12月11・12日(土・日)
11日は昼過ぎまでGoethe Institutでドイツ語講座を受講。京大ルネで昼食を取っ て、 書籍部にちょっと寄ってすぐに帰った。ルネで独英辞典を買おうかと思ったが、どう や ら丸善の方が種類が揃っているようだ。午後はドイツ語モードに入る。 12日は丸善で独英・英独辞典を買った。これは見出し語が明るい緑で説明が 紺色と見やすく、例文や訳文も大変読みやすい。丸善地下の「あさぬま」で ミルクティーを飲みながらしばらく読み耽ってしまった。

帰ってからは、ドイツ語の単語の整理と宿題に追われる。講座に通うと結構勉強させられる。 私は暇でしょうがない会社員時代に、カミュの「異邦人」をフランス語で読もうと思い立って 大学時代に適当にサボっていたフランス語をぼつぼつ独学していた。2〜3年ぐらいかけて 文法を復習し、辞書を片手に「異邦人」は何とか半分近く読んだが、Goethe Institutの講座 を受け始めて2ヵ月間に読まされた独文の量と覚えさせられた単語の数は、 その頃読んだフランス語の量と数を既に上回って いると思う。私としてはフランス語をちゃんとマスターしたいのだが、今フランス語に手を つけると頭が混乱しそうなので、ドイツから帰ってきてからにしようと思う。

ところで、寝る前の読書でいつも数学の本を読んでいるわけでもない。お勉強モードの時期 と お仕事モードの時期があって、お仕事モードの時は寝る前に問題や例を布団の中で考 える ことが多い。この時は紙も鉛筆も使わないで頭の中だけで考える。 確率論の大御所I先生によると、「数学者というものは満員電車で立っている時で も、歩いている 最中でも 数学ができるのだ」そうだ。そういえば学生時代は東山三条から百万遍まで毎日歩い て 通ったが、その間ぶつぶつ独り言を言いながら群論の問題などを解いていたような気 がする。 しかし布団の中だと大抵は考えている最中に夢の世界に入る。勿論夢の中でまともに 問題が解けた 例はない。夢の中で塩を小匙2杯と酢を少したらすと解けることが分かり、「そうだ !塩と酢だ! 忘れないうちに解答を書きとどめておこう」」と俄然興奮して起き上がり、自己嫌悪 に陥った事は あるが。そういう訳だから、福井謙一博士のように夢の中でひらめいたアイディアを すぐに書きと められるように、枕元にメモ帳を置いておくなどという事は、私の場合やってもしょ うがない。

もっとも研究がうまく行っていない時にこういう事をすると眠れなくなるので、 数学以外の本を読んだりする。佐藤幹夫大先生は「朝起きて『さあ、きょうも数学を やるぞ』 なんて言っている間はダメだ。数学とともに眠り、数学と ともに目覚 める。寝ても起きても数学一色にならないとまともな数学の研究はできないのだ。」 とおっしゃっ たそうである。岡潔博士も「数学とは生命の燃焼です」とのたまわっているし、偉い 数学者の言う 事は大体共通しているようだ。こういう言葉を思い出していちいち反省していたら身 が持たないか ら、構わず数学以外の本を読む。一時期サリンジャーとカミュにはまりかけたことも あったが、 概して小説はくたびれるから読まない。民俗学にはまった事もあって、各地の昔話を 暗記して喜んでいたこともあったが、ゼータ関数の研究をするには日本の昔話をまず 研究しなければ ならないという説が数学界に流布する以前に熱がさめた。民俗学の流れで妖怪にもは まった ことがあり、寝る前に水木しげるの妖怪事典をながめたり、鯰絵や河童の絵を見ると よく眠れる時期もあったが、最近はご無沙汰である。 しかし詩は今でも割合よく読む。血の気が多い学生時代は ランボオ「地獄の季節」(小林秀雄訳)と中原中也 がお気に入りで、ブランコを見るたびに「ゆあーん。ゆよーん。ゆあゆよん。」とか 言って喜んでいた。しかし私も40歳を過ぎてしまった。立派なおじさんになるためには萩原朔太郎と谷川俊太郎を読 まねばならぬと思っている。本当のところは、数学科の大学院に落ちて計算機会 社に入って 「あーあ人生半分棒に振っちまったなあ」とグレていた頃、花の東京でスキーとテニ スと映画館 通いと酒とジャズに浮世の憂さを忘れつつ色々濫読調査研究内偵した結果、 「朔太郎と俊太郎のダブル太郎がカラダにいいみたい」という結論に達しただけのこ とである。

