7月21(金)
早朝より大学へ。本日情報2回生初等組合せ論「プログラム理論入門」と2回 生中等組合せ論「離散数学」の試験、およびその監督。その前後は今回の代数 幾何学ゼミに際して解いた演習問題の殴り書き解答の整理をする。

「プログラム理論入門」の受験生は298名いた。過去最大級の人数では なかろうか。去年あたりは単位が非常に甘かったので、受験生がほぼ倍増して いるようだ。彼らは今年からの方針転換を知らないのだろう。いつも前の方に 座って、結構理解している風な学生のグループは数学の学生だと思っていたが、 情報の学生だとわかり拍子抜けする。試験後、後で勉強したいのか、単に試験 の出来具合が気になっただけか、模範解答が欲しいと私の部屋まできた別の3 人組もやはり情報の学生。勉強熱心な学生を情報学科に置いておくのはもった いない。彼らはまだ2回生だが、情報学科の悪しき雰囲気に染まらなければ良 いが。

「離散数学」の受験生は121名。情報と数学が50数名ずつで、あとは 他学科。数学はほぼ全員(まあ教職科目だし)、情報は2割程度の学生が受験し たことになる。この講座では最初にかなりオドシをかけておいたので、それで も受講した情報の学生は精鋭部隊か。この科目に限って言えば、成績分布は数 学と情報でほぼ同じになるものと予想される。私の講義のノートがきれいに製 本されて700円で売っているらしく、その本のコピーらしきものも含めて1 0名程度が持っていた。私は超不親切かつ難解なるレジュメをもとに、ほとん どアドリブで講義しているので、手元に講義ノートは無い。ぜひ売っている所 を調べて一冊購入したいものだ。講義中に描いた3次元空間内の平面や凸多面 錐の図なんかは、私の板書よりもきれいに、かつ的確に描けていた。これは凄 い!来年からそのノートを見て講義することにしようかしら。製本版ノートを 50円で払い下げてくれた学生には、もれなく10点プラスして進ぜよう(嘘 です)。それにしても、自分のノートを売って儲けた学生が居るわけで、ちゃっ かりした奴がいるものだ。私にも印税を要求する権利があるのではなかろうか。

「面倒見が良い」あるいは「単に利用されているだけ」のジャイアンが、 今日の試験問題のコピーをくれと言ってくる。やらんでもないけど、そんなも の何に使うのかしら。過去問集になる可能性は低いかも。何ってたって私は気 まぐれですから、問題の傾向は毎年ゴロゴロ変わるは、気分によって講義内容 もガラッっと変えるわですからね。気まぐれがやりたくて、「まともな」講義 はなるべく担当しない事にしているぐらいですから。

夕方A先生の部屋に乱入し雑談。大学院の諸問題と立命館数理科学科の中長 期戦略について深い意見交換をする。K先生がA先生を夕食に誘いに来たので中 断。Hartshorne "Algebraic Geometry"の演習問題の整理は終らず。 可換環論モードへの復帰は来週以降にずれ込みそうだ。

7月22(土)
ゆっくり起きて昼頃大学へ。本日引続きHartshorne "Algebraic Geometry"の 演習問題の整理。あと「数理モデル論」の採点を少し。「プログラム理論入門」 の答案も届いたが、これは明日にでも採点しよう。「離散数学」の答案は月曜 日に戻ってくるだろう。「数理モデル」論は113名の受験者のうち棄権数名、 不合格30名弱になるもよう。50名以上が不合格になると思っていたが、そ うでも無さそうだ。例年「数理モデル論」は後期にやっている。後期の講義は 成績不良・単位僅少につき卒業できるかどうか微妙な学生だけが受講する傾向 があるので、今年の基準では落第率50%以上となる。しかし今年は前期にやっ ているので落第率は下がりそうだ。4回生前期の講義は大学院進学予定者とか、 割合よくできる学生が受講する傾向があるようである。

夕方K先生が「代数学I,II」の講義で可換代数をどこまでカバーしているか を教えに来てくれた。どうやら来年度卒研をする場合、可換代数、代数幾何学 どちらのテーマにしても、イデアル論の初歩から始めないとだめみたいだ。

