8月11(金)
昼過ぎに大学へ。本日も引続き「自我の危機」のリハビリ。1年前のサマース クールの講義録を読み返そうかと思ったが、追試の問題作りとその他の雑用で ほとんど終る。まあ、それでも多少なりともリハビリ効果はあったと言えよう。

ところで男の場合は30代後半あたりに「中年の危機」(Middle Age Crisis)というのが訪れるようだ。(女の場合はもう少し早くて30代前半のこ とが多いようである。)テレビでもそういった番組をやっていた事があるし、 同世代の友人達と話していても同じ事を経験しているようだ。30代というの は一番仕事が出来る時期で、夢中になってやっているのだが、40才の声が聞 こえる頃になると、急に自分のやっている事の価値や重みに疑問を持ち始め、 自分の人生の先が見えてしまったような気分になる。一体自分は何をやってき たのだ?色々やってきたように思っていたけれど、全然大した事は無いのでは ないか?そして、このまま大した事もやらずに人生終ってしまうのだろうか? という考えにとらわれてしまうのである。物凄く成功しているような人でも、 そういう事を考えるようである。

大抵の人は数年悩んだ末に、このまま地道にやって行こうと決意したり、 少し方向転換してみたり、はてまた私のように今までやって来た事を全部放り 出して全然違う事をやってみたりする。こういう調子で大体40才ぐらいで落 ち着くわけである。「四十ニシテ惑ハズ」とはこのことを言うのであろう。言 い替えれば「中年の危機」を乗り越えた40代のオッサンというのは、フテブ テしいのである。私なんぞは、「中年の危機」ばかりか、最近は帰省の度に 「自我の危機」に襲われるので、その度に少しずつフテブテしさは増大し、天 下無敵の頑固オヤジの完成もそう遠くはないものと思われる。

さて突然奥さんと個人研究室の掃除を始めたS先生だが、「お前の日誌のせ いで、いい迷惑だ!」と不満そうである。S先生の個研室の「惨状」はこの日 誌でも度々取り上げられたが、なんとそれらがS先生の奥さんの目にとまり 「夫がだらしないのは妻のせいだと思われては困る。この状態を放置してはな らぬ。」という事で、断固掃除をすることになったそうである。「夫がだらし ないのは妻のせいだ」という理論は私にはよくわからないが、私の妻も同じよ うな理論をタテに、やれ鬚を剃れだの卒業式にジーンズとセータというのはもっ てのほかだのというような事を言う。そういえば、子供の頃は母親にも同様の 事を言われ続けていたような気がする。 私の大学時代の友人にしてS先生を上回る「散らかしの天才」であるY君の 場合も、カオスの極みである個人研究室とは裏腹に、奥さんの完全支配下に ある自宅は完璧なまでに綺麗に整理整頓されている。 母や妻がしっかりしていても、だらし ない息子やだらしない夫は勝手に育つのだし、いちいち母親や妻が責任を感じ ることも無いのではないかとも思うのだが、そういうものでもないらしい。世 の中は難しいものだ。

さて、見違えるようにきれいになった部屋でS先生はまんざらでもなさそう である。しかし彼は「俺はきれいな部屋よりもこちらの方が嬉しい」と、新し いパソコンのソフトをいじって御満悦の様子である。「中年の危機」を乗り越 えたオジサンは一筋縄では行かないのである。

8月12・13日(土・日)
12日午前中は自宅で追試験問題の仕上げ作業。午後は色々あって関西国際空 港に9月出発の下見も兼ねて「遊び」に行く。夜はNHKスペシャルの「四大 文明」黄河文明を少し見て寝る。私は青銅器に刻まれた文様の美しさに見とれ たり、スキタイの金工芸の方が意匠に動きがあっていいなと思ってみたり、黄 砂の特殊な性質に目を見張ったりしていただけだが、A先生はこの番組を見て 立命館大学数理科学科の「長期戦略」に思いを馳せていたらしい。うーむ、な ぜA先生はこうも熱血なんだろう。この違いは大きい。

