12月21日(火)
午前は三条、京大付近をうろつき、ビザ申請用の写真を撮る。ついでにGoethe Institutの図書館で留学予定地のEssenの都市案内とドイツ留学ハンドブックの一部をコピー してくる。15時頃に大学に出勤。大学へ戻るまでの間電車を2回も乗り間違 え40分ぐらい時間をロスした。16時前から延々3時間半以上の教授会。大学 に勤めていると、講義や研究室管理運営以外に、会議やそれ以外のわけのわか らない雑用が山のようにあって、研究しようなんて気を起こさない限り決して 退屈することはなく日々は過ぎて行く。研究したい人にとっては、そういった ものとの闘いの日々であり、助手、講師、助教授、教授と職階が上るにつれて 闘いは激しくなる。と、いうのは(私立)大学教員の常識である。

私が通勤に使っている山科駅は湖西線と琵琶湖線、普通と快速が同じホー ムで発着するので間違えやすい。1〜2ヵ月に1回ぐらいは間違えて湖西線に 乗ってしまう。この場合、西大津で折り返して再び山科から琵琶湖線に乗るま で必ず30分はロスする仕掛けになっている。それであせって快速に乗ってし まい、やれやれこれでよしと安心して本などを読んでいると、 南草津に停車 せずに草津まで行ってしまうので再びあせる。こうなると、「いつになったら 大学にたどりつけるのだろう」とため息が出てしまう。最近はさずがに湖西線 +快速というダブルミスは少なくなったが、湖西線に乗ってしまうミスは時々 やる。今日もそうだった。

外に出ると色々な事態が発生して、長時間待ちぼうけを食うことがあるの で、常に数学の本や考えたい問題を持ち歩くようにしている。しかし、本を読 みながらや問題を考えながらぼんやりとしていると、余計に電車の乗り間違 いがしやすくなる。てな事をやっていて、Goethe Institutを出たのが13時 だが、大学に着い たのは15時になってしまった。その間Avramovのlecture note が少し進んだ。 相変わらず難しい本だ。

12月22日(水)
昼前から午後にかけて大学でAvramovのlecture noteを読む。16時前から 3回生M君と多項式環のイデアル論のゼミ。寝る前の読書は「可測関数族の基本性質」 に入る。

計算機をやっていた頃もそうだったが、最初はとにかく1つの分野でいい からちゃんと理解しようとしてあまり手を広げて勉強する気が起こらない。少し進む と、今度は色々な事が面白ろそうに思えてきて、自分の当面の研究とは関係無 いことまで勉強したくなる。最後には、また自分の専門に関連する事しか勉強 する気が起こらない状態に戻る。この段階まで来るとプロと呼べる状態になる と思う。

学生時代は第一段階で、位相空間論とトポロジーの初歩と可微分多様体を 少しやって、あとは群論と可換環論ばかり勉強していたように思う。線形代数や微積分学はそのついでにパラパラっと教科書を参照した程度。 その後10年以上のブランクを経て、立命館に 来て数学に転向しようかどうしょうかと迷っている時は、第二段階の前半であっ た。数学会の年会や総合分科会に行っても、代数、トポロジー、幾何、関数論、 応用数学と色々な講演を梯子して聞いていた。色々な分野の本を集めて乱読・ 積読・斜読して喜んでいたのはこの頃で、このときに初めて線形代数、微積分学、 拡大体論、ホモロジー論、ホモロジー代数、関数論、ルベーグ積分をまじめに勉強した。今はどうやら第二 段階の後半のようである。学会の講演は代数関係しか聞かなくなった。読書計 画に上がっていた関数解析や微分幾何や微分方程式は「もういいや」って感 じ。しかし大学3回生レベルの数学の8割ぐらいは一通り勉強しておかないと、何か と不便だし人の話を聞いてもチンプンカンプンで面白くないので、その程度 にはやっておこうと思っている。特に数学の90%以上が何らかの形で解析に 関連しているから、解析音痴ではこの世界では楽しくやっていけないように思 う。