2、3日前から暇々に数学教室の書庫から借りて来たヒルベルトの伝記を 読んでいる。一体ヒルベルトって何屋さんだったのか今までわからなかったが、 どうやら最初は不変式論から始めたらしいとわかる。今日の段階では、若きヒ ルベルトが不変式論に関する有名な仕事を終えたあと、代数的整数論に進むあ たりを読み掛けている。

きのうA先生と話していたわかったのだが、数学は分野によって研究段階に たどりつけるまでに読まねばならない本の分量がずいぶん違うようだ。実解析 は有名なRudinの本を完璧にマスターすれば、一応第一線の研究に着手する準 備が終ったと思って良いそうだ。また微分幾何の場合は、基本的に2冊の本を マスターすれば良いらしい。私は良く知らないが、Kobayashi & Nomizu の Foundation of Differential GeometryとChevalleyのLie Groupあたりを指し ているのかしら。可換代数ならひと昔前まではMatsumuraのCommutative ring theoryだけで何とか十分だったみたいだが、今はもう一冊Bruns & Herzogの Cohen-Macaulay ringsあたりを半分以上読む必要がある。(代数的)代数幾何学 はMatsumuraを読んでからHartshorneのAlgebraic Geometryを読破すれば基本 的にはOKのようだ。しかしHartshorneは400ページぐらいの本だが、重要な 話題の多くが演習問題になっているので実際は3冊分ぐらいの内容が詰まって いる。また代数的代数幾何学だけではダメで、複素多様体も平行して勉強すべ し、という人も居る。私の学生時代の指導教官は代数的代数幾何学の人だった が、Gunning & Rossi の Analytic Functions of Several Complex Variables なども読むべしと常々おっしゃっていた。そうなると代数幾何学というのも大 変である。そういう事もあって、出戻り数学者の私としては、代数幾何は趣味 として長期計画で勉強し、研究としては可換代数をやることにしている。整数 論はどうなのかよくわからない。

60代以上の数学者の多くは、現代の数学は彼らが研究を始めた頃よりも うんんと難しくなったと感じているらしい。小平邦彦先生の若い頃は Alexander & Hopf のTopologie (大体現在の学部程度の位相幾何学の内容だと 思われる)を読破すれば、トポロジーの論文が書けたそうだし、「分厚い教科 書が出版されたら、その分野は終りだ」(実際はそうでもないから色々苦労 するのだが)という意見も聞いたことがある。実際、 現在の学部教育のレベルと数学研究の第一線のレベルのギャップには大変なも のがある。「学部段階では全く教わらないのに、大学院に入った途端に既に当 り前のように使われる」理論というのが沢山あって、ひと昔前までは院生となっ た学生が必死に自習することによってカバーされてきた。しかし最近はそうい う事もだんだん難しくなってきたようである。というわけで、ひと昔前までは 数学者を目指す院生は、修士論文段階でオリジナルな研究論文を書く事が標準 とされていたが、最近ではそうでもないようである。だんだん第一線の研究に 着手できる時期が遅くなっている。

数学の研究スタイルとしては、じっくり勉強して深い研究を目指す方法が あるが、それだと研究開始の時期はどうしても遅くなる。それにじっくり勉強 したからと言って、深い結果が出せるとも限らない。勉強してその分野につい て深い認識を持つ。それだけで終る可能性もあるが、それでもいいではないか、 という価値観も確かにある。私としては、早い時期にささやかな事でもいいか らオリジナルな研究を経験するのも良いことだと考えている。精神体験として、 既成の結果について深く勉強することと、何か新しい事を発見することは大き な違いがあり、それぞれの喜びは全く別種のものである。 その違いを早い時期に経験する事も悪くはないし、深い勉強や 研究はそれと並行して、あるいはその後に少しずつ進めて行くのもひとつの方 法だと思う。この方法だと、つまらない論文ばかり書いてしまう可能性がある。 早い話が、凡人にとっては、何も論文を書かずに「清く正しく生きる」か、あ るいは「おのれの欲望に溺れて」つまらない論文ばかり書くかの2つの道 がある。

