5月1日(月)
いよいよ5月である。4月は多忙ながらも意外と充実した雰囲気で過ぎたよう に思う。情報学科に所属していた3月までの間、片時も脳裏から離れなかった 「人生の浪費」なるフレーズをしばらく忘れていたぐらいである。

昨夜は寝る前に読んでいたEisenbud & Harris "The Geometry of Schemes" の内容が、そのまま夢の中にガンガン出て来て、眠りが浅かった。夢の中でス キームの平坦ファイバー空間におけるファイバーの変形の例を一所懸命計算し ていて、最後の方がよくわからなくなってのたうち回っていたように思う。ま あ、古色蒼然たる古典的不変式論の論文で大チョンボをする夢よりはましだろ う。

午前中に大学へ。昨日目星をつけておいた、Hartshorneのスキーム論の演 習問題の解答をノートに書き下す作業から始め、夕方頃まで問題解きにふける。 S先生はまたシステム管理のために大学に来ていた。

代数幾何の勉強は、「折に触れてぼつぼつ」という感じでやっているが、 半年ぐらい(あるいは1年近く?)どこかに籠って毎日そればかりに専念すれば、 たぶんHartshorne "Algebraic Geometry"をほぼ読み終えることができると思 う。この本を読了すれば代数幾何の最先端の研究への準備は終了した事になろ う。つまり、現代の代数幾何の論文で使われている「言葉」が理解できるよう になる(それ以上の意味は無いと思う)。あとは、自分が興味が持てる論文をい くつか読んで、場合によってはあるテーマに特化した総合報告や関連する分厚 い(?)テキストを読んで自分の問題を考えて行く事ができよう。でも、代数幾 何を専門にする勇気は無いから、やはり可換環論研究のバックグラウンドを固 めるつもりで、「折に触れてぼつぼつ」というペースを続けることだろう。

代数幾何か?可換環論か?という観点からすると、全国的に見て、優秀な学生 は代数幾何に流れる事が多いようだ。(もっと優秀な学生は、代数幾何をやっ た上で数論幾何に進むようである。)研究者人口も可換環論に比べて代数幾何 の方がはるかに多い。また、理学部数学教室のポストも、主だった大学には整 数論と並んで代数幾何のポストがあるが、可換環論のポストは無い事が多い。 (しかし日本国内の可換環論の研究者人口や大学教員のポストの数は、プログ ラム理論系、計算理論系、離散数学系等を全て合わせた理論計算機科学の研究 者総数や大学教員のポストの数よりも多い。)可換環論の世界的指導者みたい な教授でも、研究者養成機関にはほど遠い大学にとどまっているケースが多い ようだ。多くの研究者は、地方国立大学や私立大学に散らばっている。

可換環論を目指す学生の指導は、代数幾何の教員が兼任で行う事が多い。 しかし、永田雅宜先生や松村英之先生の時代と違って、代数幾何と可換環論は それぞれ独自の発展を遂げたため、最近では代数幾何の研究者が同時に可換環 論の研究者である事は少ない。従って、大学院生レベルになると指導教官の直 接指導はあまり望めず、自分ひとりで勉強する事が多いようだ。もっとも大学 院生ぐらいになってくると、全国の大学に散らばっている指導者的教授達と直 接コンタクトを取って勉強している事が多いようである。

では、これから数学者を目指す若い人は代数幾何と可換環論のどちらを選 ぶべきだろうか?代数幾何の方がポストが多いが、一騎当千の若手研究者達が ポストの数の何倍もひしめいている事は確かである。東大、京大、早稲田の純粋 培養超秀才以外が代数幾何で然るべきポストを得る事は至難の技だと思って よい。しかし、可換環論はそうでもない。超エリート校以外の出身者でも、何 らかの形で数学者のポストについて、立派な研究を次々に行っている例は少な くない。勿論、全国的に数学者のポストは単調現象傾向で、数学者のポストを 得る事は大変困難な事には違いないが、立命館の学生によりチャンスがあるのは 、代数幾何よりも可換環論の方だろうと思う。

5月2日(火)
山科ラクトで弁当を買って、昼前に大学へ。引続きスキーム論の演習問題に取 り組もうとしたが、途中暗礁に乗り上げたので、談話会の資料を書いて「逃避 行動」をする。

最近数学の夢でうなされる事が多いので、昨夜は数学とは縁もゆかりもな い「大学倒産」というナマグサイ本を読んで寝たら、よく眠れた。大学氷河期を 向かえた今の、私立大学の倒産や、国立大学独立法人化を扱った本である。 著者は昔立命館の教授をしていた人らしい。

