7月11(火)
本日より自らに鞭打って代数幾何学モード。読みかけの可換代数の論文があっ て、後ろ髪引かれる思いがするが、そういう事は言ってられない。昼前に大学 へ、少し雑用をしてから意を決してHartshorne "Algebraic Geometry"を広げる。

その後、旅行保険会社にパンフレット請求の電話を掛け、昼食後生協に航 空券の予約に行く。部屋に帰ってから、HartshorneをかかえてS先生の学生実 験室へ行き、ゼミで追い出されるまでの間ソフアーにひっくりかえって読む。

数学者の部屋にはソフアーと壁一面の黒板とコーヒーが必要である。私の 部屋は、そのどれも無い。コーヒーは飲まないし、とりあえず小さなホワイト ボードが黒板代わりをするから良いものの、ソファーは欲しい。ソファーで論 文を読みソファーで思索にふける。ソファーはまさに数学を行う場である!数 学者は論文を書く時以外にちゃんとした机は要らない。しかし、私の部屋は机・ テーブルの類が4つもあり、それがソフアー導入をはばんでいる。それらのう ち3つ分は捨てるに捨てられないゴミ(その多くは紙類である)の物置きとして 使われているだけである。

会社員時代は小さな机が与えられるだけで、それなりのスペースを持った 個室が与えられる大学教員がうらやましかった。だが、大学教員の個室が、大 学当局から日々配布される、捨てるに捨てられないほとんどゴミのような紙類 やその他の細々したもので占拠されるとは思わなかった。会社ではこれほど急 速な勢いでゴミが堆積することは無かった。大学教師にとって、ゴミの管理は 大切である。私は半年に1回ぐらい怒り狂って、一日がかりでゴミを分類整理 処分して片付けるが、それを怠るとどうなるか?S先生の部屋を見るが良い。 6年間一度も掃除されること無く、ゴミはたまり放題である。最近は自分の居 場所すら無くなってきたので、紙類だけは時折部分的に捨てているようである。 それでも「ゴミ箱」と呼ぶにふさわしい部屋である。

何としてもゴミとの闘いに勝利して、いつの日か自分の部屋のソファーで 数学をやりたいものだ。

その後「人身御供殺人会議」改め「人身御供正しい会議」。40分で終る。

7月12(水)
午前中より大学へ。本日午後から外書購読最終回。ひきつづき教室会議。代数 幾何学モードは続行され、Hartshorne "Algebraic Geometry"のスキームの基 本性質の節を読み直す。

H先生の「英国便り」のページが更新された。どうやら当地で大発見をして、 興奮の余り有限単純群の分類定理の証明を上回る10000ページを超える世紀 の大論文を夢中で書き殴っているうちに、パソコンのハードディスクが一杯に なり、その結果「英国便り」の更新が遅れたらしい(嘘です!)。

教室会議の後、K先生から、私の日記に登場したいばかりに、私の講義にわ ざわざ出て来て可換環論の本を読み耽ってみたり、ヤラセの質問に来たり、ル ベーグ積分の質問(私に解析に質問をしてはイケマセン!)をしようと画策した りしている健気な若者が居る事を知らされ、「ソノ軽キニ泣キテ三歩歩メズ」 の啄木状態に陥る。

昨晩「YS11」の開発秘話をNHKでやっていた。小学生の頃は、第二次世界大 戦中の「飛燕」(零戦登場前の主力戦闘機だったと思います)だの「秋水」(日 本初のジェット戦闘機です)だの「紫電改」(育毛剤ではありません。米軍がグ ラマン・ヘルキャットを投入し、零戦の圧倒的制空権を脅かしたのに対抗して 作られた戦闘機だったと思います。)だの「零戦21型」(零戦のひとつ古いバー ションのものです。車輪が固定式になっていました。)だの「零式戦闘機(零戦)」 (車輪が折り畳み式になり、飛行性能が格段に上がりました)だのの戦闘機に夢 中になっていたので、思わず最後まで見てしまった。