教科書的な本を読まなくなり、自分の研究に関連する論文を時々読む以外 は、もっぱら考える事が中心になった時が、一人前の数学者になれる時であろ うと思う。数学者の場合、この段階になると机に向かって勉強するというより、 あちこちふらふら漂いながら何やら考えているという、はた目に見れば遊んで ばかりいる状態になるのではないかと思う。 数学者(の卵)は、自分が開拓していく領域を見付けるために勉強するのであって、それが 見付かってしまえばあとは自分の頭で開拓していけばいいわけだ。

12月23日(木)
今日は休みなのだが、午後2時から4回生Y君と ガロア理論のゼミ。前回でKummer拡大を終って、冬休み中に方程式のガロア群 や4、5次方程式、作図の可能性の所を読んでおくこと、としたかったのだが、 1回でKummer拡大を終えるのが無理だったので今日も臨時でゼミを行うことに なった。大学はいよいよ冬休みの雰囲気である。開講期間中は学生達があふれ 返りそれなりに活気があって良いが、休みの大学も静かで気分がいい。 会社員時代も平日よりも休日出勤の時の方が静かで仕事がしやすかったものである。 少し早めに大学に来てAvramovを読む。

先日某書店の営業マンが来て日本美術全集30数巻を買う事になった。 以前世界美術全集を買ったので、同じ営業マンから2回も大きな買物を したことになる。

私は先史時代の洞窟絵画と近代西洋絵画、特に印象派に興味があるのだが、 ついでに(余り興味のない)ルネサンスや古典派の分も含めてセットで買ってし まったのをちょっと気にしている。でも、そのおかげでゴシックの教会建築の 写真集なども見られるので悪い気がしていない。ちなみに日本画では、特に俵 屋宗達、狩野一派、横山大観がお気に入りである。日本の美術工芸品も良いも のが多い。美術工芸品といえば、スキタイの金細工がすばらしいが、どこかに 全集がないものだろうか。また昔フランスのナンシーで開かれた国際会議に 出席した際、そのエクスカーションで連れていかれた小さな美術館で 初めてアール・ヌーボ時代の工芸品を知った。アール・ヌーボもまた私のお気に入りである。

ヨーロッパの建築というのは、教会などの特殊なものだけでなく、ふつう の町の風景でも絵になる。佐伯祐三は主にパリの風景画を描いていて、同じく パリを中心とした風景画家でフランスが誇るユトリロをはるかに越えていると 私は思っている。佐伯は日本の風景画もいくつか描いているが、どうも間が抜 けた感じで良くない。ポイントは壁と光だと思う。西洋建築は建物の外壁にしっ くいの平面が多く使われており、そこに太陽の光が鈍く反射する。外壁と地面 の反射光を描くと空間がうまく表現できるのだ。しかし、特に佐伯祐三の時代 の日本の風景は低層の木造の建築が中心で壁の反射光に乏しいので、描かれる 空間がどうもしまりの無い感じになってしまう。

その佐伯祐三についても、実は彼の妻が仕上げの筆を入れていたという話 を最近耳にしたことがある。佐伯の絵はずいぶん乱暴に思えるタッチが基調に なっているのだが、仕上げの段階で勢いの良い強烈なコントラストの線が描き 加えられていて、これが絵全体にぐっと迫力とリアリティをもたらしている。 もしこの部分が妻の手になるものだったら、佐伯の妻も相当のセンスを持って いると思う。

有名な画家で、その妻もまた偉い例として三岸好太郎が挙げられる。その 妻三岸○子(正確な名前を失念しました。後日記入予定)は現在でも活躍してい るが、ゾットする程良い絵を描いている。画壇での評価はどうなのか知らない が、私は好太郎よりも妻の方が上だと思う。

ちなみに私は子供の頃から画壇の評価というものには全く興味が無く、もっ ぱら自分の審美眼だけを信じて絵を楽しんでいる。若い時も芸大の学生の言う 事なんか全然信じなかった。彼らは私が良いと思うものを悪いと言い、私が悪 いと思うものを良いと言う習性があるように思えたからだ。当然芸大に進もう なんて事は中学生のある数日を除いて考えたこともない。

ピカソらのキュービズムの影響を受けたと思われる(こういった画風の流れ のような事は知らないし、興味も無い)万鉄五郎や、後期印象派の影響を受け たと思われる岡鹿之介やマリー・ローランサンやその影響を受けたと思われる 東郷青児の絵は、高い評価を得ているらしいが、私はちっとも良いとは思わな い。よって興味なし。

