9月1日(金)
9月である。大学教員の稼ぎ時は終わり、本日終日大学院入試の面接。午前と 午後に博士課程の面接で、整数論の話を4つ聞き、その間に修士課程の面接を 2名行う。その後判定会議。これで一日がほぼ終わった。夕方図書館に例の文 献を捜しに行く。1つ目は見たことこあまり興味が湧かなかったのでパス。も うひとつは、雑誌自体が置かれてない。最後の --- そしてこれが一番のお目当てだっ たのだが --- ものは雑誌が欠番になっていた(どついたろか!)。カウンターの係 の人も「あるはずのものが無い!」と首をかしげる。まあ、どうせ大した事は 書いてないだろう、ととりあえず決めつけておくことにする。

ところで整数論だけで4名が同時に博士課程に進むとは、物凄い事だ。面 接はひとり1時間程度で、今読んでいる論文の紹介と質疑応答、そして今後の 研究プランを話してもらう。K先生と同じく「久しぶりに整数論の話が聞けて 楽しかった」と言っておこう。実は最後の人の話だけは、あまりに難解過ぎて 途中で気を失ってしまったのだ。それにしても、立命館数学科の修士のレベル は、なかなかのものだとわかった。

私にとって、整数論の風景というのは、至る所に深い深い古井戸がある草 原のように思える。カンテラを落すと、その灯がどこまでも小さくなって消え て行く底無しの井戸だ。それらはきっと、底の方で全て継っているのだろう。 人は数多くの底無し井戸と、その深い深い底に広がっているであろう世界に魅 せられて整数論に進むのだろう。しかし、私はそんなおっかない世界に近付く のは御免こうむりたい。深い古井戸は無くても、樹木や下草が茂り、ゴツゴツ した岩がそりたち、それらを少しずつ刈り取ったりどかせたりしているうちに、 少しずつ見通しが立ってくる世界の方が性分に合っているような気がする。

9月2日(土)
朝、銀行でお金を下ろし、昼前に大学へ。そのまま生協食堂に直行し、腹ぺこ キッズの襲撃前に早目の昼食。その後生協ショップに直行しOffice2000を買い、 部屋に戻ってすぐにインストール。WindowsやLinuxは余り使わないのだが、ド イツに行ってからの計算機環境の構築がどうなるかわからないので、色々用意 しておくわけだ。もちろんWindows関係のCD-ROMも持っていくつもり。

数学教室というのは、いずこも計算機管理者についてはお寒い状況で、S先 生のような「専任システム管理者」が常駐する数学教室は、世界的にも恵まれて いるほうではないだろうか。ドイツのエッセン大学数学教室も、この点ではあまり 期待してはいけないと思っている。

卒業生で高校教師をしているTK君から雑談メイルが届く。日頃この日誌で 雑談ばかり書いているので、雑談の返事が書きづらい。日頃雑談する人はほと んどこの日誌を読んでくれているので、いざ面と向かってみると「あれも日誌 に書いたよな。これも書いたし。」という事で、話すことが無くなってしまう。 たまに新しい話題を思いついても「それは今日の日誌のために取っておこう」 なんて妙な考えを起こしてしまう。で、相手もまたWeb日記なんぞを書いてい ると、専ら日記レベルで雑談の疑似会話が行われるようになる。これがS先生 が嫌悪する「非体育会系の人間の暗い交換日記」状態である。(ちなみにS先生 は「Web日記なんて気持悪いものには近付きたくない。そんな事をするぐらい なら、俺は身体を鍛える。」と言う割には、よく私の日誌を読んでいる。本人 に言わせると、「俺に関係する妙な事を書かないように、検閲してるんだ」と のこと。)