ちなみに、戦闘機の後はロケット に夢中になり、幼稚な設計図を書いてブリキでペンシル型ロケット作成に着手 し、液体燃料が手に入らないので当時流行っていた(後に余りに危険なため禁 止となった)2B弾という花火を大量に使おうとして親父にドヤされ、プロジェ クトは噸座。しょうがないので「ジェミニ7号」(史上初めて人間が月面に着 陸したアポロ・プロジェクトの前は、ジェミニ・プロジェクトというのがあっ た)のプラモデルで我慢した。ロケットの後は車で、国産乗用車のほとんど全 ての車種について、その仕様を暗記して喜んでいた。

戦闘機の前は(幼稚園時 代後半から小学校初年度)医療関係者用人体解剖模型(プラモデル)に夢中にな り、毎日学校から帰ったらその模型を分解して、「これは肝臓、うふっ。これ は膵臓、むふふっ。」なんて事をやって一人喜んでいたので、心配した両親に 「おまわりさんに説教してもらいます!」と交番まで連れていかれた(面白い 親を持てて私は幸せだ)。人体解剖模型の前(これは幼稚園の頃である)はモー タ、乾電池、豆電球に夢中になり、家庭のコンセントに模型用モータの線を差 し込んで小爆発を起こし、親にこっぴどく叱られている。その前は毎晩世界地 図をながめてうっとりとし、幼稚園のお絵描きで毎日世界地図を描いている。 等々。小学校入学までは自分の名前(平仮名)以外の字を知らず、自分の名前の 文字列に置換群が作用するともう読めなくなり、100+100=200は 「知って」いても「200+200」は何の事だかわからなかった。当然可換 性の概念を獲得したのは、ずっと後のことである。庭の木から落ちて泣いてい る時、代数の本を与えたら泣きやんだという、一流数学者の幼年期とは明らか に違う「タダの変な子」であったと思われる。私は日頃「産まれる前から純粋数学至上主義者なのだ!」と豪語して いるが、これは実は真っ赤な嘘であります。(念仏も百万遍唱えれば極楽往生 できます。嘘も百万遍ついたら本当になるのです!)

番組ではYS11の開発者達の戦後10年の苦境や、YS11プロジェクト開始時 の意気高揚をレポートしていた。YS11プロジェクトは、戦後10年間航空機研 究開発の一切を禁じられ、戦前に世界最高峰を誇った日本の航空機技術が絶滅 寸前にあった現状を憂えた某通産官僚が発案したものらしい。戦後10年間、 猫車(私は猫車が大好きである!)や鍋釜の設計をして糊口をしのぎ、既に50 代になっていた戦前の世界第一級の設計者をリーダとして呼び戻し、各メーカー の若手技術者が集まって行われたという。何となく私が若い頃参加していた第 五世代コンピュータ開発プロジェクトと似ている。特に、各メーカがプロジェ クト成功を疑い、ベテラン技術者ではなく、若手ぺーぺーの(当時の私のよう な)素人同然の技術者を送り出したところまで似ている。大きな違いは、YS11 プロジェクトに参加した当時の若手技術者が、その後エンジニアとして指導者 的立場であり続けたのに対し、私は現在「コンピュータの事なんか全然知らん」 という顔をして、純粋数学をやっている事だ。

ちなみに、戦前の航空機エンジニアの多くは、戦後新幹線の開発に転向し、 世界最高水準の高速鉄道を実現させた事は有名な話である。エンジニア魂が如 何なく発揮されたすばらしい仕事であると思う。

思うにエンジニアというのは、夢が無くては面白くない。第五世代コンピュー タプロジェクトもそうだが、私が入社した頃の研究所の所長や、その下でぺー ぺーの駆け出しエンジニアをやっていたという私の直属上司は、会社の主力コ ンピュータ開発プロジェクトの熱い経験を持っていた。私もそういう夢にあこ がれて第五世代コンピュータプロジェクトに参加したものである。しかし、立 命館に居るからそう思うのか、計算機を離れてしまったからそう思うのか、実 際そういう時代になってしまったのか、近年は計算機関係でそういった熱いプ ロジェクトというのはとんとお目にかからなくなった。世の中はインターネッ トだのマルチメディアだのサイバーだのIT革命だのと騒いでいて、確かにそれ らは巨大な動きではあるし、社会的経済的インパクトは大きい。しかし、そこ にエンジニア魂を根底からゆさぶる夢のある仕事があるのだろうか、と疑問に思ってし まう。