13日も自宅。夏休みの宿題のように事務から送られてきた書類の作成を したり、ドイツ出発の準備に関連したことを色々やったり、散歩をしたり、高 校野球甲子園大会を見たり。

大学はさすがにお盆休みで生協も事務も完全休業。さらに学生も帰省して 姿を見せず。最近数学教室で流行りのWeb日記も、学生の分は更新が止まった ままである。大学に来ても、研究以外にする事がない「異常な状態」である。 こうなると、少し気が抜けたような気分になる。

特に私大の教員は、普段は「学生まみれ」になっているわけだが、例えば 京大の数理研などの教員は、毎日こういう生活をしているのであろう。企業や 国公立の研究所でもそうである。そういった所では事務体制や役割分担が割合 しっかりしていて、ヒラの研究員はほとんど毎日「研究以外にする事がない状 態」である。これが正常な状態であり、そうでないのが異常な状態である。企 業の研究所から大学に移ったばかりの頃は、一日の研究時間が半分以下に減っ てしまった事にかなり焦ってしまったが、今はそれが当り前という気になって いる。こういう慣れというのは怖いと思う。

しかし、企業の研究所の研究員というのも、身分が大変不安定である。明 日から営業に配置転換されて、研究者生命が絶たれることだって十分ありうる。 そもそも企業で「研究員」といえば、たまたま研究所という名前の部署に配属 された社員という意味であって、個人の資質に深く関連した「研究者」という 概念ではない。あくまでひとりの「社員」が配置転換によって「研究員」になっ たり「営業部員」になったり「管理部要員」になったり(そして場合によっては 「リストラ要員」になったり!)するだけだから、今日 は研究所、明日は営業部、というのは当り前なのである。

それに企業においては、「研究所」は研究する所とは限らない。製造部門 部門というのは経理的に人員や予算がかなり固定していて、予想外の製造計画 の遅れや人員不足が発生した時に、必ずしも柔軟に対処できない。「研究所」 はその点ではわりあい余裕を持った人員構成になっているので、製造部門の応 援要員をプールしておく場所にもなっているのである。で、製造部門からの 「委託研究」という形で「研究所」に仕事が回ってくるのだが、それは研究的 要素はほとんど無く、場合によっては製造部門が作った設計所通りに物を作る だけであったりする。つまり「設計」という創造的要素さえ無い場合もあるの である。

企業の「研究所」でも、研究とかただの物作りとかの区別にこだわらず、 ただ物を作ってそれが世に出て行く事が楽しいという純然たる技術者魂を持っ ている人にはたぶん天国である。しかし多少なりともアカデミックな事にこ だわりたい人には、たとえ毎日「研究以外にする事がない」状態でも面白くな い。これが企業の研究所の若手研究員が大学に移りたがる理由である。

国公立研究機関はどうか。国立研究機関は、企業の研究員から見れば天国 のような所であるが、40才ぐらいからはあまり居心地が良くなくなるそうで ある。30代ぐらいで研究業績を挙げて、40代ぐらいでどこかの大学に移る というのが暗黙のルールのようになっているらしい。大学の職を見付けるのも 結構大変で、研究条件の良い大学にポストが見付かれば良いが、相当条件の悪 い大学にやむなく移る場合も多々あることであろう。公立研究機関の場合は、 私の知っている限りでは予算的に苦しい所が多く、企業などから委託研究を獲 得して食いつながねばならない所が多いようだ。当然自分の好きな研究ばかり やっておれず、企業受けする研究(ということは、必ずしも研究としては面白く ない事を意味する)の比重は大きくなる。また、国立研究機関も 独立法人化によって、企業の委託研究で食っていかねばならなくなるだろう。 また、特定の企業の特定の研究所は国立研究所に近い「天国」だったりするが、 やはり30代半ばぐらいから居ずらくなって、企業内の製造部門や大学への転 身を考えなければならない事が多い。

