1月1日(土)
言うまでもなく正月なり。偵察と称して山科の町を散歩。出し忘れた年賀状を投函す ると言っては、 また散歩。なんだかんだと言って夕方にもまた散歩。その間、大晦日のテレビボケの リハビリの ためMatsumura "Commutative ring theory"を少し読む。

新聞で京大数理研の三輪氏と京大理学部の神保氏が、可積分系の研究で「朝日 賞」を 受賞された事を知った。両氏の師匠である佐藤幹夫大先生によれば、三輪氏は「頭の 回転が速く」 神保氏は「鋭い」そうな。うーん、私は頭の回転は速くないし、鋭くもないよなあ。 こういう事を 素直に認めることができて、かつそのことを深刻に受け止め過ぎて自己嫌悪に陥ると いうこともなく、 淡々とやり過ごせるところが、中年のフテブテシサであり強みであります。

1月2日(日)
Matsumura "Commutative ring theory"は良い事がいっぱい書いてあるが、当面の 疑問の解決に必要そうなな部分だけつまみ食いして、15時過ぎに吉田神社へ向か う。 山科は静かなものだが、三条方面はけっこうにぎわっている。人も車もかなり多い。 みな正月だからと言って家でじっとしていられないのでしょう(私もそうだが)。

東山三条でバスを待ってもなかなか来そうにないので、吉田神社まで歩くことに する。 学生時代はこうやって毎日大学までの30分弱をあちこちの風景を眺めて道草 食ったり、数学を考えながら歩いたものである。吉田神社まで歩いて、帰りは バスに乗って東山三条まで行き、そこのマックで一休みして、地下鉄で家に 帰ってくるまでの間に当面の疑問は全て解決してしまった。やはり疑問にぶち当たっ た 時は歩くに限る。

1月3日(月)
朝ご飯を食べてぼんやりしてから、少し散歩して昼ご飯を食べて、 録画しておいた新年2時間半スペシャル『ショムニ』を見てから昼ご飯のあと片付け をしたらもう夕方。 また少し散歩したら夕ご飯の時間。『ショムニ』を見て少し散歩した以外は食べる事 ばかりせっせとや っていたという、何だかアホみたいな一日であった。 これではいかんと、夜少しAvramovを読む。

寝る前の読書、溝畑「ルベ―グ積分」はなんだかんだと言って有界可測関数を 扱った第3章Legesgue積分(I)を終え、有界でない場合を扱う 第4章Lebesgue積分(II)に入る。

日本の代数学の草分けである、故正田健次郎博士はよくバーでお酒を楽しんだと いう。 で、「こういう遊んでいる時間は無駄ではない。こうやって遊んでしまうと『いかん !ちゃんと勉強しよう!』と やる気がわいてくるからね。」と後輩達を煙に巻いたそうである。私はこの言葉を座 右の銘として(つまり 言い訳の種として)、学生時代の長期休暇期間に遊びまくった事を今でも後悔してい る。 一方数学教室のN先生語録の一つに「やる気だけでは数学はできないんだよね」とい うのがある。 数学者稼業もたいへんである。

1月4〜7日(火・水・木・金)
4〜6日の3日間帰省し、鰻屋を方々訪ねて食べ歩き7日夕方に京都に返っ て来た。通常鰻はまず蒸してから軽く焼くのだが、そうすると鰻がふにゃふにゃ というか、箸でつかんだだけでボロボロと崩れるようになる。それが柔らかく て良いとされているが、私はあまり好きではない。私の故郷では鰻は蒸さずに 最初からじっくり焼いて中まで火を通すので、身に少し弾力がある。これがい い。この鰻を食べるために盆と正月に帰省しているようなものである。

鰻の方は大いに進捗したが、ドイツ語とAvramovを忘れない程度に少しやっ た程度。学生時代もそうであるが、帰省すると全く勉強する世界でない所に来 てしまった気分になってしまう。中学時代の後輩にして、学生時代の同級生、 のち大学院の先輩となってしまった現在K大学のK氏は、学生時代の夏休みなど も大学受験生時代と同じ調子で、県立図書館で朝から晩まで数学を勉強してい た。私は昼前に起きて県立図書館に行き、少し勉強したら高校時代の悪友に誘 われ、そのまま夜中まで遊びまくる、という生活をしていた。その後我々二人 の人生は「アリとキリギリスの物語」の挿絵にできるぐらいに見事なコントラ ストを描いたのである。市街地の便利な所にあった県立図書館も、今はどこか 遠くに移転してしまった。