7月13(木)
午前中より大学へ。本日2回生微積分と情報4回生暗号の講義の最終回。

残念な事に微積分の講義において、眠り天才君は尻尾を出さず、先週 思い付いた作戦は実行できず。 最近眠り天才君の前に座って、彼の真似をして一緒になって眠っている大馬鹿者がいる が、天才の二番煎じはイケマセン。もし「我こそが、真の眠り天才なり!」との 気高き心意気があるならば、よろし。

今日が最終回なので、かなりスピードアップして「きわめて効率的」に陰 関数定理の証明を説明する。証明は、今までの話を総動員した応用のようなも のだ。たぶん先週までの講義を十分理解していればついて行けるが、何となく ぼんやりとしか理解してなかった学生には、さっぱりわからない講義であった と思われる。講義が終ってから「ピーッ!!わからへん!!!」という黄色い 声があがっていた。十分な時間を掛けて説明できなかった事が、何となく申し 訳ない。質問君は質問せず。女子学生1名が試験の事を聞いてきたので、つい でに「今日の講義はわからんかったやろ」と聞くと「わかりまへん」。正直で よろしい。「でも、こないだまでの講義はわかったやろ」と聞くと「うーん。 4月頃までは何とか...」とのたまわった。あれま!つまりこの姫は何もおわ かりでないようだ。微積分ぐらいわかって卒業してってくれよ!

ところで「ピーッ!!わからへん!!!」からが実は勝負なのである。 「わからへん!!」から教科書とノートを見比べてうんうん考えて理解すれば 立派な数学科の学生である。数学者というのは、みんなそうやって毎日をすご しているのである。私なんぞは昔から頭が悪いので、毎日膨大な疑問符の山に 押し潰されそうになりながら、根性だけで生きている。教科書とノートを見比 べてうんうん考えて、でもわからない所があるので質問に来る、というのも立 派な学生の姿である。懇切丁寧に答えて進ぜよう。「わからへん!!」だけで 何もしないのなら、早い時期に情報学科に転学科することをお勧めする。

暗号の講義は、何とかH先生を英国から呼び戻さずに最後まで持たせる事が できた。これも、一度も欠席せずにきれいなノートを取っていた、元祖天才君 のお蔭である。やらせ青年"○んこ"君は、昨日の日誌の記事「ソノ軽キキ泣キテ」 によって本懐を遂 げたと見えて、今日は出席してなかった。この明晰なる"現金さ"がとてもよろし。

それにしても、どうもこの講義は気合いが入らず、よろしくない。第一、 公開鍵暗号の話を延々とするなんて、純粋数学至上主義に反する。それに、ま じめに暗号の話をすれば、計算量理論の話に触れざるを得ない。この話はすこ ぶる「非」立命館情報学科的で、かつ、私が常々S先生を憤怒させている「数 学基礎論への偏見」を刺激し、さらにプログラム理論にうつつを抜かした「失 われた10年間」を彷彿とさせる厄介で憂鬱な話題である。また、こんなとこ ろで情報学科にサービスしたところで、「おおきに!」の一言が返ってくる訳 でもない。来年度は「公開鍵暗号の基礎」と称して、初等整数論と有限体論、 楕円曲線論ばかりを延々と講義して、最後の1、2週でRSA暗号と楕円暗号を さらっと「示唆して」終り、なんて調子でやろう。で、情報学科の学生を寄せ つけず、数学科からの他学科受講生中心にやれれば申し分無い。

夕方「怪しい学生」3回生K君久々に登場。彼がいくら黙秘を続けようと、 世界最強を誇る(?)私の調査能力によって、既に氏名は判明しているのである。 代数幾何学と可換代数の研究動向について質問を 受ける。数学コロキウムの資料「可換代数、組合せ論、そして代数幾何学」が 余っていたので進呈した。彼は数学教室で可換代数の講義は無いのかと言うが、 そんなもの無いのである。従来立命館において「代数」といえば整数論と半群 論を正確に意味し、可換代数はガロア理論の枕として少しく講じられるのみで あった。今年から"素性の怪しい数学者"、不肖私めが立命館の可換代数を支えん と奮励努力を始めた所である。

