9月11日(月)
大雨である。渇水騒ぎの琵琶湖も、少しは潤うのだろうか。午前中より大学へ。 旅行保険の件であちこち電話連絡したりした後、少しEisenbudの教科書 "Commutative Algebra with a Vew towards Algebraic Geometry"の気になる ところを読み直し瞑想。「瞑想」と「悶え」がどう違うかというと、「悶え」 がある一定の方向でうんうんうなって考えるのに対し、「瞑想」は漠然とした ことをぼんやり考えることを意味する。まあ、実は大した違いは無いのだけど。 途中ノートパソコンが障害を起こし、テクニカルサービスに電話して「どない なってんねん!?」と文句を言ったり。

S先生のグループでは最近学生とコンパをやったらしく、「楽しかった」と 言っていた。情報学科時代と違って、学生達と「数学が一番エライのだ!」と いう価値観を共有できる所がいいのだという。そりゃあ、そうである。情報学 科で苦労した私やS先生は、学生が出来るか出来ないかなんてのは実は二の次 なのであって、学生達と共通の価値観を持って一緒に勉強できる事が一番嬉し いのだ。この気分は、数学科でずっとやってきた先生にはわからないと思う。

ところで、土曜日に図書館で眺めていた「数学のたのしみ」で、森重文氏 の回想録が出ていた。中・高校時代から大学卒業後までの森氏の数学とのかか わりが語られていて、そこには恐るべきことが極めてさりげなく書かれている。 例えば、大学3回生ぐらいの頃、森氏は当時京大の助教授をされていたD大先 生のところに入りびたり、「代数をやりたい」と申し出た。で、D大先生は、 将来代数をやるにはこの本を読めと、色々紹介されたという。そこまではいい。 しかし、それからが恐ろしい。1〜2ヵ月後読み終わりましたとD先生を訪ね ると、また別の本を紹介される。そういう事が何回か繰り返された。結局それ は将来代数幾何をやるにも数論をやるにもどちらにも必要な内容だったという。 どういう本なのか知らないが、数学の専門書を1〜2ヵ月で読破するのはマト モではない!(定期試験のやっつけ勉強とは訳が違う。)回想録にも登場する某 先生が他の所で書いていたが、学生時代の森氏に対しては「数学書を読むのが 異常に速いという印象を持った」そうである。この回想録には、他にも恐ろし い話が随所に見られるが詳細は省略する。以前肥田晴三氏のインタビュー記事 を読んだ時も、同様の恐ろしい話がてんこ盛り状態だった。しかし彼らにとっ ては、それが自然な事なのだ。

森氏や肥田氏なんて恐ろしい人達と面と向かって話しをしたことはない。 しかし、上記のような記事と、学生時代に一緒に勉強した神童や神童のナレノ ハテ達との経験を合わせれば、これはもう手のつけようのない超秀才あるいは 天才であることが肌身に浸みてよくわかる。数学をやっていて良い事のひとつ は、世の中には手のつけようの無い天才が本当にいるのだ、という事がよくわ かることであると思う。だから早い時期から、自分の才能に対して謙虚に なってしまう。謙虚と卑下は時に表裏一体だが、謙虚になるとともに「妙に卑 下してもしょうがない」という気分も同時に備わるのだ。それに、こんな天才 達と同じ時代に生きられるなんてとても幸福だ、という気分にもなるのである。

計算機科学ではそういう事はあまりない。私は、入社当時会社の独身寮で 一緒に音楽を聞いたり、将棋の相手をしてもらったりしていた先輩が、実は手 のつけようのない天才プログラマであることを間もなく知ったし、大勢の一流 の研究者や技術者が10年かかって開発したものをはるかに上回るプログラム を、たった一人で数ヵ月で作ってしまった、これまた手のつけようのない天才 プログラマも身近に知っている。だけど私は天才プログラマーと天才計算機科 学者とは別のもののような気がしている。それは、数学で天才的な計算技術を 持っている人を天才数学者とは呼ばないのと同じ気分である。商業的に大成功 を収めた計算機科学者も、商売の天才だとは思うが、天才計算機科学者とは思 わない。そして、「天才計算機科学者」というものには、あまりお目にかかっ たことがない。これは計算機科学は天才を必要とするほども成熟していないか らだと思う。これはある意味で平和である。凡庸な人でも、ある程度良い仕事 をしていれば一流気分でいられるのだから。逆に言えば、物凄く優秀な人でも それほど目立たなくなってしまう世界だと思う。

