5月11日(木)
午前中から大学へ。午後一番で微積分の講義。夕方から情報学科の暗号の講義。 微積分の講座では質問マニアがいて、講義の後で何だかんだと質問してくる。 3つに1つぐらいは、「あっそうか」と考えさせられる質問があって良い勉強 になる。こういう学生がひとりぐらい居てくれないと面白くない。暗号の講義 は割合気を抜いてやっているためか、今日は電子署名の原理で、たった一行で 説明できるとても簡単な事を見逃してしまい立往生。反省することしきり。

講義の合間は談話会の資料作り。けっこう頭の整理になる。代数幾何学ゼ ミについては、P先生からMumfordの通称Red Bookが良いと勧められ、それも必 要箇所を読まねばならない。可換代数についても、spectral sequenceを復習 すべくRotman "Introduction to Homological Algebra"を読み直すねばならない。 そういえばHilbert "Algebraic Theory of Invariants"は御無沙汰である。S. Iyengarの論文も待っている。「ファイナンスのための確率微分方程式」は、 確率論の基本をさらっと勉強してからもう一度、なんて事も考えている。ドイ ツ語も少しづつ勉強せにゃならんし、「ショムニ」も毎週見なくちゃいけない。 あー!!!何て忙しいんだ!?

5回生M君によると、数学研究会が「つぶれそう」なのだそうだ。冷たいよ うだが、数学は個人で、あるいは個人同士のつながりでやっていくものだから、 サークルなんて無くてもいいではないか、という気もする。これは純粋数学至 上主義者としての私の偽らざる気持である。(それに「サークル」というのは どうも軟弱な感じがして嫌味である。)しかし一方で、そういう考え方こそが、 数学を社会の中で孤立化させる原因の一つになっているとも考えらえる。

真剣に数学をやりたいハードコアの連中と、そうでもないけどちょっと勉 強してみたい連中が一緒になって、何だかんだと盛り上がることは、我が数理 科学科にとっても、数学そのものにとっても大事な事だと思う。結局、数学研 究会がつぶれるのはよろしくない、という結論になるわけだ。

ここはひとつパソコンの鬼にして筋肉中年のS先生に御登場願って、「数式 処理システムMapleの楽しい世界!」「目からウロコ!!高校数学の本当の意 味がコンピュータ・グラフィックスで一目瞭然!」「知らなかった!コンピュー タなら立命館の入試問題が2秒で解ける!」「これで納得!『代数学の基本定 理』の証明が一目で分かる」etc. の路線をブチ上げるのも一つの手かも。真 剣に数学をやりたい連中には物足りないかも知れないが、ちょっと勉強してみ たい連中には結構面白い話だし、そういう方面で面倒みられる人はS先生をお いて他に居ない。

5月12日(金)
本日早朝より初等組合せ論と午後の中等組合せ論の講義。その後は(情報学科 の方の)5回生M君とGroebner基底のゼミ。その他色々雑用。多忙な一日であっ た。昨夜も眠りが浅かったが、別に数学の夢でうなされていたわけでもない。 夕方遅くやっと暇が出来たので、談話会の資料を少し書く。

(数学科の方の)5回生M君より、数学研究会の件についてメイルが来る。そ の後夜になってM君がもうひとりの学生を連れて私の部屋を訪ねてきて、数学 研究会で数式処理を取り上げたいのでS先生に引き合わせて欲しいと行って 来る。最近のS先生は気配はあれど決してつかまらないといった「ハイゼン ベルグ・S先生の不確定性原理」状態である。一方で、メイルで「用事があるか ら、私の部屋に寄ってください」と言うと、どこからともなく「疾風(はやて) のように現れて、疾風のように去って行く」月光仮面、あるいは「お化けのポ ストに手紙を入れりゃあ、どこかでS先生の下駄の音」というゲゲゲの鬼太郎 のようでもある。しかし昨夜はたまたま彼は部屋に居て、無事両者を引き合わ すことができた。これは反重力物質の観測に匹敵する(?)ノーベル賞モノの快 挙でずぞ!