夜、Hartshorne "Algebraic Geometry"を少し読み、演習問題をひとつ解く。

7月14(金)
早朝より大学へ。本日は、情報学科2回生初等組合せ論および数理科学科2回 生の中等組合せ論の講義の最終回。

初等組合せ論の講義では、試験情報収集のためのイチゲンさんが押しかけ ザワザワ騒ぐので、雷を2回落す。如何にも勉強してなさそうなフヤケ顔つき の、見慣れない数人のグループが一番後ろにたむろしてニヤニヤしてたら、こ れは確実にイチゲンさんである。

ついでに「この講義はそんじょそこらの情報学科の講義とは大違いで、針 が落ちた音でもピーンと響き渡るような(嘘です!)静粛かつ緊張した良い雰囲 気の中で進行するテンションの高い講座である。これまで真面目に受講してき た学生諸君は皆それを知っている。その辺の事情を勘違いして、ザワザワやっ ている輩は断固追い出すので、そのつもりで。」と説教までしてしまった。最 後に「で、これは『定説』です!」の一言を付け加えるのを忘れたのが残念。

中等組合せ論の講義では、あらかじめイチゲンさん達に上記説教と同様の 警告を告げてから講義をしたので、良い雰囲気であった。眠り天才くんは、ずっ と起きていて、私の「びっくり大作戦」は幸か不幸か失敗に終った。

本日消去理論のゼミは無し。講義の合間はHartshorne "Algebraic Geometry" の演習問題に取り組む。

7月15(土)
ゆっくり起きて昼頃大学へ。昨日あたりから出張費の手続きの件で、事務方と やりとりしているうちに、どうも行き違いが多すぎて妙な事ばかり起こり、い い加減腹が立ってきている。今までは誠実かつ忍耐強く対応してきたし、別に 不当な要求をしているわけでは無いのだが、どうも埓があかない。月曜日に再 交渉した際の相手の出方次第によってはタダではおかんぞと決心する。なんて 事を考えていると研究に身が入らないので、一所懸命心を沈めてHartshorne "Algebraic Geometry"の演習問題に取り組む。

そういえば、昨日で講義は終了し、前期試験の採点などは残っているもの の、学生諸君よりもひと足早く夏休みに突入したわけだ。もっと解放感に浸っ て、開講期間には棚上げになっていた研究計画やその他の仕事に、ゆったりと した気分で取り組んでも良いようなものだが、まだそういう気分になれない。 まだ、来週に講義があるような気がしてしまうのだ。

これは「土曜日13時、生協のお姐さんのt-モード現象」と同じである。土 曜日には付属高校の生徒達がキャンパスに現れ、12時を過ぎると怒涛の腹ぺ こキッズ集団と化して生協食堂に押し寄せる。これは半端な混み方ではない。 もう何が何だかわからないぐらい、ゴチャゴチャに混む。で、カウンターで丼 物を給仕する姐さん達(「オバチャン」って言っちゃあダメよ!)のテンテコ舞 い振りは、見ていて気の毒なぐらいである。で、13時頃になるとキッズ集団 も立ち去り、カウンターは比較的閑散とする。再びいつもののんびりした状態 に戻っているのだが、その時になってもまだ姐さん達は30分前と同じように 神経がピリピリしたままである。私ひとり分の三色丼(ほかに客は居ない!)に、 全員が顔をこわばらせたままで「t-モード」(テンテコ舞いモード)で対応する のだ。

S研院生室のホワイトボードに「今後のプロジェクト計画」がいくつか列挙 されていて、それぞれに賛成・反対の名前を書き込むようにしてあった。その 中に「S先生の部屋の掃除をする」というのがあって、現在賛成3名反対0名 のようである。S先生はその話を聞いて喜んでいた。喜んでいるバヤイではない と思うのだが。

