6月1日(木)
午前中より大学へ。午後一番で2回生の微積分の講義、夕方情報学科4回生の 数理モデル論の講義。講義の合間に、昨日の続きで極小自由分解のDG代数構 造の例の計算を少しだけやる。

微積分の講義では「眠り天才」君に続いて、「眠り姫」を発見。この姫が 天才か否かは鋭意調査中である。講義の後、いつもの「質問君」が質問してこ ないので、近寄って行き「今日は何も無いのかね」と催促をする。彼は苦しみ ながら、ちょっとした質問をひねり出していた。よろしい。

数理モデル論の講義では、教室に行っても誰も居なかった。はてな、と思っ てしばらく考えていたが、結局私は明日の「離散数学」の講義ノートを持って、 離散数学の教室で学生を待っている事に気がついた。実は昼過ぎから「離散数 学」の講義ノートを眺めて、「今日の夕方」の講義は何を話そうかな、と色々 予習していたのである。あわてて部屋に戻り、「数理モデル論」の講義ノート を持ってとんぼ返り。H先生にも負けないA. Gordon効果である。

その後「数学コロキウム」でS先生の数式処理システムの講演を聞きに行く 予定だったが、S先生は「1時間中デモばかりやる」と言っているので、「ま たS先生のわけのわからんデモかあ」とやる気を無くしつつ一応行ってみた。

S先生の講演に、純粋数学至上主義者にして可換代数を専門とする私を満足 させる内容を期待するのは無理な話である。これは、寿司屋でラーメンを注文 してもしょうがないのと同じである。しかし、ひところと比べてずいぶんデモ がうまくなったものである。数年前のS先生のデモは強烈だった。「こういう 式がありまして、これをこういうプログラムに入力すると、こういう結果がで ます。」と言って画面にわけのわからん数式を出力して得意になっていたのだ。 これを延々と繰り返すのである。注意すべき事は、「こういう(式/プログラム /結果)」の「こういう」は、本当に「こういう」と言っていたのであって、何 か具体的な言葉が実際に語られたわけではないのである!後で「あれでは何やっ てるかさっぱりわからんではないか。」と言うと「とにかくモノが動く所をみ せりゃあいいんでしょ。」と涼しい顔をしていたのだ。こういう身も蓋もない 思考は何ともS先生らしい。その時と比べれば彼も成長したものである。感慨 無量。

計算機代数屋には2種類あるようだ。S先生のように工学的なノリでやって いる人達と、自分の数学研究のツールを作るつもりでやっている人達である。 だから、私は工学的ノリの計算機代数には興味が無いが、数学研究と深く関連 した計算機代数には興味がある。計算機代数(屋)といっても色々なのだ。

数年前にD.R.GraysonとM.E.Stillmanによる、(彼らが開発した)数式処理シ ステムMacaulay2のデモ講演を聞いた事がある。彼らはいずれもれっきとした 代数学者だから、ちゃんとした数学的モティベーションがあってMacaulay2を 作っており、デモの内容もそれに沿ったものだった。だから層係数コホモロジー の計算とか、代数曲線とかK3曲面とかの例が出て来て、ちょっと難しかったも のの、私としては面白ろかった。Macaulay2は私も自分の研究でよく使ってい る。

コロキウムの後でS先生が私の部屋に押しかけてきて、「K先生に『目から 鱗』と褒めてもらったぞ!」と自慢し、上機嫌であった。最近S先生の仏頂面 の被害に会っている私としては、S先生の上機嫌がいつまでも続かんことを願 うばかりである。

6月2日(金)
今日はとにかく夕方の情報学科5回生M君とのゼミを忘れないぞ!と決心しつ つ、早朝より大学へ。朝一番の初等組合せ論の講義では、話しながらふとレジュ メに書いた方法よりスマートな説明を2つばかり思いつきそれに沿ってアドリ ブで説明する。1つ目は難無く成功。2つ目はかなり進んだ所でこの方法では うまく行かない事に気付き立往生する。学生を放ったらかしてしばらく考えて いるうちに、1箇所訂正をすればうまく行きそうだと気付く。で、学生に謝っ て、今君達が書いたノートのこの部分とこの部分をこのように修正して下さい てな事と言う。さて、その部分の訂正だけでうまく行くのだろうか、と少々不 安であったが、おそるおそるやっているうちに出来てしまった。やれやれ!今 日はちょっと眠かったのだけど、これでしっかり目が覚めてしまった。

