2月1日(火)
夕方近くまでAvramovの「解読」作業。その後学生時代の同級生で某企業の計 算機研究者のTさんが訪問。2、3時間くっちゃべって、その後同僚S先生も 合流して3人で草 津の飲み屋でまたくっちゃべる。私は職場の飲み会ではほとんど酒を飲む気に ならないが、私的な飲み会になると話は別である。久しぶりで良い気分で酔っ 払った。

Tさんは私と違って早い時期に数学から(理論)計算機科学に関心が移って、 4回生のゼミでもその方面を選んだ。だから、同じ大学の同じ学科を同じ時期 に卒業(いや卒業は私の方が一年遅れだが)したのに、純粋数学至上主義に毒さ れていないようである。抜群の理解力と数学的才能に恵まれていない限り、純 粋数学至上主義なんてのをかかえているとロクな人生は歩めない。彼女は図ら ずしも賢明な選択をしたようだ。企業の研究所でも割合まともな所に所属し、 最近まで比較的「筋の良い」仕事に恵まれていたこともわかった。

ところで、同僚S先生は日頃の言動からして一体数学が好きなのか嫌いなの かよくわからなかった。 最近は工学部実験系特有の脂ぎった思考を身に付け、 「とうとう奴も悪魔に魂を売ったのか」という感じになってきたし、 日頃の発言でも「ガウスのような研究ができなければ、 数学なんてやっててもしょうがない」式の事を繰り返し言うし。 特にガウスうんぬんについては、ドクトル・ クーガこと故久賀道郎氏の言葉である「『どうしてもガウスのようにならなきゃ 嫌だ、そうでなければ数学なんてやっててもしょうがない』という人には、こ う申し上げる他はありません『あなたは数学が好きなのではない。何か別のも のが好きなのです』」を思い出して、S先生は本当は数学が嫌いなのかとも思える。 しかし、一方で「数学の勉強は好きだ」なんて事も言うし、全く脳細胞が筋肉 で出来ている人の考える事はさっぱりわからんと思っていた。 しかし、飲み屋で 色々くっちゃべった結果、要するに研究が嫌いだという事がわかった。おそら く若い時に難しい分野の研究に精を出しすぎて「燃え尽き症候群」になったの だろう。私などは、若い時に阿呆みたいな事ばかりやっていたので、その反動 でこれ以上阿呆みたいな事はやりたくない、何も結果が出なくてもいいから 研究していたいと思っているのだが。

私はどちらかというと、「数学をする」というのは「数学の研究をする」 事だと思っていて、「何も結果が出なくても研究していたい。研究という態度 を放棄するのなら、数学なんてやっててもしょうがない」と思っている。 するとやはり「あなたは数学が好きなのではない。何か別のものが好きなのです」な んて事になるのだろうかしら?

2月2日(水)
午前中は梅田のドイツ総領事館へビザを取りに行く。ドイツ総領事館はいつ電 話を掛けてもなかなか出ないし、やっと掛かっても係の人は大変忙しそうに応 える。よほど窓口に人が押し寄せて戦争状態なのかと思いきや、数名がソフアー で待っているだけで閑散としていた。不思議だなあ。

午後大学に戻りAvramovの再解読作業を続行。

2月3日(木)
午前中は例によって何だかんだと時間が経つ。昼過ぎからAvramovの再精読。 prime avoidanceの証明なんていう、イデアル論の初歩がぱっと出て来なくてあせっ たり、環上のregular sequenceと加群上のregular sequenceとの関連について の怪しい疑問の迷路にはまったり。ああ、幸せだなー!なんちゃって。

途中S先生の部屋でだべっていたら、M1のT君が就職活動について相談に来 る。何の役に立つかわからない数式処理をやっていて、就職に不利にならない だろうか?と心配しているらしい。数式処理は数式処理システムの改良だけに 役立ちます。数式処理システムは数学者と特殊な分野の科学者や技術者だけに 利用されます。つまり、数式処理は計算機科学では狭い分野だけで使われる特 殊なアプリケーションの一つであって、(少なくとも日本の)計算機業界ではほ とんど無視されています。世の中全てサイバースペースなのであって、チマチ マした数式処理なんてどうでも良いのです。でもそんな事、学部や修士で就職 する君が心配する必要は全くない、と言っておいた。その心配が現実ならば、 世の中就職できない大学生が街にあふれ返り、暴動が起こるであろう。私だっ て大学で可換環しかやらなかったし、計算機なんて見た事なかったけど、計算 機メーカに就職しましたよ。ギリシャ語専攻の修士卒が研究所に配属されてき たりもしたな。