私はその後すぐに帰ったのでS先生、M君らによる「SM会談」がどうなった かは見届けていないが、うまく行けば数学研究会に数式処理路線が確立するか もしれない。

5月13日(土)
昼頃大学へ。今日はP先生の勧めに従ってD. Mumford "The Red Book of Varieties and Schemes"のスキーム論のところを読む。この本の姉妹編である "Algebraic Geometry I:Complex Projective Varieties"は、学生時代の卒研 で9割近く読んだのだが、何せ20年近く前だし、その後15年ぐらい数学か ら離れていたので何も覚えていない。ただ、次のことは覚えている。この本は、 衒学趣味のMumfordが至る所であり余る数学的教養をちらつかせて、本論とは 関係ないところでチラチラととんでもない事が書かれている。私はその中でち らっと書いてあったある結果が気になり、これまたちらっとしか示されていな いイタリア語(!)の参考文献を突き止めた。で、毎日図書館でその論文の数式 の所だけをじーっと眺め続け、解読結果をゼミで発表した事がある。その時指 導教授の先生は「へー、そうなんですか」ってな反応で、私が理解できなかっ た部分を教えてくれるわけでもなし。この時はじめて大学の先生は全ての論文 を読んでいるわけでもなく、何もかも知っているわけではないという、今思え ば当り前の事を知った次第。"The Red Book"は、同級生で大学院進学が決まっ たT君が、大学院に進学するまでにこれを読んでおきなさい、と先生から渡さ れていた本で、院試に落ちて就職組となった私は指をくわえて見ていた覚えが ある。そのT君も、修士論文で割合良い結果を得たものの、何故か博士課程に 進んでから数学研究に嫌気がさしたらしく、今は某有名進学高校の数学の先生 をしている。

夜もMumfordを少し読む。ついでにEisenbud & Harris "The Geometry of Schemes"もちょっと眺める。"The Geometry ..."はスキームの一般論 については、極めて簡単にしか書いてないが、重要な具体例が多く、 可換代数との関連も割合きちんと書かれているようだ。

5月14日(日)
基本的に休息日だが、夕食のカレーを作りながらD. Mumford "The Red Book of Varieties and Schemes"を少し読む。現在のところ、可換環論と代数幾何 が私の頭の中では「2本立て状態」にあるが、これが融合するようになればし めたもの。談話会の資料の整理や最近のスキーム論の勉強で、ぼんやりながら 融合の道筋が見えかけてきたような気がする。あくまで「気がする」という程 度であるが。まあ、可換環論の研究で、問題設定や重要な具体例としてスキー ム論を自由自在に扱えるようになればしめたものであるが。

数論幾何学屋さんも代数幾何学をよく使う。で、彼らは数論の深い話もやっ た上でスキームや層係数コホモロジーの話もやっているのだから、凄いもんだ と思う。大体普通の人間は、数論の基本の話、どういのが基本なのか知らない が、例えば類体論を勉強するとか、代数幾何学の一般論を勉強するとか、どち らか一方でくたびれ果てたところで、修士論文のための研究に突入するのだろ う。数論幾何学というのは、両方バッチリやれる超秀才のみに開かれた分野で あろう。

代数「幾何学」をやる分には、複素数体上の代数幾何学で複素多様体論の 解析的方法などを使ってかなり面白い事ができるわけで、スキーム論は必ずし も必要ではないのかも知れない。しかし、数論に代数幾何学を使おうと思えば、 係数体の代数拡大も扱えねばならず、そのためにアンドレ・ヴェイユ大先生が 任意の体上の代数幾何学を作ったわけだし、グロタンディエックも数論のリー マン予想の類似であるヴェイユ予想を解くために、より良い道具としてスキー ム論を作ったわけだし、ヴェイユが予想したヴェイユ・コホモロジーを定式化 するためにスキーム上の層係数コホモロジー論を建設したわけだ。だから、数 論幾何学屋がスキーム論を使うのは、アタリマエではある。でも数論幾何学屋 さんの話を聞いていると、代数幾何学のごく一部の話ばかり猛烈に使っている ような気がする。少なくとも、幾何学的イメージは全然湧いて来なし、代数幾 何学の中の幾何学的概念があまり出て来ないような気がする。まあ、数論の話 だから当り前なのかも知れないが。だから、数論幾何学屋さんも、実際はそれ 程広く代数幾何学を知っている必要はないのではないか?なんて思ったりする。

