3月1日(水)
2月は訳のわからないうちに完全に潰れてしまい、とうとう3月になってしまっ た!Avramovで「中山の補題強化月間運動」に励む。問題を1つだけに絞ると 気分的に煮詰まってくるので、3つぐらいの定理の証明の理解不能な場所(全 て最後の1行がわからない!)を、何度もぐるぐる回りながら一日を過ごす。 こういう時って、瑣末な問題に何だか無駄に時間ばかりかけているような気が してあせってしまう。しかし、こういうウイーク・ポイントはしっかり潰して おかないと必ず後に残るものだから、やむおえない。やむおえなければ、仕方 がない。

途中、大学院の5年一貫制の新設専攻の担当の件で、わけのわからない話 に多少振り回されバタバタした。本来こういう話には関係無いはずの、数理科 学科に移籍する3教員(私も含む)にかかわる事だというので、ぼんやりもして られない。小さな事に見えても、ここぞという所でぼんやりしていると、後で えらい目に合う事はあるものだ。3教員の情報学科に対するスタンスがそれ ぞれ全く異なるので、話は余計微妙でややこしくなる。 しかし結局大した事も無く終結し、ひと安心。

3月2日(木)
予算の4000円余りを消化するために、京大ルネへ。開店は11時なのに1 0時に着いてしまい、中央図書館で1時間程Avramovを読む。ルネでは前回に 買いたい本は買い尽くしたので、欲しい本が思い浮かばず、1時間程店内をウ ロウロしてのたうち回り、結局黒山人重著「数学研究法」とドイツ滞在のガイ ドブックを買って予算残を376円とする。京都駅経由で大学に戻り、376 円を生協で特売のノート3冊を買って消化。

子供の頃は、新しいノートを買うと「勉強するぞー」という意欲が湧いて きたものだ。しかし結局そのノートが、自分でも読む気の起こらない汚い字で 埋まっていくにつれて、意欲は減退していくのが常であった。そのせいもあっ て、今は初めて担当する講義ノートを作る時や講演会でノートを取る時以外に、 ノートはほとんど使わない。しかし、何人かの数学者の研究スタイルを見ていると、何 やら自分のノートに色々計算を書き貯めているようである。勿論中高生みた いに、教科書の演習問題を解いた答を書いているわけでもあるまい。新しい 定理につながる可能性を持った、独自の計算であろう。

よく聞く話だが、ある若手数学者が新しい問題に取り組み始めたときに、 大御所数学者がそれを励まして、色々関連論文を渡したりする。そのとき「○ ○先生は、親切にも御自分の研究ノートまで見せて下さった」りするの である。また、若くして亡くなった気鋭の数学者の遺品であるノートを、弟子 達が解読・発展させ新しい数学を展開した、という話も身近で聞いた事もある。 こういう「研究ノート」なるものに私は憧れる。

今や汚い字は気にしないが、自分でも読み返す気の起こらない、つまらな い計算で埋まっていって... なんて事が起こらないようにしたいものだ。

夕方から夜まではAvramovに費す。中山の補題強化運動は途中で行きずまり、 極小自由分解の微分代数構造の非存在定理の証明を突つき回す。久しぶりで平 和な時間である。

3月3日(金)
昨日の帰りのバスで「数学研究法」(黒山人重)をパラパラと眺めていたら、 「計算は闇雲にやればよろしい」という言葉が目に飛び込んで来た。正しい方 針がわからないのだから、そうする他にないというわけだ。また「何かをやろ うとすれば、まず失敗してみることである」という言葉もあった。あらゆる可 能性を試みて失敗すれば、あとは正解が残るのみ、というわけである。うーん、 ナットク。では昨日買ったノートには、闇雲に計算らしきものを書いていくこ とにしよう。という事で、今日は昨日にひきつづいてAvramovを突っつき回し、 長さ2の簡単な極小自由分解の計算をやってみた。

前から気になってはいたのだが、Avramovの話が私が考えている問題にどう 関連付けられるのかがいまひとつよくわからない。細かい所を詰める作業と並 行して、全体の筋道というか、今後の方針を煮詰める作業をそろそろやってい こうかと思う。