東洋経済社の「日本の大学2001年度版」には、従来載せていた大学毎 の入試偏差値の項目が消え、主だった大学の学部学科の偏差値一覧表だけになっ た。これは変だなと思っていたのだが、定員割れしてほとんど無試験状態の大 学が大量に発生した事が原因と理解した。無試験だったら偏差値は意味が無い し、無理にそれを載せると定員割れの事実が明らかになって、その大学に大変 不利になる。編集者はそういう事を考えたのだろう。

地方国立大で教員をしている友人達に、「独立法人化」の影響は話題になっ てないか?と質問すると、1〜2年前は「まだ、何も」とのんびり構えていた。 しかし、今年になって「これはヤバイことになってきた」と有名私立大に移ろ うとする人も出て来たようだ。「立命館なら潰れることは無いし大丈夫だろう。 そちらでポストは空いてないか?」なんて聞かれても、困るのである。まず立 命館なら大丈夫かどうかはワカリマセン!大丈夫なように教職員一丸となって 日々奮闘努力してます、と言えるだけである。寅さんじゃないが「奮闘努力の 甲斐もなく、今日も涙の、今日も涙の日が暮れる、日が暮れる」とならないと いう保証はアリマセン。ポストが空いているかと言われても、私はボス教授で はないから、教員公募の情報と関連情報を知らせてやるぐらいの事しかできな い。

妙なもので、私は官尊民卑の風潮強き近畿圏の田舎町で育ったためか、大 学卒業後一貫して公務員になりたいと思っていた。とにかく商売人の論理とい うものが嫌いなのである。しかし各種国家・地方公務員試験には落第し、公立 高校の教員採用試験には落第し、ありとあらゆる公務員採用試験には全て 落第し、仕方なく東京の会社勤めをすることになった。 国立研究機関に数年出向し、少しは公務員的生活を味わったが、大学に移る時 も、国立研究機関時代の友人達が出向元のメーカを退職して、次々に国立大学 の教員(たとえ私立でも早稲田か慶応)に移っていったのだが、私だけは国立大学よりも研究条件が悪いとされ る私立大学に移った。しかもよりにもよって「商売の論理最優先」と揶揄され る立命館大学に!立命館に移ってからも、よりよい研究条件と商人の論理からの 自由を求めて国立大学への転出を画策したが、さ まざまな理由でうまく行かなかった。

しかし、今は立命館大学と地方国立大や公立大学の研究条件は、総合的に 見てそれほど変わらない事を知っているし、旧制帝大数学教室の恐ろしい雰囲気 も学生時代に学習済みである。そして商売人の論理と学問が同一地平で 語られる情報学科から、両者に一応の線を引いて考える数理科学科にも移籍し た。今となっては独立法人化の混乱で今後急速かつ猛烈に雰囲気が悪化するであろう国立大 よりも、むしろ立命館の方が研究がしやすいと思う。ついこの前までうらやま しかった国立大の友人達に、逆にうらやましがられる(それに値するかどうか は知らないが)立場になったのは、皮肉な事である。

5月3・4日(水・木)
3日は自宅謹慎の日。朝寝、散歩、ラクト、居眠り、数学、ドイツ語等をまん べん無く行う。夜、西鉄高速バス乗っ取り事件で、テレビに釘付けになる。乗 客1名が死亡数名負傷、犯人は「16才ぐらいの少年か?」という報道があっ たので、サカキバラ少年事件、その後の中高生の強盗事件、最近の愛知の進学 高校生の殺人を思い出して「またかよ!」とため息をつく。

4日朝には期待通り事件が解決しており、犯人は精神病院通院歴のある1 7才の少年と知り、昔からちょくちょく起こる容疑者心身喪失状態につき無罪 の通り魔殺人事件や、宮崎勤連続幼女殺人事件、最近のハイジャック機長刺殺 事件を思い出し、別の意味で「またかよ!」とため息をつく。

4日は昼頃大学へ。initial idealを考えることの幾何学 的意味は、要するに平坦性をもつファイバー空間で一般ファイバーを 特殊ファイバーに変形する過程である。これを明快に理解しようと E. Eisenbud "Commutative Algebra with a view towards Algebraic Geometry"のFlat families and Groebner basisの部分を 読んでみる。前にも読んだがやはりよくわからない。 やはりEisenbud & Harris "The Geometry of Schemes"の方がま じめに書いてあるようだが、まあこの問題は深入りしなくてよいだろう。 あとHartshorne "Algebraic Geometry"の演習問題 を少し解く。不明な点は若干残されているが、予定の問題はほぼ解き終った。 だだ、Hartshorneの本スキームの構造層の定義は前から腑に落ちなかった事だ が、Shafarevichの"Basic Algebraic Geometry"にきちんと書いてあることが 判明。その部分を読むことにした。