一方で、代数幾何学の方も数論幾何学に負けず劣らずたいそうな分野であ る。可換環論やって、代数多様体やスキームなどの(代数的)代数幾何学をやっ て、さらに最近では複素多様体の話や微分幾何学もやっておなないとダメ、な んて話をよく聞く。私の学生時代の指導教授は、よく「代数だけじゃダメだよ。 例えばGunning & Rossi の多変数複素解析の本なんかも読んでおくべきだ。」 なんて事を言って、解析をパスしていた私をひきつらせたものである。また、 私の学生時代の先輩や先生で、複素多様体論をやっていた人がいるが、当時は 「スキーム論なんてようわからん!」という感じだった彼らが、今ではスキー ム論の解説だの教科書だのを書いている!既に「何もかも知ってないと研究が できない」時代になっているようだ。あー恐ろしいや。

さらに恐ろしい事には、元々微分幾何学をやっていた人が、ここ数年代数 幾何学と関係する良い仕事を活発に研究して数学会の賞を貰った。受賞講演を 聞いてみると、予想通り(?)代数幾何学には関連しているものの、代数幾何学 そのものには余り深入りした話ではなかったので「安心」していた。ところが、 講演の途中で受賞者氏は「えーと、ここの話はMumfordのGeometric Invariant Theoryを使えばできるのですが、省略します」なんてのたまわったので、私は 凍りついてしまった。おいおい、Mumford "Geometric Invariant Theory"なん て、スキーム論まで含めた代数幾何学までちゃんと理解してないと読めないん だぞ!あんたいつの間にそんなの勉強したんじゃ!?ひょっとしたら Geometric Invariant Theoryは微分幾何学屋さんでも読める形に整備されてい るのかも知れないが、ある種の人々にとって代数幾何学はもはや「一般教養」 になっているのかも知れない。いずれにせよ「世も末じゃ!」とわめきたくな るような恐ろしい話である。

可換環論(可換代数)はまだ平和である。もちろんスキーム論の言葉を自由 自在に使って仕事をしている人もいるが、「代数幾何学はようわからん!」と いう感じの人でもやれる事は沢山あるし、実際そういう人で物凄く活躍してい る人が沢山いる。

5月15日(月)
午前中から大学へ。「代数幾何学以外はやりたくないモード」から逃れられず、 流されるままに Hartshorne "Algebraic Geometry"のスキーム論の演習問題の 整理をする。(まずい展開になってきたなあ。そろそろ可換代数に戻らねば!) 未解決だった問題もいくつか解けた。水曜日はP先生との代数幾何学ゼミがあ るのだ。私が(Shafarevichの本を見ながら)射影的極限を使って解いた層とス キームの張り合わせ問題は、P先生によるとファイバー空間をつかってスマー ト解けるという。これはGrothendieckが始めて、そして彼が「代数幾何学屋は 誰も見向きをしない」と嘆いていたlocale理論の常套手段だそうだ。この詳し い話が楽しみだ。

ちなみにtoposとかlocaleとかは、一部のlogician (つまり数学基礎論 屋. 数理論理学者よりも広い概念を表すようだ.)や(数学崩れの)理論計算機科 学屋の間ではよく知られた話で、toposは大体集合論をカテゴリー論の言葉で 言い表したものである。localeについてはよく知らないが、位相空間をカテゴ リー論の言葉で言い表したものだそうである。たぶん数論で必要なコホモロジー (Weilコホモロジー)を定義する際、スキーム上のZariski位相だけでは位相が 荒すぎてうまく行かないので、より細かい位相(etale位相)を導入したという のがlocaleのはじまりなのだろう。P. DelegneがWeilコホモロジーの完全な定 式化を待つまでもなく、Weil予想を解決してしまったので、localeは代数幾何 学屋や数論幾何学屋に注目されなくなったということなのかしら。

