1月21日(金)
午前中はドイツ語のノートの整理。午後は同僚P先生のパソコンの設定をほん の少しだけやって、少しAvramovを読み始めたところで会議。会議の後会議室 にて教員懇親会。別に「懇親」する理由も無いのでこれはパス。 年度末ってのは、講義も無いし何となくゆったりした気分なのだが、実際 は何だかんだ細切れの雑事があって忙しい。ドイツ語講座の存在が、忙し さに輪をかけている。

1月22・23日(土・日)
午前中はドイツ語。ルネで昼食後家に帰るつもりが、週末に必要な本を取りに 行く必要があって大学へ。ドイツ語の復習などをやる。昨日は久しぶりに情報 学科の会議があって、情報学科2回生配当の「プログラム理論入門」の講義が 朝1番に回される事を知って少しショックを受ける。 2コマ目の講義ですら、始まって20分後にやっと学生が集まるの だから、1コマ目の講義なんて開始後1時間後にやっと学生が集まるのでは?

高木貞治は90分の講義に30分ぐらい遅れて行って、2、30分 早く終るという調子で講義をして、1年で「解析概論」の内容をほぼ終えたそ うだ。私も高木大先生の真似をしてみようかしら。

25日の代数幾何のゼミの準備でHartshornのIntersection in Projective Spaceの部分を読み返す。重複度の定義は純代数的に行うのが現在のスタイルだが、 幾何学的意味がさっぱり見えない。結局交接部分の部分代数多様体のHilbert 関数が重複して現れるという事のようだが、じゃあそれは一体幾何学的には何 なんだ?ということになる。代数多様体の次数にしても、Hilbert多項式の最 高次の係数で決めるのだが、じゃあそれは一体幾何学的には何なんだ?例えば 平面曲線の場合だと、素朴な重複度や次数の定義と一致するが、高次元になる とその意味がわからない。特に幾何学的意味は無いのかも知れないが、だった らそういう風に定義する必然性は何か?平面代数曲線の場合の素朴な定義の裏 に潜む本質的な部分を一般次元に拡張した事になっているのか?わからん事が 一杯ある。単に可換環論の世界だけで考えるならば、可換環を分類する不変量 だと割り切ればいいのかも知れないけれど。

1月24日(月)
午後一番で滋賀大の非常勤講師をし、夕方大学へ。翌日の代数幾何ゼミの 予習をする。

代数幾何を専門に研究するつもりはないけど、可換環論と深い関連がある し、人の話を聞いて理解できるぐらいにはなりたいので、ぼつぼつ勉強してい る。代数幾何では、広中の特異点解消定理を仮定して非特異(射影)代数多様体 で議論する事が多いようである。代数多様体の非特異点は(斉次)正則局所環に 対応するが、可換環論で面白いのは特異点に対応する正則局所環以外の(斉次) 局所環である。だったら、可換環論は代数幾何でいうと特異点理論をやってい るのかというと、必ずしもそうでもないような気がする。特異点を持った(射 影)代数多様体の座標環の構造を調べている、と言えば良いのかもしれない。 可換環論の研究自体は、代数幾何との関連を理解していなくてもできるのだけ ど、自分のやっている事の意味ぐらいは押えておきたい気もするのだ。

ところで、あと2ヵ月余りで情報学科とオサラバだが、その時が待ち遠し いものである。私は情報学科で数多くの不幸なそして不愉快極まりない事件を 経験してきているので、情報学科の事を考えるだけで憂鬱な気分になる。日頃 はなるべく深く考えないようにしながら、やるべき事だけを淡々粛々とこなし ているのだが、教室会議などの後はしばらく気分が悪い。先週の会議の後遺症 がまだ残っている。こういう時の憂さ晴らしには数学が一番効く。

1月25日(火)
朝自宅にドイツ総領事館から電話があり、申請していたヴィザが受理され たとのこと。へ!? ヴィザがおりるのは2〜4ヵ月はかかり、例外的に研究 渡航の場合は受け入れ研究機関がはっきりしていれば2週間で済む場合もある と書いてあったが、土日を含めてまだ5日目ですぞ!こんな事ならあわてて出 さなくても良かったのかも。

