12月1日(水)
Avramovの講義録 Infinite Free Resolutions の解読。 この本は夏休みぐらい からやり始めたのだが、とても難解なシロモノだ。しか し2ヵ月ぐらい眺めて過ごしているうちに11月ぐらいから少しづつ理解でき るようになってきた。とは言うものの、相変わらず「解読」という感じではある。 そういえば、Hartshornの"Algebraic Geometry"なんかは、4〜5年ぐらい眺めて いるうちに、「よし!今なら読めるかも」という気分になって読み始めたのだ。

一刀斎こと森毅先生が「この頃のコは、わからない事とのつき合い方が下手や ねえ」とどこかで書いていたけど、わからない本はつかず離れずで気長に眺め ていればよろしい。まあ昔買ったエタール・コホモロジーの本なんかは一生 眺める だけで終りそうだけど。

ところで、自分はイデアル論を中心とした可換環論をやっている気分でいたが、 Avramov を読んでいて何か違和感があると思っていたのだ。ところが、この講 義録の内容は要するに可換多元環上のホモロジー代数であってイデアル論では ない事に気付いた。まあ加群の(極小)自由分解(free resolution)の一般論だ からホ モロジー代数であるのは当 り前なのだけど。

15時30分からPleveさんとHartshorn, "Algebraic Geometry" のゼミ。代 数曲線に関する演習問題の残りをPleveさんが説明し、私はHilbert関数や重複 度に関する演習問題をいくつか説明する。intersection multiplicityは剰余 環の局 所化の加群としての長さで定義するのだけど、昔から加群の長さの概念 は苦手なのだ。私は演習問題のある部分で具体的な加群の長さの評価がわから ず、Pleveさんと一緒に考えて解決。Hartshornの本は大学2回生の時に当時3 回生達がやっていた自主ゼミに参加させてもらって読んでみたのだが、当時は 可換環論についてほとんど何も理解していなかったから、あえなく沈没した苦 い経験がある。今のゼミはその敗者復活戦みたいなものだ。大学4回生のゼミ ではMunford の Complex projective varietiesをほとんど読んだから、少な くとも Scheme論以前の代数幾何はやったはずだけど、今はほとんど覚えていな い。そう言えば3年ぐらい前に堀川頴二「複素代数幾何学」を7割ぐらい読ん だのだけど、ほとんど忘れてしまった。モノ忘れが激しいのは家系だから仕方 がないけど、やれやれって感じである

そういうわけで、Hartshornの本もきちんと第1章のalgebraic varieties の 所から読んでいる。1年程まえからひと月に1〜2回、演習 問題もほとんど 全てや るというスローペースで進んできたゼミだが、何とか今年度中に algebraic varietiesの章を終えて、来年度からschemeの章に入れそうだ。

寝る前の溝畑茂「ルベーグ積分」は有界変動関数のところを半ページ読んで眠 くなりダウン。寝る前の読書として岩沢健吉「代数関数論」を上野健爾先生に 従って3章のリーマン面の所から読み始めたのだが、リーマン面上の関数の存 在証明の部分で可測関数などの話が出て来たので、すっかり忘れていたルベー グ積分を復習しようと思ったのだ。「代数関数論」は付値論から始まるのだが、 どうも付値論というのは退屈で学生時代は何度も読み掛けては放り出していた のだが、3章から読むというのはなかなか良い方法だと思う。

12月2日(木)
昼食の前後の時間でドイツ語の単語と例文の整理。語学留学する訳でもないの に、何でこんなにドイツ語を一所懸命やってしまうのだろう?そのうちこの日 記をドイツ語で書き始めるかも知れない!?

14時から夕方までは、Y君とガロア理論のゼミ。今日はアーベル群の演習問 題の残りと有理数体上の円分拡大に関する基本定理の証明。ランダウ流の巧妙 で初等的な証明を勉強する。円分拡大は学生時代はよく分かっていなかった部 分で、体論の試験の成績は惨澹たるものであったが、今ならわかるので嬉しい。

Avramov, Infinite Free Resolution は電車の中で読んだだけで、余り進まず。 自分としては、このノートの解読に専念して早く進めたいのだけど、こればか りやっているとダレてしまうので、無理矢理ゼミで他の事を勉強するのもいい のかも知れない。

寝る前の溝畑茂「ルベーグ積分」は求長可能曲線のところを半ページ読んで眠 くなりダウン。この本に「1点で連続」という条件と「1点の近傍で連続」と いう条件が全然違うという例が最初の方の書かれている。恥ずかしながら、何 時の頃からか私はこの2つの条件をなんとなく混同して考えていたようだ。

