3月21日(火)
午前中に大学へ。今日は卒業式である。午前中に修士の午後に学部の学位授与 式に出て、そこで一言挨拶をしなければならない。去年は数物分離によって数 理科学科移籍の話が内定していたので、人生あきらめずに歯を食いしばってい るときっと良い事があります、なんて事を心をこめて(!)話したものだ。 (ああ、恥ずかしや!)今年 はもう「心ここにあらず」という心境なので、適当に思い付いた事を話してお いた。

入学式、卒業式に教員が訓話じみた挨拶をするという風習は、数学教室に は無いようである。情報学科では入学式に自己紹介なんぞをやらされ、他の教 員達は「私は○○学と言って、△△△を××しやすくするための技術を研究し てます。」なんて話を得意気になってしているが、数日前まで高校生だった人 達にそんな話をして何になるのだろう?

ましてや、入学式に「私は可換環論という分野を研究しています。可換環 論はクンマーの理想数から生まれたデデキントのイデアル論に端を発し、ネー ターやクルルらによって整備され、ザリスキーによる代数幾何への応用以降、 代数幾何学、組合せ論、ホモロジー代数等との深い関連を持ちながら発展して きた由緒正しい数学です。」なんて挨拶されたら、新入生もたまらんことであ ろう。一度やってみたい気もするが。

その合間にDG-resolution, DG-module構造、DG-resolution, 極小- resolutionの関係を、私が胸に描いている設定にあてはめて少し整理し、今後の計 算の方針をいろいろ考えてみる。敵は無限自由分解というよくわからないシロ モノである。これを構造が比較的わかりやすい別の無限構造を使って有限表現 したい。つまり、無限をわかりやすい部分に押し込めてしまおうというわけで ある。そういうテクニックが使えば、私の問題も何とか攻めようがあるのでは ないだろうか、と漠然と考えたりした。あくまで漠然と、であるが。

慣れの問題だろうが、スーツを着ていると数学がやりにくい。 夕方は卒業祝賀会。退屈なので、一通り食べてすぐ帰った。

3月22日(水)
昼前に大学へ。再び平和が戻り、計算を再開。これまでの数多くの計算例をま とめて、これからの計算に備えることにする。

昨日は情報学科の教員達を束にして1日2回も会ってしまい、おまけに2 1世紀は情報の時代だの、大学の名誉を高めよだの、社会人として成功するた めの心構えだのという、とても有難い挨拶を延々と聞かされたため、 家に帰ってからおう吐(これは比喩的表現です)をもよおし、一晩中気分が悪かっ た。人生、社会、自分自身に対して、もう少し謙虚な事が言えないのであろう か、と思った次第。

数学者がこのような挨拶をすることは、よほどやむおえない事情(?)が無い 限り、無いのであろう。21世紀が 数学の時代だと人々に広く認知される事はまず無いだろうし、数学は個人が全 てだから組織の名誉なんて二次的な問題である。数学者の本当の意味での成功 は、「心構え」などという生やさしいものでもたらされるのではなく、生まれ ながらの才能と運という、身も蓋も無いものによって決まると思う。だから、「そこ そこ(以上)の成功」を収めた天才ならざる数学者が、同じく天才ならざる自分 の学生に、凡庸な才能でもなんとかやっていくための心構えを、はにかみなが らもこっそり教えることはあっても、多くの学生の前で得々とそれを説くなど という行為に及ぶとは考えにくい。それは恥知らずな行為であろう。これらに 共通するのは、多くの数学者が何かしらの形で持っているであろう、含羞の心 だと思われる。

昨日は「含羞の心」の対極にある言葉の洪水にほとほと嫌気がさしたのだ。 しかしながら、かつて私はそれによって救われた事も確かである。学部卒で数 学科を追われ、計算機メーカに入社した時、上司や先輩達も我々新入社員に対 して同じような事を言っていた。我々は社会の中心に居るのだ、成功は心構え と努力によってもたらされる、さあ一緒にやろう、と。この言葉は、純粋数学 至上主義の明確な帰結である「数学の落ちこぼれは人生の落伍者」という思い に縛られていた私には、まさに救いの言葉であった。この言葉のお蔭で楽しい 20代を過ごすことができたのである。