まあ、それやこれや考えると、研究者としての人生を全うするのは大変難 しい。今のところ(これからはどうなるか分からない!)研究者としての身分が 一番安定しているのが大学教員である。ということで、私は自分の好きな研究 するために大学に来たのである。例えば、大学で「企業受けする」委託研究ば かりやってたのでは公立研究機関と変わらないし、学生の指向性がどうのこう のという非学問的理由で「今日明日の世の中のニーズに合った」研究ばかりやっ ていたのでは、企業の研究所と変わらない。むしろ、そういう事をやるなら公 立研究機関や企業の研究所の方がうんとやりやすい。 企業なら大卒5年目10年目というベテラン研究員を何人も使って研究できるが、 大学なら多くの場合高卒4年目から大卒2年目ぐらいの「素人集団」だけで研究 しなければならない。しかも彼らはバイトとか就職活動とかで、フルタイムで 研究に専念できないし、必ずしも研究室のプランに沿った研究をしようと 思っているわけでもない。これでは研究競争で勝ち目は無いし、 何も好き好んで企 業の研究所から大学に移る必要は無いのである。 したがって、大学は大学でなければできない 研究をやらなければ存在意味が無い。

と、いうことで「気が抜けたような気分」なんて言ってちゃあイケマセン。

8月14(月)
弁当持ちで午前中から大学へ。「自我の危機」は解消し、また少しフテブテし くなって、サマースクールのノートを読み返したり、出発の準備に関連した事 をやったり。まあサーベイも大体終盤に近付き、考えるべき問題も見えて来た。 昔私があるプログラムに沿って考えていて途中で投げ出した問題も、新たに発 見された全く別の観点から多少進展したこともわかった。また、どうやら大き な問題がドカっとあって、皆さんそのまわりで色々手を変え品を変え苦心して 少しずつ結果を出していることがわかってきた。今後自分がどこまでその問題 に食い込む事ができるのだろうか。気分は半分ドイツに行ってしまっている。 ドイツから手ぶらで帰ってくるような事にならないよう、せいぜい頑張ること にしよう。

午後S先生が雑談しにくる。最近色々懸案が解決したらしく、気分は上々の ようだ。帰り際に私の部屋を眺めまわし、「俺の部屋の方が綺麗だな」とニヤ リ。

8月15(火)
弁当持ちで今日も午前中から大学へ。サーベイ・ノートを中心に色々考えたり 整理したり。S先生の部屋はますます綺麗にかつ広々となっているが、ベンチ プレスやエアロバイクを置くつもりは無いそうだ。彼が国立研究所勤務時代は 職場に筋肉増強マシンを持ち込んで、呆れ果てる同僚上司達をものともせず嬉 しそうにトレーニングしていたし、結婚当初は狭いアパートの一室が筋肉マシ ンで占拠されていたそうである。それを思うとS先生もそろそろ「焼きが回っ た」のではないかと思えてくる。あの頃の「筋肉が全て!」という阿呆パワー は何処へ行ってしまったのだろう。

明日は大文字山焼きである。これには色々思い出がある。20年前の京都 (正確には山科)は田舎だった!なぜなら、お盆の時期には全ての店という店が 休業したのである。大学1回生か2回生の頃、お盆前に下宿の冷蔵庫を空にし て帰省した。津に帰ってから高校時代の悪友と会い、急拠大文字山焼きを見に 行こうという話になり、悪友と二人で京都に戻ってきた。当然飯を食わねばな らない。飯屋は全て閉まっている。何か作って食べようということになったが 冷蔵庫は空である。仕方がないので、そこらへんを歩き回ってどこか開いてい る食材屋は無いかと捜したところ、八百屋が1件だけ開いていた。そこは現在 A先生の住いの近くで、現在クリーニング取り次ぎ店になっている所だが、市 場が休みのためしなびれたナスしか置いてなかった。で、仕方が無いのでナス だけ買って、ナスの味噌汁、ナスのいため、ナスの丘刺身(これは母方の田舎 に伝わる特殊なメニューである)、ナスの味噌あえを作って食べることにした。 これはけっこうこたえた。そしてこの事は「恐怖のナスビ・ツアー」として長 く語り継がれることとなった。お盆だからといって、これほど徹底的に休む都 市も珍しいと思ったものだ。私の故郷の三重県津市でもそういうことはない。 しかし、こういう経験をしておくと、後に海外出張をする際に、バカンスや休 日で一斉に休業するヨーロッパの町というものが容易にイメージできて、十分な事 前対策を取るのに役立った。危機管理のセンスは経験によって養われるのである。 案外昔の京都の方が、国際的だったのかも知れな い。しかしいまだにお盆の前になると食料を買い貯めしようとウロウロしてし まい、家族に笑われてしまう。今や山科も「資本主義経済の勝利の象徴」であ るラクト山科も開業し、スーパーもファミリー・レストランも毎日のように営 業している。