12月13日(月)
午後一番で滋賀大の非常勤。早めに滋賀大に行って「離散数学」の後期試験問 題のネタを考える。夕方は大学に戻りJavaゼミ。各自の卒論の題目を決めて、 卒論の書き方を説明して終る。その後「離散数学」の後期試験問題を完成させ る。簡単な問題だけど、まじめに勉強した人としない人で結構差がつくはずだ。

spectral sequenceは新しい本ではexact coupleという概念を使って構成す るという説明をしている。Cartan & Eilenbergや中山正&服部昭などの古い本 では、本質的には同じ事なのかも知れないが、何だか複雑な事をやって構成し ているのでよくわからない。Cartan & Eilenbergによると、exact couple に よる方法は1952年頃にMasseyが考えたそうだ。Masseyというのは代数トポロジー の人なんだろうけど、加群の自由分解を構成する時に使うMassey積というのが あって名前はよく知っている。代数トポロジーはどんどん難しくなって、 最近では若い人があまり参入してないような話を聞くが、代数トポロジーで 開発された数多くの理論やテクニックは、私がやっているような純代数的 な世界にも自然に取り入れられているわけだ。

また、spectral sequenceはLeray が1945年頃 に考えたそうだが、彼の理論は2年後にKoszulによって代数化されて現在のよ うな理論の基ができたらしい。Koszulというのも、やはり自由分解の理論でテ ンソル積を使ったKoszul分解というのがあって、名前はよく聞く。私が使って いる計算機の名前もgalois, zariski, siegelと変遷して、現在はkoszulと命 名している。この命名は図らずしも私の趣味の変遷を表している。

ルベーグ積分は相変わらず補題の証明が一つ進んだだけ。

12月13日(月)
午後3時前まで何だかんだと雑用。その後spectral sequenceに取り組む。 Cartan & Eilenbergを読んでいると気が狂ってしまうと判断。Rotmanの本 でGrothendieckのspectral sequenceの定理の証明をなんとかいじくって 解決しようと試みる。こちらの方が見通しが明るそうだ。

同僚S氏は、私が純粋数学至上主義者で、彼がやっている(やっていた)数式処 理や数学基礎論を馬鹿にしているとオカンムリである。こういう喧嘩は、信頼 関係が全く形成されていない情報学科の他の先生とやると大変な事になるが、 S氏と私の間だと互いに言いたい放題である。S氏によれば、立命館で私よりも 純粋数学至上主義なのは、整数論のD大先生以外にいない!とのこと(ホンマかいな!?)。何だか 知らないけど、D大先生と同列に語られるのは(D大先生は勿論心外だろうけど) 私としては光栄というか恐縮モノである。

12月15日(水)
すこし前に、同僚H氏のWeb日記に描かれている優雅で静かな生活に衝撃を受け、 一週間ぐらい反省のどん底でうなっていたが、今日は意を決して朝から夕方まで家 でうだうだと過ごした。午前中はドイツ語を少し勉強し、午後は散歩をはさんで spectral sequenceの勉強。時々大学の計算機にログインしてメイルのチェック。某国立大教授 の 「私立大学のざわざわした雰囲気」という言葉をなぜか覚えているが、こういう一日 をすごす と「ざわざわした雰囲気」を遠くの風景のように感じながら、静かに勉強ができるの で大変よろしい。

やはりRotmanの本はいい。最初からこれを読んでればよかった。 Cartan & Eilenbergを読と思ったのは、魔が さしたとした思えない。これで当面の疑問は解決しそうだ。

夕方からはGoethe Institutのクリスマス・パーティ(Weihnachtsfeier)に出かけ る。 Goethe Institutがワインやビールやジュースなどの飲み物を用意し、 受講生の参加者がそれぞれ思い思いの食べ物を持ち寄るという形式。 100名以上の参加者があり、なかなか盛況だった。最初に受講者の有志がピアノ伴 奏と ともにオーボエの演奏、続いて両親娘の3人のソプラノ、アルト、テノールが披露 された。最後は福引と再びピアノの伴奏でソプラノ婦人に合わせてきよしこの 夜(Stille Nacht, Heilige Nacht)を歌ってお開き。私の土曜の講座の人は 誰も来ていなかったが、楽しいパーティであった。