立命館大学で荒っぽく「数理情報」と呼ばれているものは、元々数式処理 のような特殊なアプリケーションのための話と、計算論理のように計算機科学 全体の基礎(foundation)のための話がありました。基礎の方は、アプリケショ ン領域は原理的には無限に広がっています。一応情報学科の案内書には、数理 情報=基礎(foundation)と位置付けられています。ところで、前者は数学の人 にはわかりやすいが、計算機の人は見向きもしない。後者は数学の人にはわか りにくく、立命の計算機の人は見向きもしない。この事実の論理的帰結として、 立命館大学情報学科における「数理情報」は、まず基礎(foundation)の分野が 絶滅し、それをやっていた私は隠れ数学者として地下にもぐり、特殊なアプリ ケーションの分野の方は数理科学科で命脈を保とうとしています。私にはもう どうでもいい事だけど。

2月4日(金)
Avramovの再精読。前からおかしいと思ってた、写像の持ち上げ定理のひとつ の証明が間違いである事が明らかになる。正しい証明を考える。あとmapping coneやquasi isomorphismについての一般的定理を見直す。こういう一般論よ りも、resolutionの具体的な構成法の話の方が面白いのだが。

午後から風邪から復活した3回生M君と多項式環のイデアル論のゼミ。パラ メータで定義されたtwisted cubic curveの定義イデアルを決定する問題を、 以前HartshornのゼミでZariski位相と次元論を使って代数幾何学的に解いた事 があるが、多項式のdivision algorithmを使って初等的に解く方法があった事 を知る。こういう事がポロっと出て来るから、学生とのゼミもなかなか有益で ある。ゼミのあと4回生Y君と卒論のまとめかたの打合せを少し。

学生とのゼミ・打合せが予想以上に長引いたので、夕方からの会議その1 はパス。会議その2は立場上何も発言してはいけない会議なのでパス。

2月5日(土)
午前中はゲーテ・インスティチュートへ。また再来週から春の短期講座を受講 するつもりだけれど、今回のドイツ語講座は今日で終りだ。昨日は情報学科の 会議に出なかったので鬱病にもかからず、今日は天気も良いので、大学へ直行。 明るい日差しのあふれる研究室で、単語や例文の総整理をする。4ヵ月で57 000円分のドイツ語は半端でなく、覚えるべき単語と例文の量は膨大である。 全部頭に入れば(それはほとんど不可能である!)大したものである。

ゆうべは京大数学教室の卒業生名簿をながめていたが、どうも毎年1学年(40〜 80名程度)で最終的に数名〜10名程度が数学者、つまり大学や高専の 数学教師、になっているようだ。その昔は数学科に行って大学の先生(数学者)になりた いと言ったら、「ばかもん!大学に残れるのは10年に1人だぞ。」と親父に ドヤされたものだが、そうでもない事を知ったのはずっと後である。確かに数学者として本当に 偉くなるのは、それぐらいの割合かも知れないけど。

また最近は私の頃(1学年80名程度)ほど数学に人気が無いらしく、1学 年40〜50名程度である。そのうち8割程度が大学院に進学している。ほとんどが京大の 大学院だ。これはB合格制度を導入したからであろう。博士課程の進学者数を みると昔と変わらず数名〜10名弱程度なので、A合格者もそのぐらいなのだ ろう。A合格者数は私の時代の大学院進学者数とほぼ同じである。当然ながら、 修士課程を卒業して民間会社に就職している人の割合は昔と比べて桁外れに多 い。皆結構いい所に就職している。B合格で博士課程に上げてもらえず、 怒って(?)他大学の博士課程に進む人も毎年何名かいるようだ。 その中から偉くなる人も出て来たので、あわててB合格からA合格への 「内部昇進制度」を作ったのかしら?