午後の中級組合せ論の講義は、つつがなく終了する。しかし、講義中にレ ジュメの間違いを発見して修正したものの、後でよく考えるとその修正では不 十分である事が判明する。(どうもなかなかレジュメのバグが取れませんなあ。) 夕方後輩の面倒見役を引き受けていると思われる5回生M君が、この講義の内 容を問合せにやってくる。M君によると「あの講義はさっぱりわかりません」 と言っている学生がいるらしい。うーん。講義中のあの不気味な静けさは、巨 大な疑問符たちの海に飲み込まれている学生諸君の、悲しい無言の叫びなのか? S先生の集合論の講義につづいて、来年度あたりに大リストラでも敢行しよう かしら。

M君とのゼミは、今回もスローペースでおそるおそる進む。

本日研究の方は進まず。

6月3日(土)
昼頃大学へ。まだ腹は減っていなかったが、立命館高校の「はらぺこキッズ」 達が大挙して押しかけて、食堂がパンクする前に軽く昼食を済まし、「はらぺ こキッズ」が去った後シーキューブでまた軽く補うことにする。今日はゆっくりと 論文読みを再開。またぞろ昔読んでよくわからなかった論文を引っ張り出す。

H先生のHPに英国での近況最新版が出ていた。英国の天気のうつろいやすさ は、私も経験がある。9月上旬のエディンバラであった。町の真中に小さな山 があって、山のてっぺんにお城がある美しい町だった。同じ空でも、国によって雰囲気 が違うようである。私は昔から不思議に思っているのだが、アメリカ映画で見 る空の多くは、抜けるように深くそして青い空である。そして晴天の戸外はい つもまばゆいばかりに明るい。日本で見る空はそれに比べていつもどこかどん よりしている。実際にアメリカに行った時は、たまたまかもしれないが、日本 と同じような空だったから、単に映像技術の違いなのかもしれない。しかし、 映画の中で見るあの空こそ私の心にある「アメリカの空」であり、アメリカと いう国に印象につながってしまっている。ロンドンの空といえば、ただ曇って いるだけという印象しか無い。エディンバラで見た、スコットランドの荒々しい そして時に人間を厳しく拒絶するかのように美しい空も、スコットランドの土 地と人々の生活への印象と深く結びついてしまっている。ドイツの空はどうな のかしら。

今夜はナイトハイクだそうで、衣笠からBCKまで徹夜で歩き倒し、明け方 BKCで解散となるらしい。気が狂っているとしか言いようが無い行事だが、割 合盛り上がっているようだ。訳のわからん事をやって嬉しがれるのは、若者の 特権である。そういえば学生時代は朝5時頃に寝て昼頃起きるという生活をし ていたものである。学生はそれでいいかも知れないが、それにつき合う教職員 は大変だろう。私は徹夜につき合うのはまっぴらだが、立命館には課外活動に つき合うのが好きで徹夜でも頑張る教員が多いから助かる。

「フレッシュリーダースキャンプ(FLC)」という新入生を集めて泊り込みで 合宿する行事があるが、元バリバリの体育会系だったS先生などは「みんなで 友達になろうという軟弱なノリ」が「ヘトが出る程嫌い」だそうである。私も 口を開けば判で押したように、グラフィックスがやりたいだの、インターネッ トがやりたいだのという事しか言わない情報学科の新入生には職業的義務感以上 のものは感じない。だから、「時間外勤務手当」も出ないのに、休日返上で駆 り出されるのはかなわんという事で、FLCの引卒役からは逃げ回っていた。相 手が数学の学生なら考えないでもない? 情報学科時代にFLCに引っ張り出 されたS先生も同じ事を考えて、合宿では数学の学生に寄っていき、ガロアや アーベルの話をしたそうだが、「僕は教師になりたくて数学科に来たのであっ て、数学が好きで来たわけではありません」と意味不明な事を言って逃げられ たそうである。それ以来S先生はFLCを目のカタキにしているようだ。 当の学生はめでたく教師になれたことであろうか。でも、数学が好きでない 数学教師ってのも、計算機が大嫌いな情報学科の教師(先日までの私の事である!) と同じで、幸福とは言えないのではないか。