私も昔、正しい「数学崩れの計算機屋」として、プログラム言語理論に関 連してtoposを勉強した事がある。でもGrothendieckは「私の自慢の理論を使っ てくれるのはlogicianだけだ」と御不満の様子であったという。元ホンモノの logicialだったS先生あたりだと「Grothendieckはlogicianを馬鹿にしている。 けしからん!」と言い出しそうだ。私は計算機科学者時代でもせいぜい「なん ちゃってlogician」でしかなかったから、別に何とも思わないけど。

5月16日(火)
私の毎日は朝食をはさんで朝のワイドショーを見て、それから風呂掃除をして、 というところから始まる。本日のワイドショーは中井貴一の婚約のニュースが 目玉。中井氏曰く、父親が37才で亡くなっているので、自分もそれまでに生 きればいいとこだろうと思い、自分の人生は高々あと何年だなと思って生きて 来た。38才になって、やっともう少し生きられるかなと思って、結婚を考え た、と。うん!この気分はよくわかる。私の父親は64才で亡くなっているの で、人生あと高々20年ちょい、私に老後の心配は皆無と思っている。老後の 事は間違って65才まで生きていた時にあわてて考えれば良いと思っている。

親鸞が10才前後で仏道の修行をするために(たぶん法然の)寺を訪ねた時、 夜遅い時間だったので明日にしてくれと門前払いを食ったという。そのとき親 鸞はすかさず「明日ありと思う心があだ桜、夜半に嵐も吹きもとじかは」とい う歌を詠み「なるほど」という事で、直ちに入門手続きを受理されたという。 小学校ぐらいのガキにこんな歌が詠めるわけないだろう、なんて野暮な事を言っ てはイケマセン。老後の楽しみなんて言っていると早死にしてしまって、楽し みがあだ桜にならぬとも限らない。楽しい事はたった今やるのがよろし。

昼頃大学へ。今日こそは代数幾何学から足を洗うぞ!と思ったものの、 Hartshorn "Algebraic Geometry"の演習問題の一つが気になり、それを解くこ とになる。その後、意を決して可換代数に戻る。談話会(コロキウム)の資料書 きが、ちょうど組合せ論的可換代数の部分にさしかかっているので、そこから 入っていくことにする。夕方頃資料は一応完成した。今後細かい所を修正して、 Webで公開する予定。コロキウムには何名お客が入るか不明なので、資料のコ ピーを用意するなんて事は、「地球にやさしく」する意味でも、私が楽をする 意味でも、なるべく避けたい。

資料をまとめるにあたって、今まで作ってきたサーベイノートなども参考 にしたが、この数年間は関連する色々な問題を渡り歩いてきた、というよりも 横滑べりしてきたような気がしてきた。偉い数学者は壁にぶつかっても、頑張っ てそれを突き破ってしまう。あるいは、色々な問題を渡り歩きながら、その場 その場で重要な貢献をしてゆく。私の場合は、壁にぶつかってはできそうな所 だけちょっとやって別の問題を探し、という事を繰り返して来たことが明らか になった。どこかに私が解きやすい問題がザクザク転がっている所は無いかし ら?(んなもんある訳ないだろうが!)と「青い鳥症候群」のように探し求める のである。これはまずい傾向ではなかろうか。今後はまた昔の問題に戻るよう にして、螺旋階段を少しずつ昇ようにやっていきたいものだ。

5月17日(水)
昼前に大学へ。本日午後より外書購読。それまでの間は、昼食をはさんで9月 から滞在予定のドイツの先生へメイルを書いたり、マルクの為替をチェックし たり、出国準備の内容をチェックしたり。そろそろ現地での住宅を確保しなけ ればということで、向こうの先生にお願いしているのだ。大体月800〜1000マ ルクぐらいで部屋が借りられるらしいが、現在1マルクは50円前後だから、5万 円前後の家賃だ。これは安い。ミュンヘンあたりだとかなり高くて、東京あた りと変わらないと聞いていたが、エッセンではそうでもないらしい。エッセン と言えば、中学校か高校の地理で「ルール工業地帯のエッセンの製鉄」と覚え たように思うが、大都会ではないのだろう。