夜Hartshorne,"Algebraic Geometry"を眺めていたら、flat families についての記述がコホモロジーの章にある事に気付き、拾い読みする。

5月5日(金)
昼前に大学へ。つまらん事を考えていたら、弁当を買うのを忘れ、 乗ったばかりの近江バスを降りコンビニへ急行。バス代170円の浪費もしゃ くにさわるが、考えていた「つまらん事」というのは、数学ならまだ良いが、 今更考えなくてもよい情報学科の事だったから余計に腹が立った。今朝の新聞 に東京理科大の先生が投書していて、インドでは証明教育を中心とした数学教 育に力を入れていて、それが現在世界最高レベルと言われるソフトウエア生産 力を支えている、と書いてあった。「計算機をやるのに数学を勉強する必要は 無い」と恥かし気も無く言ってのける情報学科の教員達とつき合っていた8年 間は、良い人生経験と言うべきか、それとも人生の浪費と言うべきか、なんて 事をぼんやり考えていたわけだ。

大学ではHartshorne "Algebraic Geometry"を読んだり、微積分の講義の準 備をしたり、談話会の資料を書いたり。談話会は6月に回してもらったので、 資料の作成はそれ程急ぐ事はないのだが。

談話会の資料は既に17ページになり、最終的には20数ページの大部の ものになりそうだ。勿論1時間の談話会で説明するわけにはいかないシロモノ になってしまった。これを読んで代数幾何や可換環論を目指す学生が現れるの を期待したいところだが、「そういう期待は必ず裏切られるから、学生には一 切期待を持たないように」という心の声が聞こえてくる。数理科学科において、 この心の声が果して正鵠を得ているかどうか知らないが、情報学科後遺症がま だ完治していない私のいつわらざる心境である。学生に期待を持ってはいけな いと思いながらも期待したくなるというのは、教師の悲しい性である。まあ、 大学院か4回生の講義プリントとして使えば無駄にはなるまいが。

5月6日(土)
昼前に京大へ。ルネでの昼食をはさんで中央図書館で4時前まで Hartshorne "Algebraic Geometry"を読む。その後大学の近くの 喫茶店に場所を変える。喫茶店でふと、演習問題で解けなかった問題 の解法を思い付く。夕方はGoethe-Institutでドイツ語のビデオを借り替え。 夜はそのビデオを見る。サスペンス・ドラマのビデオだが、冷血地上げ屋 が殺される殺人事件の話。ドイツでも地上げ屋というのはあるらしい。その 前に借りていたビデオはドイツの住宅事情の歴史についてのもの。

この連休のニュース番組は「17才の殺人犯たち」の話で持ちきりである。 危機管理関係の評論家でよくテレビに出ている小川某という人が、西鉄バスジャッ ク事件について、「バスから飛び降りた人が出た段階で、犯人は放置すると乗 客を殺しかねない極めて危険な存在であると判断して、犯人の動きを直ちに止 める。すなわちすみやかに狙撃作戦に移る、というのが国際標準の考え方だ」 と話していた。私はこの考えに基本的に賛成である。犯人の人権とか、犯人を 生け捕りにして動機を徹底解明し、皆で犯罪を「納得しようとする」という事 も大事だが、社会の安全も大切であり、犯罪者に対して断固とした処置を取る べきだと思う。

ついでに言うと、日本は「人を殺して高々数年の懲役」という世界でも稀 なぐらい被害者の命が軽い国である。これは犯罪者の更生に重きを置いた教育 刑の思想に基づいているからだそうだ。教育刑に対する思想は報復刑の思想ら しいが、いずれの場合も社会の安全という観点が抜け落ちていると思う。人格 障害者は更生の余地があるが、人格的に壊れた人物や、性犯罪常習者は更生が ほとんど不可能だそうだ。数年の懲役で更生しなければ、再びこっそりと(!) 社会に戻してしまう以外に手立てが無く、いつの間にか危険人物が隣に住んで いるというのは、司法制度の欠陥ではないかと思う。もっとも人格障害者と人 格破壊者をどう区別するのか知らないが。西鉄のバスジャック少年は人格障害 者、愛知の殺人少年は人格破壊者だという説もあるが。サカキバラ少年や宮崎 さんちの勤君はどっちだろう?心理学者もよくわからないのでは?