Y大学の友人に、学生時代から散らかしの天才がいる。6畳一間の学生下宿 が収拾が付かないほど散らかり、とうとう3部屋ぐらいある一軒家を見付けて 引っ越した。最初は、6畳一間分の散らかりぶりがそのまま平行移動された状 態で、閑散とした家に局所的にゴミの山ができている状態であった。しかし、 1ヵ月後には、家全体にゴミの山が成長していた。どうやったらあんなにゴミ が作れるのかわからない。Y大学では私の部屋の3倍ぐらいの広さの部屋に居 る(これは国立大と私立大の違いである)が、やはり足の踏み場が無いぐらい散 らかっている。部屋の中を歩く度に足もとに何かがカサカサっという感じでつ いて来るので、「さては座敷童か!?」と喜んだのだが、ゲンコツ大の綿埃が 2つ3つ床を漂っているのであった。

S先生の部屋も似たようなものである。違いと言えば、床に絨毯がしいてあ るので(これも国立大と私立大の違いか?)、埃が全て吸収されて綿埃が発生し ない事、そしてそれ故にか、S先生は自分の部屋は永久に掃除をしなくてもき れいなままだと思っているフシがあることぐらいである。ちなみにY大の友人 は、ゴミと埃に囲まれているのが幸せと思っているフシがある。一方は汚い部 屋を汚いと認めつつ幸せに暮らし、他方は汚い部屋をきれいだと思って幸せに 暮らしている。私はS先生を見ていると、狸に化かされて、肥溜の中で風呂を あびている気になっている図を思い浮かべてしまう。こういう友人達がいるの で、普段は私は「自分は結構きれい好きなのだ」と錯覚している。そして、H先生の部 屋のようにsimple & clearnを象形文字にしたような部屋を見るたびに軽いめ まいを感じてしまうのだ。

7月16(日)
夏の日曜日である。若い頃は夏は暑くて頭がぼんやりしてしまうから大嫌いで、 身が引き締まって頭も少しは冴える冬の方が好きだった。当時は、丸々と太っ ていて体じゅうが脂肪でギトギトしていたことも、暑い夏が嫌いな理由だった のかも知れない。しかし、今は暑い夏に「暑いなー。夏やなー。」とぼんやり するのが好きになってしまった。これは老化現象であろうか。老化により気が 緩むことによって、知らず知らずのうちに数学への取り組みが手温くなってし まっているのではと、ちと心配になる。普通の数学者は40代ともなれば、一 応数学者としてそれなりの実績があり、あとは30代の勢いでそのまま行って まえ!という所があるのだろうが、私の場合、30代のほとんどをつまらぬ事 で浪費してしまったから、これからが挽回していかねばならない。「暑いなー。 夏やなー。」なんてぼんやりしていてはイカンのではないか、と思うのだ。で も、夏はいいなあ。

夏にうかれて、大した用も無いのに京都駅前近鉄プラッツにふらふらと出 かけ、特に買う物も無いので店内のソファーに座ってにぎやかな店内を眺めて ぼんやりし、「何もする事が無くなったジジイ」になった時の予行練習をする。 しかし流石に頭の中が真っ白になってくると、何か考えたくなるので、 Hartshone "Algebraic Geometry"の演習問題をぼんやり考えたりする。帰り道 も歩きながら考えて、帰ってからはMumford "Red Book of Varieties and Schemes"の関連する部分を読み耽る。これは良い本だ。スキーム論の舞台裏の ようなところがきっちり書いてあってわかりやすい。来年の卒研でもし骨のあ る学生がやってきたら、HartshoneよりもMumfordを読むことを勧めようかしら。

7月17(月)
週末から気にかけていた事務手続きの件は正しく、あっけなく、そしてめでた く終了する。土日にアドレナリンをばんばん分泌し、交感神経を昂ぶらせて一 人で臨戦体制に入っていた私は、一体何だったのだろうか。まあ、終り良けれ ば全て良しとする。

4回生K君が「就職が決まった!」と挨拶に来た。就職活動ではずいぶん苦労を していたらしく、内定が決まってとても嬉しそうであった。 ひょ んな事から私が某企業から求人を頼まれてあちことアナウンスしたのだが、A 先生を経由してA研のK君にも話が伝わったというわけ。