12月16日(木)
朝の電車で数学教室のA氏と一緒になる。情報学科と数学教室の違いの一つは、 教員が学生の名前をすぐに覚えられるかどうかである、とのこと。確かに情報 学科は学生が多すぎるし、研究室毎にタコ壷を形成しているので、よその研究 室の学生とは縁遠い感じだ。数学教室は自分のゼミの学生でなくても、教員が 「彼らはみんな自分達の学生だ」という意識を持ちやすいようだ。

そもそも一学年280名前後というのは、国立大学なら1学部の人数だ。 さらに国立大学なら教員数は5倍ぐらい多い。小集団クラスを担当しても、全 学生の4〜6分の1の学生しか相手にしないわけだ。学生が「ほったらかしに されている」という印象を持って、余り勉強に気が入らないのは無理もない事 である。これを小集団クラスと「教員の教育的力量」という魔法の言葉でカバー しろとしか言えない所が私立大学のつらいところである。

午前中はドイツ語ノートの整理と雑用。昼食後少しRotmanを読んで14時 からガロア理論のゼミ。今日はKummer拡大だ。Kummerとはドイツ語で「悲しみ」 ということだから、「悲しみが拡大する」というとんでもない(?)理論である が、円分拡大と並んでガロア理論では最重要の話題だ。かつて「数学教室で5 番以内の成績」と豪語していた学生が情報の大学院生として数式処理をやって いたが、彼はKummer拡大を知らなかった、もしくは忘れていたようだ。もっと も私も学生時代はKummer拡大という名前は知らなかったし、Kummer拡大の理論 そのものもよく理解していなかったと思う。一体私は学生時代何をやっていた のだろう?結局永田雅宜「可換環論」だけを繰り返し読んでいただけで、後は 単位を取っただけのような気がする。数学において、単位を取っただけというのは 何も学んでない事に限りなく近い。 「可換環論」だけじゃあ院試に落ちるわ な。

永田雅宜「可換環論」は名著M. Nagata "Local rings"の日本語版みたいな もので、読みにくさでは定評がある。うんうんうなって1週間に1行なんて調 子で読んでいると、学生時代なんかあっと言う間に過ぎてしまう。 Grothendieckが関数解析から代数幾何に転向しようとしたとき、"Local rings"を読んであまりの難しさに音を上げ、「こんなことなら、自分で考えた 方が早い」と思いスキーム論を作ったという話を聞いたことがある。かなり脚色 の入った話だと思うが、天才Grothendieckらしい話なので、私は割合気に入っ ている。それ以外にホモトピー論で若くしてフィールズ賞を取ったJ. P. Serreが なぜ代数幾何(後に数論)に転向したか?それは同じくホモトピー論を やっていた、composition methodの戸田宏博士にはかなわないと思ったからだ、 という話を聞いた事もある。こういう世界的研究者達の裏話というのは、 即物主義的な工学の世界ではなかなか聞けないものである。 (生臭い人事や派閥の話はよく聞くが。)

可換環論は永田「可換環論」で展開されているイデアル論の世界を越えて、 J.P.Serreらによってホモロジー代数を縦横無尽に使う世界に生まれ変わった。 これからの若い人が永田先生の本でこの世界に入ることは ないだろう。しかし、ぼろぼろになった「可換環論」は今でも私の宝物である。

spectral sequenceの問題はほぼ解決。睡眠薬の「ルベーグ積分」は 異常積分の所を終了。

12月17日(金)
午前は「数理モデル論」午後は「離散数学」の講義。夕方は臨時学系会議。 事実上今日が後期終了日だ。 spectral sequenceはなかなか面白いので、もう少し読んでから Avramovのlecture noteに戻ろう。

そういえば今読んでいるホモロジー代数の本の著者J. Rotmanは、最近シュ プリンガー・フェアラーク東京から日本語版が出た「ガロア理論 Galois Theory」の著者と同一人物らしい事がわかった。この本は大変良さそうなもの なので、卒研のガロア理論のテキストに使おうかとも思ったが、必要な事実の 多くを演習問題に回して全体の記述を簡素化する形を取っており、情報学科の 学生には無理だと思って結局アルティンのテキストにした。