似たような(?)事を8年程前に経験した。立命館大学移籍が決まり、当時 勤めていた会社の上司に退社の話を切り出した時だ。通常転職する場合は、会 社から強力な引き止めがあって、話がまとまるのに2ヵ月ぐらいかかると言わ れていた。会社にとって有益な社員ほど引き止めは強く、毎日会議室で数人の 上司に1〜2時間缶詰にされていた人もいた。で、私は12月の終りに上司に 切り出して、2月末にはどうにか解決と踏んでいたのだが、上司の反応は「あっ そう。じゃあ社内規程に従って(そんな規程があったのか?!)2週間以内にや めてください。」とのこと。へ!?あわてて法律に詳しい人に相談して、何と か3月末まで会社に居座る事になったのだが、人事課長は「我々としては誠に 残念な事ですが、転職は本人の自由意志ですから仕方ないですねえ」とニコニ コしているし、研究所長は研究所長で「君を見ていると学究肌で企業の中では 何だか辛そうだったし、大学への転職が決まって本当によかったねえ」なんて、 これまたニコニコして言うし。しょうがないので、私もニコニコして「はい。 有難うございます。」なんて言っていた。くだんの直属上司は、私と違ってもっ と役に立つ社員を部下にしてもらえるというので、その社員と面接するため嬉 しそうに出張したりしていた。何なんだ?一体!まあ、円満退社には違い無い のだからいいけどさ。これもまた、リストラの嵐が吹き荒れる直前の企業の、 今は無き(?)平和な日々の一コマなのでしょう。

午後3時から同僚Pさんと代数幾何のゼミ。いつもながらHartshorn "Algebraic Geometry"の演習問題を解くのは楽しいが、一問だけどうしてもわ からない問題があって、今後の課題とした。でも、こんな事で楽しんでいる暇 があったら、AvramovのLecture noteをやった方が研究が進むのでは?と思っ てしまう。でも、まあ急がば回れとも言うし、いいのでしょう。来年度前期は 週5コマ+卒研の殺人的スケジュールだし、代数幾何のゼミもペースダウンす るだろう。夏までにSheaves of Modulesまで終れば恩の字といったところだろう。

ゼミの直前に同僚H先生の学生が、卒研の内容について質問に来たので、 合同数とユーグリッドの互除法について説明する。あと「離散数学」の 単位照会の学生が1名来る。これを落すと教員採用がふっ飛ぶそうだ。

ゼミが終ってから、教授会+研究科委員会+学位審議委員会3点セットの 殺人会議に途中から出席。夜8時に終る。議長がいくら要領良く会議を進めよ うとしても、案件が膨大な事と、発言者が必ずしも要領良く話ができる人ばか りでない事から、どうしても会議が長引くようだ。

1月26日(水)
今日は何も無い日のはずだが、それだけに気が 緩んでしまって何だかんだと14時頃まで潰れる。中年老いやすく学成り難し、 である。私立大学は年中「ざわざわとしていて」研究時間を確保するのは容易 ではないが、かと言って国立大学の研究所のように、研究以外にほとんどduty が無い所なら研究が進むかというと、必ずしもそうでもないと思う。20代の 後半をそのような研究機関で過ごしたが、結局一番論文生産性が高かったのは、 その研究機関をやめる直前からの数年間であった。つまり、その研究機関への 出向期間が終り、会社の研究所に戻る時期である。会社の研究所といっても、 私の戻る所は研究するところでは無かったし、いつ事業部や営業に回されて研 究者生命を絶たれるかわかったものではないところであった。同僚や先輩がひ とりまたひとりと生産工場の現場の応援に駆り出され、机がぽっかり空いてい る。そのうち、生産工場への配置転換の辞令が出され、その机が撤去される。 私にとっては恐怖の日々であった。で、何とかして早く論文を書いて学位を取っ て大学に脱出せねば、と必死になっていた時期である。会社で論文など書いて いると、上司にニラまれるから、夜中にウイスキーを飲みながら(!)論文を書 いたりしていた。通勤電車の中で勉強する習慣もその時以来である。根が怠け 物の私だから、「人生の浪費は極力避けるべし!」といった精神論だけではダ メである。寝る前の読書のように自分を習慣付けるとか、「机がぽっかり」の 恐怖をじわじわと味わうとか、私立大学の「ざわざわ」とかの障害を目の前に しないと、堕落してしまう。