つまらない論文でも創造的な研究体験ができる事は大きな喜びだと思うか、 つまらない論文を書くのは人生の浪費だし、自分は心から素晴らしいと思える 学問と共に生きているのだからそれで良いと思うかは、本人の考え方次第であ る。また、つまらない論文の"発見の喜び"は、深い結果の"発見の喜び"とは比 べるべくもないらしい。深い結果の"発見の喜び"とはD大先生のように、狂気 乱舞するぐらい大きいようだ。残念ながら私は今のところ狂気乱舞した経験は ない。せいぜい「世の中の全てが自分に対して肯定的にみえる至福の時間」を つつましく楽しむ程度である。だから、そこそこの給料を定期的にもらえる方 を選ぶか、一獲千金当たればデカい、しかし下手すりゃ橋の下で野垂れ死のど ちらを選ぶかの選択だとも言える。数学は人生の縮図ではなく、人生は数学の 縮図なのである。

私が心から素晴らしいと思う分野は昔も今も代数幾何学である。で、私は 欲張りだから、創造的研究体験の楽しみは理論計算機科学(これは昔の話)や可 換代数(これは今の話)で担保してゴミ論文を書き、「心酔する学問とともに清 く正しく生きる」方は趣味の代数幾何学で担保している。可換代数と代数幾何 学はかなり近い分野だから、両者のバランスはすこぶるよろしい。もちろん、 いつの日か代数幾何学でゴミ論文以上の論文を書いて狂気乱舞してやろう という、というスケベ心は持っ ている。

7月23日(日)
夏は寝るに限る。ゆっくり起きて簡単に朝食、買物に出て風呂掃除をしてから 昼食。昼食が終われば「プログラム理論入門」の採点。まだ30名分程大学に 残してあるが、260数名分の採点が夕方頃に終わる。

夕食後はドイツ語のMDを聞き流しながら、ヒルベルトの伝記を読む。22 時よりNHKで"Good Will Hunting"をやっている事に気付き、途中までかぶり付 きで見る。Good Will Huntingはラストのシーンが泣けるのだが諸般の理由で 最後まで見られず。

7月24日(月)
午前中より大学へ。本日採点モード。まずは「プログラム理論入門」の残りの 30数名分の採点をして、成績の集計。今年は講義と試験問題のレベル(決し て高いとは言えない)を考慮して、「およそ講義の内容を何ら理解していると は思えない答案」は全て不合格とした。という事は、去年までは箸にも棒にも かなわない答案も、何だかんだと理由を付けて合格にしていたのである。

「プログラム理論入門」の採点結果は以下の通り。棄権2名を除いて受験 者は296名。 A判定8%, B判定29%, C判定29%, 不合格34%。 数学課程の学生だけで集計すると、受験者は3・4回生のみで合計24名と少ない が、 A判定13%, B判定41%, C判定17%, 不合格29%. 情報学科 で1/3の不合格者が出る場合、数学課程では不合格者は1割以下にとどまる と予測したが、意外と多かったのが気になる。しかし、就職活動に忙殺される 4回生が中心である事を考えれば、よく健闘しているとも考えられる。

その後「数理モデル論」の成績集計。112名中棄権4名。受験者108 名中 A判定2%、 B判定51%、C判定20%、不合格27%。 数学課程だけで集計すると、全受験者19名(棄権無し)で A判定11%、B判定58%、C判定26%、不合格5%。 ちなみにA判定は数学の学生のみ。数学課程の不合格者 の少なさとあいまって、まあ順当な線であろう。

昼過ぎから「離散数学」の採点。夕方頃終了。その後成績集計を行う。 「離散数学」は数学課程の教職科目であること、問題はそれ程でもないが(か と言って去年のような阿呆みたいな問題でもない)講義内容がやや高度である 事から、若干採点基準を緩める方針で臨む。実際は涙涙涙!涙無しに「離散数 学」の採点は語れない!採点基準は「若干」緩めたのではなく、「大幅」に緩 め、とにかく何か正しい事が一つでも書けていれば合格とした。集計結果は以 下の通り。数学が53名、情報+αが68名と量的に拮抗しているので、2つ を独立に集計した。数学では、A判定7%、B判定43%、C判定25%、不合 格25%。情報+αではA判定0%、B判定18%、C判定32%、不合格50 %。A,B,C判定の分布に関してだけ言えば、数学の不合格者がやや多いことが気 になるが、まあ順当なところであろう。