12月3日(金)
午前中は「数理モデル論」の講義。楕円曲線の群構造と離散対数問題について 説明した。数理科学科移籍の話が決まる前は、楕円暗号理論を真面目にやろう かと思っていたが、今はどうでも良くなった。でも楕円曲線には興味があって いつかはちゃんと勉強したいと思っている。特に楕円関数とか楕円積分とのか かわりは、ガウス、アーベル、ヤコビなどが活躍した19世紀数学の華だし、 20世紀になってからも数論や代数幾何学などと関連して深い研究が続いてい るらしいし。来年度のN先生の卒研はフルヴィッツ、クーラントの「楕円関 数論」を やるという話だったけど、誰も志望者がおらずにぽしゃったようであ る。ああいう深く豊かな正統数学を嫌うなんて、数学の学生も大したことない よなあ。19世紀数学は本当に豊かで、それは20世紀の数学の直接的な源流 になっている。このことは大学を出てからだんだんわかってきた。私が今興味 を持っている可換環の極小自由分解の問題も、元を正せばシチジー定理などヒ ルベルトの不変式論以来の問題だ。

午後は「離散数学」の講義。アフィン半群環におけるEhrartの相互律の 証明が目 的だけど、いつもの癖でだらだら話しているとなかなか進まない。あと2回で最後ま で行けるかは微妙になってきた。それにしても、「離散数学」の クラスの不気味な静けさは一体何なんだろう?情報学科の学生も半分ぐらい混じって いるはず なのに。最近まで私の講義は私語と携帯ベルで騒然としていたが、 一時期「私語・ 携帯潰し!」と称して激しく怒鳴り散らして怒って見せたのが効いているのだろうか ? 講義アンケートを取ってみれば理由がわかるのだろうけど、時間が押してきたので アンケートはさぼってしまった。これで後期試験が皆良く出来ていれば奇跡だよな。 あ!後期試験の問題を作らなきゃいけないんだった!?

夕方からは雑用。帰ってからは明日のドイツ語講座の予習。 寝る前の読書。「ル ベーグ積分」はやっとStieltjes積分に入る。全く良い睡眠薬だな。

12月4・5日(土・日)
土曜は昼過ぎまでGoethe Institutでドイツ語の講義を受けた後、 京大のルネで 昼食を取って、少しルネの 書店を冷やかす。Genfand & Manin 編集のSpringerのシリーズでホモロジー代 数と代数曲線・代数幾何の本が出ていた。いずれもロシアの数学者が執筆して いるものらしい。ホモロジー代数の本は混合ホッジ構造(当然知らない。知らないけ ど 興味だけはある。)の事も書いてあって 「おっ!」と思ったが、何だかとても難しい 代数解析で使うホモロジー代数ら しいので無視。代数曲線・代数幾何の方は2名の共著で、代数幾何の部分(代 数多様 体の一般論とスキームの入門)はDanilovが書いていた。DanilovはToric varietiesという分厚い解説論文(当然読んでない)で知っている名前だ。割合 良さそ うな本なので買おうかと思ったが、財布の中には2000円ぐらいしか 無い事に気付いてあきらめ、ドイツ語の辞書のコーナへ。独和辞典と和独辞典 を持っているけど、私には独英辞典と英独辞典の方が使いやすいような気がす る。近いうちに一冊買うことにしよう。

Goethe Institutで3時間も講義を受けると土日は復習や宿題などで完全にド イツ語モードになってしまう。よって数学はほとんどお休み。 寝る前の読書で、 「ルベーグ積分」序章の演習問題を眺め、「こういう解析の 問題が解けなかったから大学院に落ちたのだよな。クソ!」と思っている うちに気 を失い眠ってしまった。

それにしても学生時代のHartshorn "Algebraic Geometry"の自主ゼミは凄かっ たと思う。この本は大体大学院修士課程ぐらいで読むものだが、それを大学3 回生が読んでいたのだ。彼らは2回生段階でWalker, "Algebraic Curves" (代 数幾何の基礎が完成する以前の古典的な代数曲線論の本らしいが、私は読んで ない。)を読破し、永田「可換環論」の5章局所環の完備化まで読み、3回生 の始め からHartshornに進んだのだ。当時のメンバーは整数論のS先生をチュー ターとして、3回生は努力型大秀才のUさん、何でもすぐに理解してしまう天 才的超 秀才のNkさん、のらりくらりとしているが実は何でも理解している大秀 才のThさん。そして2回生はカミソリの様に鋭い超秀才のK君とUさんの高校時 代の同級生でやはり努力型大秀才のT君、そしてズッコケ大鈍才の私であった。