そういえば私の故郷もずいぶん「さびれて」しまった。昔フランスのナン シーに行った事があるが、そこは「旧市街」と「新市街」が隣接していて、旧 市街は昔の栄華の面影を残しながらも、ひっそりとした街並であった。その時 は、一つの都市の中心地が少しずつずれて行って旧市街と新市街に分かれると いう現象を不思議に思ったし、そういう現象は何世代かの長い期間に少しずつ ゆっくりと起こるのだろうと思っていた。しかし何のことはない、私の故郷で それが目に見える速さで現在進行中である。

私の実家の近所も私の学生時代ぐらいまでは、一応その地域の政治経済の 中心地として、商店街もそれなりににぎわっていたが、今は不況も手伝って店 を閉じて何年も前から売りに出されている店舗が目立っている。私の子供の頃 よく見知っていた商店主も、加齢とともに一人また一人と亡くなり、誰かが店 を継ぐ訳でもなく売りに出されたり、あるいは別の所に店を移転したりしていっ た。また、近所に小学生以下の子供はほとんど居なくなった。昔からそれ程活 気があった街でもないが、今は特に活気が無いような感じである。昨今は多分 何の商売をやってもうまく行かないだろうという気がする。それに対して、昔 は市街地近郊の田園地帯であった所が、今では新興住宅地域となり、大型店も 数多く進出し、大変にぎわっているようである。実家の近所にあった比較的大 きなスーパーも、軒並みその地域に移転してしまった。

私は数学に転向して以後、計算機をやっていた15年近い年月の事が記憶 の時間軸からごっぞり抜け落ち、何となく大学卒業して数年目のような気分で 過ごしている。しかし、旧市街・新市街現象やとうの昔に無くなってしまった 県立図書館の事をまのあたりにすると、いつの間にかとても長い月日を過ごし てきたことを一気に思い知らされて、頭がくらくらしてしまうのである。

1月8日(土)
8日は今年最初のドイツ語講座。年末に渡された天気予報のビデオは、難しすぎるの でほとんど パスし、返却した。京大ルネで昼食後、大学に戻る。まだ正月休み気分が残っている ので、三条 あたりにふらふらと出掛けたかったが、年明け早々なんだかんだと雑用があるのでや むおえない。

Avramovは、一番お目当てにしていた定理が何となくおかしい。何となくというの は、証明がおかし いのか定理のステートメントそのものがおかしいのか、どちらとも判じがたいが、と にかく変なのである。 こうなると、そろそろ原論文を当たってみないといけないと思うのだが、どこかの大 学でのレクチャー ノートだのが原典だと、ほとんど入手不可能でやっかいである。また、原論文の証明 が誠に簡明あるいは 複雑を極めており、ますますもって理解し難い場合も無きしもあらず。こういう時は 定理のステートメントでも 証明でもなく、単に自分の頭が一時的におかしかっただけであることを祈らずにおれ ない。

論文を読んでいても、間違っている事はある。レフリーは一体何処に目をつけて いるのかと思うが、 数学では「結果が正しいかどうかは著者の責任」らしい。やっかいなのは、どうやら 結果は正しい らしいが、証明が出鱈目という場合である。自力で証明するか、欲求不満を抱きつつ 結果を信じる かのどちらかである。数学教室のN先生語録の一つに「自分が納得できないものは信 じてはいけない」 というのがあるから、結果の鵜呑みはよろしくない。しかし、往々にして自力証明は 骨が折れる。 論文に書かれている間違った証明に対し、読者が正しい証明を与えたら、その定理の クレジットの 半分はその読者に与える、というルールでも作ればどうだろうか。 「数学では定理を『発見する』事に意味があって、証明などは下々の者にやらせて おけば良い」と豪語した大数学者も居るらしいから、あり得ない事だろうけど。

1月9日(日)
来年度担当する数理科学科2回生用の微積分の講義のために、三条へ多変数の微積分 の教科書 を探しに行った。何だか自分の首を締めるロープを自分で買いに行くような気分で あった。 教科書が無いと講義がしにくいという人も多いが、私は教科書を使って講義をするの が嫌いな方で、 自分で作ったプリントでもそれに沿って講義をしないで、その時の気分で好き勝手な ことをしゃべってきた。 しかし、それは情報学科開講科目の中でも、数学系科目というただコマさえ埋めれば 良いとされている講義 だから許されたことであって、微積分のような定番メニューは教科書を使わねばなら ないのであろう。