有名な画家でも駄作は多い。ピカソでもシャガールでも普段よく見掛ける 絵は傑作が多いが、それ以外の絵には駄作が多いのである。これはどんなに偉 い数学者でも、一流学会誌にことごとく掲載を拒否された論文が少なからず(?) あるのと同じで、別に不思議でも何でもない。数学者は一番良い論文で評価さ れるのであって、つまらない論文があるからと言って評価が下る訳でもない。 二流以下の数学者が二流である結縁は、傑作論文が無い(少ない)からなのであっ て、ゴミ論文が多いからではないのである。画家の評価もそれと同じだと思う。 忙しい時間の合間に展覧会に行っ た時は、まず会場をさっと一度回って駄作と傑作を区別してから、もういちど 傑作だけを見て回るようにしている。

12月24日(金)
昼前に大学に来てAvramovを読んだり、図書館で 論文やドイツ留学関連の資料を 探したり。Avramovでは、少し前からひっかかっ ていた、中山の補題を使ったある簡 単な事実がまた出て来て、その証明で悩む。どの 本を見ても「中山の補題より明ら か。」と書いてある。たぶん明らかなのだろうが、中山の補題をどう適 用するのか わ からない。昔考えた事があって、その時のノートには書いてある のだが、それを読 み 返すのもくやしい。私の場合、こういう類の事で半日潰したりするの は珍しい事で はな いが、やはり自己嫌悪に陥る。 今日はこれで切り上げて、また追々考えることにし よ う。寝る前の読書は有界可測関数の積分に入る。

12月25・26日(土・日)
25日午前中は散髪に行き、昼食のあと散歩とAvramovのlecture noteを少し読む。 夕方から三条方面をしばらくふらついた後夕食。三条大橋近辺はしばらくご無沙汰し ているうちに店がかなり変わったみたいだ。三条大橋のたもとの旅館がつぶれて (?) 喫茶店とパーマ屋の雑居ビルみたいになっていた。はああ、ここが同僚H氏お勧めの スターバックス三条店かな、と思って早速偵察とばかりに入ってみたが、座席は少な いわセルフサービスのカウンター前に5メートルぐらいの行列ができているわで、嫌 に なってすぐに出た。数年前に開店した高瀬川沿岸のビアガーデンも潰れて若者向け の衣料品店に替わっていた。最近京都で新しい店ができるときは、大抵若者向け衣 料品店である。これまた確かCD屋さんの跡に最近できたと思われる銀河高原ビヤガ ーデンとかを、偵察と称して夕食。マンゴジュースみたいな味のビールを飲んだ。

26日は昼頃山科駅前ラクトまでふらふらと散歩に行った事を除いて、自宅か自宅の 近辺でぶらぶらしたり、Avramovを読んだり、ドイツ語の勉強をしたりする一日。天 気 が良いと、「こんなに太陽と空がきれいなのに、家にいてはもったいない」と用が無 くて も外をうろつきたくなるが、今日は曇空である。大学の私の研究室は太陽の光がよく さし込むので、気に入っている。「こんなに太陽と空がきれいなのに、明りをつけて い てはもったいない(電気代がもったいないという意味ではない。念のため。)」とブ ライ ンドを開け明りを消して過ごすことが多い。窓際の机のあたりは明るいのだが、ドア の 近くは薄暗い。だから私の部屋を訪ねてきた学生などは、「高山先生は何であんな薄 暗いところが好きなのだろう?」といぶかったりするが、要するにお日様が大好きだ か らである。小・中・高校・大学や、いろいろな町の美しい思い出のほとんどは、晴れ た 日の太陽の光とそれに照らし出された風景の形で私の心に静かに堆積されている。

Avramov のlecture note は100ページ以上あるが、とりあえず今回読むのは60 数 ページぐらいにしておこうと思う。1月中には終わるだろうか。ルベ―グ積分は有界 可 測積分の性質。何回読んでも退屈な話である。