メンバーのうち私を除いて全員が大学院に進学し、UさんとK君は整数論、Nkさ んとT君は代数幾何学、Thさんはトポロジーと進んだ。Nkさんは、早い時期に 某有名 国立大の助手の職を得て、将来を非常に期待されていたのだけど、「数 学は簡単過ぎてつまらない」とかいう理由で金融業界に転じ、数学 界の損失だ!と 大騒ぎになったそうである。 彼が本当に「数学は簡単過ぎてつまらない」と言ったかどうか知らないが、何せ神様 のように何でもすぐに理解でき る人だったから、もっともらしく思える。そして結局数学者として今も生き残っ ているのはUさんと私だけである。私はのけておくとして、あれだけ優秀な人 達の中 で、Uさんだけが生き残ったというのはどういう事だろう。

12月6日(月)
朝はゆっくり 起き、午後から滋賀大教育学部ゼロ免課程1回生配当「情報活用 論」の非常勤 講師。午後4時前に大学に戻って卒研生相手のJavaゼミ。

滋賀大 では簡単な確率論の話しを交えたゲーム理論の話をしている。大学 生の学力崩壊が進んで「今年の1回生は特にひどいですけど、よろしく」と言 われたけれど、余り関係ない。大学1回生と高校生の違いなんて、私にすれば 誤差の範囲だから以前から教育実習生気分で高校生相手に講義しているつもり で楽しく やっている。それに文系の学生だから、数学のレベルも高校1年生 ぐらい を想定してゆっくりだらだら話している。皆そこそこ面白そうに聞いて くれているようだ。

私は滋賀大だけでなく、徳島大でも非常勤講師をやっている。これらの大 学と立 命館の学生を比較すると、地方国立大の学生は割合真面目でおとなしい ように思う。集中講義などで「明日までにこの問題を解いてレポートに出せば 単位をあげます」と臨時レポート課題を出すと、翌日には数名がレポートを出 して来る。最終レポートも、割合自分で色々考えて書いてきてくれて、読む方 としても楽しい。中にはかなり自分で勉強していて、(どこまで分かっている かどう かは怪しいが)相当難しい議論を展開する学生もいる。それに比べて立 命館の学生は良きにつけ悪しきにつけ元気一杯だ。ただ真面目さにちょっと欠 ける。同じようにレポート課題を出せば、まる写しレポートが山と積まれ、う んざりさせられる。(だから私は立命館では決してレポート課題を出さないこと にしている。)

Javaゼミは発表者の準備不足と「逃走」により40分で終る。このゼミは 来週で 終了だ。去年の学生と違って、今年の学生は余り元気が無く盛り上がり に欠ける。ひとつには、良い雰囲気の起爆剤になる学生が居ない。起爆剤学生 の典型パターンの一つは次のようなものである。彼または彼女は、成績は悪い けど元気だけはあって、今までサボり続けてきたから、学生時代の最後だけは 何な理解して卒業したい、というような事を言う。それで、4月頃にはトンチ ンカンな事ばかり言っていた学生が、秋口になって突然かなり脳天気ではある が高度な質問をするようになり、作業がどんどん進み出す。本人も自分のやっ ている事が理解できるようになって嬉しくなり、研究室で大騒ぎするようにな る。それにつられて他の学生もエンジンがかかる。こういうパターンにはまる と、その年の卒研は盛り上がる。

もう一つ盛り上がらない理由は、学生が自宅でパソコンを持つようになっ てき て、学生実験室で作業することがほとんど無くなったことだ。大学で一緒 に作業すれば、資料は沢山あるし、お互いに教え合ったり、私が時々覗き込ん で作業の進み具合を見て適当に相談に乗ってやったりできるので、家に閉じ籠っ ているよりもはるかに効果的に勉強できる。しかし学生気質はそれと逆行する 方向に変わってきているようだ。家に閉じ籠っていても、メイル等でお互いに やりとりできれば良いが、そのためには自分の問題をきちんと言葉で表現でき る力が無いといけない。表現力が未熟な学生が家に閉じ籠って作業しているよ うではロクな事はないのだ。少なくとも自分のレベルを飛躍的にアップする事 は難しい。数理科学科移籍に伴い、プログラム作りを目的にした卒研は今年で最 後で、来年度からは数学一本の卒研に方向転換する予定だが、学生気質の変化か ら考えても、この辺が潮時かも知れない。