外書購読の後はP先生と代数幾何学のゼミ。電車の中ではEisenbud & Harris "The Geometry of Schemes"を拾い読み。この本は理論の説明は雑だが、 面白い例が次々出て来るので楽しい。相変わらず代数幾何学ばかりやってます なあ。今日のゼミはP先生がDescent理論を使った層やスキームの張り合わせの 話が中心で、それ以外は主だった演習問題の解答をチェックし合った。

Descent理論はGrothendieckが代数幾何学で現れる多くの張り合わせ構成法 の常套手段を、一般的な形でまとめたもののようである。しかし今日の話を聞 いてわかったのは、「Descent理論を知っていればこの問題はほとんど明らか」 「でもDescent理論を理解するのは大変だ」ということ。

Descentには色々な理論構成があって、圏論のモナドやT-代数の理論もその 一つだとか。でも、モナドやT-代数が「張り合わせ」の本質だ、と言われても 余り感動しませんなあ。モナドやT-代数はプログラム理論でもよく使うので、ひ ところは良く覚えていたが、もうほとんど忘れてしまった。圏論の話は、忘れ ると後に殆んど何も残らないような気がする。昔はMacLane "Categories for the Working Mathematicians"を愛読書としていた。計算機屋をやっていると どんどん頭が悪くなりそうで、それで危機感を感じて研究上の実益も兼ねて読 んでいたのだ。

まあ、個々の問題を解く分にはDescent理論によらずに、たとえば Shafarevichの本に出ているような帰納的極限を使う素朴な方法で十分だと思 う。また、ファイバー空間の局所切断を張り合わせて大域切断を作るという事 だから、結局層のコホモロジーの話であるはずで、その関連を一度調べてみる 必要はありそうだ。もしかしてDescent理論は、コホモロジー理論のための話 かも知れない。層のコホモロジーは7〜8年前、まだ計算機屋だった頃、「夏 休みの趣味の読書」の一貫で堀川頴二「複素代数幾何学入門」で勉強したっき り細かい事は全て忘れてしまっている。思うに私は色々勉強して、どんどん忘 れる。

趣味の代数幾何学は今日で一旦切り上げて、明日からは本気で可換代数モー ドに戻ろう。

5月18日(木)
昼前に大学へ。午後一番で数学科2回生の微積分の講義。やっと偏微分が終り、 全微分に入りかける。前の方でいつも寝ている太った学生がいるが、彼は一体 何なんだろう?私は彼は天才かすくなくとも物凄い秀才で、微積分なんて中学 校で既に全部終っており、私の講義でおやっと思う所だけ聞いて、あとは何か 他の問題を考えているのだろうと想像している。偉い数学者の話でよくあるパ ターンだが、飛び級で12才から近くの大学に通い、初年度級のコースを取る。 しかしそこの指導教授は「このコースを取る事は、彼(または彼女)にとっては 時間の浪費でしかない」事を直ちに見抜き、2週間後には大学院のコースに移 る。そして15才でPh.Dを取って18才でMITあたりの教授になり、22才で フィールズ賞を取る、ってやつである。残念ながら、立命館では「2週間後に は大学院のコースを」なんて事は許されないから、私は黙っている。まあ、こ ういう想像が楽しめるところが、数学科の良いところだ。

夕方は情報学科4回生の暗号の講義。今年は何故かペースが早くなってし まって、6月下旬には話すネタが無くなってしまうのではないかと心配である。

来年度の卒研については、代数幾何学か可換代数をまじめにやろうかとい う気になってきた。基礎的な事でも、ゼミの形でゆっくりもう一度見直してみ る事は良いことである。今までの自分の理解よりも、もっとすっきりした理解 の仕方を思いつくこともあるだろうし、ちょっとした事であっても見落として いた事を見付けられたりするからだ。学生のレベルが高ければ、一緒に議論す れば良い。学生のレベルが低ければ、自分で黒板の前でどんどん進めれば良い。 要は興味を持った学生がいればよいのだ。