しかし「離散数学」のようなスタイルの講義は、2回生にはちと無理なの かも知れないという気がしてきた。予備知識としては大学初年度レベルだけを 仮定し、試験問題も技術的には高校数学+α程度のものではあるが、それ以外 の部分が大きい。つまり、1セメスターを通してEhrhart相互律という1つの 問題を追求し、その過程でさまざまな(多くは初等的な)数学的題材を吟味して いくというのは、思考の継続性が強い上に、継続した思考の方向付けをする思 想性が強い。少数の早熟な精神の持ち主を除いて、こういう話題は重荷に過ぎ るのかも知れない。

あと「外書購読」と「解析学序論I」の試験が残っている。「外書購読」は 人数も15名程度だし、A, B, C判定を付けるための試験で誰も落ちないから 採点する方としても気楽である。「解析学序論I」の方は大いに気になる。 「離散数学」の試験なんて出来なくても良いが、微積分の試験は出来てないと 数学の学生としては情け無い。で、という訳でもないが、偏微分の計算だけで もちゃんとできれば合格になるように仕掛けをしておいたつもりである。しか し「離散数学」の様子からして少し心配になってきた。数学の学生でも「サボ り学生1割、『絶対に何も理解してやらないぞ』と決心している頑固者1割」 合計2割の学生がグレイゾーンを形成しているような気がしてきた。サボりは しょうがないとして、頑固は寿司だけにしておかないとイケマセン!

7月25日(火)
昼前に大学へ。情報学科2回生からのメイルあり。離散数学の試験が思うよう にできなくてくやしいので、もう一度勉強しなおしたいが、どうすればよいか? との問い。どうやら数学教員志望の学生らしい。

試験勉強はどうすれば良いか?と聞かれた時、多くの場合「ノートをきっ ちり読めばよろしい」と答えることにしているが、学生諸君はえらく困惑する らしい。で、答案を見る限り、実際ノートを「きっちり読んだ」学生はほとん ど居ない。数学の場合、テキストをきっちり読めるようになるには特別の訓練 が必要である。基本的には論理の筋を精密に追い、論理のギャップを自ら埋め、講義 で示された具体例を最後まで計算し尽くし、自ら具体例を構成したりして、最 後には自分の頭の中で理論を再構成できる所を目指すのだが、このスキルは多 くの場合しかるべき指導者について細かい指導を受けないと身につかない。そ れが外書購読などの演習であったり卒研のゼミであったりするわけだ。

私の学生の頃は、2回生ぐらいから適当な先生をチューターとして引っ張 り出して自主ゼミをやった。私は松島与三の「多様体入門」を読んだように記 憶している。また、京大ではたとえ1回生であっても3回生の演習や4回生の 卒研ゼミを履修することができた。で、数学をまじめに勉強しようという学生 は、一般教養科目は1回生段階でほとんど取得して、ついでに3回生レベルの 講義科目の内容のうち、自分の興味のあるものをいくつかを自習して、2回生 からは3回生の演習を取る事が多かった。私は代数と幾何の演習に 出ていたが、中には4回生の卒研ゼミを取ってい た学生もいた。3回生になってからの講義科目は、多くの場合「復習」でしか ないのである。で、1回生段階で(一部の分野ではあるが)一通りの勉強を済ま せ、2回生からゼミや演習に参加するわだが、この段階で自分のテキストの読 み方の甘さを悟り、徐々に修正されていくというわけである。

数学科では当然テキストの読み方のトレーニングがカリキュラムに組まれ ている(立命館のそれが十分だとは私は思わないが)し、最近では数学研究会な どの自主ゼミも活発になってきている。しかし工学部には「テキストを読み込 む」という概念がそもそも存在しないし、工学部の教員も彼らが今まで一度も 経験したことのない概念を理解するのは不可能なようだ。従って情報学科では 「数学のノートを読んで理解すること」を学べる機会は存在しないし、今後も 存在し得ない。だから、情報学科の学生から「ノートを読むだけではわからな いです。どうやって勉強すれば良いのですか」と聞かれても、答えに窮すると いうのが本音のところである。私にできる事と言えば、基本的には講義の一番 最初で「よほどの覚悟の無い者は履修すべからず」と宣言することのみである。