結局、昨日の挨拶は卒業生達には良い励ましの言葉だろうが、私には毒以外 のナニモノでもない。でも、聞こえてしまったのだから、やむおえない。 やむおえなければ、仕方がない。

3月23日(木)
昼前から大学へ。今日は14時から3回生M君とGroebner基底のゼミ。先日卒 業した元(?)4回生Y君もオブザーバとして参加する。ゼミの前後に少し新し い計算を始めるが、いま一つはっきりしない部分があって悩む。あるものの具 体例は一体何か?といった話。それが明解にわかれば、計算が進むのだが。

先日卒業した元(?)M2のT君が本日最終登校日で、ゼミの直前に挨拶に来た。 あとは入社式を待つばかりだ。彼は妙に私に似た所があるので、会社に入って から心配な部分があるが、私の若い時よりも500倍ぐらいマトモな人間なの で、大丈夫であろう。

ゼミ室のホワイトボードに「S・H研の学生はマージナル(辺境)」との 落書きを発見。たぶん同僚H先生の学生達が、H先生の日記に反応して、嬉し がって(?)書いたのであろう。「マージナル」と言われて嬉しがるのは、 我々の高邁なる教育理念が学生に正しく理解されていることの表れであろう。 めでたし。

3月24日(金)
午前中はちょっとした用事で京大へ。ついでにGoethe-Institutでビデオを借 り直そうと立ち寄ったが、資料室の開館時間が午後からだったのであきらめる。

午後から大学へ。平和な計算日和である。昨日の疑問を解く手がかりとし て、単純な例を計算してみる。例は単純でも計算はそれほど単純ではない。 いろいろやっているうちに、少し様子がわかってくる。しかしまだ今一つ しっくり来ない。

途中気晴らしに同僚H先生の部屋へ雑談に行く。彼が最近考えている、分割 数とグラフを結びつけたような面白い組合せ問題とその背景を教えてもらう。 私には手がかりになるアイディアは何も無いが、問題自体は面白い。

それにしても解析でも、幾何でも、代数でも、ある抽象的でなきれいな結果 を似詰めていくと、ある種の組合せ問題が深く関連してくることが多いようで ある。ある現象が実は組合せ論的な性質によって統制されている、というのは 面白い話である。私がやっている可換環論でも、ちょうど私が大学を出る頃ぐ らいからそういう研究が活発に行われるようになってきている。周りを見回し ていると、他の分野でも同時多発的に似たような傾向が起こっているような気 がする。群の表現論とヤング図式の話とかは、よく聞く話だが、数理物理や 確率論でも組合せ論的な話が深く関連するらしい。こういうのは、 最近の数学の最前線のひとつの方向なのかも知れない。

ところで、「数学者の仕事は、膨大な量のコーヒーから定理を生産するこ とである」というジョークがある。私は数年前に胃に穴が空きかけて以来、コー ヒーは飲まない、というより飲めない。そのかわり大学に居る時は、ひっきり 無しに緑茶を飲んでトイレに通う。(別にトイレに通うためのお茶を飲んでいる わけでもないが。)緑茶から定理が生産できるかどうかは、知 らない。何故胃に穴が空きかけたか?その辺の事情は話が長くなるのでおくと して、その事が私が情報学科を憎悪している理由の一つになっている。ところ で、ドイツに行った時は、何を飲めばよいのだろう?