9月12日(火)
午前中は京都市内の銀行でトラベラーズ・チェックやドイツマルクの現金を購 入したり、海外旅行保険の契約をしたり。午後から大学へ。事務的な雑用を少 しして、すぐに殺人会議に突入。夕方終わる。

帰りのバスと電車の中で、先日のプレプリントをよく見てみるとると、や はり残された大きな問題があることが判明した。たぶん著者もその事がわかっ ているのだろうけど、解決のメドが立たずかなり妥協した形跡がある。そのプ レプリントの著者とはドイツで合流するだろうから、一緒に議論すれば面白い だろうと思う。また、同じ著者の別のプレプリント(例の途中で放り出したも の)は、方向性としては面白いものがあるから、別の観点から発展させられる かも知れない。どうもこの著者とは話しが合いそうだ。まだ博士号を取ったば かりの若い人のようだが、ぜひオトモダチになろうと思う。

9月13日(水)
昼前に大学へ。雨はあがり、また暑い日が戻ってきた。今日はH先生が帰って くる日である。熱帯の日本へようこそ! 今晩は時差ボケで眠りまくり、早け れば明日の変な時間帯に大学に現れるかも知れない。私は夕方からGoethe Institutでドイツ映画祭を見に行く。最近ドイツ語をさぼっているので、少し "ドイツ語のシャワー"でも浴びてこようか、という魂胆である。しかし、あと 1週間ぐらいでドイツ語漬けの世界にどっぷりつかるのだから、何も今からド イツ語なんて、という気もする。

しかし気分はかなりドイツである。どうも現地では、私と話しが合いそう な人が4人は居るようだ。これはとても良い環境である。また、数論関係では ワイルズがフェルマー予想に取り組もうと決心したきっかけを作ったGerhard Freyがいるし、代数幾何ではEckart Viehwegという割と有名な人もいて、数論 や代数幾何のグループも結構盛況のようだ。時々セミナーなどを覗きに行って みようと思う。

同じ場所で、日々なんとなく顔を合わせて議論できる相手が複数居るとい うのは凄いことだ。残念ながら、数10年の歴史を誇る立命館数学教室の中で は、私の同業者は居ない。これは私立や地方国立大などの規模の小さい数学教 室では別に珍しいことではない。また、こういうところでは大学院生も少ない ので、院生と一緒に研究グループを作って議論するなんて事も望めない。立命 館大学が誇るD大先生グループなんてのは、例外中の例外なのである。

日本全国で見ると、阪大に2〜3名ぐらい同業者がいるが、最近は若干趣 味が違って来ているような気もするし、いつも議論しているわけでもない。阪 大というのもちと遠すぎる。メイルなどの連絡手段はあるが、メイルでは雑談 じみた議論というのも出来ない。数学で大切な事の多くは、雑談じみた議論か ら生まれるのだけど。

9月14日(木)
昨日のドイツ映画祭で、ドイツの映像大学で作られた短篇映画19本を立て続 けに見てきた。パンフレットには「1990年代後半のドイツの雰囲気をこれ らの映画によって感じていただきます」なんて書いてあるが、どれもこれも頭 がおかしくなりそうな映画ばかりで、彼らは大変な精神世界に住んでいるのだ なという気がした。独身の頃は毎日2本のペースで洋画のビデオを借りて見て いたが、最近はほとんど見ていない。だからあまり断定的な事は言えないのだ けれど、ヨーロッパの映画というのはどこか屈折していて、アメリカ映画のよ うにカラッとしたところが無いような気がする。昨日見た映画は、さらに映像 的に暗い画面が多く、益々もってして憂鬱な気分になった。内容的には結構ニ ヤリとするものが多かったのだけど。「ドイツ映画祭」という華やかな名前は ついているけれど、観客は前半が学生風の人達を中心に7〜8名、後半はたっ た3名と、さながら場末の名画座の趣である。私はにぎやかな所が好きなので、 この雰囲気も少しこたえた。