午後、まだ少し残っているHartshorne "Algebraic Geometry"の演習問題 の整理をしていたところに、初登場F研4回生自称”○んこ”君の友人が現れ、 いきなりホイットニーの古い論文について質問される。その後彼と雑談をしている うちに電話が鳴り、殺人会議への召集がかかる。3時間余りの殺人(という程でも ないが)会議の後、引き続き「親和会」宴会に突入。京都市内の宴会場へ。

年2回の「親和会」宴会は、滅多に行けない高級そうな料理店の料理を楽し むだけの目的で、行き帰りの送迎バスに乗っている時間も含め約3時間余りの 退屈に耐える訓練をするという、とっても酔狂で贅沢な時間である。くじ引き で決まった座席は左隣に情報学科教員が2名連続して座るという、精神修養に は絶好のシチュエーションであった。コンパニオンは前回と違って、目障りに ならない程度の上品さを保ち、幸いにして精神的苦痛を感じることは少なかっ た。料理は一応鱧などを使って夏らしいメニューではあったものの、京ナスの 煮物、およびフルーツとトコロテンを組み合せたデザートが際立っていたこと を除いて特に感動なし。全体に量が少なく、自宅に帰ってから冷蔵庫に残って いたお好み焼きをほおばり、やっと腹の虫が鳴きやむ。

ところで、「京大名物サドとマゾ」の話はいくらか反響があったそうで、 京大恐るべし!とびびっている学生もありやなしやという状況らしい。 しかしあれは20年程昔の話である。今はどうだか知らない。たぶんあまり変わって ないだろうと推察しているが、学生気質の変化とやらの影響で昔とは全く 変わっているのかも知れない。実際、最近では京大の数学科でも 「講義で教わらない事は勉強する必要が無い」と考えている学生が 少なからず居るそうだが、昔はそんな阿呆な学生は居なかった。 いくらアホだアホだと言われ続けていた私でも、そこまでアホでは無かった。 数学は学んだ事を自らの頭の中で再構成して、それを自分でどこまでも 広げて行くという知的作業である。講義はその作業の入り口を示す 事に他ならない。と、昔は考えられていた。「ここまで覚えれば大丈夫。それ以外 は無駄」という受験勉強とは本質的に違うのである。 「サド・マゾ」の背景には、講義とは関係なしに自分一人でどれだけ勉強したか を学生同士が激しく競い合っていた事があったと思うが、そういう競争が 無くなれば「サド・マゾ」の美風(?)も変質を迫られるわけだ。

まあ、本当の事が気になる学生諸君は、実際に京大の大学院にでも進学して、 自ら確かめてみるのが一番よかろう。でも、あの程度のサド・マゾで潰れるようなら 元々その人には研究者としての未来は無かったのだとも言えるし、少なくとも世界に 出て行って(色々な意味で)トンデモナイ奴らと渡り合っていくことは難しいだろう と思う。

7月26日(水)
午前中に大学へ。本日から可換代数モードに復帰。代数幾何モードに入る前に 読みかけていた論文を詳細に検討することにする。途中「外書購読」の試験 (監督)。受験者19名で皆知った顔、そして誰も落ちない。平和な試験だ。

夕方遅く、突然S先生に「明日の午後会議に出頭せよ」との事務連絡が入る。 S先生は当日は出張予定なので当然あわてふためく。数理科学科にとって重要 な会議なので、誰か代理を出さないといけないらしい。で、たまたまRudinの 解析学の本を見せてもらいにS先生の部屋に押しかけていた私にお鉢が回って 来た。しかし、私はその時間帯は「解析学序論I」の試験監督である。従って、 試験監督の代理を捜さないといけない。こういう時は普通教室の教員の誰かに 頼むのだが、数学教室の先生というのはうまい具合に(?)夕方遅くになると誰 も居ない。いつもは10時頃までうろうろしている先生も、この事を予感 していたかのように姿をくらましている。 しょうがないので、試験監督の方は、「こちらの都合も考えずに突然会議の予定を入れ てきたのはそちらの方なんだから、そっちで誰か捜してよ」と事務側に投げつ けることにする。