その後気を取り直してAvramovに取り組む。予定までをあと数ページを残し ているが、今まででもどうもよくわからない部分を飛ばして読んできたので、 当面は前に戻って、原論文などを見ながら精読モードに入る予定。今日は Golod環上の(無限)極小自由分解のベッチ数の評価の所で苦しむ。結局Bruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings"のある定理や演習問題まで遡ることになる。 また、以前全く何をやっているかわからなかった部分は、複素関数論を使えば 分かるはずだと気付く。純代数の議論に複素関数論とはこれ如何に?であるが、 Poincare級数という一種の母関数の評価をするからである。初等的な組合せ論 の議論でもマクローリン展開とか使うと同じである。

1月27日(木)
今日の午後は3回生M君と多項式環論のゼミの予定だったが、M君が 風邪でダウンしたため、思いがけず時間が空いた。そこで終日Avramov の精読に費す。Golod環上の(無限)極小自由分解のベッチ数 の評価の部分の疑問が完全に解ける。めでたし。されど道は遠し。

昨夜は「論文が書けないよー!」と苦しむ悪夢にうなされた。こういう自 分の近未来についての夢は珍しい。私の場合は、大学入試に失敗したとか、転 職に失敗して会社に残ることになったとか、数理科学科移籍の話が失敗して、 情報学科に残ることになったとかいう類の悪夢が多い。つまり、現実にはうま く行ったのだが、「あの時うまく行ってなかったら、人生終ったも同然だった な」と、思い出しただけでもぞっとする事を夢に見てうなされる。実際大学入 試も転職も数理科学科移籍も、一時は暗礁に乗り上げてどん底の気分になった 事があるから、よほどその時はこたえていたのだろう。そういうのが夢に 出て来るというわけである。

由緒正しい数学者ならともかくも、私の場合論文が書けるか否や、自分に 果して才能があるか否や、自分が偉くなれるか否や、誰それに負けずにやって いけるか否や等々の問題からは自由である。10年以上のブランクを経て40 才近くになって数学を始めたのだから、間違っても偉くなる恐れは無い。ブラ ンクの前にきらびやかな才能を発揮していたのならともかくも、私の場合は全 く逆である。同業者の誰かに「勝っ」てしまう心配も皆無である。まあ、私な んぞは今数学やってる事自体が不思議なのであって、論文が書けなくてもそれ は当たりまえであり、1つでもゴミ論文が書ければ儲けモノである。つまり、 人生半分降りたつもりで、何の愁いも無くただただ楽しく美しく数学をやって いれば良いという、大変結構な御身分なのである。にもかかわらず、ゴミ論文 の1つも書けなくて焦りまくる夢を見るなんて、私もけっこう人生をナメ切っ て生きているものだと驚いた次第。

1月28日(金)
今日は朝から夕方近くまで修士1回生の修論テーマ発表会。その後わけのわか らない(?)会議を2時間余り。最も情報学科らしい、心のすさむ一日であった。 週末はドイツ語と数学で心を清めて、新しい週に備えよう。

1月29・30日(土・日)
朝はGoethe-Institutでドイツ語、京大ルネで昼食。その後京大中央図 書館で数学セミナー別冊「数学のたのしみ」最新号を少しながめてから 家に帰る。「フェルマーの大定理以後の数学」の特集だが、午前の講座で 何となく疲れたので、こういう重い話はパス。トポロジーの森田茂之 さんの書評と、群論の原田耕一郎さんの思い出話のところをさらっと読ん で帰宅する。日曜日はゆっくり、かつ、ぼうっと過ごし、数学はお休み。

1月31日(月)
午後一番で滋賀大の非常勤。RSA暗号の原理について話す。今日が最終講義で、 来年度からはお役御免となる。

夕方大学へ戻り、M2のT君の修論の下書きをチェック。内容の指導は専ら同 僚H先生に任せてあるので、私は論文の書き方だけ赤を入れる。何か知らない が、結構まともそうな論文になりそうだ。そういえばここ4年程院生の指導を まともにやったことがない。元々院生は入って来ないし、T君は結局H先生に押 しつけたし。

Avramov電車の中で少し読む。寝る前の読書「ルベーグ積分」は積分記号中 での微分の例の所にさしかかったまま足踏み。具体例の計算が出て来て、ペン を取るのも面倒だし寒いので、布団の中で暗算でやろうとするととたんに気を 失ってしまう。