S研の院生達に、「S先生の部屋の掃除をするプロジェクトって、まじか?」 と聞いたら「まじです!」と胸を張っていた。「先生がだらしないと学生がしっ かりする」という法則通りに物事が進行している。元祖天才君と○んこ君とパ ソコンの話をしているS先生に報告したのだが、S先生は「まじだったら、まじ で困る」と言っていた。何を困ることがあろうか。

本日引続きHartshorne "Algebraic Geometry"の演習問題に取り組む。あら かじめ解けるとわかっている良問がお膳立てされている事ほど気楽なものはな い。ただ解けばそれで良いわけだ。何とか解けそうな良問で、かつ誰も解いた 事が無いものを自分でお膳立てし、それを自分で解く、という研究の現場とは 大違いである。解けそうにない問題を作ったり、誰かが既に解いていそうな問 題を作るのなら容易であり、いつもやっている事である。

さあ帰ろうと思っていた矢先、5回生ジャイアン氏が登場。3回生にドイ ツ語を教えてやって欲しいと言い出すので、ひっくり返ってしまった。ばっか もん!私にドイツ語教わるなんて10年早いわい!(10年後には人様に教え られるレベルに達しているかも知れないが。) そりゃあオモロイやんけ、と早 速当人を呼び寄せる。結局極めて簡単な質問で、即解決。これで自信がつき、 「またどうぞ!」と言ってしまった。ドアのところに「ドイツ語指南, 数学者 高山幸秀」と看板でも掲げておこうかしら。それにしてもジャイアン氏は面倒 見が良いのう。

その後K先生がやってきて、「『怪しい学生KR君』とは誰だ?」とのこと。 どうもKR君はK先生の所にも出没しているらしい。

数理科学科は色んな事が起こるので面白い。

7月18(火)
午前中より大学へ。本日野暮用を色々かかえて、何となく気ぜわしい。あちこ ちの建物を行ったり来たり、あちこちに電話を掛けたり、メイルを出したり。 これは数学者の姿ではない!とわめいても仕方がない。仕方が無ければやむお えない。15時頃やっと落ち着き、その後Hartshorne "Algebraic Geometry" の演習問題に取り組む。夕方気分転換に読みもしないGrothendieck & Dieudonne "Elements de Geometrie Algebrique" (EGA)全6巻を図書館に借り に行く。

ジャイアンからメイル。何と彼は後輩達の試験勉強の面倒まで見ているら しい。きのうドイツ語の件で押しかけてきたのは「算太郎」で、そのかたわら でジャイアンの影に隠れていたのは「のび太」らしい。会社員時代にも「メタ 笑いののび太君」というのが居て、何だか彼に良く似ていたような気がする。

昨日「就職が決まった!」と喜んでいたA研K君は、私の高校の後輩である 事が判明。昨日届いた高校の同窓会の会報に、教育実習生で立命館数物 学科でファイナンスを勉強している4回生云々というという記事があった事か ら足がついた。

それにしても数理科学科に来てからは、毎日毎日愉快な事ばかりである。 毎日毎日腹が立つ事しか起こらなかった情報学科と比べるに、同じ大学の同じ 学部で何でこんなに違うのだろうと不思議なぐらいである。文化の違いとは恐 ろしいものだ。そこに居る人が何を考え、何を大切に思い、どういう社会構造 の中で行きているかで全てが違ってくる。例え同じような顔をした、同じよう な学生や教員がいても、中身が全然違うのだ。

7月19(水)
夏である。空梅雨も明け、阿呆みたいに暑い。午前中は6年以上前に買った MacのPowerBook 180c とStyleWriter IIを京都駅前近鉄プラッツのSOFMAPに売 り飛ばしに行き、午後から大学へ。今は個人で買える安いPCでTeXも使えるし プログラムも作れる良い時代である。その昔会社をやめて大学に移ろうと決心 した時、博士論文を書くためのパソコンの環境を整えるのは大変だった。会社 では一応研究所という名前の所にいたが、企業の研究所なんて、NTTの基礎研 とか三菱中研(いずれも当時名)でも無い限り、職場の計算機で博士論文なんか 書くのはもってのほかであった。第一、会社をやめるために隠密に博士論文を 書くのだから、おおっぴらにやれる訳がない。