私としては、会議に出るよりも、試験監督をやって「こら!眠り天才君、 試験中に寝ててはいかんよ」とか注意してみたり、講義が始まると必ず一番前 の席で握り飯を食べ始める"オニギリ君"に「今日は腹は減ってないのか?」と 話しかけて試験の邪魔をしたり、質問君や3回生A君の背後に張り付いてプレッ シャーをかけて遊んだりしている方がよっぽど楽しいのだが、こればかりはや むおえない。やむおえなければ、仕方がない。

7月27日(木)
昼前に大学へ。さまざまな経緯と連絡の行き違いの後、昨日の予定とは違って 「解析学序論I」の試験監督を終えてからS先生の代理で会議に出る。受験者7 5名。物理の4回生とか、多分情報学科に居た学生の科目履修生とか、数学以 外の学生も混じっていた。質問君は昨年度に単位を取っているらしく受験せず。 3回生A君は出席表に赤ペンで名前を書いて目立ちたがり、オニギリ君は物理 の4回生と判明し、眠り天才君は眠らず。ほとんどの受験生はせっせと答案を 書き進めていて、手も足も出ないとうなっている学生は僅少であった。これは 好成績が期待できるかも。情報学科担当科目の試験では、答案に色々書いてい るからと言って出来ているとは限らない。ノート持ち込みなので、単にノート を出鱈目にまる写ししているだけかも知れないし、トンデモナイ無茶を書き連 ねていることも多い。持ち込み不可の微積分の試験では、そういう事も少ない と思われるが、どうであろうか。採点が楽しみだ。

ところで「解析学序論I」の出題でミスが2つ発覚した。一つは単純なミス プリで試験中に訂正。しかし、もう一つはかなり本質的である。正確には、問 題は正しいのだがヒントが間違っていた!これは初等数学ゼミの「2回生希望 の星」君の指摘による。彼が試験後私の研究室を訪れ、[2](1)の問題について 疑義を申し立てた。で、小1時間ぐらい二人で色々議論した結果、結局(1)私 が問題作成直後に作った解答は間違いであった、(2)従ってそれに基づいて示 されたヒントは間違いであった、(3)しかし問題自体は正しかった、(4)さら に二人で議論している間に、私が最初に考えた(間違った)解よりも簡単で面白 い解が見付かり、問題のいくつかのバリエーションも見付かった。(例えば関 数をC^∞級でなくてC^2級にしても成り立つとか、R^2上の関数でなくてR^2内 の凸領域上の関数としても成り立つとか、凹領域にすると反例が作れそうだと か、C^∞級をC^ω級(つまり解析関数)にすれば問題もヒントも正しいとか。) 結局図らずしも「希望の星」君とゼミをやってしまった訳で、結構楽しかった のだが、なにぶん試験の話なのでそんな事は言っておれない。いやはや、誠に 申し訳ないしお恥ずかしい限りであります。勿論、採点はこのことを考慮に入 れて行います。また、正解等について知りたい学生諸君については、研究室を 訪れてもらえばお答えするつもりであります。

夕方ジャイアン君が「3回生数人で代数のゼミをしたい」というのでどの テキストが良いか聞きにくる。私の場合「代数=可換代数」なので C. Peskine,"An Algebraic Introduction to Complex Projective Geometry, I. Commutative Algebra", Cambridge studies in advanced mathematics 47, Cambridge University Press, 1996 を推薦する。これの前半は正統的な可換 代数の初歩が極めて明解に書かれている。前半部の140ページ余りを読破す れば、Mumford "The Red Book on Varieties and Schemes"が十分読めるよう になる。またBruns & Herzog "Cohen-Macaulay rings"もホモロジー代数の話 を適宜補いながら何とか読み進めることができる。私もゼミの議論に参加した いが、残念ながら後期は不在である。

7月28日(金)
午前中より大学へ。数理科学教室には突如として何やら怪しい動きが巻き起こっ ているようだ。昨日のジャイアン氏の「代数セミナー」に関する動き、それに 対するA先生の反応と「解析系セミナー」への呼びかけ。これは一体何と理解 すれば良いのか今のところ不明である。しかし、何だか面白い展開になりそう だ。