ところで、「課外活動」とか「正課」という言い方は、どうも「大学」と いうより、高校以下の「学校」という感じがする。もっともO先生によれば我々 は「株式会社立命館の社員」だそうだし、学生達は私の学生時代のように「今 日は『大学』へ行く」とは決して言わず「今日は『学校』へ行く」と言うのだから、 「課外活動」「正課」は似つかわしいのかも知れない。昔はいちいちそういう のに腹を立てていたが、今はどうでも良くなった。しかし、私はムカシ気質の 大学教師なので、原則として学生諸君とは学問を通してのおつき合いにとどめ、 それ以外の事は学生諸君がおおいに自主的にやっておればよろしい、という考 え方は変わっていない。まあ、学生諸君から「お呼び」が掛かれば、たぶんホ イホイと出て行くだろうが、「株式会社立命館」の「社命」により「課外活動」 につき合わされるのは好きではない。

6月4日(日)
午後から京都市美術館へ、京都市立芸術大学創立120周年記念祝賀記念展 なるものを見に行く。新聞で案内を見て「お!これは良さそうだ」と思って出かける ことにしたのだ。行ってみると、新聞に(モノクロだけど)写真が出ていた作品は 確かに良く、日本画に2店、洋画に1点、造形に2,3点ほど「これは」という のがあったが、それ以外は特に感動なし。ただ須田国太郎の絵を再発見で きたのは大きな収穫であった。

須田国太郎というのは昔から何となく知っている画家だけど、風景画など は重くて暗くて「いまひとつやなあ」と思って無視していた。展示されていたのは、 「走鳥」といってダチョウか何かの絵で、そういうイメージとは全く違う作品だっ た。 結局1時間半ぐらいのうち1時間ぐらいはその絵ばかり眺めていた。帰りに10年程 前 に開かれた「須田国太郎展」の作品集が売ってたので、迷わず買ってきた。どうやら 初期の風景画は筆づかいも軽いし、色も明るくてかなりよろしい。しかし、この人は 動物を 描かせた時が凄い。「飲馬」「犬」「鵜」「老馬」あたりはちょっとドキドキしてし まう。でも、 今日見た「走鳥」はこれらとも全然違った軽さと透明感と色彩の明るさ があって、この人の作品としては異色だと思う。

美術館を出た後近くの喫茶店に入り、昨日から読み始めている論文を しばらく眺める。帰ってからは、録画しておいた「ショムニ」を見て、夕食を食べ、 ドイツ語を少しやる。

6月5日(月)
昼前に大学へ。間もなく3回生M君が数学コロキウムの資料を取りに来る。コ ロキウム資料の「売行き」は今のところいま一つといったところ。まあ、コロ キウムは事実上卒研案内を兼ねているわけだが、客の入りが悪ければ、来年度 に学生が集まらないだろうという推定が働く。「学生が集まらなければひどい 目に会わされる」という情報学科でのPTSD(心的外傷後ストレス症候群)が発作 が起こりそうだが、まあここは良識ある数学教室だという事で、気にしない事 にしよう。

3月に修士を卒業したT君からメイルが届く。某H社で新人研修を終え、い よいよ職場に配属されたそうだ。

昼食後、論文読みを再開。今日の論文のアイディアの鍵になっている、良 く知られた(しかし自分ではよく理解していなかった)KoszulホモロジーとTor 加群の同形について、詳細に検討する。

ここんところ月曜日は研究日というのが定着している。火曜日も殺人会議 がなければ一日研究日。水曜は外書購読があってちょっと気ぜわしくなり、教 室会議があると午後は全部つぶれる。木・金は講義とゼミが目白押しで、ほと んど研究はできず、土曜日はまた研究日で日曜は休息日。土曜日は「はらぺこ キッズの襲撃」で昼食時間が制限されるが、月曜日はそういう事もなく、一番 平和だ。まあ、週に2、3日研究日が取れるのだから、大学の教師としては普 通だろう。

6月6日(火)
6月6日の参観日、三角定規にヒビいって、あんぱんふたつに豆みっつ、あーと 言うまに午前中に大学へ。本日午後より「殺人会議」改め「正しい会議」。その前後の 時間は、論文読みを続ける。スペクトル列、ベッチ数のポアンカレ級数、自由 文分解の次数付き微分加群構造、Koszul複体、Golod環、係数環変換の方法 etc. らの概念の結びつきが、ようやく少し見えて来た。(やれやれ、難しい世 界やのう。)