当時UNIXが使えるTOSHIBAのラップトップは200万円ぐらいしたし、Mac も50万円から80万円ぐらいし、しかもTeXは使えないはlispは動かないわ Prologもだめだわでどうしょうもなかった。後にTextureというTeXが売り出 されたが90万円もした。結局博士号の件は色々あって計算機環境うんぬん をすっとばしてウマウマと取得できた。PowerBook 180c はそれからずっと後 に発売され、メモリ増設してプリンター付けて40万円弱で手に入れた。昔欲 しくてたまらなかった個人用PCだったので、嬉しかったものである。でもその 後のPCの性能アップや価格低下の速度はすざましく、あっと言う間に PowerBookは陳腐化し、自分でPCを買うのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。そ れと平行して、情報学科と計算機科学の馬鹿馬鹿しさがだんだんわかってきて、 現在では「俺は計算機と計算機科学と計算機ビジネスと情報学科は大嫌いだ」とい う事になっている。「その割りにはパソコンいじっている時は楽しいそうやね」 と家族に言われるが、「馬鹿もん!楽しそうに見えるのは目の錯覚や!」と言っ ている。

本日も引続きHartshorne "Algebraic Geometry"の演習問題に取り組むも、 生協で野暮用があって暑いキャンパスをうろうろ歩き回ったり、教室会議など によりあまり進まず。会議の後はS先生から集合論の本質とは何かという講釈 を受ける。算太郎はドイツ語の質問をしたのはジャイアンの陰謀にはまったか らだ、とフテクサレているようだし、今日は誰もドイツ語の質問に来なかった なあ、つまんないなあ、と思いつつ帰る。

ところで算太郎は、前にジャイアンに連れられてS先生のところに計算機代 数(数式処理システム)の話を聞きに来たようである。計算機代数、ドイツ語と くれば、次はHilbertかNoetherの論文でも持って質問に来るのかしら。そした ら「そんな古いドイツ語の論文を読まなくてもいいから、かわりにフランス語 を勉強してこれを読みなさい」とGrothendieck & Dieudonne のEGAでも渡して やろうかしら。EGA第1巻 Le Langage des Schemas の前書きには、 "O. Zariski と A. Weilに宛てて"と称して「この本、そしてその続編、の目 的は代数幾何学を基礎から全て書き換える事であり、全ての概念は根底から再 定義され、全ての古典的結果はself containedな形で再構成される。従って、 旧来の古典的な代数幾何学の知識は不要なばかりでなく、有害ですらある。」 というような事が書かれているから、初心者にも読める(?)でしょう。(し かしその後で「可換代数、ホモロジー代数、層の理論を熟知していることが望 ましい」なんていう恐ろしい事がしらっと書かれてはいるが。)

7月20(木)
本日祭日なれど前期試験第一日目にして株式会社立命館大学は元気に営業して おります。午前中より大学へ。本日午後からP先生と代数幾何学のゼミ。その 後情報4回生「数理モデル論」の試験(監督)。さて採点結果はどうなる事やら。 以前は143 = 13 X 11の因数分解ができていれば合格!なんて事をやっていた が(それでも落第する学生はいた!)、それは情報学科教員としてのツトメであ ると思っていたからであって、数理科学科の教員がそういう阿呆みたいな事を やっては示しがつかない。で、今年は全ての情報学科開講科目について、もう 少しまじめ(?)に採点しようと思っている。まじめに採点すればざっくり言っ て情報学科の受講生の7割が落第し、数学からの他学科受講生の3割が落第す る感じになる。これではちとまじめすぎる。数学の学生でもサボリは居るだろ うから、数学が1割弱、情報が5割強落第する。これが例年の様子から推測し た今年の予想である。

ゼミの直前までHartshorneの演 習問題を解く。今日か明日で代数幾何学モードを終了し、可換代数モードに戻 る予定でいる。しかし試験の採点等が束になって押し寄せるので、8月上旬ま でずれ込むかも。

P先生とのゼミの合間に数学の2回生達数人が「離散数学」の講座の質問に 来る。試験は明日だ。せいぜい頑張ってくれたまえ。

夜は代数幾何学ゼミで気になった問題について考え込む。