また大学の体育の時間に大文字山までランニングをした事がある。高校ま での体育というのは、いきなり100メートル走をさせられて、その時間の順 に成績をつけられたりして、足の遅い私にとっては憂鬱で不条理な授業でしか なかった。しかし大学の体育の授業というのは、とにかく週1回強制的に運動させる 事だけが目的で、生まれつきの運動神経を測定して成績順に並べるのが目的で は無かったから楽しかったものだ。大文字山ランニングの後、現在Y大の「散 らかしの天才」Y君と一緒に再び大文字山に登って「見える見える都が見える。 きれいだなあ」(これは小学校の国語の教科書に出ていた物語の中のセリフの 一つである)とか言って上機嫌になっていた。その10数年後立命館の教員に なって最初の年に、衣笠キャンパスの現在の洋洋館の屋上で大文字山焼きを 見ることができた。遠くで頼り無し気にちろちろと燃えさかる大文字を 眺めながら、「東(ひむがし)の国に都落ちすること10年、 やっと京都に戻ってこれたのだな」と感慨にふけったのであった。

大学を卒業して東京に出た時、活気に満ちた街と、長く東京に住んでいる人達 のさっぱりした気風にすがすがしい思いがしたものである。確かに楽しい10年 であったが、やはり数学のような浮き世離れした学問をやるには京都が良い。

8月16(水)
またまた弁当持ちで午前中から大学へ。今日はいくつかの問題について、サー ベイ・ノートをもとに悶々と考える。まあ、やっと研究らしい作業になってき たといえよう。

昨夜、数学教室書庫で借りて来た、ある分野の日本人数学者達の物語を少 し眺めていたところ、「第一次大戦中には高木貞治の類体論が完成した。しか し第二次大戦中にはそれに匹敵する研究は日本からは何も出なかったではない か!」というくだりがあった。この本の著者は岡潔の多変数解析関数論につい ては知らなかったのだろうか、それとも何らかの意図で無視したのだろうか。 20数年前の古い本であるが、当時はこの記述が相当物議をかもし出したこと だろう。(そういう話をどこかで聞いたような気もする。)

ところで数学者のコミュニティーは皆和気あいあいかというと、そうでも ないらしい。20世紀を代表するような偉い数学者同志が犬猿の仲だとか、学 会の講演の時に大喧嘩をしただのという噂を聞いた事がある。私自身は誰と誰 が仲が悪いかという具体的情報はほとんど知らない。喧嘩の原因はたぶん価値 観のぶつかり合いだと思われる。数学では「面白いかどうか」が唯一最大の価 値基準であるが、何が「面白い」かは数学者の間で大体一致しているものの、 完全に一致しているわけでもない。で、世界をリードする一流数学者 同志が、「お前のやっている事なんぞつまらん!」「何を言うか!」式の争い をするのだと思われる。世界のリーダーを自認する誇り高き数学者同志がこうい う争いをすると、タダゴトでは済まないことは容易に想像できる。いずれにせ よ、私には関係無い雲の上の話である。しかし喧嘩できるほど偉くなってみた いものだ、という気もする。