AvramovのGolod環、Golod加群のところの記述はいよいよもって怪しい。ものすご く怪しい! この本が怪しいのか?私の頭が怪しいのか?いずれにせよ困ったものである。 ところでAvramovのLecture noteが掲載されているBirkhaeuser社のProgress in Mathematicsシリーズ の表紙は、深い緑の地に白でタイトルと飾りのラインが何本か入っている。この配色 といい、 私が今読んでいるNo. 166 "Six Lectures on Commutative Algebra" のずんぐりとした厚さといい、サンダーバード2号を彷彿とさせる。

「サンダーバード」とは勿論(と言っても30代前半以下の世代にはわからないかも知れないが) あのイギリスで製作された「国際救助隊サンダー バード」という テレビ番組であるが、"科学技術の粋を集めた"数々の救助活動用機材・特殊車両が当 時の少年達を 魅了したものである。これらの機材・特殊車両は今井科学という会社からプラモデル が発売されていて、 私はサンダーバード1号から5号までの全てと、ジェットモグラタンク(地底救助作 業用の大型掘削ドリル 付きキャタピラ車)を持っていた。1号は水平飛行用の折りたたみ式翼を持ったロ ケットとジェット機の中間 のようなもので、通常の救助機関の手に負えない大事故や災害発生現場に真っ先に駆 けつけるための 偵察機。2号はさまざまな救助作業用特殊車両を運ぶための巨大コンテナを搭載した 大型輸送ジェット機で、 このコンテナに海中での救助作業用潜水艇であるサンダーバード4号や、 ジェットモグラタンクが積まれる。5号は情報収集・通信用の宇 宙ステーションで、3号はこの宇宙ステーションと地球を行き来するためのロケッ ト。これらの中で、ずんぐりとした胴体に短い翼をもち、2本の大型ジェットエンジンを持つ 2号が一番のお気に入りであった。

"Six Lectures ..."を手にする度に、サンダーバード2号を思い出して何となく 嬉しくなってくる。

1月10日(月)
今日は成人式とかで休日。昼頃に大学へ行き、ドイツ語の復習をしてAvramov を少し読む。謎の多いGolod環・Golod加群の章は今日中にやり過ごして、 何とかTate分解の章へ進みたいものである。Tate分解の章の10ページ余りを 読めば、一応予定は完了である。

世間ではとうの前から仕事をしているようだが、大学は未だ眠っ ているかのようである。こういう所で「大学の先生は暇だ」という 誤解が生まれるのだろう。

数年前に町内会長を押しつけられた時、大学の教員である事がわかると暇 だと思われて何かと仕事を押しつけられて困るので、身分を隠していたのだ。 しかし意外な事でばれてしまった。町内会の退屈な会議の途中私が消しゴムや定 規や赤ペンなどをガチャガチャ入れた筆箱を取り出したら、「いま どきこんなものを持ち歩いているのは、小学生か学校の先生ぐらいである!」 という事でばれてしまったのである。

伏見に住んでいた頃、中書島の駅で時々怪しいオジサンを見掛けた。髪は ボサボサで鬚はきちんと剃られてなくて、下はスニーカーにスラックス、上は ワイシャツにノーネクタイで、何やら大きなリュックサックを担いでうろうろ している。ホームレスにしては小ぎれいだし、「危ないオジサン」にしてはぼ んやりした中にもきりっとした顔付きをしている。「これは数学者に違いない!」 と直観した。しばらく観察していると、リュックから紙を取り出し、何やら計 算し始めるのを発見したので、これが動かぬ証拠となった。後にこの人は現在 T大学教授をしている有名な数学者とわかった。ふーん。やっぱり数学者っ てのは黙ってても判るんだな、と改めて感心した次第。 そう言えば、私の教え子に「電車の中で、勤め人風の格好をしていてなおかつ スニーカをはいていたら、それは中学か高校の先生です」と教わった事がある。

で、しばらく遠目に観察する日々を送っていたのだが、ある時その人がす るするっと私に近寄ってきて、京阪電車の中で「ナンパ」されてしまった! うーむ。数学者は互いに相手の「匂い」を感じるのか?実はそうではなくて、 単に私が結び目理論の本を嬉しそうに眺めていたので、目を付けられただけで あった。