S先生の「上機嫌」は継続中のようである。数学コロキウムでの講演の成功 により、心の余裕が出て来たのであろう。一時期、彼があまりにパソコンと数 式処理システムの自慢ばかりしてウルサイので、私は純粋数学至上主義をふり かざして色々イジメたのである。いくら自慢されたって、私はそういうものに 感動するヒトではないのである。「そら、便利やね」ぐらいは言うけれど。で、 パソコンと数式処理の素晴らしい世界を認めろ!とグイグイ迫ってくるので、 「阿呆言え!俺は『腐っても鯛』『武士は食わねどちゃんちゃこりん』の純粋 数学至上主義者だ。パソコンが何だ!数式処理が何だ!」と反撃したのである。 その「薬」が効きすぎて、彼は「数式処理なんて、どうせマトモな数学じゃな いんだ」とか「高山の言う事なんか全く気にしない!」(と言わなければなら ないほど気にしていた?)とか言ってイジケていたのだと思う。別に私が世界 の支配者ではないのだから、他の人に自慢してればよい事である。そして、彼 はその事にようやく気付いたようだ。いずれにせよ、数理科学科に(上機嫌の) S先生を中心とした数式処理の、確固たる基盤が築かれていけば万事めでたい のである。

6月7日(水)
午前中より大学へ。3回生のM君より「『M君』は沢山いるのだから、ファース トネームで区別すべし」とのメイルをもらう。この日誌では略記法の統一性の 観点から全て苗字の略語で統一し、同じ略号の場合は接頭語で区別することに しているが、「3回生M君」の場合は、本人の申し出により、以後特例として 「3回生A君」とする。愛読者サービスも重要なのである。

ところで、寝る前の読書で代数幾何学の本を読む気が起こらなくなり、ス ペクトル列の本だの自由分解の論文を眺めるようになってきた。数学の本を読 む気になれない時は、簡単なドイツ語の文を眺めたりしている。これは可換代 数モードにどっぷり浸ってしまった事を意味し、まずい傾向である。ひとつに は、ドイツ留学が近付いてきて、それまでの準備を完了せねば、というあせり が出て来た事も理由である。しかし、また今度P先生とHartshorne"Algebraic Geometry"のゼミをやる前に、七転八倒の思いをしなければならないだろう。 どうせ10分もしないうちに気を失ってしまうのだが、毎日10分の代数幾何 学というのが大事なのである。困ったこっちゃ。

本日午後より外書購読。その前後は論文読み。いろんな研究者がいろんな 結果を出しているので、何がわかっていて何がわかっていないかという全体 像をはっきしさせなければならない。そこで、そろそろこの世界で何が起こっ ているのか、サーベイ・ノートを作りながら論文読みを続けることにする。

エレベータで一緒になったK先生が、「兄さん、ええもんおまっせ!これ、 見ておくんなはれ」という内容の事を神奈川弁(?)で言うので、何じゃ?と思 えば、2回生のクラス写真であった。これで「眠り天才」君の氏名が判明した。

今週に入ってコロキウムの資料の売行きは、まずまずと言ったところ。"情 報学科PTSD"の発作が起こらずに済むか。

S先生の上機嫌は継続中。今日は筋肉の自慢をしに来た。私も10年程前に S先生に弟子入りして、一緒になって筋肉付けて喜んでいたクチなので、こう いう自慢話はよろしい。

6月8日(木)
眠い。ゆうべは寝つきがわるく、朝方も早くから眠りが浅く。原因は寝る前の 読書である。可換代数モードになって、寝る前にホモロジー代数の本などを眺 めるのだが、すぐに眠くなる。で、明りを消して布団にもぐり、昨日気になっ ていた問題を考えながら眠ろうとした。ある論文にさらりと書かれていた一行 の式がわからないのである。いつもなら暗闇でしばらく考えているうちに間も なく気を失うのだが、ゆうべは1時間程眠れず。さらには、夜明けに夢の中で 一所懸命その問題を考えていて、解けたような解けないような。半分目を覚ま し、さてさっきの夢の「解答」は本当に解答になっているのだろうか考えてみ ようと思ってまた浅い眠りに入る。てな事をやっていたわけだ。で、私はポア ンカレでもリーマンでもないから、結局ごくわずかの進展があっただけで解決 には至らず、睡眠不足だけが残った形だ。