問題は可換代数、代数多様体論、スキーム論、具体例のバランスである。 研究レベルでは結局全て必要とされるわけだが、入門レベルではどれに重きを 置くかで、読む本からして違ってくる。要は勉強する順番の問題である。しか し、ほとんどの学生が学部で卒業して数学を離れると想定した場合、最初に読 んだ本がその学生にとって全てになるわけで、その意味でもこの選択はかなり 重要になってくる。まあ、そういう事は集まって来た学生の顔を見て考えれば 良い事だし、誰も集まってこなければそもそも考える必要も無い。つまり、今 から考えてもしょうがないことだ。

今日と明日は講義とゼミが詰まっている事もあって、昨日の決心通り可換 代数モードへの本格移行は先延ばし。エイヤ!とIyengarの論文あたりを読み 始めれば、すぐに本格移行できると思うが、今日のところはコロキウムの資料 の修正でお茶を濁す。

5月19日(金)
朝一番で情報学科の初等組合せ論の講義。考えてみれば、去年なら6月中旬頃 にやっていた話を今話している。他の講義もそうだが、全般的に去年よりも知 らず知らずのうちに異様にペースが速くなっているようだ。たぶん数理科学科 に移って気分が変わってしまっている事が原因だと思う。去年は高校数学をすっ かり忘れ、大学1回生の数学も要領だけで単位を取っている情報学科の学生を イメージして講義していたようだ。つまり、高校1、2年生レベルを想定して やっていたのだ。今年は高校数学は(単なる解法マル暗記の闇雲計算オンリー ではなくて)一応ちゃんと理解している大学生をイメージして講義しているよ うだ。それで情報学科の学生達が理解できているかは、前期試験の結果のお楽 しみである。この調子だと前期試験も難しい問題を出題してしまいそうだ。

午後は数理科学科の中級組合せ論の講義。ある部分の説明を去年は間違っ て教えていた事に気付き、急いで考え直す。しかし間に合わないままに講義に 突入。しょうがないので、考えながら説明する。何となく自信が無い説明であっ たが、講義の後で考え直したらやはり正しいかった。(やれやれ。)ただもう一 つ具体例を挙げればもっとわかりやすい説明になるし、それに付随した事は来 週の話に必要なので、それを次回に話すことにしよう。

夕方は情報学科5回生M君とGroebner基底のゼミ。その後彼の就職に関連し た事を聞きにA先生の部屋を訪ね、そのまま延々とよもやま話にふける。

それ以外に今日やった事。コロキウムの資料の修正を少し。以上。

5月20日(土)
昼前にGoethe-Institutでドイツ語のビデオを返却。京大ルネで昼食後、昼過 ぎに大学へ。今日は可換代数モードでIyengarの論文を読む。

そういえば微積分学の講義に出ている「眠る天才君」は、金曜日の中級組 合せ論の講義でも一番前の席で眠っている。今後は彼の"眠る天才ぶり"を注意 深く観察しながら講義することにしよう。これでまた講義をする楽しみがひと つ増えた。

ところで私個人としては、数学の学生に大いに数学者への道を目指しても らいたいと思っている。これは大学教師などのいわゆる職業的数学者だけでな く、工学や金融などの現場で見出した現実の問題に、数学的な答えを見出して 行ける人という意味を含んでいる。群の表現論などに深く関連するヤング図式 の組合せ論という分野があって、その中心的な概念としてロビンソン・シュテ ンステット・クヌース対応というのがある。これを最初に発見した人は、職業 的数学者ではなく石油採掘会社の技師だったそうである。また、私の大学、沖 電気両方の先輩であるロボティックス学科のA教授は、沖電気で計算機ハー ドウエアの設計に関するある技術的な問題を解決するために情報理論、制御工 学の新理論を発見し、その分野の世界的権威者になったそうである。似たよう な話は、探せばもっとあるだろうし、これから思いもよらない発見があるかも 知れない。こういうタイプの人が立命館からどんどん出れば良いと思っている。 こういう事は、かならずしも数学エリートである必要は無いが、 大学できちんと数学を勉強した人が断然有利である。