本日1990年代後半のドイツの陰鬱な雰囲気を背負って、昼前に大学へ。 Eisenbudの教科書で、ここんところ気になっている部分の見直しを続行する。

午後成績発表があったのか、「D判定がついてました。何とかお恵みを!」 とのメイル、直訴が相次ぐ。(旧制高校ではこれを「ビッテ」と呼んでいたそ うである。)こういう事があろうかと、そろそろ雲隠れしようかと思っていた のだが、うかつであった。これらのビッテに対して、どう対処したかは企業秘 密である。

ところで、そろそろこの日誌も店じまいをしようかと思って、今日でやめ ようか、明日でやめようか、と様子を伺っている状態である。ドイツに行って からも日誌を続けるのはちとしんどかろうと思う。この日誌を始めたのは去年 の12月からで、その頃はちょうど新しい研究テーマを堀り起こそうとお勉強 モードになっている真最中であった。それから少し具体例の計算をやって、サー ベイをやって、その間にドイツ語を勉強して、という具合に進んできて、最近 ようやく「悶え」たり瞑想したりする研究モードに入った。

研究モードに入ってみると、案外日誌のネタに困るものである。こういう 事を書くと少々失礼かも知れないが、例えばH先生の日記を読むと、今日はど こそこで飲んだ、昨日はなんとかの小説を読んだ、明日はチェロをひきに行こ う、あそこのバーは雰囲気が良い、どこそこの店はしゃれている等々「遊んで ばかりいる」印象を持ってしまう。しかし、実際にH先生が遊んでばかりいる かどうかは別として、いざ自分のテーマと取り組むべき問題が決って研究モー ドになってしまうと、日記に書く事としては案外そういう感じのものになって しまうのだという気がする。

9月15日(金)
祭日である。今日は自宅で荷物をまとめたり、チェックしたりして過ごそうか と思っていたが、何となく面倒くさくなって、大半の作業を明日以降に延期す る。期限のうんと前からバタバタあわてるくせに、直前になると力が抜けて手 抜きをするというのは、昔からの悪い癖である。要するに詰めが甘いわけだ。 今までの人生で、詰めの甘さで失敗した事は数え切れない。雀百まで踊りを忘 れず、か。

昨日あたりから少し生臭い話が巻き起こり、4月に数理科学科に移籍して 以来ずっと続いていた躁状態にストップがかかる。内容はさすがにここには書 けないが、少数の恵まれた立場の人々を除いて、数学者は何処へ行っても、圧 倒的に不利な状況の下で、常に周りからの圧力と闘って生きていかなければな らないのだ、という事を改めて思い起こした。本当に楽しい事をしたければ、 闘わなければならない!これは古今東西変わらない事実だと思うが、幸運なこ とにここ数ヶ月の間忘れていたのである。 事態の行く末が気になり、後ろ髪 を引かれる思いがするが、ここはひとつサッパリ忘れてドイツでの研究に専念 するのが大事なことだろうと思う。

9月16日(土)
昼頃に大学へ。今日は研究室の整理をしたり、持ち帰るものをまとめたりといっ た作業を中心に行う。まあ、一種の「身辺整理」である。いつも使っていたノー トパソコンは既に持ち帰ってカバンの中に入れたので、あとしばらくは普段使 わない古いディスクトップPCを使うことにする。

昨日夕方、買物に行ったついでに近所のH先生の自宅に寄ってみた。留守で ある。しかし、夕方4時頃大学へ向かったという情報を得る。「夕方4時に大 学」ねえ。うーむ、どうやらまだ時差ボケでのたうち回っているようだ。H先 生が国際ビジネスマンみたいに、眠いのを無理矢理起きているとか水泳をする とかやって、1〜2日で時差ボケを解消すべく努力する人とは思えない し。現地での話とか、聞いておきたい気もするが、どうやら彼と会うこと無く 終わりそうだ。