数学者同志の人間関係も結構難しいという説があって、そういった事に物 凄く気を使っている物凄く偉い数学者もいる。じゃあ物凄く偉いわけでもない 私は、物凄く気を使う必要はないのかといえば、それは謎である。何せ子供の 頃から言いたい放題の性格のため敵ばかり作って来て、中学や高校の卒業アル バムを見るたびに、「こいつにも嫌われた。あいつにも口きいてもらえなくなっ た。」と膨大な「敵のリスト」が生成され暗然としたりする私である。あと2 0年ぐらい遅く生まれていれば、イジメ地獄にあって追い詰められて爆発し、 少年法のお世話にならなければならなかったかも知れない (私は学校が平和だった最後の世代の人間である)。 そういう事を思う と、案外「雲の上の話」と無関心ではおれないのかも知れない。

8月17(木)
今日もまた弁当持ちで午前中から大学へ。昨日にひきつづき、サーベイ・ノー トをもとにいくつかの問題について悶々と考える。五山送り火も終り、おまけ に今日は先日までのカラリと晴れた夏空とはうってかわって、体の表面にジリ ジリとまとわりつくような変な暑さの曇日である。夏ももう終りなのかなあ。

学生時代の1年先輩のN大U氏のHPに、2002年度から実施される新指導 要領の中止を求める署名運動ページ NAEE2002がリンクされていて、先日署名し た。これは「ゆとりの教育」という美名のもとに、数学や理科で先進国中最低 水準の授業時間数と、教科内容の大幅な削減(というよりも空洞化と言うべき かも知れない)を実現するもの。昨今話題になっている学力崩壊について、文 部省はそれを食い止めるための新指導要領だと主張し、大学を含む教育関係者 の多くは新指導要領はそれを加速するものだと主張している。

授業時間を変えずに教科内容を減らせば「ゆとりの教育」になるかも知れ ないが、授業時間も教科内容も同時に減らせば、授業内容がわからない事には 変わりはないし、単に遊ぶ時間が増えるだけである。特に数学などは、色々な 例の解析や計算をやりながら、ゆっくり理解することが大事である。そうでな いと理解できないし、理解できないと暗記に走り、数学が暗記科目になってし まうのである。暗記科目の数学だったら、私だってやる気が起こらない。他の 教科でも、通りいっぺんの内容を短い時間でさらっと流せばよく理解できるし、 勉強する意欲が湧くはずだと考えるのは、あまりにも粗雑な思考である。ただ、 新指導要領に反対している人達の中でも、授業時間は据え置きで教科内容だけ 減らせば良いと考える人と、授業時間も教科内容も減らしちゃあいかんと考え る人がいるようである。私はどちらかと言えば前者に近い意見である。

どうもこの10年ぐらいの間、社会は子供達に対して「勉強する事に意味 は無い」というメッセージばかりを送り続けてきたのではないかという気がす る。子供は遊ばないと馬鹿になるが、勉強しなくても馬鹿になる。最近は死語 になってしまったようだが、昔から「よく遊び、よく学べ」というではないか。 勉強する動機が受験以外に無く、少子化でその動機が薄れ、後に残るのは「勉 強なんかしなくて良い」というメッセージだけになるのは非常にまずい。複雑 化した社会の中で、日々経験する事柄の意味や背景を理解し、刻々と変化して いく社会の中で活動していくための知識や技能や理解力をつけるには、やはり 勉強しないとだめなのだ。今流行り(?)のフリータでも、自分で勝手にやって いる分には放っておけば良いかも知れないが、単純労働以外の 職業に就くだけの学力が全く身に着いていないために失業状態になっている 不本意フリータの場合は、本人が何よりも不幸であろう。

そういった事よりも、「私の今までの人生で2次方程式を解いた事は一度 もない。だから2次方程式を教えるのは無駄だ。」とか「勉強嫌いでも立派な 経営者になった」とかいう、局所理論をそのまま大域理論に拡張できると錯覚 したような論理ばかりが強調され過ぎているように思う。2次方程式うんぬん の意見は、京大のU教授の指摘するように「私は今まで俳句なんか詠ん だ事が無い。だから俳句なんて教えるのは無駄だ」というのと同様の論理であ るし、「私はたまたま英語を使う職業にはつかなかった。だから学校で英語を 教えるのは無駄だ」というのとも同様の論理である。要するに、年寄りの人生 の結果論によって、未来のある若い人達がこれから人類が継承してきた文化を 楽しむ可能性や職業選択の可能性を最初から奪おうとしている意味で良くない のである。