夕方頃から学系会議。ちょっと異義があったので発言したが、あまりやり 取りが長くなると、また腹が立って勉強できなくなるといけないので、適当に 引き下がる。で、Avramovの古い論文を眺めていたら、昨日解けなかった疑問 が解けた。何の事はない、昨日は単純な計算ミスをやらかしていただけだった。

3月4日(土)
例によって午前中は京大図書館でドイツ語の予習をし、午後はGoethe Institutへ。 帰りにGoetheの図書室からドイツのテレビ・コマーシャルばかり集めたビデオを借り てくる。 テレビ番組で一番好きなのは、何を隠そうコマーシャルである。その次が朝のワイド ショー 「とくダネ」、 NHKニュース (7時のNKHニュースを見ながら居眠りするのは最高の極楽である)、 そして家族の影響でドラマ etc. と続く。テレビドラマは、

等々に続き、最近は 「恋愛中毒」 (私は薬師丸ひろ子のファンではないが、30過ぎのおばさんになって 昔よりうんと味が出て良くなったと思っている。あれ?何か同じ様な事を書いているなあ。) を見て、加賀丈史みたいなカッコイイおじさんになりたいものだと思ってみたり。 私の心を通り過ぎて行った数学の定理の数よりも、今まで家族と見たドラマの 数の方が多いかも知れない。ちなみに、 私は加賀丈史の熱狂的隠れファンである。(実は最近まで加賀丈史と役所広司 の区別がつかなかったのだが...)

(ああ、何でこんな事を書いているのだろう?これは「数学日誌」のはずなのに!)

昔仲間内で流行った冗談に、某エリート工業大学の学生の間で人気トップのテレ ビ 番組は時報なのだ、とか、いやいや人気ナンバーワンは深夜のテストパターンで、 あれをじっと見ていると心が安らぐ学生が多いのだ(勿論全てウソ)、というのが あった。 私にはそういう趣味は無いが、そういう気分は分からないでもない。

それはさておき、テレビコマーシャルは作る側の気合が並大抵ではないから、 しっかり作られたものが多いし、あれだけ見ているだけで時代の雰囲気が感じられ (これは電車の吊り広告と同じ効果である)、ああ自分は今この世の中に生きている ん だなという同時代的気分がしてよろしい。

ドイツのコマーシャルも、ビデオを見ている限りでは、日本のものと比べて 映像が美しくかつ大人しい感じがする。何を言っているのかよくわからないので 「日本語でしゃべれ!アホ。」と思うが(勿論無理な相談である)、 見ているだけでも楽しい。半年の留学期間は毎日テレビをしっかり見てこようと思 う。 例え不幸にして数学で何も成果が得られなくても、テレビ・コマーシャルだけは しっかり見てこようと思う。

3月5日(日)
この土日は数学はお休みであった。今日は、昨日見たマクドナルドのコマーシャ ルに踊らされ、昼食はラクトでビッグマック・セット。実物はコマーシャルほ どうまそうでも無いことを熟知しつつ、それでも食べたくなる悲しい性。買物 をして帰ってから、ドイツ語テレビコマーシャルのビデオを3回ぐらい繰り返 して見ながら夕食のシチューを作り、その後ドイツ語のノート整理。散歩、夕 食、ノート整理、そして寝る。半分ぐらいアホみたいな一日であった。

寝る前に「数学研究法」を眺めているが、ゼータ関数の細かい議論が中心 で、それ以外の部分は雲をつかむような話ばかりで、余り面白くない。

3月6日(月)
今日は平和であった。Avramovをもとに、終日簡単な剰余環の極小自由分解と 次数付微分代数分解を計算して楽しむ。体上の多項式環の(斉次)剰余環は、 Hilbertのsyzygy定理により、高々変数の数だけの長さの極小自由分解を持つ。 極小自由分解は次数付き加群であるが、これが多元環構造を持つ場合がある。 いっぽう、例え極小自由分解が多元環構造を持たなかったとしても、killing cycle variableという古くから知られている方法で、多元環構造をもった自由 分解を構成する事ができる。しかし、一般にこれは「極小」とは程遠い。以上 が一般論であるが、実際にその様子を見てみようというわけだ。一般に剰余環 の(極小)自由分解は手計算では手に負えないので、当然簡単な例でやってみる ことになる。しかし簡単な例でも色々な事が見えてくるものだ。