私の学生時代に今のような制度だったら、大学院のB合格ぐらいはできたかも知れないなあ。そして 適当に数学には見切りをつけて、そこそこの会社(つまり企業の研究職として まともにやっていける所)に就職して、そこにおさまっていたかも知れない。 でもやはり工学部の人間と喧嘩してただろう。学生時代(今でもあ る程度そうなのだが)は工学部というのが生理的に嫌いで、工学部の人間の顔 を見るたびに、石でもぶつけてやろうなんて事ばかり考えていたから。

2月6日(日)
朝から真面目に雨が降っている。京都市長選挙に行って、買い物をして、あとは 家でドイツ語のノート整理。時々休んで来年度担当する微積分学の教科書を読む。

自慢じゃないが、過去に微積分学を真面目に勉強したのは2回目の大学院入試 の直前1ヶ月だけである。1回目の院試は、微積分をほとんど知らずに受験したの だから、人生なめてかかる習性はこの頃からあったものと推察される。 Cauchyの収束条件だの一様収束だの極限操作と積分の交換だの全微分だの、 陰関数定理だのの概念はその時始めて知ったようなものである。恐ろしいことに 高木貞治の「解析概論」を小脇にかかえて、時々ちらちら眺めるだけで、全てわ かった気分になっていたのである。もっともそれまで割合良く勉強していた複素解析 や可微分多様体に、微積分の概念はしょっちゅう出てきたが、全て偉大なる 「想像力」と高木大先生の神通力によってやりすごした。

演習問題全てすっ飛ばしの、1ヶ月弱の勉強で問題が解ける程秀才でも無いから、 院試では微積分や複素解析や幾何の問題は、その意味も何をやれば良いかも明快 にわかるのだが、それを解く腕力が伴わないので沈没。頼みの代数は、例年通りの難 問ぞろいでこれまた沈没。そしてこれが私の自爆沈没人生の幕開けとなったわけであ る。

こういう人間がいやしくも数学科(数理科学科)の微積分学を担当するのだから、 大変なことである。お前立命の数学科をなめとるんじゃろう?!と言われれば 正直に「はい。なめてます。」と言うより他はない。

2月7日(月)
今日から一週間強入試の採点で朝から夕方まで缶詰状態となる。 昼休みはゆっくり微積分の教科書を眺め、夕方は大学院入試の問題を 作る。少し風邪気味なので、早く帰ってドイツ語のノート整理 を少しやって寝る。

夕方に「数理モデル論」の単位は取れているかという問い合わせに、2〜 3人たて続けに学生が訪れる。卒業がかかっているらしいが、私は情報学科の 事はどうでも良いので、採点が済んで成績表を事務に提出したら、後は何も記 録が残っていない。問題のコピーと解答をみせて「143=11×13の因数 分解の問題が解けていれば合格している。さもなければ、何とも言えない。」 と答えた。

昨年度までは感想文みたいな問題で全員単位を出していたが、今年は少し まじめにやろうと、まともな問題を出したのである。で、何も勉強してなくて も中学生程度の学力と、中学生レベルの「いただき問題」が見え隠れしている のを見抜く大学生らしい洞察力があれば簡単に解けて、単位が取れる仕掛けを してある。たとえばRSA暗号の問題で

「公開鍵(n,e) = (143, 7)のRSA暗号を考える。このとき秘密鍵(p,q,d)を 求めよ。但しp,q は n = pq なる素数であり....」

なんて問題を見て、何か知らんが 143 = 11 × 13 と書き殴れば「おめでとう ございます!」と単位のくす玉が割れる仕掛けになっているのである。それで も何もできない学生は、大脳停止状態と判断して容赦なく落したのだ。後期試 験受験生の15%ぐらいは落したように思う。

2月8日(火)
入試の採点2日目。昼休みはM2のT君の修論原稿のチェックに追われる。内容 はH先生にお任せなので、気楽ではある。

微積分の教科書の自分の担当分は明日中に読み終えそうである。100ペー ジぐらいあるが、丁寧にやさしく書いてあるので、ぶいぶい読み飛ばせる。今 のところ2箇所ばかり「何でそうなるの!?」って所があるが、追い追い解決 して行くことにしよう。