これは私が、同じ事を何度も話してはいけない、という根拠不明の原則に とらわれているからであって、S先生などは、こういう原則からは全く自由な 人である。彼にはその時々に"お気に入り"の話題があって、会話がそっちの方 に流れると、過去に500回同じ事を話していようとお構い無く501回目の 話をする。それは筋肉の自慢話であったり、パソコンの話であったり、 数学の話であったりもする。特に S先生の生活が何らかの意味で停滞している時は、"S先生の話題の集合"も停滞 し、その構造が全てわかってしまう。そして次に彼が何を話し始めるかが完全 に読めてしまうのだ。これ以上同じ話を聞かされるのは御免だと思う場合は、 彼にその話のきっかけを与えるキーワードを決して口にしない、という予防措 置を取ることも可能である。こういう時のS先生というのは、リアルタイムで 物を考えるのを放棄した生体記憶再生装置に見えてくるし、覚えている事だけ を繋合わせて会話を構成するなんて、ずいぶん楽してやがるな、とも思えてく る。

本日午後から「悶える」。色々サーベイをしておくと、色々「悶える」ネ タが出てくる。H先生の最後の英国だよりが掲載されていた。どうやら稔り多 き半年だったらしく、秘密兵器の最終調整は万端のようである。そして数週間 後に「夢」から覚めた彼は、また「心すさむ日々」を再開するのであろうか。

9月3日(日)
昨日までの熱帯気候とは打って変わって、秋の気配が漂う日である。昼前まで 寝る。だらだらとしつつも多忙な日曜日である。録画しておいた再放送の「踊 る大捜査線」を2.5連チャンで見たし、スーパーに買物にも行ったし、散歩 もしたし、留学の準備も少しやったし。「踊る大捜査線」は改めて見ると妙な 所がある。警察官の採用試験を2月か3月頃にやっているし(あれは6月か7 月頃ではないだろうか)、プロファイリングが物凄く有効な捜査方法として描 かれている。前者はストーリーの流れから、かなり強引に仕立て上げた確信犯 的措置のようだ。後者は、まだフロファイリングが注目されていた時期に作ら れたからであろう。元FBI捜査官のロバート・レスラー氏が一時期もてはやさ れていたが、彼が神戸のサカキバラ少年事件のプロファイリングで大失敗して からは、プロファイリングなんて全く騒がれなくなったようだ。

今日は先日買った旅行カバンに荷物を詰めてみた。本や論文のコピーの類 は、できるだけ少なくしようと思って一応リストを作ってあったが、それでも 多すぎる事がわかった。本はせいぜい1〜2冊、論文コピーは高々数部が限界。 「無人島に一冊だけ持って行くとすれば、どの本を持っていくか?」と同様の 命題に悩む。いつも手元に置いておきたい本は、たぶん現地の図書館で借りら れる。専門からちょっと離れた分野で、この際ゆっくり読んでみようか、と 思う本も、やはり現地で借りられる。かと言って、何も持って行かないと 13時間の機内で退屈だ(ずっと寝ていればいいのだけど)。

砂田利一氏がどこかで書いていたが、かつて氏が海外に長期滞在する際に、 何か一冊持って行こうということで、高木貞治の「代数的整数論」を持っていっ たそうである。で、現地でそれを読んでいるうちに、代数的整数論と砂田氏の 専門である幾何学とのアナロジーを発見したそうである。では、砂田氏になら うとすれば、私は何を持って行けばよいのか?現地で手に入らない日本語の本 で、自分の専門と離れていて、一度読みたいと思っていて実行できずにいるも ので、なおかつ古典的名著クラスのものが望ましい。すると、高木貞治「代数 的整数論」か?岩沢健吉「代数関数論」か?一松信「多変数解析関数」か?小 平邦彦「複素多様体論」か?溝畑茂「偏微分方程式論」とか伊藤清「確率論」 というシブイ線も考えられるが、これはさすがに読んでも理解できそうもないか。いや いや、やはりこれからの研究のヒントが詰まっていそうな、バルセロナの国際 会議録であるSix Lectures in Commutative Algebra1冊でよいのでは?でも それは現地で借りられるし。

結局結論を先送りしてこの日は終わる。

9月4日(月)
熱帯気候の日本とは思えない秋晴れのさわやかな日である。昼前に大学へ。情 報学科のOB会である「情報会」の幹事の先生から、情報会名簿に名前と住所を 掲載しても良いか、との問合せメイルが来たので、「私に関する全ての情報が、 情報会名簿から削除されることを希望」することを丁重に伝える。朝っぱらか ら(正確には昼だが)情報学科の話が飛び出してかなり不機嫌になり始めた。最 近私が冗談抜きで不機嫌になるのは、情報学科の事だけである。(これは考えよう によっては幸福なことである!)