3月25日(土)
ドイツ語講座も無く、いつもの土曜日が帰ってきた。昼前に京大に着き、ルネ の書店と食堂で時間を潰しGoethe-Institutへ。ビデオの借り替えをする。そ のまま大学へ。例によって計算に励む。

4月から数理科学科である。2回生の解析と組合せ論、3回生のゼミ(外書 購読)の講義を担当する。2、3回生を見れば学生の様子も大体わかることで あろう。まあ数学教室の先生達の話を総合すると「学生には過度の期待を持た ないように」ということであるが、どうなることやら。少々出来の悪い学生で も一向に気にしないが(昔から「出来の悪い子ほどかわいい」と言うではない か!)、ハナっから単位取りゲームみたいな事しか考えてない学生ばかりだと、 つまんないだろうなあ。

数理科学科と情報学科の最大の違いは、学生と教員(さらには教員同志の) の関係の良し悪しに表れる。情報学科の方は極めて悪い。学生数が多すぎて、 3回生まで学生はほとんど放ったらかしに近く、4回生の研究室配属は金科玉 条の如き形式的平等主義のため、教員も学生も互いに全く望まぬ者同志が強引 にくっつけられる。教員は学生の機嫌を取って人気を取り、彼らを手なずけな ければ、人・物・金がセットになった研究室の管理コストが大きなオーバヘッ ドになって自分にのしかかる。多くの場合、いずれかの教員がそのオーバーヘッ ドを被る事になるが、それを各教員で薄く広くカバーしあうという考えは毛頭無 い。皆誰かに全部押しつけて知らん顔を決めようと画策する。従って、教員の間に も、いつもオーバーヘッドを押しつける側と押しつけられる側で深い溝が存在 するのである。それが余り表面化していないとすれば、それはその溝が余りに 絶望的に深いので、そのことについて語る事すらできない状態だからである。 学生は学生で、全く望まない研究室に強引に押し込まれないようにと、戦戦恐 恐である。さらに研究室タコツボ制度によって、自分の研究室以外の学生とは赤 の他人のような関係である。まあ、どこの大学でも実験系の学科では、大なり 小なりこういった問題はあるのだが、情報学科にはその全てが存在する。

数理科学科はそういった事は無いと信じたいものであるし、今まではそう だったと思われる。まず学生数が少ない事とタコツボ的な研究室という概念 が無いことの利点は大きい。この事だけでも 情報学科で見られるような問題の9割以上は回避できる。 また、学生と教員の間で、合う合わないはあって当然であり、卒 研配属の時などにアンバランスが生じる事があってもやむおえない。しかし、 たまたま配属希望者が極端に少ない教員が居ても、その教員に事実上極端に苛 酷なペナルティーを課するなんていう愚行は行われてないし、これからもそう ならないであろう。(そういう動きがあれば、私は断固反対する。「数理科学 科を情報学科みたいに心すさむ場所にしたいのか!?」と。) この事によって、学生と教員が 互いに歩み寄る余地を残しつつも、それぞれの独立性が確保されるのである。 どちらかが常に相手の顔色をうかがって、揉み手していることを強要するとい うのは、大学としては極めてゆがんだ世界である。

3月26日(日)
平和な日曜日である。小・中・高校生の頃、春休みといえば、気候はいいし、 学年の変わり目で宿題は無いし、前の学年のクラスからは終り、新しい学年の クラスはまだ始まっていないということで、解放感と新しい生活への希望が一 杯の楽しい期間であった。今はそれと似たような気分である。大学を出て以後、 このような気分は立命館に転職する時の春以来である。それにこの3月は同僚 S2先生が新しい就職口へと転出し、同僚H先生が半年の武者修行にイギリスに 発ち、3年間研究室を支えてくれた学生T君が就職しというように、新しい巣 立ちが重なったので、ますます春だなーという気分が高まるのである。

今日は散歩の時にノートを1冊買い、ドイツ留学のための準備についてガ イドブックなどを見ながら色々書き込むことにした。ドイツ語の勉強は早々と 始めて、気ばかりあわてていたのだが、昨日はじめて1マルクが約50〜60円であ ることや、国際電話の事や、電源アダプターの事や、色々考える事があること を意識した次第。几帳面とぼんやりが同居した「まだらボケ」的性格なので、 ノートでも作ってチェックしていかないと大きな落し穴に落ちかねないのであ る。

3月27日(月)
昼頃大学へ。ルフトハンザのホームページを見て、ドイツへのフライトがどう なっているのか様子を見たり、マルクの為替レートを調べたり。そのあと計算 を再開。いよいよ今までの疑問が解け、計算が進み始める。残りの計算は出張 中にやることにしよう。明日から数学会で早稲田大学へ出張である。次の日記 更新は3月31日以降となるでしょう。

