1月11日(火)
午後一杯4回生Y君とガロア理論のゼミ。五次以上の代数方程式に根の公式が 作れない事まで進まないと格好がつかないので、追い込みゼミをやっているの である。来週もう一回午後一杯潰してゼミをやる予定。

AvramovはTate分解のところで、妙なspectral sequenceの議論が出て来たの でまた頭をかかえる。もう一度Rotmanを読み直そうかしら。あと10ページなの だが、どうなることやら。

来年度担当予定の「解析学序論1」の件で、今年1回生の微積分を担当し ている先生と簡単な打合せ。今まで情報学科の数学系科目という、単にコマを 埋めれば良いとされている講義ばかり担当していたが、数理科学科の多変数の 微積分の講義となるとそうも行かない。

1月12日(水)
現在Y大学工学部共通講座で数学を教えている学生時代からの友人Y君が京 都に来たので、終日つき合う。向こうは既に立派な数学者である。専門分野は かなり異なるが、駆け出し数学者の私に歯に衣着せず色々アドバイスしてくれ るのは大変有難い。数学は進まなかったが有意義な一日であった。

1月13日(木)
ドイツ語の宿題を少しやった後は、同僚S先生や院生T君と一緒に、Tillさ んのために買ったThinkPADにFreeBSDをインストール。一言で言って「生産者 側の不手際につき合わされるユーザの不条理」を久しぶりに味わった。我々は 否応なくこれに巻き込まれている。その中で将来の人生の浪費を低減させるた めに、一度インストール方法をマスターしておこうと思ったのだが...

思うに私は他人の気まぐれや思惑に振り回される事を極端に嫌うようだ。 それは私にとって「人生の浪費」を意味する。 しかしこれはまさに「人生ままならぬ」という事実と表裏一 体の事だから、極端に嫌ってばかりではなく、うまくやり過ごす術を心得る事が大人 になるという事かもしれない。そういう意味では、40才過ぎても大人に成り切れないよなあ。 大学の教師だって、下手をすると学生の気まぐれと思惑に振り回されかねない。

教師の多くは研究をしたいのだけど、学生はそんなこと夢にも思っていない。 すると「研究室」という現場が修羅場と化すわけだ。実験系の学部学科の教員 は、研究を進めたい教員が、何とか単位だけせしめて就職決めて卒業したい学 生達の気まぐれと思惑に振り回される。私の場合それが嫌だから、「研究室」 の活動と自分の研究活動をきっちり分離するようにしてきた。そうすると、 「俺達と同じようにやらんのはけしからん」と周りの教員から何やかんや言わ れる。つまり研究において学生と運命共同体を作れというわけだ。それでうま く行く人はいいけど、私の場合それは研究者として「学生と心中しろ」と言われるのと同じ だ。(だって、理論的な事や数学的な事が何より嫌いな子達ばかりが 集まってるんだから。) 一体何の権利があって、「お前、(研究者として)死ね!」なんて事が 言えるのだろう。きっと自分が神様だとでも思ってるのだろう。 学生は自分の出来る範囲、やりたい範囲で楽しくオベンキョーして卒業し、 教員は楽しく研究し、立場や目標の違うおじさん(教員)と若いの(学生)が そこはかとなく、かつ美しくも不可思議な交流を一定期間持ち、 それぞれ少しずつ「ちょっとばかし楽しかった」思い出を胸に別々の道を歩む。それ でいいではないか。 大学教員は、学生と共に「生きる」道を追求すべきであって、 研究室体制などの形式的同一性を金科玉条のごとく重んじるあまり、学生と「心中」することを よしとすべきものではない。 立場・境遇の違いを無視した周りの教員達の、気まぐれな形式的思考に振 り回されて、研究者として潰されたのではたまったものではない。こういう事 には断固とした態度で対応してきたつもりである。しかし、学生問題は対処で きても、頻繁に行われる不完全なバージョンアップに振り回される計算機問題 はやり過ごせない。困ったものだ。

いかん、いかん。愚痴っぽくなってしまった。Rotmanのホモロジー代数でも 読んで心を鎮めて早く寝よう。

1月14日(金)
今日は午前、午後に1科目ずつ試験監督。その間3時間程時間があったが、何 だかんだと潰れる。FreeBSDの方は同僚H先生のサジェスチョンと院生T君の活 躍により、昨日ぶち当たった致命的問題がだましだましクリアされた。

私は「計算機いじりは下らないし、人生の浪費だ!」と公言してはばから ないが、それに習熟したテクニシャンを下らないとは思わないし、そんな事言 えた立場でもない。そうなると「下らない事をやっている下らなくない人」と いう妙な話になるが、二つの「下らない」は根拠となる価値体系が違うのだか ら、別に論理的に矛盾でも何でもない。その辺はきっちり区別しているつもり。 我ながらややこしい人間だなあと思うが。

午後の離散数学の試験の後、数学科の学生に可換環の"イデアル化の原理" について質問を受けびっくりする。何か知らないが、彼は私の大学時代の指導 教官であるM大先生に通じているらしい怪しい学生で、「M大先生には『私は数 学で落ちこぼれたので、今は計算機やってます』と言ってあるんだから、夢々 『高山先生は今可換環論と代数幾何やってます』なんて事をチクらないように!」 と念を押しておいた。(ちなみに「代数幾何」の方は趣味でぼちぼちやっている だけですから。念のため。)