そうこうしているうちに、図書館から「先日行方不明になっていた雑誌の バックナンバーが見付かりました」との朗報。早速、その論文と関連する論文 のコピーを手に入れて「悶える」ことにする。しかし、少し悶えてみたところ、 やはり以前予想した通り「大した事は書かれていない」ことが判明する。

知りたい事がどの論文にも書かれていないという事は、要するに自分で考 えるしか無いわけである。それはすなわち研究のネタが目の前にあるという事 だが、喜んでばかりもいられない。その問題が実はとてつもなく難しく、その 事を知らずにまともにぶつかろうとしているのは実は私だけで、そしてほかの 数学者達は一見その問題とは縁の無さそうな「迂回路」から少しずつ攻める作 戦なのかも知れないからだ。(そういう感触は無いわけでもない。)私が若くて 優秀でかつあまりモノを知らない大学院生だったら、何も知らずにまともに難 問にぶつかって思わぬ答えを発見し、なんてこともあろう(しかし知らずに難 問にひっかかって「沈没」する人の方が多いと思うが)。それが数学が知識や 経験の少ない若い人に有利と言われるゆえんである。しばらく「若くて優秀で かつあまりモノを知らない大学院生」のフリをして過ごすことにしよう。

9月5日(火)
昼頃大学へ。腹ペコキッズの襲撃の気配を感じて、早めの昼食を取る。ここん ところ連日の襲撃である。そろそろ大学の授業が始まるのに、いつまで続くの であろうか。学生と生徒 -- 自分が「生徒」だと思っている学生諸君のために 念のため書いておくが、「学生」とは大学生以上の呼称であり、「生徒」とは 高校以下の在学生の呼称である -- が一つのキャンパスに同時に押しかければ、 食堂がパンクし昼食難民が大量発生することは目に見えている。そもそも腹ペ コキッズの襲撃日程なるものは一切公表されていないのが問題だ。「腹ペコキッ ズの襲撃はいつですか?」「それを公表することは少年の保護育成の立場から 少年法で禁じられています」「でもその日程を知らないと、こちらも困ります」 「日本の法律では、あなたにそれを知る権利を認めていません」

夕方から虫も殺さぬ(?)人身御供殺人会議が30分程度。それまでの間 少し「悶える」。会議の後は出発の準備を色々した後、Macaulay2の 計算結果に基づいてPrologの簡単なプログラムを書いて、ちょっとした 実験をやってみる。まあ暗中模索ってとこですな。

大学の夏休みは9月20日までだが、9月に入ってから20日までは「助 走期間」である。講義こそ無いが、色々な会議や行事は通常通り行われる。そ うやってして後期開講期間のためのウオーミング・アップをするのである。例 えば海外に長期出張していて研究三昧の日々を送り、開講日直前に帰国したり すると、おそらく「天国から地獄への転落」の気分を嫌という程味わうことに なる。(英国で「夢」を見続けていたH先生は、大丈夫だろうか?)私の場合来 年3月31日に帰国予定で、数日後に入学式そしてその数日後から前期開講、 その間に待ってましたとばかりに殺人会議の目白押し状態となるだろうから、 カルチャーショックとそれに起因する偏頭痛と目まいに悩まされることだろう。

私は残念ながら利用できなかったが、会社員時代にも留学制度というのが あって、2年間の期限付きでアメリカなどの大学の修士課程に在学することが できた。留学した人の中には、途中で「消息不明」になって3年以上現地に居 座り続けたり、何だかんだと理由をつけて5年残ってPh.Dまで取って、さらに うまい事をやってもう一年海外に居座ったりする人がいた。こういう人達を 「しょうがない奴だ!」と言いながらも「泳がして」いたのだから、私の勤め ていた会社もなかなかのものである。しかし、ノーベル賞・フィールズ賞級の 学者の頭脳流出(最近はほとんど死語になった言葉だが)は別として、大学教師 の海外留学で、現地に居座る例は少ないようだ。