本日採点モード。「解析学序論I」と「外書購読I」。外書購読については、 皆さんあまり英語が得意ではない事がわかった。「解析学序論I」の採点結果 は以下の通り。受験者75名。A判定8%, B判定27%, C判定57%,不合格 8%。例の「間違いヒント」の問題については、間違ったヒントに従って一定 の部分的結果を導いているものについては、若干の加点を行い、「間違いヒン ト」に惑わされずに正解を得たものについては、かなり高く評価した。

夕方頃採点終了。その後、引続き論文の解読。結果はいつも魅力的だが証 明が読みにくいので敬遠している某数学者のもの。読みにくい理由は、純代数 的な結果を組合せ論を使って証明しているからである。組合せ論の議論が本当 に本質的なのかどうかわからない。昔、代数幾何学では解析学を使った超越的 証明による結果を代数的に再構成する、という作業が活発に行われた時代があっ たようである。組合せ論を使った「超越的証明」を代数化できればずいぶん見 通しが良くなるのでは、などと思ったりする。ヒルベルトなら見通しの良い優 雅な別証明を付けて、結果をはるかな高みまで引き上げるのであろうか。途中 メディアセンターに「証明が読みにくい」数学者の論文と、その相棒の論文を コピーしに行く。ひとつは数ページの論文だが、もうひとつは30ページ以上 ある。どついたろか。

7月29日(土)
昼頃に大学へ。昨日の「解析学序論I」の採点で1箇所不当に低く評価した部 分が気になり、採点を見直す。その結果受験者75名。A判定16%, B判定2 1%, C判定55%,不合格8%となる。いずれにせよ、不合格が1割を切った ので、やれやれといったところだ。

その後、引続き例の「読みにくい論文」の解読を続行しほぼ読了する。し かし、どうもしっくり来ないので、しばらくぐずぐず考えることにする。こう いう時にぐずぐず考えてわかる事というのは、大抵の場合論文の著者やその近 辺の人間が既に考えていることだったりする。じゃあ、何でぐずぐず考えるか というと、第一には「消去法」を行うためである。つまり、自分はこの方向と は違う事を考えねばならない、という「この方向」をはっきり知るためである。 これは電車の中で「空いてない」席を確認するようなもので、ちと悲しい気も するが、本当に知られてない闇の部分の輪郭をはっきりさせないと話が進まな い。それ以外にも、論文の結果に拡張の余地がないだろうかとか、他の問題に 使えないかと、その論文を通して世界を見ているうちに、ふと何か新しいもの が見えないかというスケベ心もある。スケベ心も執念深く持ち続けていないと なかなか獲物は得られないし、「永遠に獲物が得られなかったらどうしよう」 なんて考えててはやってられない。

昼過ぎジャイアン君が来て少し雑談。その後、6階の書庫に用事があった ついでにK先生の部屋に乱入して少し雑談。K先生がジャイアン君に紹介した Weilの本とは予想通り「初学者のための整数論」であった。これは軟弱そうな 本で馬鹿にしていたが実は大変な本で、K先生も大学2回生の頃友人とゼミを してキリキリ舞いしたそうである。そういえば大学2回生の頃、私は J.P.Serreの「数論講義」(Cours D'Arithmetique)を読もうとしてキリキリ舞 いどころか、さっぱり理解できずにすぐに放り出した。序文にはSerreがエコー ル・ノルマル・シュメリオールの2回生に講義した内容だと書いてあり、同じ 2回生でも彼らはこんな講義が理解できるのかと顎然とし、同時に整数論には 手を出すまいと思ったものである。この本は1年先輩で、2回生でWalkerの "Algebraic Curves" (イタリア学派の雰囲気を残した古典的な代数幾何学の本 らしい)を読破した上で永田「可換環論」の局所環の完備化までを読了し、3 回生でHartshorne "Algebraic Geometry"のScheme論の終りまで読了し、4回 生から整数論に進み志村理論をやって、現在某国立大教授をしている人が、3 回生の頃楽しそうに読んでいた。Grothendieck流の代数的代数幾何学と数論幾 何学ならともかく(当時はまだ数論幾何学という分野は知られていなかったと 思う)、志村理論とはあまり関連が無いような気がする。何でHartshoneまで読 んだのに代数幾何をやらないのか、と聞くと「だって代数幾何って難しいんだ もん。あれは単なる趣味だって。」との答え。一瞬どついたろかと思ったもの である。