ではいわゆる職業的数学者はどうか。確かに数学者のポストは世界的に見 ても減っているようである。大学の助手のポストの公募があると、研究条件が 悪そうで昔なら敬遠されていたような大学でも、定員の数十倍の応募がひしめ くそうである。昔なら大学院生で数学者になり損ねた人は、そのままアルバイ ト先の大学受験予備校の専任講師におさまる道があった。しかし今や予備校は 「大学全入時代」を前に規模縮小と事業転換に必死の状態である。中学・高校 教師の道も、今や極端に狭き門である。東大数理科学研究科の博士課程を卒業して、 すぐにどこかのポストにありつける人は数十人に一人、という話を聞いた事も ある。東大あたりだと、博士課程を中退してコンピュータ関係に就職する手も あるらしいが、これは東大のブランド力のお蔭であって、どこの大学でもそう かどうかは知らない。つまり、いいとこ無しなのである。だから、数学教室の 先生の何人かは、学生が数学者になりたいと言うと、途端に厳しい事を言うの である。「数学者への道の可能性は無いと思ってください。」 (「無いと思え」と言っているだけで「無い」とは断言していない!)これは確かに全 く断然正しいのである。

しかし一方で「そんな事いちいち気にしてもしょうがないではないか」と いう気もするのである。まず第一に、学部段階でその人が数学者として偉くな れるかどうかは誰も断言はできない。学部時代に輝ける一番星だった人が軒並 潰れて、ほとんど目立たなかった人がいつの間には偉くなっている、なんて例 は、私の経験からも間接的に聞いた話からも少なからずある。だから、あまり 早い段階から「自分はどうせ数学者にはなれない」なんて決めつけるのは考え ものである。それからポストが無いというのも、必ずしも真に受け て良いものかは場合に よりけりである。私の学生時代はOD問題華盛りの頃で、指導教授 にも「君達の学年が大学院『修士』を出る頃には、助手のポストがゼロになる んですよ!少ない、というのではなく本当にゼロなんです!!」と言われたもので ある。学生だったから無理も無いかも知れないが、 私は教授の言葉を「我々の学年の人間は『一生』数学者になれない」という意味に受け取った。 確かに私の学年で『修士』卒ですぐに助手のポストにありつけた人はゼロである。 私の学年より前までは、修士卒則助手というのは珍しくなかったが。 でも博士 課程卒業後間もなく助手のポストにありつけた 人は何人もいる!また、私が大学を追われて沖電気に入 社する頃、既にODを何年もやっている人がゴロゴロしていた。その人達は私が 沖電気に勤めている間ずっとODをやっていたが、私が大学に戻る頃にほとんど全 員が大学のポストを得て、今では数学者としてブイブイと活躍している!私は 沖電気から給料をもらっていたけれど、彼らは何をして食っていたのかしら? 今の世の中、フリータやパラサイド・シングルをやって30代半ばまでふらふ らしているいる人は沢山いるようである。何とか食いつないでいれば、いつか はチャンスが無いとも限らないのである。

と、言っておきながら、すかさず水をかけるようだが、30代半ばまでに ポストが得られない場合は、その後ずっと非常勤講師人生になる可能性も、確 かにある(いや、可能性大である!)。それを不幸と思うか、幸福と思うかは、 数学にどこまで人生賭けているかにかかっている。そこまでせっぱ詰まった事 を考えたくなければ(考えない方がいいと思うが)、修士論文を書いた時点で、 あくまで職業的数学者を目指すか、工学などの外の世界に飛び込んでいって、 明日のA教授を夢見て現場の数学者を目指すかを考えれば良い。少なくとも学 部や修士課程の段階では、明るい希望を持って数学をやるのが良いと思う。