1月15日(土)
午前中はドイツ語講座、京大ルネで昼食、午後大学へ、というお決まりのコー ス。Avramovの参考論文を図書館で探した後、ドイツ語の単語の整理。ドイツ 語の勉強やAvramovの読み込みやFreeBSDの設定や(面倒臭いなあ)ヴィザの申請 手続きや代数幾何のゼミの予習や色々やる事は山のようにあるけれど、何だか 休み明け早々くたびれてきた。そういえば注文しておいた日本美術全集が届いた ようだから、月曜日にも取りに行って、しばらくそれを眺めて過ごそうかしら。 なんて調子には行かないよな。

今日コピーしてきた論文の一つはフランス語のぶ厚いものだった。まずい よなあ。今ドイツ語やってるのに、フランス語の論文なんて読み出したら頭が パニックになりそうだ。だたでさえ、うろ覚えのフランス語の単語と、同じく うろ覚えのドイツ語の単語が混線したりして、頭がこんがらがって来ているの に。何とか眺めるだけで済ましたいものだ。

1月16日(日)
朝はゆっくり起き、午後はドイツ語の復習等に追われる。夕食後また少しドイ ツ語をやった後、土曜日にコピーしてきた論文をほんの少し読む。1957年 の論文が図書館に存在した事自体が驚きである。その後夕食前の散歩途中で 買ってきた「ドイツ人のまっかなホント」を読む。 1時間ぐらいで読み終えられる本が1000円以上するのだから、割が 合わないよなあ。数学の本なら5000円で1年ぐらい「楽しめる」のだが。

1月17日(月)
午後一番で滋賀大の非常勤講師をしてから夕方大学へ。衣笠の事務にちょっと した問合せの電話を入れて一息ついたら同僚P氏から電話。明日の代数幾何の ゼミを延期して欲しいとのこと。こちらも忙しくて何も準備してない状態なの で、二つ返事でOKする。その後まもなくちょっとした会議に電話で呼び出される。 その後数理モデル論の採点に取り掛かる。やれやれ。

Avramovのspectral sequenceを使った議論は、Rotmanの読み直しと195 7年の論文をもとに、滋賀大から大学へ移動途中に少し考えてみたが、少し方 向性が見える。

1月18日(火)
昨日の帰り際に、自動販売機でココアを買うつ もりが間違えてコーヒーを買ってしまった。普段コーヒーは飲まないからかこ れが物凄く効いて、夜中にふと目を覚ました後、朝方まで眠れなかった。お蔭 でAvramovのspectral sequenceを使った「怪しい議論」がほぼ解決した。「怪 しい」のは自分の頭であった事がわかり、ひと安心。

今日は午前中2科目の試験の応援監督。午後から「離散数学」の採点。普 通に採点していたら、情報学科の受験者の55%、数学科の受験者の30%近 くが0点で文句無しに落第し、A評価は数学科2回生1名のみになってしまう 事に気付いた。問題の7割が大学入試の中級レベルの問題で、残りも 概念的に少し大学の数学っぽい話だが、技術的には高校数学の計算問題。 「涙がちょちぎれる」とは、こういう時のための言葉である。

私は情報の学生には冷たいから、5割でも何でも落してやれ!数学の3割 の諸君には涙を飲んでもらおうという衝動に駆られるが、それでは色々まずい だろうという「高度な政治的判断」から採点基準を変更することにした。結局 D,C,B判定をそれぞれ単純にC,B,A判定と読み換えることにしたら、「教育的観 点からして望ましい成績分布」が得られた。

もう少し細かく見てみよう。2回生だけで考えると情報学科はA, B, C判定 の比率がそれぞれ15%, 30%, 55%. 数学科は47%, 23%, 30 %. A評価取得者率が、数学科は情報学科の3倍以上というのは、数学科の学 生諸君の面目躍如といったところであろう。A評価取得者は、ほぼ「高校数学 を理解し、さらにその先の数学を学ぶ素養を持った者」。B評価取得者は、ほ ぼ「受験勉強で一定の成果を上げたものの、実は高校数学をほとんど理解して いない者」。C評価取得者は、ほぼ「わけのわからないままに受験勉強をし、 どうにか入試だけはクリアした者」あるいは「単なる怠け者」。以上のように 解釈すると、日頃情報学科と数学科の学生についてなんとなく感じている事と ぴったり合うので、極めて腑に落ちる結果と言えよう。