採点期間中は、ほとんど他の事をやる気が起こらないし、微積分の教科書 を読み終えたら何をしようかしらと迷うところである。
(1) 読み飛ばした演習問題を解く。
(2) ついでに私の担当分でない重積分の所を読む。
(3) Hartshorn "Algebraic Geometry"のsheaf と schemeの 定義の部分を読む。
(3)は同僚Pさんと3月末までにやって4月からその先の所のゼミを 始めると約束したし、採点期間が終ってAvramovに再突入したら、 たぶん後手後手になって結局やならいだろうし、その意味でやって みたい気はする。 (2) は最近寝る前の読書「ルベーグ積分」で具体例の話がボンボン出て来て、 微積分レベルの積分の計算を見ておきたくなってきたので、一度 やってみたいし。(さすがに偉大なる「想像力」と高木大先生の 神通力でやり過ごすほど若くもないから。) (1) は数学の腕力をつけたいという意味で一度はやりたいものである。 微積分は具体的な関数や式の計算が沢山出てくるが、学 生の頃は微積分のチマチマした計算なんて、高校生じゃあるまいしやってられ るかってな調子でパスしていた。しかし数学者には腕力が必要だという事は最 近になってやっと痛感した次第。

今やっている可換環論の場合、具体的にイデアルを与えて剰余環の極小自 由分解を求めるって所に腕力が必要だ。しかしこの場合大抵手計算ではどうに もならないので、計算機にやらせる事になる。つまり問題になるのは、計算機 の腕力である。与えられた整域の(商体内での)整閉包を決定する、なんて話も 具体的計算は(計算機を使うとしても)ほとんどの場合不可能である。加群の局 所コホモロジーなんてのも、(少なくとも私は)具体的計算はどうやればいいか もわからない。spectral sequenceが(コ)ホモロジーの計算道具だと言っても、 じゃあ具体的に与えられた(コ)ホモロジーがそれで具体的に計算できるか?と いうと、そうとも思えない。(たぶん出来ないのだろう。)という訳で、腕力を 鍛える機会は多くはない。微積分の計算なんて自分の研究で出てこないのだか ら、いいではないかという気もするし、そのぐらい出来なければ情けないとい う気もするし。

2月9日(水)
入試採点3日目。昼休みは卒研生の論文に関するメイルの対応などで潰れ、採 点は夕方5時前に解放される。微積分の教科書を少し読んで早めに帰ろうと思っ ていたら、院試の問題検討会に呼び出されて6時過ぎになる。

入試採点は、情報学科シフトではなく数学教室シフトに割り当てられてい て、当然採点分量・日数ともに多くなる。これは、まだ少し早いけど数学教室 に移ったような気分にさせてあげようという親心からであろうと、有難く承る ことにしている。

2月10日(木)
入試採点4日目。さすがに疲れが出て来る。昨夜微積分の教科書の逆関数定理 の証明で、どうも怪しい部分が見付かり悩む。

ゆうべは夢の中で最近3日ほどたて続けに朝の山科駅で合流してしまう数 学教室のA氏が出て来て、「え?それは簡単じゃないですか?ここの変数の数 がむにゃむにゃ(何を言ったかわからない)だから、連立方程式の解としてξの 値を決めればいいのですよ。」なんて言うので「あっそうか。それで行けそう ですね。ちょっと考えてみます。」なんて調子良く返事をした。で、そこでト イレに行きたくなって夢から醒め、トイレに行ってから「これで解決だな」と 思って安心してまた寝た。今朝起きてから、夢の中のA氏の解法を試みたけど、 んな訳ないじゃん!となり、また振出しに戻る。

採点から解放され、また少し考え直す。こんな変な議論にはすぐに反例が 構成できるだろうから、それを送りつけて著者に文句でも言ってやろうと2〜 3の例で計算してみたが、何故かうまく行く。おかしいなと思って良く考えた ら、その証明は正しい事がわかった。しかし、全体的にやさしく丁寧に書いて あるのに、その部分だけかなり大きなギャップがあるのに気付いた。結局夢の 中のA氏の御宣託通りの方針で正しかったようである。うーむ!数学研究で悩 める諸君、壁にぶち当たった時には霊験あらたかなる「A氏詣で」を されたし。必ずや御利益があるべし。

その後、ドイツ語講座の打ち上げパーティーに出かける。受講生(2〜3名 を除いておばさんばかりである!おばさん大好き!)と彼女らの小さい子供達 の10人程が、先生のマンションの集会所を借りておこなう手作りパーティー である。おばさん達の中で借りてきた猫のように大人しく、ただただニコニコ しながら楽しく過ごした。