Rotmanの「ガロア理論 Galois Theory」は、数理科学科の卒研に最適なの ではないだろうか、と一瞬だけだけど思う。ガロア理論は3回生の講義で習っ ているが、立命館では3回生以上の演習の時間が無いし、きちんと理解してい る学生は少数ではないだろう。4回生の前半で、代数の演習のつもりでRotman の本を読んで腕力をつけて、後半はAtiyah & MacDonald のIntroduction to Commutative Algebraをしっかり読む。そうすれば、大学院ではEisenbud "Commutative Algebra with a View Towards Algebraic Geometry"や Matsumura "Commutative rings theory"やRotman "An Introduction to Homological algrebra"の必要な所を参照しながら、Bruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings"を読めるはずだ。そしてM2ぐらいから適当な論文を2〜 3検討すれば、まあ何とか修論は書けると思う。

しかしこんな具合に進める事はまずあり得ないだろう。4回生前半は就職 活動等でゼミは潰れ、後半にやっとゼミが開始され、Rotmanの本が半分ぐらい 進んだところで全員卒業。皆さん良い社会人になってくださいって事になると 思う。Bruns & Herzogは半分ぐらい読めば十分なのだが、この本は私は国内留 学した時に京大数理研に半年こもってうんうんうなってやっと半分読めた難物 だし、Atiyah & MacDonaldも今読めば明解で良い本だが、私の経験から言って も明解な本というのは学生にとっては地獄の日々を約束する。やはり卒研ゼミは Miles Ried "Undergraduate Algebraic Geometry"あたりを「読める所まで 読んで終り」とした方がいいかも知れないなあ。

12月18・19日(土・ 日)
土曜は朝から昼過ぎまでGoethe Institutでドイツ語講座。今年最後の講座だ。来年は 1月8日から始まる。以前先生に「ドイツ語の天気予報が見たい」と半分気まぐれで 言ったのを覚えられていて、今日、天気予報のビデオとそのテキストを渡されて「冬休み中に しっかり勉強してください」と言われた。うーむ、一応 Ja, ich finde das sehr gut. Vielen Dank! とは言ってみたもののえらい事になったな。 京大ルネで昼食をとってから帰る。 日曜日はなんだかんだと非数学的な一日を過ごしたが、 夜の読書溝畑「ルベ―グ積分」はやっと第3章ルベ―グ積分の章に入る。

そう言えば去年の今ごろは、ある問題を考えてばかりいるお仕事モードで あった。あるか無いかわからない答えを探して、色々な計算をしては捨て計算 をしては捨てという感じでいっこうに出口は見えないし、毎日が無為に過ぎて 行くような感じがしたものである。今年の12月はお勉強モードなので、ずい ぶん気楽である。本のここまで読んだとか、ここまで理解した、とかいうのは、 毎日少しずつでも成果があるようで充実感があってよろしい。

勉強しているだけでは研究している事にならない。ドイツ留学の成果が 「部屋にこもって、じっくり勉強してきました」ではつまらないから、勉強は 今のうちに済ませておいて、ドイツでは専らそこの数学者と議論したり、美し い町を散策しながら数学を考える事に専念したいと思っている。それでもやは りドイツ留学の成果が「新しい問題を掴んできました」ではつまらないから、 問題を煮詰めるための基礎的な計算をぼつぼつ始めないといけないと 思ってはいるが。

12月20日(月)
午後一番で滋賀大の非常勤講師。先週から暗号理論の話に入り、1月下旬まで でRSA暗号の原理を説明する予定。今日はユークリッドの互除法を説明した。 数学と聞くとすぐに目がトロンとする人達相手なので、けっこう気を使う。1 6時から国外留学予定者のガイダンス。衣笠キャンパスとBKCを結ぶテレビ会 議室なるものに初めて入れてもらい、衣笠キャンパスの事務の人の説明を聞い た。

Rotman "An Introduction to Homological algebra"は切り上げて、今日か らAvramovのLecture noteに戻る。ルベーグ積分は可測関数を終え、 測度的収束と測度的極限に入る。