かく言う私も、会社居員時代には、3年間の期限付きの国立研究所への出向を、 どさくさに紛れて4年半ぐらいに引き延ばし、所属が会社に戻ってからも、何 だかんだと理由をつけて2年近くその研究所に入り浸っていた。業を煮やした 上司の最後の作戦は、私を大阪の研究所に飛ばすことであった。国立研究所は 東京にあるから、大阪に飛ばせば会社に居付くだろう、という考えだったよう である。おまけに、私を監視するために(?)上司まで一緒に大阪に転勤してき た!研究環境抜群の最新鋭の研究所ではあったが、所詮企業の研究所である。 純粋数学至上主義者の私には物足りない。結局、大阪の研究所は半年で飛び出 し、立命館に転がり込んだ。上司はカンカンに怒っていた(その気持は今ならよく わかる)。まあ、私も行く先々で人々の恨みを買いつつ、結 構やりたい放題やってきたのである。

9月6日(水)
午前中より大学へ。H先生から「13日に帰国する」とのメイルが届く。どう やら卒研や講義や殺人会議がひしめく多忙な現実生活を思い出し、憂鬱になっ ているようである(昨日の「天国から地獄」の話が効いたのか?)。しかし、H 先生はまだ数理科学科で1日も過ごしていないけれど、卒研や講義については、 情報学科時代よりももう少し楽しいものになるのではないだろうか。教室会議 も情報学科と違って、心温まるものであろう。(残念ながら、殺人会議は変わ らないけど。) 数理科学科の教員は、情報学科の教員に比べてはるかに担当講 義の数が多くて忙しいけれど、それ以外の事で変な精神的締めつけが無く、自 由な雰囲気であるところがよろしい。なんて事は、H先生には余り関係ないの かなあ。

H先生はめでたくこの半年の間に研究成果が出て、論文が書けたようだ。私 も来年3月に手ぶらで帰ってくる事の無いように頑張らねば。

本日は「悶え」を中断して終日計算機実験。Prologプログラムを書いて、 それをブン回して、データを整理してシコシコ計算して、という作業をやって みる。明日からまた、この実験結果を眺めながら「悶える」ことにしよう。

9月7日(木)
昼前に大学へ。午後は教室会議で、それ以外は昨日の計算結果に関係した論文 を眺めつつなんとなく「悶える」。道は遠そうだという感触を持ち、別の「悶 え先」を模索する。ここんところ、サーベイで洗い出した複数の「悶え先候補 リスト」の中でぐるぐる回っている感じだ。どこかで、「これはいける!」と いうのが見付かれば良いのだが。

ゆうべはテレビの「ここがヘンだよ日本人」を見てしまった。こういうシ ロウトの討論番組は、声のデカイ人間が稚劣な感情的意見を一方的にわめき散 らしたり、あげ足を取ったりするばかりで、まともな議論にならないことが多 い。だから普段は全く見ない。しかし、この日は学力崩壊がテーマになってい て、文部省の担当課長と、文部省に対立する意見を持つ「学力崩壊」の著者が ゲストに出ていたので、思わず見てしまった。

日本人の若者50名と、外国人50名の討論には余り興味を引くものは無 かった。というよりは、不毛な議論だったと思う。番組では、20才前後の若 者の多くが、小・中学生レベルの四字熟語や諺、分数計算、一次方程式、簡単 な世界地理、日本史、世界情勢を全く知らない言って、馬鹿だ阿呆だと言って いた。しかし、学力崩壊の当事者である若者を連れて来て、お前ら阿呆だ、そ んな事ではいけない、と言ったところで何になるのか。私達が悪うございまし た、これからちゃんと勉強します、なんて言うわけがない。

