汽車ポッポおじさん


常に煙を吐いているのでそう呼ばれる。この人の老後は間違いなく 「煙草好きの好々爺」である。萩原朔太郎の薬パラノイアみたいに 箪笥のなかにいっぱい色々煙草が入っていて、出かける前に必ず 「今日はどの煙草を持っていこうか」と悩むのである。 そしてこの爺に煙草を求めると、「兵隊達の中には質(たち)の悪い のも混じっていて標的の図星をわざとはずしたりした。捕虜が息 を吹き返すと空には涙のような星がさめざめと泣いていた... これはそういう類の煙草です。」などという講釈を垂れてからで ないと渡してくれないのである。

<<註>>:汽車ポッポおじさんは新しい煙草を見つけては「高山さん、 こういうのがありますよ。」なんて嬉しそうに持って来たものである。 この人は一つ間違えると煙草屋の角で張り込んでいる”煙草ポン引き” になりそうだな、と思った。 しかしこの汽車ポッポおじざんも、結婚後間もなく禁煙をし、現在は 健康的な人生を送っているため、「煙草好きの好々爺」は実現しそうにない。 学生時代にも禁煙宣言をしては、禁断症 状のため時々後輩から煙草を巻き上げる等の「悪行の限りを尽くして おりました」そうであるが、最後の禁煙の時も、休 憩時間に、当時ではICOTでも数少ないグラフィカル・ゲームが動く コンピュータで遊んでいる人をありとあらゆる方法で無理矢理追い出し、 血走った目で独占し続けるなど、禁断症状に耐えるためとはいえ 「悪行の限り」を尽くしていた。
喫煙者は喫煙時も禁煙時もすこぶる迷惑な存在であることを自覚しな ければならない。