3月28・29・30日(火・水・木)
早稲田大学での数学会に参加。今回は研究発表はしないので、専ら日本 数学会春季賞受賞講演と可換環論、代数幾何関連の発表を中心に聞き、 早稲田の情報学科で教授をしている友人に会って早稲田の様子を色々聞 き、初めての早稲田大久保キャンパスを探検し, 夜は東芝、日電、沖の友人 と会い、計算機業界の最近の雰囲気を聞き、という調子の3日間であった。 そういえば、数学教室のK先生も来てきたが、古巣に戻って絶好調!といっ た感じであった。

早稲田理工学部のシンボルになっている例の18階(?)建て高層ビルに初 めて潜入し、数学教室近辺を色々「嗅ぎ回って」きた。この建物は、妙な所に 巨大な柱が通っていたり、ただの壁かとおもいきや、隠し階段や隠れトイレが あったりという、忍者屋敷みたいな設計で、なかなか感動的である。しかし、外 観はモダンな感じで、入るときはワクワクしてたのだが、内部はかなり老朽化し た感じで意外な気がした。思えば、すくなくとも私が大学受験生の頃(20年以 上前である)から存在していた建物だから、新築同様だったらかえって不思議 かも知れない。

それから、「全国大学食堂評論家」を自認する私としては、学食の調査も欠か せない。カフェテリア形式で小鉢メニューも割合多く、ボリューム・ランチなる巨 大大皿ランチ定食など、出色のメニューもあるが、やはり総合的に見て京大ル ネの1位、立命館BKC生協食堂が鼻の差で2位という評価は揺るがなかった。 我らが立命館衣笠キャンパス中央食堂の場合は、この早稲田大久保キャンパ ス食堂には少し負けているかも知れない。でも、いい勝負をしていると思う。

法学部などのある西早稲田キャンパスも、受賞講演会場になっていたので、1日 だけ行ったが、生協がどこにあるか発見できなかったのが残念。大久保キャンパ スは、何だか工場みたいで殺風景な感じがしないでもない。それに比べて、西早 稲田キャンパスは、建物がごちゃごちゃ沢山建っていて、学生がごちゃごちゃい っぱい居て、訳のわからん立て看板があちこちにあって、何だか狭苦しい猥雑な 活気があって、で、早稲田のシンボル大隈講堂が、全体の雰囲気を引き締めてい るのである。そういうところが、(日本の)大学らしくて大変よろしい。いいな あー、い いなあー、と思いながら歩き回っていた。今勤めている立命館大学でも、どちらか というと広々として理路整然清潔第一のBKCよりも、狭苦しく、汚らしく、騒々しい 衣 笠キャンパスの方が、私は好きである。

3月31日(金)
昼前に大学へ。3日間の出張で気分もリフレッシュ。数理科学科の学系事務室 に私の新しい郵便ポストが作られたというので、行ってみた。情報のものに比 べて小さい。そこの事務の人に挨拶をし、ちょっとした事務手続きをする。

午後は情報学科M君とGroebner基底のゼミ。夕方は数理科学科の演習科目 (外国書購読)について、A先生と打合せ。去年のテキストをそのまま使おうと 思っていたが、それでは内容がやさしすぎると判明。やる気の無い学生は、い くら内容をやさしくしてもまじめに読まないだろうから、やる気のある学生が、 手応えを感じるようなものであるべし、との意見で一致。位相空間論のテキス トに決める。こういう事をやっていると、いよいよ移籍したんだなあ、という 気分が湧いて来る。

2回生の微積分の講義は、横着をせずにノートを作って授業をしようかと 思い立つ。私はへそ曲がりだから、教科書があっても絶対に教科書通りにはしゃ べりたくない。だから、色々凝ってしまいそうである。出張中に例の計算はか なり進展があったが、しばらくは新学期の準備等であまり手を付けないことに なるかも知れない。(そういう調子ではいかんのだけど。。。)