12月27日(月)
今日はあまりに天気が良いので、大掃除、正月の買い物、年賀状投函の合間に、山科 三条通り にある某喫茶店の窓際の席でで小一時間程Avramovを読む。ここは南と東に大きく窓 が開いて いて冬の明るい日差しにあふれたのんびりした感じの喫茶店で、一度入ってみようと 目をつけて いたところだ。

数学者の中には大学の研究室よりも、喫茶店や(例え立派な書斎があっても)家のダ イニングや路上(!) で勉強するのが好きな人が多い。私は自宅のダイニングの隅っこと、通勤途中の電車 の中や路上、 布団の中で勉強するのが大好きだが、天気の良い昼間の大学の研究室も好きである。 喫茶店は時間を気にせずにのんびりできる所が少ないので、余り行かない。

三田のI大先生は「大学で勉強したことは無い」と断言しているし、 小平邦彦先生も自宅のダイニングの大きなテーブルを占領して数学をやっていたと、 どこかに書い てあった。東大の三四郎池を潰して「土地の有効利用」を図る計画が持ち上がったと きに、 「研究の場が失われる!」と猛反対したのが数学科の先生達だったという麗しい話も 聞いたことがある。 京大数理研に半年間滞在していたときにも、某教授が談話室の自動給茶機でお茶を汲 んでは 廊下を行ったり着たりして思索にふけり、お茶が無くなったらまた自動給茶機の前に 現れ、また廊下に 出て行くという事を約1時間程繰り返しているのを目撃した。とても美しいものを見 てしまったと嬉しくなった ものである。

12月28日(火)
天気予報によると、今日は年内で最後の晴天だそうだ。そこで大学へ行きサン ルームのような(!)個人研究室で例によってブラインドを開放し、照明を消 して、ドイツ語の例文ノートを整理したり、Matsumura "Commutative ring theory"を眺めたり、ぼんやりしたりの一日。

以前から探していた「局所環上の射影加群が自由加群になること」の丁寧 な証明がMatsumuraの本に書いてあることを発見。その証明をほんの少し変え れば、先日の中山の補題についての疑問も解決することがわかる。なあんだ、 最初からMatsumuraを見ていれば、少なくとも自己嫌悪に陥らずにすんだもの を。

H. Matsumura "Commutative ring theory" Cambridge University Press はM. Nagata "Local rings" 以後のホモロジ―代数的方法の導入によって近代 化された可換代数のバイブルである。これの日本語版「可換環論」(松村英之) が共立出版から出たのは私が大学3回生ぐらいの頃で、永田先生の4回生の数 学講究(卒研ゼミ)のテキストとしても使われていた。私は専ら"Local rings"の日本語版「可換環論」(永田)紀伊国屋出版で勉強していたし、4回 生の数学講究で読んだD. Mumford "Complex projective varieties" はそれで 十分だったので、「可換環論」(松村)は買っただけで結局読まずじまい。し かし2〜3年前にBruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings" Cambridge University Pressを読む際に、"Local rings"の世界だけではちょっと歯が立 たないことがわかり、泣きながら初めてMatsumura "Commutative ring theory"を拾い読みしたというわけ。

12月29日(水)
何と今日も天気が良い。嬉しくなって大学のサンルーム個研室へ。途中例によっ てぼんやりしていたので、山科駅での改札のとき定期を取り忘れる。南草津駅 で駅員さんに泣きつき、山科駅に連絡してもらう。山科駅に定期券が無事保管 されていると聞いて胸をなでおろす。それにしても定期の取り忘れなんて、 生まれて初めてだ。私の路上ぼんやり病はかなり進行しているようだ(溜息)。

誰も居ない、天気の良い日の大学というのは気持いい。数学を勉強したり、ド イツ語をやったり、美術全集を眺めたり、ぼんやりしたり。まさに天国ですな。

さて、この日誌もしばらく年末年始休みを取る予定。30日から年明けしばら くの分は、後でまとめて掲載するか、省略するかは未定。31日におせち料理 を作り(私は専ら煮物担当)、4日〜7日頃に帰省する以外は、自宅か自宅付近 は三条近辺かをうろうろしたりしながら、数学とドイツ語をぼつぼつやって いることでしょう。平穏無事な年末年始である事を祈るのみであります。