午前中に大学へ。12時頃3回生S君がコロキウムの資料を取りにくる。 「あのう、昨日『電話』を掛けましたSですけどー」「え?電話?!ああ、メイルく れた人ね。(あなたが電話を掛けたんじゃなくって、パソコンが電話を掛けた のじゃろうが) はい、これ。」と数部コピーした資料の1つを渡す。

昼過ぎから2回生の微積分学の講義。今日は「眠り天才」君の隣りの学生 が眠り菌に感染して、一緒に眠っていた。眠り姫は眠ったり起きたり。講義後 の質問およびコメントは3名。講義中の細かいミスを指摘してくれた3回生A 君、いつもの「粘い質問」で楽しませてくれた3回生「質問君」、あと黒板の 汚い字で「迷える子羊」状態になった、たぶん2回生の1名。(だんだんディ スク・ジョッキーみたいになってきたなあ。)そろそろ講義ノートのストック が切れて来たので、続きを作らねば。今の講義のペースでは陰関数定理までは どうにか行けるかも知れないが、逆写像定理まで行けるかどうか疑問。逆写像 定理は幾何学で可微分多様体やる時に大事なものだから、省略するわけにも行 かぬ。で、後期のベテランA先生の続編に押しつける形になるかも。そうすると、後 期の重積分の最後が省略になるかも。重積分ってのも、多様体のコホモロジー を計算する時大事なんだけど、大丈夫かなあ。いやあ、そこはベテランの 意地にかけても最後まで終らせてくれることであろう。

夕方から情報4回生の暗号の講義。楕円暗号の話がほぼ終結に向かう。ま だ6月の始めだぞ。いよいよ話しのネタが無くなってきた!英国のH先生を急 拠呼び戻して続きを講義してもらおうかしら。(うふっ)

夕方から微積分の講義ノート作りを少しばかり。本日研究は進展せず。

6月9日(金)
早朝より大学へ。朝一番で初等組合せ論の講義。つつが無く終る。午後から中 等組合せ論の講義。「眠り天才」君は前から2列目に後退(なぜだろう?)。今 日は割合起きている事が多かった。夕方の情報学科5回生M君とのゼミは、彼 が風邪でダウンしたため中止。講義の合間は微積分の講義ノート作り。研究は 進まず。

昼前、情報学科O研究室出身のH君がふらりとやってくる。私が衣笠の立命 館情報工学科に来たばかりの頃、彼はO研の院生で、計算機設備の事でずいぶ んお世話になった。現在は博士号も取得して、東京の某超有名企業の研究所で 活躍しているらしい。H君の話を聞いていると、東京ではまだ面白い計算機科 学をやっているのだなとわかる。東京は企業、大学、国立研究所などの研究機 関も多い。地道な研究開発も活発だが、夢のある研究も今も変わらず行われて いるようだ。現在彼がやっている仕事を聞いて、思わず「えらく『非』立命館 情報学科的な計算機科学をやっていますね。」という感想が口を突いて出て来 た。

私は関西に来てから計算機科学が急につまらなく思えるようになった。計 算機科学について、夢のある話ができない風土だからである。この土地では、 マスコミ等で現在騒がれていて、やればとりあえずすぐに何かできそうで、企 業もこれは当面事業としてやってけそうだと見ていて(企業は今日と明日の事 だけを考える所であって、明後日の事は考えてはいけない所である)、従って 企業からのお金が集まりやすく、かつ就職にも有利そうな研究が「夢のある研 究」とされているようである。私は、50年後100年後を見据え、未来をで きるだけ現在に引き寄せようという話を夢のある話と考えていたから、この土 地での「夢」とは何とささやかなものか、と暗然としたものだ。計算機科学研 究の風土は、関西と東京とではまるで違うのである。

東京にどどまっていたら、まだ計算機科学を続けていたかも知れない。そ して死ぬ前になって「ヘボでもいいから数学をやりたかったなあ」と後悔した 事であろう。思い切って数学に転向できたのは、計算機科学に夢が持てない関 西に来れたお蔭である。そして関西に来たのは、単なる偶然である。人生何が 起こるかわかったもんじゃない。