福の神?!知のダボハゼ・ウツボ人間


雀荘で「太陽が黄色く見える朝」を迎えながら学生時代を送った、燃え尽き症 候群とはおよそ無縁の全共闘世代の人であり、お行儀の良い学問での秀才ぶり を競う、ポスト全共闘世代とはひと味もふた味も違う知のダボハゼ人間である。

計算機科学の世界は、怪しげなアイディアが出るたびに人々が群がり、 その底の浅さが露呈しかかった頃合いを見計らったように、また新しい怪しげ なアイディアが出て人々がそちらにわっと移動する、というお昼のワイドショー的活 況を示している。話が怪しげであればある程良く盛り上がる。 理論的な分野でもそれは同様で、「儲かりそうか、否か?」 という商売人の論理の歯止めがかからないだけに、よりワイドショー的とも言 えなくもない。
その中で、私などは猫が餌らしきものの前でくんくんと注意深 く匂いをかいで安全を確かめるように、新しいものを前に「まともなアイディ アか否か?」に神経質になる習性がある。しかし、知のダボハゼ氏はとにかくパクッ と飲み込んでしまう。消化の悪い物でも5つの鉄の胃袋をぐるぐる循環させ、 時々口に戻してモグモグやっている。

この節操無き「ワイドショー」大好きミーハーおじさんの真髄は「ウツボ」で ある。無の記号化である「ウツボ」は、あらゆるものをその無の中に取り込め る。「ウツボ」の目指すところは、「自然言語の意味を理解するとはどういう ことか?」というすこぶる哲学的問題であり、「ウツボ」であるがゆえに取り 上げることができる計算機科学を越えた由緒正しい問題である。

かつて私はダボハゼ・ウツボ氏の偉大なる学問にひかれ、押しかけ弟子をやっ ていたことがある。氏の「無節操」ぶりは路地裏観察学にまでおよび(?)、路 地裏を一緒に歩いていて1万円札を拾った事がある。無欲の人ダボハゼ・ウツ ボ氏は1万円札の処理を私に一任したが、それがどうなったかは、ここでは書 かない。