5月7日(日)
日曜日だから、休息日である。ドイツ語ビデオには、テキストがついている。 今度借りたビデオのサスペンス・ドラマは結構面白く、辞書を引きながら台本 のテキストを読み耽る。私はいきなりドイツ語のドラマを見ても、出演者が何 を言っているのかほとんどわからない。たまに少数の単語や、フレーズが断片 的に理解できるが、全体の意味には全くつながらない。でも、その断片的情報 と、話している人物の表情や話しぶり、その場の状況から、何となくどういう 話になっているかは想像できる。こういう訓練は実践的で大事だと思う。テキ ストを読んでみて、私が推察していたドラマの粗筋は6割ぐらい当たってい たとわかった。6割というのは、要するに肝心なところがぼんやりしている ということで、余りよろしくないのだが、まあこんなもんでしょう。

若い頃、まだ英会話がさっぱりわからない状態(必要な事はどうにか話せる が、相手の言う事はあまり聞き取れない状態)で、単身アメリカ合州国に出張 した事があったが、こういう場合はその場その場で状況を推察しながらやって いくしかない。

夜寝る前に、Hartshorne, "Algebraic Geometry"の演習問題で、分からな かった問題の答えが突然ひらめく。わかってしまえば、まったくトリビアルな 事であった。頭のいい人なら、30秒でわかるような事だった。ま、いちいち 気にしないことにしよう。

5月8日(月)
大型連休も終り、再び大学に学生達が戻って来た。みんなくったくの無い良い若者 たちに見えるのだが、もうすぐサカキバラ少年や、てるくはのるや、17才の 殺人鬼達のような若者が入学してくる時代が来るのだろうか。あるいはもう大 学にいるのかも知れないし、何事もなく卒業してしまっているのかも知れない。

昼前に大学へ。午後はおもに微積分の講義の準備。6月始めまでの分をやっ て放り出す。微積分というのは、つくづく教えるのが大変か科目だと思う。逆 写像定理までちゃんと終れるかどうかは微妙である。

インドネシアのInstitut Teknogogi Bandungという所の数学科でacademic memberをやっているとかいう人から、立命の大学院で代数を勉強したい、とい う問合せがあった。(一体academic memberとはどういう身分なのだろう?)最 近この手のメイルが多く、アジアの各国から暗号理論で博士号を取りたいだの、 計算機科学で修士号を取りたいだのといった問合せメイルが届く。これまでは、 「俺は情報学科の人間ではないから、情報学科に問い合わせるべし」と情報学 科主任のK先生のメイルアドレスを教えて、全部そちらに振っていたのだが、 「代数を勉強したい」とはこれ如何に!?来年院生を4(+α?)人かかえる事 になるK先生に振るのはちょっと酷だし、受け入れるとしたら私かI先生か。一 応日本語と英語ができて(インドネシアなら英語は問題あるまい)、線形代数、 群論、体論、ガロア理論を完全に(!)理解していて、位相空間論、微積分学、 複素関数論、トポロジーと可微分多様体の基礎がだいたいわかっていれば、受 け入れる可能性があるから、興味があったらもう一度連絡されたし、と返事し ておいた。どうなることやら。

5月9日(火)
ゆうべも眠りが浅かった。何か知らんがコホモロジーの計算みたいな事をやっ ていて、生成元の形を見ては「これは良し」「これはダメ」みたいな事を延々 とやっていたように思う。答えが出るたびに「俺は一体何やっとるんじゃ!?」 と、ふっと目覚めかけるのだが、また眠り込んで同じような計算を繰り返して また目覚める、という事を繰り返していた。

午前中に大学へ。部屋の前で離散数学の受講生が質問をするために待って いた。熱心な学生で大変よろしい。例のインドネシアのacademic memberの人 は、昨日のオドシが効いたのか、音沙汰無し。ゆうべはガイドブックでインド ネシア料理の店を探して喜んでいたので、ちょっと残念。午後はまた"人身御 供殺人会議"。今回も短時間(40分!)で終った。そろそろ名称から「殺人」 を取って"人身御供会議"とすべきかも知れない。会議の前後はHartshorne "Algebraic Geometry"の演習問題の整理をする。その時は「できた!」と思っ ても、後で見直すと間違っている事はままあるもので、いくつかの解答を修正 した。

午後情報学科の就職活動中の学生が、沖電気工業株式会社の事について質 問に来る。私のHPの「リストラされそうになって大学に脱出した」という記述 を真に受けて心配しているらしい。言っておくが「口からデマカセこけ徳利」 とは私のためにある言葉である。私の言うことをいちいちマに受けてはイケマ セン!沖電気はいい会社です。同業他社に比べて、特に若手社員にとってはす こぶるやりやすい居心地の良い会社でアリマス。今でもそうだろうと信じてお ります。20代の頃、同世代の社員達とわいわいがやがやと好き勝手な事を言 いながら仕事をしていた時のことは、今でも忘れられない楽しい思い出であり ます。私が沖電気を脱出したのは、つまるところ純粋数学至上主義の天の声に 従ったからという「宗教上の理由」に他なりません。(あ、またデマカセ言っ ている?)