Infinite Free Resolution は少し具体例を計算した後、帰りのバスの中で ちょっと眺めただけ。DG algebra の standard resolution の節のいくつかの 疑問が相変わらず解けない。寝る前の読書はRiemann積分に入ったところで、 例に よって気を失う。

12月7日(火)
Infinite Free Resolutionの standard resolutionの節の疑問が解決。 Spectral sequenceへ進む。spectral sequenceは微分方程式の大家Leray によって始められた というが、何で解析の人が代数の道具を発明したのだろう。 京大では4回生向けにホモロジー代数の講義があって、spectral sequence も教えて いるらしい。さらに1変数の複素関数論は3回生前期で終り、 あとは多変数解析関数論を教えているらしい。私の学生の頃はそんな高度な 講義は 無かった。えらい時代になったものだ。

夕方から夜の8時過ぎまで教授会、研究科委員会、学位審議委員会で合計4時間 余り の会議。会議室が寒く、風邪をひいたみたいだ。経費節減と称して暖房を切っている のだろうか。無駄な紙の配布物を学生や教員に大量にばらまいているのを見直せば、 かなり経費節減になるだろうに。 帰って風邪薬を飲んで寝る。

12月8日(水)
風邪を気づかっ てゆっくり起き、昼頃に大学へ行く。昼食をはさんで同僚のS先 生と少し雑談 をした後、以前まとめておいたspectral sequenceのノートを 読み返す。16 時前から3回生M君と計算機代数のゼミ。私は来年度後半はドイツに行っ てし まうので、M君には来年夏までにグレブナー基底の代数的理論を理解させて、 秋口か ら佐藤先生の計算機代数グループで面倒を見てもらう予定である。 1 7時30分から19時過ぎまで留学生懇談会。 風邪薬のせいか、非常にだるくか つ眠い1日であった。 寝る前の読書は、Riemann積分の定理の証明を一つ読んで気を失う。

広中平祐さんがある所で「数学と音楽は似ている」と言っていたが、どう なんだ ろう。私は小学校1年生の6月頃以来音楽は落ちこぼれで、楽譜が読め ない。にもかかわらず、小学校高学年の時クラシック・ギターを習っていた。 もう長い間やっていないので忘れてしまったが、 音符がこの位置にあればここを押 えれば良いという風やって特に不自由は無かっ た。しかし、こういうのは数学で言えば「解法マル暗記式」の勉強と同じで、 楽譜をきちんと理解して演奏しているとは言えないような気がする。音楽家は 楽譜を見ただけで、頭の中で豊かな音楽の世界を構成できるようだ。私は少なくとも 楽器で 実際に演奏してみないとどんな音楽が書かれているのかわからない。こういう 能力は数式を見て、そこに豊かな数学を見出せる能力と似ているような気がする。 数式を見ただけで頭が痛くなってしまう人は、それができない人なのだろう。 これは楽譜を見ただけでは、ただの不可解な符丁の連続としか思えない私 と類似し ているような気がする。

かく言う私は、楽譜を絵として見る癖があり、どんな音楽が書かれている か理解できないけれども、音符の並びを眺めて半ば無意識的に「きれいな『絵』 だなあ」とか「退屈な『絵』だなあ」という風に鑑賞したりする。これは楽譜 だけではなく、数式にもあてはまる。私は自分の理解できない数学の本や論文 を眺めるのが割合好きである。漢字と数式はあまり調和しないと思うが、説明 文に使うアルファベットと数式はよく調和すると思う。昔私の絵の師匠から 「書を見る時は、墨で書かれた字の部分だけを見ていてはいけない。墨が塗ら れていない余白の白い部分を見なさい」と教わったが、数式部分とアルファベッ ト部分の比率も重要である。数式ばかり一面に書かれている論文は嫌味ですぐ に飽きが来るし、アルファベット部分が多すぎて数式がたまにしか現れない論 文は退屈である。もっともこれは「絵」として見た場合である。念のため。 (表現論を除いた)群論の数式は退屈だが、解析の数式は割合 美しい。特に偏微分記号が束になっているヤコビ行列はきれいだと思う。また、 ホモロジー代数の可換図式は、それが複雑になればなるほど美しいと思う。