私だって、たとえば戦前の旧制帝大卒の"エリート層"から見れば立派に学 力崩壊組なのであって、お前は大学出ているくせに陶淵明も紫式部もデカルト もカント読まないのか、とか言われて外国人や年配者に吊し上げられても困る わけだし。ただ、番組に出演していた若者達のように、漢文や古文や哲学なん て日常生活で使わないから勉強する必要はないとか、自分は理系だから関係無 い式の、間抜けな事は言わないだろうけど。昔からそういう事を言う人はいた けれど、少し前ならそういう事は言わなかったであろう人達まで同じ事を言う から問題なのである。これは時代の気分なのかも知れない。いずれにせよ「人 の口に戸は立てられない」のだから、いたしかた無い。

そんな不毛な議論よりも、ゲストの2人の討論を期待していたのだが、そ れがほとんど無かったのが残念である。ただ、ビートたけしが、「数学を数学 と思って『自分には関係ない』なんて考えるのは、頭悪いよ。数学は哲学なん だから誰にでも関係あるんだよ。」というような事を言っていた。なかなかい い事を言ってくれるではないか、と感心した。

9月8日(金)
午前中から大学へ。昨日の帰り際に、机の上に山と積まれた論文の山から、今 までほとんど無視していたプレプリントを発見した。ちょっと面白ろそうだっ たので、今日はそれを読むことにした。しかし、3分の1ぐらい読んであとの 部分をパラパラと眺めると、それ程面白い論文でない事がわかり、放り出す。 夕方また別のプレプリントを発見し、今度はずばり私が狙っている問題の一部 が解かれている事を知る。やれやれ、こういう事はよくあるものだ。以前読ん だ時は気にも留めなかった結果だが、その気になって見れば見方が変わるもの である。

最近御無沙汰しているが、フランスの友人にGerard Huetという人がいる。 フランスを代表する理論計算機科学者の一人である。彼は、10年程前に私が 勤めていた国立研究所に2ヵ月程滞在したのだが、その時彼から「open mind(ed)の教え」なるものを学んだ。当時研究についてある種のかたくなな考 えにこり固まっていた私を見て、彼は奇妙で少々手荒で、そして彼らしい才知 に富んだ方法でこの事を教えてくれた。言葉で言えば簡単なことである。自分 は真理を発見したいと思っている、真理もまた発見されれる日を待ち望んでい る。両者は不思議な力で互いに出会うのだが、その時心を無にして物事をあり のまま見つめ、ありのままに受け入れていないかぎり、それは決して実現しな い、というのだ。その心のあり方がbeing open minded (彼はそう言っていた が、being open mindというのが正しいのではないだろうか?)なのだ。彼が当 時使っていた椅子は"The open minded chair"と呼んで、その後私が厳重に保 存管理していた。数年後フランスに行った時、Huetにその事を話したら、大変 嬉しそうにしていた(変な奴である)。それにしても、彼の教えは言うは易し、 行うは難しである。

途中生協に航空券を買いに行き、航空会社のHPでフライトの詳細を色々チェッ クする。

9月9日(土)
昼前に大学へ。昨日のプレプリントをじっくり読み直し「悶える」。自分の狙っ ていた問題(の一つ)が既に解決されていると知ることは、一般によくある事で ある。そのとき「この方向はもうダメだ。別の方向を捜そう。」と放り出して いたのでは、いつまで経っても進展は無いような気がする。きっとまだ何かが 残されているに違いないから、もう少し食い下がってみることにする。

それにしても、自分が模索していた方向で既にある程度のまとまった結果 が出ていたのを発見するのは、私の場合これで2回目だ。いずれもドイツのあ る研究グループに先を越されている。どうも私の考える事は、彼らから見て1、 2年程度遅れているようだ。で、そのドイツの研究グループというのが、何を 隠そう今度滞在予定の所なのである。高木貞治がゲッチンゲンに行った時は、 「日本の数学は世界に遅れる事150年」だったそうだが、それが現地の空気 を吸っているうちに、自然と解消されたそうである。だから1、2年の遅れぐ らい何とかなるだろう、と安易な(?)期待を持っている。

