポヨヨ〜ンとしてし まう。数日過ごしたら頭がカチンカチンにこってしまい、どうも調子が悪い。 しばらくリハビリが必要だ。

リハビリをしようと10日午後津から直接大学に来ると、S先生が奥さんと 一緒に個研室の掃除をしていた。これはBKC始まって以来の大事件である!立 命館を引き払ってどこかへ行ってしまうのか?とか、何か自分の死期を悟って 身辺整理でもしようと思ったのか?とか、滋賀の夏が暑過ぎて頭がおかしくなっ たのか?とか、色々聞いてみたが「いや、余りに汚いので掃除しようかと...」 という返事を繰り返すばかりである。「いや、余りに汚いので掃除しようかと...」 といセリフがS先生の口から出る事自体が異変なのである。しばらく 彼の動向を注視しなければならないだろう。