また、今回は高度な政治的判断によって不合格者は0であったが、これで もって「『離散数学』は単位をもらえる」と思ってもらっては困る。実際そう いう噂を聞いて受験しましたので単位下さいと、ヌケヌケと書いてある答案も あった。これは間違いである。問題文と持ち込み可のノートの字面を見比べて、 関係しそうなノートの記述を、訳もわからずにマル写しするという答案がちょ くちょくある。一体こういう馬鹿な真似をどこで教わったのか知らないが、私 はこういう人間コピーマシンに堕することを良しとする、自尊心のかけらも無 い学生は、4回生で就職が決まってようが何だろうが、容赦なく落す。幸い(?) そういう学生は、情報学科の学生に決まっていて、(何度でも言うが)私は情報 の学生には冷たいから、バシバシ落す。今回もそういう答案が何通か見られたが、 特別の政治的判断でもって、今回だけは見逃すことにした。

いやはや、睡眠不足で眠たいのだが。試験の採点で妙に興奮してしまって、 思わず楽しんでしまった。

1月19日(水)
前日の睡眠不足を解消するため、ゆっくり起きて昼頃に大学へ。昼食後夕方ま で、山のように出されたドイツ語の宿題に追われる。ドイツ語講座は2月初旬 で終了するが、短期コースが2月中旬から3月下旬頃まで開かれる。何とか頑 張って受講しようかと思っている。4月から7月まで再び正規コースが開講さ れるが、来年度前期は週5コマの講義と卒研ゼミ、おまけに 6月には徳島大で集中講義、という殺人的スケジュールだ し、数学の方でも少し目星をつけておきたいので、とても受講できそうにない。

夕方学内で昨年の卒研生にばったり出会う。別の研究室の友人に会いに来 たらしい。1年見てない間に少し大人びた顔になっていた。昨年の卒研生は例 外的に元気一杯で、面白ろかった。立命館の教員になって以来、この学年と9 2、93年の卒研生は面白ろかった。94、95、96、97、99年度の卒 研生は、単発的に面白い学生はいたが、全体としては不発弾であった。

ドイツ語の辞書引きで疲れたので、夕方遅く数学教室のA先生のところでちょっ と雑談。数学の学生の様子についてリサーチする。何としても自分のゼミに優 秀な学生が来て欲しいとは思わないが、学生が全く集まらないと(情報学科ほ ど「形式的平等主義」を大義名分に、苛酷で露骨で理不尽で、 限り無く底意地悪く人の弱みに付け込み、傷口に塩を押し付け、カチカチ山の狸にカラシを塗り付け、 倒るる者を待ってましたとばかりに全教員が寄ってたかって踏みつけ完膚無きま でに叩きのめす集団リンチ的性格のものとはほど遠い、理性と知性と良心と愛(!)に あふれた制度であるものの)それなりのペナルティーを覚悟しなければならない。

それに学生の意識も気になる。学問の性格上当然と言えなくもないが、何 事にも安易で浅薄な方向に流れるのをよしとし、自尊心に乏しいのが多くの情 報学科の学生諸君の意識構造である。情報関係をやるなら、これで何の問題も 無いし、妙に深みや美しさを求めたり、変な自尊心をもっている事の方が問題である。しかし、 こういう意識で数学をやってもらってては困るのである。 数学は、これまた学問の性格上そのよう な事は無いと信じたいし、事実数学教室にはには骨のある学生諸君も少なから ず居るようである。しかし、こう言っては怒られるかも知れないが、数学教室 の学生である前に立命館の学生である。他大学と比べれば一目瞭然だが、「何 事にも安易で浅薄な方向に流れるのをよしとし、自尊心に乏しい」気風は基底 として存在するし、大学としてもそれを容認している向きがあるので、そういっ たものにどこまで数学の学生諸君が染まっているかは、多少気になるところで ある。

Avramovは専ら電車の中で(少し)読む。

1月20日(木)
午前中はドイツのビザ申請書類の郵送準備。手引書はわかりにくいし、総領事 館への電話はなかなか通じないしで、結構面倒である。午後は4回生Y君とガ ロア理論のゼミ。今日は最終回で方程式の可解性のところを終え3次方程式の ガロア群の計算をすこしやる。最後に卒論のまとめかたを考えて終了。やれや れ、これでY君をガロア理論の山頂まで案内するという大役を無事終えることが できた。

昨日「情報関係をやるには変な自尊心や美意識は有害無益」というような 事を書いたが、これは時に数学科の卒業生が情報関係に進んだ場合の障害とな る。つまり、卒業と同時に数学特有に自尊心や美意識を捨てないと、情報関係 で仕事をやっていく際に色々障害になるのである。勿論、割合すんなりと情報 関係の水に馴染む人も多いが、私なんぞは生まれた時から、ガチガチの純粋数 学至上主義者だったので、先輩・同輩・後輩はてまた上司とも喧嘩ばかりして いた。彼らのやっている事、彼らがよしとする事、彼らが望むこと、ことごと くが気に食わないのである。こういう事は世渡りの仕方として、決して褒めら れたものではない。こんな調子でやっていると、だんだん根性がひねくれてく るから要注意である。

かと言って、数学の学生全員が始めから情報学科の学生のような調子で居 てもつまらない。すんなり情報関係の世界に染まるのも良いが、情報関係とは 全く価値観の違う世界を知っていて、色々屈折しながらもなんとか適応してい くという方が、人生に深みが出てよろしいのではないかと思う。

Avramov進まず。寝る前の読書「ルベーグ積分」はFubiniの定理に入る。