その後K先生が「質問君」についての情報を教えにきてくれる。情報学科と 違って、数学教室の教員達は個々の学生の情報交換を良くやっている。本人は 初めてのつもりで教員の部屋を訪れると、「お待ちしておりました!」なんて 事もありうるのだ。学生時代、大教室での講義のひとつに出席していただけで 後は面識の無いはずの教授が、私の事をいやに良く知っているのに驚いた事が ある。会社の就職が決まって、そこの人事課の人が就職担当をしていたその教 授に挨拶に行くと、「ああ、高山君ねえ。彼はかなり○○に××してたんだけ ど、△△になって...でも良かったですね」(伏字の部分は内緒です)と、かなり突っ 込んだ話をしていたらしい。

7月30日(日)
夏は寝るに限る。ゆっくり起きて、色々やって、午後は先日届いたプリンター をノートパソコンにつなげて設定する。あと部屋の整理をして、プリンターの 置き場所を作ったり。夕食を作ったり。夕食後はドイツ語を少し勉強する。

プリンターの置き場所を作るのは大仕事である。一応書斎なるものを持っ ているのだが、まともに使った事が無く、ほとんど「S先生の個人研究室状態」 である。で、「ゴミに囲まれた私は幸せ!」という趣味は無いので、ほとんど 近寄らず、ただの倉庫あるいは産業廃棄物廃棄所となっている。ゴミの山を片 付けるのはひと苦労で、半日仕事になってしまった。数学やるのもドイツ語を 勉強するのもパソコンを使うのも、全てダイニング・キッチンで家族に邪魔者 扱いされながら寝そべってやってきた。数学は身ひとつでできるが、パソコン はノート型とはいえ場所を食う。で、プリンターまでとなると、いよいよ「立 派な(?)書斎があるのだから、そこでやれ!」という事になるわけだ。

7月31日(日)
7月はもう終りである。4月に数理科学科に移って来て以来、たくさんの学生 を知り、結構楽しい思いをしてきた。立命館と京大の雰囲気の違いは確かに大 きいと思うが、数学の学生というのは基本的に私の学生時代とあまり変わって ない事を知って安心した。数学の学生が情報学科の学生みたいだったら どうしようか、というのは杞憂であった。

昼頃大学へ。昼食後、例の「読みにくい論文」の内容を検討。途中ジャイ アン君が現れ代数ゼミについて少し雑談。Peskineの本の2章までを予定して、 そこまでコピーしたと言うので、「馬鹿もん!あの本は3章からが本論ぢゃ。 気合い入れて10章まで読め!(メンバーの名前を聞いて)そのメンバーならで きるはずだ。」と一喝。もう一度コピーに行かせるも、結局5章までで妥協す る。まあ半年のゼミだったら、そのあたりが適当かもね。

夕方またA先生の部屋に押しかけ密談。例によって立命館大学数理科学科へ の熱い情熱に満ちた話を聞く。情報学科から引き継いだ学生実験室を数学教室 全体に解放しているS先生は「数学の学生はちっとも計算機を使いたがらない」 とスネている。これは数学の学生が、例えば"○んこ"君が言うように、代数幾 何学の話と暗号の話を見比べて、後者がいかにもチャチなように思えるという センスを持っているからか。これは数学の人間としては、まことに健全な感覚 だと思うが、「数理科学科」になって学生の感覚は変わっていくのだろうか。 計算機なんてどうせ落ちこぼれ学生の就職対策なんだという、身も蓋も無い雰 囲気が広まってはまずい。かといって、情報学科の学生みたいに全然数学に興 味の無い人間がどっと入ってきたとすれば、ものすごくまずい。数学を中心に やっている学生が、自然に計算機も使いこなして、抽象理論の具体例をプログ ラムして実験したりする、なんて雰囲気になれば一番良いのだが。 私は計算機は大嫌いです!でも私の真似なんてしなくてよろしい。