8月18(金)
今日もまた午前中から弁当持ちで大学へ。サーベイ・ノートをもとに悶々とす る。「悶々とする夏」と言えば聞こえは悪いが、本人は結構幸福な気分である。 ドイツ留学というのも、とどの詰まりはビールを飲んだりソーセージを食べた りしながら「悶々とする」ために行くわけである。そんな事なら日本に居ても できるではないか、と言われるかも知れないが、誰に邪魔されることなくたっ ぷり「悶々する」ためには日本脱出が一番なのである。ところで今日は何だか 連立一次方程式をせっせと解いてばかりいたような気が する。途中気晴らしに高校野球の途中経過を見に行ったり、7階の学生の溜り 場を何となく覗いて元祖天才君に"やらせ質問"をして話しかけてみたり、 その隣の学生のパソコンを覗き込んで、これが今流行っている四川省ゲームか、 なーんだ10年ぐらい前によくやったmajongのことではないかと思ってみたり。 あれで終了時間を競うのが流行りなんだな。

昼は学系事務室で弁当を食べながら高校野球を少し見る。智弁和歌山 vs PL学園の試合である。3回の表智弁がホームランを2つも打って5対0でリー ドしたところで部屋に帰る。高校野球は面白いが、時間を食う。若い時は野球 のような間延びしたものをのんびり見る気がしなかった。今でもそういう気分 は多少残っている。スポーツは見るよりも自分でやる方が面白いが、野球とい うのは投手、補手、内野手ばかりが忙しくて、それ以外は外野で球が飛んでく るのを待っていたり、打順が回ってくるのを待っていたりで、案外ぼんやりし ている時間が長い。

小学校時代少し草野球をやったが、外野に回されて退屈なので草むしりなんぞ をしている と、急に球が飛んできてびっくりして見逃してしまう。そうすると「ボケ!ア ホ!」とかどやされて、最後には「補欠」として見学にまわされたりする。打順が回っ てくると「代打だ」とか言って打たせてもらえない。後に高校の体育の授業でわかっ たのだが、私は打つ方は案外イケルのだが、外野で草むしりなんぞしている奴 は、どうせ打てないだろうという推定が働いたのだろう。いずれにせよ、草野 球というのは私にとって退屈極まりない時間で、早々と「引退」してしまった。 「人生の浪費」という概念の原型は、この頃に獲得されたと思われる。

小学校時代は、クラスで運動が得意な連中がピッチャーや内野や 4番バッターを独占し、草野球を仕切っていた。それが高じてクラスまで仕切 る。野球というのは、サッカーやバスケットボールやバレーボールと違って、 ポジションによる働きというか、重みの違いが大きい。子供の頃流行った野球 スポ魂漫画もピッチャーと強打者だけが花形で、あとは花形選手を支える脇役 のような感じに描かれていたと思う。その気分の延長で、連中は子供の世界の全て のヒーローになった気分でいるわけだ。年中外野の草むしりにして、打順すら代 打に奪われていた私としては、それが我慢ならなかったものである。

そういう事があって、20代の頃までは、野球というものを目のカタキに していたものだ。野球少年も、プロ野球も、プロ野球放送のために番組を勝手 に変更するテレビ局も、スポーツ新聞も、電車の中でスポーツ新聞を読んでい るオジサン達も、仕事から帰ってビールを飲んでひっくり帰ってナイターを見 ているオヤジも、みんな許すまじき存在であった。(幸い私の父は野球には全く関 心の無い人だったが。) 当然高校野球も高校球児も、私が独裁者になった暁に は真っ先に抹殺したいものの代表であったわけだ。少年法を改正して、草野球 をやったり、リトルリーグなんかに入っている小学生は皆死刑にしてやろう、 ぐらいの事は考えたかも知れない。(でも最近草野球をやっている子供を見た ことがない。サッカー・ボールを蹴っている子供は時々見掛けるが。) そういえば、大学生の頃リトルリーグに入っている中学生の家庭教師を していたが、思わずサドの血が騒ぎ過ぎてすぐにクビになってしまった。