京大数理研のS先生の昔の雑文(?)に、ドイツの数学というのがあった。 S先生は学生時代フランス流のきれいな数学に傾倒し、アブストラクト・ナ ンセンス(?)の世界に浸っていたのだが、ドイツに留学して、そこの人達がフ ランスとは全く違う数学をやっているのに驚いたという。ひとつの具体例をあ らゆる角度から徹底的に計算し、そこから新しい発見をするというという数学 をやっていたというのだ。彼らの数学にいたく感銘を受けたS先生は、 以後ドイツ流の数学に転向されたという。

また、ある表現論の大家のエッセイに次のようなものがあった。O大 学助手(?)時代、同僚だったD大先生(当時助手?)が毎日2行2列の行列の計 算ばかりしていて、何だか演習問題を解いている学生さんみたいだったそうである。 その先生自身は論文を読んではじっと考えるという、きれいな数学をやってい たらしい。ある時D先生と酒を飲んだとき、「あなたの数学は地に足がついて ない!」と一括されて目が覚めたという。その後、今まで勉強した一般論を片っ 端から具体例にあてはめて計算三昧の日々を送り、大きな発見をされたという。

私が数学に転向しようとしていた時、どうやって研究したら良いのかわか らなかった。理論計算機科学をやってた時と同じで良いのだろうか?というよ うな事を考えていたように思う。その時同僚だったI大先生から直接伺い、か つ京大数理研の学生が指導教官のM大先生と雑談しているのを横で聞いていた 所によると、まず良い例を見付けなさいとの事であった。良い例を構成すれば、 しばらくすると何か論文が書けますとの事。なあーんだ、理論計算機科学の時 と同じだな、と思った次第。私の理論計算機科学者時代の論文は、全て面白い 例や現象を一般化してできたものである。

高木貞治のエッセーにも、特殊から一般へという帰納的方法こそが、数学 の王道であると書かれている。しかし、「特殊」の世界に遊ぶ事はできても、 そこから「一般」の世界に飛翔するのは、かなりセンスが必要な気がする。

最近は数式処理システムで具体例が計算できるけれど、計算機ばかりに頼っ ていると、どうも上滑りになって本質がぼやけてしまう気がする。それはお前 のセンスが悪くて、計算機をうまく使ってないからだ!と言われれば、そうだ としか答えようが無いが。しかし手計算を少しやってみると、それだけでも頭 の中が少し明るくなった気になってくる。これからも計算を大切にしようと思 う。

3月7日(火)
今日も一応平和だったので、昨日にひき続いて自由分解の計算をする。「一応」 というのは、情報学科で担当していた実験の資料を整理して引き継ぎをやった り、ドイツ留学のための何やら物騒な(?!)書類を書いたりしてかなり時間が 潰れた事を意味する。まあ、それはやむおえまい。やむおえなければ、仕方が ない。

海外出張は色々準備が面倒臭いので嫌いである。私は特に強迫神経症気味 で、家族が出払った後一人で家を出る時など、ガス、電気、戸締りが心配でな かなか出発できない。大抵最後はガスメータと電気メータをそれぞれ1分ぐら いじっと眺めてメータの回転が止まっている事を確かめてからやっと出発する 気になる。そういう調子だから、海外出張となると大変なのである。まあ最低 限の準備さえしておけば後は何とかなるものだが、重大な見落としが無いか気 になってしょうがない。空港でパスポートを忘れた夢なんかも、ちょくちょく 見る。だから面倒臭い!のである。しかしいざ行ってしまうと、準備の気苦労 はすっかり忘れて、来て良かったと思うのが常だ。

帰りに、情報学科の一般教員(つまり数理科学科移籍予定者以外の人)で唯 一私が業務上のやむおえない事由が無い場合でも話をするF先生と一緒になる。 (つまりそれ以外の人と話をしていると、腹が立ってくるか退屈で死にそうに なるかいずれかになる事が多いので、一切話をしない事にしている。)連続関 数を至る所不連続なある特殊な関数列によって、何らかの意味で「近似」でき るか?というような問題が話題になり悩む。寝る前に溝畑「ルベーグ積分」を あちこち眺めていたが、よくわからないまま眠る。残念ながら数学教室A氏は 夢に出てこなかった。(最近余り顔を見てないからか?)