そ れに比べて計算機のプログラムは、例えどんな言語で書かれた どんなに優れたプログラムであっても、『絵』としては醜悪である。 例外をあえて上げればtecoプログラムだろうか。 muleエディターの先祖であるemacsエディターが DEC2060という大型計算機上で初めて開発された頃(30年近い昔である!)は、emacs エディターはteco と呼ばれる 専用システム記述言語で書かれていた。1回だけちらりと眺めただけ だが、#&>?-<="(~~ という風なエキセントリックなシンタックスを持つ言語で、 少しばかり美しかったように思う。 私が計算機科学をどうしても好きになれなかった 事や、計算機科学の中でも現実のプログラムを数式でモデル化して扱うプログ ラム理論をやっていた事も、こういう事が関係しているのかも知れない。

12月9日(木)
自分がまとめていたノートではspectral sequenceのchange of ringsへの 応用がカバーされてない事がわかった。projective resolution の change of rings の話は、今私が一番興味を持っている事なので何とかしなければならない。 2, 3 ホモロジー代数の本をひっくり返して、結局 Cartan & Eilenberg を読むこと にした。Cartan & Eilenberg のHomological Algebraは勿論この方面の古典的名著で、私はこれで projective/injective resolutionやderived functorの理論を勉強したのだが、まともな索引がついていな い事 や独特の記号の使い方など、途中から必要な部分だけ読みたい時には不便な本であ る。 しばらく「解読」の日々が続きそうだ。

13時から14時まで数学コロキウムでY先生が確率微分方程式の話をする のを聞きにいく。常微分方程式と並行した説明で、とてもわかりやすく面白い 話だった。歳を取った数学者がやる事として、do administration, do philosophy, do history, do nonsense, do nothing (もう一つぐらい項目が あったような気もする)を挙げ、この順に高尚になっていくのだ、という冗談(?) があった。do nothingが一番高尚だという説には思わずうなってしまった。深 い!またブルバキのメンバーが局所コンパクト空間上の積分論にこだわり、ウ イーナー測度などを使った無限次元解析に長い間強く批判的であったという与 太話(?)も、やっぱり数学でもそういう事があるのだなと思い、面白かった。 確率解析は天才的な数学者達による優れた仕事によって偏見と批判を跳ね返して 現在の隆盛に至っているわけだが、長い数学の歴史の中では、権威者の偏見に よって潰されてしまった数学もたくさんあることであろう。 少し前の数学コロキウムでO先生の関数環の話があったが、講義の直前の 時間帯だったこともあって、すっかり忘れてしまい、聞き逃してしまったのが 残念でならない。

14時30分からはY君とガロア理論のゼミ。その後4回生 配当「数理モデル論」の後期試験問題を作る. 寝る前の読書はRiemann積分の性質のところを1、2ページ読んで気を失う。

12月10日(金)
午前中は「数理モデル論」の講義、午後は「離散数学」の講義と学系会議。その あとは情報学科の忘年会。

情報学科の忘年会に出席させられるのも今年が最後だと思うと嬉しい。 学内政治の話、企業からお金を集める話、計算機関係のどこそこの会社がどういう製 品を 出したとかいう話、学生がどこそこの会社に入っただの入らなかっただのの話。 はてまた人の作ったパソコンの自慢話(これは子供が「僕のオモチャの方がすごいん だぞ!」 と自慢するのと同じようなものである)。 こんな話を聞かされながら酒を飲まねばならんのだから、私の前世はさぞかし 悪行の限りを尽くした極悪非道の輩だったのだろう。(「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀 仏...」 善人なほも往生す、ましていはんや悪人をや!) 人生長いようで短いのである。たとえ2、3時間と言えども他人に所有されている時 間を過ご すことは人生の浪費である。

以前数学教室の飲み会に参加させてもらったことがあるが、そこではジーゲルが どうだ、 オイラーがどうしたという美しい会話が咲き乱れ、国内外の個性豊かな大数学者の名 前をあげて、 誰それがどうした、どう言ったという類の麗しいゴシップ談義に心温まる思いがした ものである。 最近では、ファイナンス数学関係の解説談義を聞くこともできる。

情報学科と数学教室という二つの極端に異なる文化を鑑みるに、つくづく私は居 てはいけな い場所に所属していることを痛感する。そもそも私は組織や物や金にはあまり興味が 無く、 人の精神やそれが生み出した文化に興味がある。そういう人間が組織と物と金にしか 興味が無い 人達の中にいる事自体が、そもそもの間違いなのだ。

憮然として帰り、「ルベ―グ積分」の積分可能関数の性質の所を少し読んで寝 る。