今は20代のような血の気も引いて、適当に高校野球を楽しんでいる。プ ロ野球も、どこのチームが勝ったか負けたかは全く関心が無いが(というより、 どういうチームがあるのかも知らない)イチローの芸術的な打球や、野茂投手 の美しい投球フォームは気に入っている。しかし、30年も前のウラミツラミ は完全には消えていない。小学校時代の草野球のヒーロー達とは中学進学の時 に別れたが、そのうち何人かは高校で一緒になった。その頃の彼らはもう小学 校時代のような威勢の良さは無くなっていたが、今でも高校の卒業アルバムを 見て彼らの顔写真を見るたびに「馬鹿野郎めが!」とつぶやいてしまう。こう いう執念深さは、案外研究者としての現在に役立っているのかも知れない。

8月19日(土)
19日は野暮用にて午前中に京都駅へ。そこで早目の昼食を取り、近鉄Platz をうろつき、JRで山科に戻りラクト山科をうろつく。昼過ぎ帰宅。録画してお いた「踊る大捜査線」の再放送を2つ連チャンで見て、新聞を読んで、少し居 眠りをして、それから高校野球準々決勝智弁和歌山vs 柳川を延長11回で智 弁和歌山がサヨナラ勝ちするまで見届ける。その間、テレビを横目で見ながら 夕食のかき揚げ天婦羅を作って食べる。かくしてアホみたいな時間を過ごした わけだが、「何もすることの無くなったジジイになったときの予行演習」とし ては上出来の一日だった。夜は気を取りなおして、ある論文をもう一度読みな おしてみる。

数学を勉強していると、ある段階で急に色々なことがはっきりわかってし まう事がある。真面目に数学に転向しようと思った当初、いろいろな論文を読 んでも、わかったようなわからないような変な感じだったが、ある本を半年ぐ らい朝から晩まで必死に読んで、だいたい読み終わった頃に、突然「なにもか もがハッキリわかった」状態になった。今回も、色々サーベイをやってきて、 これから考えてみようとしているテーマの様子が、なにもかもハッキリわかっ たような気がしてきた。でも、数学の研究って、実はこの状態が出発点ではな いかと思う。「ハッキリわかった」というのは、今までどこまでの事が知られ ているかとか、どういう理論がどのように使われて何が明らかにされてきたか、 ということに過ぎないわけで、今後何が明らかになるのか、とか、どこをどう 突つけば新しいことが見えてくるか?については皆目見当がつかない。偉い数 学者ってのは、その辺のところもすっと見えてしまうのかしら。いずれにせよ、 「大山鳴動して鼠一匹」「働けど働けど我が暮らし良くならず、じっと手を 見る」の"楽しい楽しい"毎日はこれからである。

8月20日(日)
夏は寝るに限る。朝11前に起きて、朝昼兼用の食事を軽くとりながら、智弁 和歌山v.s.光星学園の準決勝をかぶりつきで見る。試合は13時30分過ぎに 智弁和歌山の勝利で終る。こういう野球エリート達と我等が数理科学教室の秘 密兵器(?)H先生を同時に輩出するとは、智弁和歌山というのは恐るべき高 校だ。

その後、昼食らしきものを食べて買物に出る。帰ってからは、前に読んだ 論文をもう一度読み返したり、ぼんやり考えたり、考えるフリをしたり。夕食 時、久しぶりに「ちびまる子」を見る。ちびまる子ちゃんは夏休みが終わりに 近づき、手付かずの宿題に焦っているようだ。私は夏休みの宿題は7月中にほ とんど終えるタイプの子ともだったが、なぜかちびまる子ちゃんの気分がよく わかる。祇園祭りも五山送り火も終り、地蔵盆も今日で終わった。甲子園も明 日で終わる。私の好きな夏も、そろそろ終盤である。