3月8日(水)
今日もまた平和であった。午前中は昨日のF先生の問題に気になって少し考え て答らしきモノを得たのだが、どうもしっくり来ない部分があった。ところが、 昼食時に、同僚H先生が登校している事を発見。昼食後、彼の部屋に押しかけ て色々教えてもらい、一応の解決をみる。F先生にメイルを出して一件落着。

午後は引続き自由分解の計算。定理の証明を具体例の計算で追っているだ けだが、けっこう楽しいものである。

3月9日(木)
午前中はドイツ語の宿題で、独作文をする。午後は学系会議。今週と来週は情 報関係者は出張の時期らしく、ほとんどの教員が欠席。小人数で私には全く関 係無い、情報学科の来年度以降の議題に終始し、短時間で終る。今後この人達 とこういった会議で顔を合わせる事は生涯無いのだな、と思うと××に○○○ ○ような気分になる。(××部分は「極楽」「夜中」または「ネコ」のいずれ かが入り、○○○○部分は「往生する」「熟睡する」または「餌をやる」のい ずれかが入る。さて正解はどれでしょう?)

会議後はまた計算。一つ計算すると、じゃあこれもやってみよう、あれも やってみようと、という具合にどんどんハマって行く。数式処理ソフトも少し は援用する。

3月10日(金)
昼頃に大学へ。今日も平和であったので、計算でもやろうかと思ったが、部屋 の本棚の整理をすることにした。1月に買った日本美術全集33巻がまだ箱に入った ままで、これを何とか本棚に並べなければ、一度も見ないままにドイツに行っ ていまう、という事になりかねない。

本棚は既に満杯である。そこで最初は計算機科学関係の書籍や資料を段ボー ルにでも詰めてその辺に積み上げ、本棚のスペースを作ろうとした。しばらく 作業をしてみて、書籍はともかく、膨大な量の論文のコピーや学会誌や国際会 議などでの発表資料を何とかしなければならないと気付いた。単に美術全集の スペースを作るだけなら、その全集の入っていた段ボール箱に入るだけの書籍・ 資料を片付ければよい。しかし、こういうものがチラチラ目に入るようでは、 おぞましき情報学科の亡霊からいつまでも逃れらなないのではないか、という 気がしてきた。 しばらく躊躇していたのだが、今後使う事は決して無いだろうし、結局資 料の類は全て捨てる事にした。

私は普段は「計算機屋時代には結局何もやってなかった」という気分でい る。しかし、改めてひっくり返してみた資料のどれにもそれぞれの思い出があって、 10年間の理論計算機科学の研究者時代に色々な事をやったし、色々な事があったな あ、とひとしきり感慨にふけった次第。

谷山豊は私が生まれる1年前に、32才で自殺をしている。(だからと言って、 私は谷山豊の生まれ変わりだ、と言いたいわけではアリマセン!) 彼の下宿の部 屋には、新聞紙が散乱し、床一面に厚さ数センチまで堆積していたという。そ の方が冬は暖かいし、夏は湿気を吸って快適だというのである(極めて合理的!)。 下宿の庭でそれらをひとつひとつ焼いて全て処分してから亡くなったという。 全てを焼き尽くすまでにかなりの時間がかかったであろうが、その間に何を思っ たのだろう。作業を始めて数時間後、エレベータ・ホールのゴミ捨て場に出来 上がった、不気味な資料の小山を眺め、不意に谷山豊の事を思ってしまった。

とにかく、作業は今日半日で終了し、部屋の中はずいぶんすっきりした。 おぞましき情報学科の亡霊も、少しは退散したようだ。