「身辺整理」が早く終わったので、早目に大学を出る。夕方6時前頃、H先 生宅前を通りかかったところ、部屋の灯りが点いていたので立ち寄ってみる。 留守?おそらく時差ボケの続きで、部屋で気を失っているのであろうと思い、 立ち去る。まさか、数10メートル先のA先生のウチに「ちょいと醤油を借り に行っている」わけでもあるまいに。

以前、滞在予定先の教授が「空港まで迎えに来よう」と言っていたので、 昼過ぎに確認のメイルを出したのだが、夜その返事が届いていた。この時期の 日本はご存知台風シーズンである。場合によってはフライトが大幅に遅れるこ ともあり、その時は現地到着が夜中になるかもしれない。そういう場合は迎え に来てもらうのも悪いし、空港近くに一泊して翌日自力で大学のある町まで行 こうと思っていたのだが、「空港までそう遠くもないし、フライトが遅れたら、 一旦帰ってまた出直してくるから心配無用」との事。な、何て親切なんでしょ う!私は「まわりは敵ばっかり」という世界を渡り歩いてきたので、人に親切 にされるとかえってオタオタしてしまう。

しかし、地図で物理的距離を測ってみると、「空港までそう遠くもない」 というのもちと疑問である。なあに、アウトバーンを時速200キロでぶっ飛 ばしてくれば、ドア・ツー・ドアでほんの30分さ、いつもやってる事だよ、 なんて事もありそうである。だとすると、当然教授のBMWかメルセデスかに乗 せられて、夜のアウトバーンを時速200キロで宿泊地に向かうこともありう る。いきなりアウトバーンで時速200キロかよ...あな恐ろしや。

9月17日(日)
出発に向けて荷物を詰めたり、買物に行ったりといった調子で終日すごす。夕 方、H先生に「いつまでも雲隠れしてないで、姿を現すべし」という"怒りのメ イル"を出す。しばらくして「たぶん明日から大学へ行けると思う」との返事 がくる。一瞬、この人は現実世界ではなく、ネットの中だけで存在する仮想的 存在なのだろうか、という感覚に襲われる。

何だか最近数学の方は休止状態である。これ以上悶えていてもしょうがな い、あとは現地の連中と議論しながら考えよう、といった(少々焼け糞な)気分 もあるし、必要な本や資料は既に鞄に詰めてしまったこともある。出発の準備 と言っても、もうそれ程やる事もないし、オリンピック中継を横目に見ながら 残された日本での日々をのんびり過ごそうかと思う。

9月18日(月)
午前中野暮用にて山科の町をうろつき、山科駅で昼食をとる。昼食はA先生御 用達パスタのジローへ行ったら、案の定A先生が現れる。先に昼食を済ませた ので、A先生を残して一足先に大学へ。

大学へ行ったら時差ボケ地獄から復活したH先生が来ていたので、彼の部屋 でくっちゃべる。彼のパソコンのハードディスクをクラッシュさせた(?)世紀 の大論文のプレプリントを頂戴し、単にチェロの練習をするためだけに英国に 行っていたのではなかったのだと知る。立派な事である。

途中A先生も合流し、美しい話、生臭い話色々折混ぜて2時間程過ごす。H 先生は自分は学生時代よりも頭が悪くなったとお嘆きであった。A先生は、自 分は元々頭が悪いから平気だという(御謙遜を!)。私も似たような意見である。 しかし自慢じゃないが、私はさらにその上を行っていて、学生時代よりも頭が 良くなったような気分でいる。単に鈍感になってしまって、「わからない!」 という状態が長く続いても一向に気にならなくなっただけだ、という説もある が。わからないのが当り前で少しでもわかったら儲けものだ、という気分でい ると、歳を取っても平気でいられるような気がする。これは若い時にさんざん 馬鹿だ阿呆だと言われ続けていた効用でもある。

「生臭い話」とは、私の躁状態をストップさせたある出来事であり、何時 の世も何処においても数学者は常に迫害と虐待の中で人生を歩まねばならない という事実のひとつの現れでもある。まあ確かに大変な事が起こりつつあるの だが、数学者への迫害と虐待は今に始まった事でもないし、昨今珍しくも何と もないのだから、あまり気にするものでもないような気がしてきている。

という事で、大学内のゴタゴタは他の人に任せて、私はしばらく雲隠れす ることにしよう。