あと10日程でドイツに出発である。今日の日本は、また夏が戻ってきた ような蒸し暑い気候だが、現地は最低気温10〜15度後、最高気温20〜2 5度と既に秋に入っているようだ。

夕方図書館で「数学セミナー」を眺めていたら、数学ライター山下純一氏 の記事に、面白い事が書かれているのを発見した。曰く、最近は昔の純粋数学 と応用数学の対立とは違った、新しい「純粋数学」派と「数理科学」派の対立 がある。「数理科学」とは、現実社会への応用を重視する立場であり、そして 新しい「純粋数学」とは数論、代数幾何、トポロジー、数理物理学、そして理 論計算機科学を重視するものだそうだ。昔は「応用数学」とされてきた数理物 理学が、最近純粋数学と一体になってきた事はうなずける。しかし理論計算機 科学が純粋数学の中に入っているとは初耳である。だとすれば、私は大学卒業 後の2年程の期間(ネットワーク・オペレーティング・システムの開発をして いた)を除いて、ずっと純粋数学者だったことになる。長生きはするものである。

9月10日(日)
日曜日である。ぼんやりしたいところだが、さすがに出発10日前ともなると、 何だかんだと準備作業に追われる。夕食後にやっと散歩の時間が取れる。 夜の山科を「オヤジ刈り」に襲われないようなルートをたどりながら、 今考えている問題についてぼんやりと思いを馳せる。

一番興味がある問題は、究極の目標から現在手がつけられそうなレベルま でのいくつかの問題群のスペクトルになっている。現在手がつけられそうなレ ベルは、私の知る限りでは先日発見したプレプリントの結果を含めて二つの結 果しか知られていない。そのいずれも問題の特殊性に依存しており、彼らの証 明の一般化は困難なように思える。一般の場合のアプローチとして、先日ある 方法を試してみて計算機実験なども行ったが、そのアプローチだけではどうに もならないような感触を得ている。では、どうすれば良いか?皆目見当がつか ない。

もう一つの問題は、かなり漠然としたもので、問題自身をどう深めて行け ば良いかも現在手探り状態である。先秋から取り組んでいたAvramovの講義録 で半ば「鳴り物入り」状態で紹介されていた方法があるのだが、その方法で得 られる結果は結局極めて限られた場合にしか有難味が無く、その有難味のある 場合も、実は古くから知られていた別の方法で簡単の得られてしまう。しかし、 アイディア自身は面白いし、思想的にも古くからある由緒正しいものの延長線 上にある。これを何とか発展させられないか。

他にも、先日途中で放り出したプレプリントの線に沿った、半ばパズルの ような問題がある。パズル的問題というのは、ある組合せ論的アイディアであ る種の代数的構造がどこまで統制されるか?を調べる問題である。この手の問 題は、結構「アブナイ問題」だとも言える。長い間のたうち回った末に「結局 そのアイディアでは何も出て来ない」ことを確信するだけに終わる事もある。 また、計算機実験等で予想にかなり確信を持っていても、最後にぽろっと判例 が作れてオシマイって事もある。そもそも計算機実験といっても、少し大きな 例になると計算量が膨大になるので、それほど多くの例が計算できるわけでも ない。

これらの問題に対して、あと半年の間で何かしらの進展を得ることができ るのかしら、と少々心許ない気分になる。しかし数学ではまず、楽観的である 事が大事だと言われるから、あまり気にしない事にしよう。一番恐ろしいのは、 ドイツに行ってみれば、上記の問題が現地の研究グループによってごく最近に 全て解決されていて、あとは論文にまとめるだけの段階だった、という事態で ある。そういう時は、「今度という今度は、もう許さんぞ!」と時限爆弾でも 仕掛けてさっさと帰ってくるつもりである。

寝る前は、久しぶりに数学セミナー別冊「ゼータの世界」を引っ張り出し てきて、ラングランズ予想の解説を読む。人のやっている事を眺めるのは、気 楽でよろしい。