ちょっと見ないうちにA先生の鬚の「消滅定理(vanishing theorem)」が証 明されてしまっていた!私は半年のドイツ滞在中に、スキンヘッドにあご鬚と いう「逆蛍」になって帰って来ようかと思っているのだが、家族の強硬な反対 にあっている。「スキンヘッドだけならAlexander Grothendieckみたいでカッ コイイけど、鬚はPierre Deligneみたいでむさ苦しいからやめなさい!」と言っ ている...なんてことはない。

日本数学会の学会誌に、ドイツも数学志望の学生が激減して、数学科が消 滅した大学もあるという記事があった。Goethe-Institutの先生に聞いた話だ が、ドイツでは高校卒業時にアビツールという共通試験があって、その成績と 本人の希望によって大学に振り分けられるそうである。これはフランスのバカ ロレアと似たような試験であろう。日本のセンター試験よりは、昔の共通一次 試験か大検に近いかも知れない。で、医学部は超人気学部で、かなり成績が良 くないと入学が許可されないが、浪人したり兵役につくと成績のポイントが加 算される(!)ため、何年か待つ人も少なくないという。数学はどうか?と聞く と、全然人気が無くて、かなり成績が悪くても簡単に進学できるらしい。

ドイツでは大卒者の就職難が大問題になっていて、Goethe-Institutで使っ ているテキストでも"Ohne Zukunft(お先真っ暗)"というタイトルの 就職難の記事が出ていたり、付属の会話テープで勉強嫌いの高校生が両親と言 い争いになり「大卒者なんてみーんなプー太郎やってるじゃん!」とわめく スキットがあったりするノダ!さずがに先生も「ここは余りに暗い話だから」 と言って飛ばしてしまったが、私は見逃さなかったのである。ここまでくると 数学科に人気が無くなるのも無理もない。ガウスやヒルベルトとは言わないま でも、ヒルツエブルクやファルチングスみたいな巨人はもう輩出しないのかし ら。

5月10日(水)
本日教室会議が入ったためP先生との代数幾何のゼミは延期になった。我々は メイルよりもホワイトボードを使って連絡し合っているのだが、ドイツ人のP 先生を驚かそうと、昨日はドイツ語で延期の連絡を書こうとしたがうまく行か ず、英語で書いておいた。しかし家に帰ってから必死に独作文し、今日P先生 が出校するまでにホワイトボードの英文を独文に書き換えようと、ちょっと早 めに大学に来た。P先生は昼頃現れ、ゼミの予定や双方の準備の進み具合を相 談。(これは勿論ドイツ語ではない。)

午後は外書購読につづいて教室会議。Hartshorne "Algebraic Geometry"の 演習問題の整理はまだ残っているが、1週間時間が稼げたのでちょっと休み。 気分転換に談話会の資料書きをする。インドネシアのacademic member氏から は音沙汰無し。たぶん日本語必須という条件であきらめたのだろう。インドネ シア料理の夢ははかなく消えた?(まあ、自分で行けば良いか。)理工学部でも、 「そろそろ大学院では英語で講義をすべし」という話が顔を出したり引っ込め たししている。「日本人学生ばかりのところで、日本人の教員が英語で講義し てどうなるっちゅうねん?!」というのは真理。「日本語で講義している限り、 外国人学生はあつまらない」というのも、また真理。「英語で講義して、世界 中から学生を集められなければ、大学院のレベルは上がらない」というのも、 そこそこ真理だし、「大学院のレベルを上げなければ、世界中から優秀な学生 を集められない」というのもかなりのところ真理であろう。

S先生は大学には来ているらしいが、ここんとこ毎日終日行方不明である。 いつも彼の学生が探し回っている。どうせどこかでパソコンをいじっているの だろう。彼の部屋のドアに「旅に出ます。私を追わないでください。」と紙で も貼っておいてやろうかしら。

夕方、かの有名な5回生M君とK先生が、私のHPから公認サークル「数学研究 会」のリンクを張って欲しいとやってくる。このサークルの「魔の手」が 私まで及ぶようになってきたか。面白くなってきたな。