山谷(さんや)のヨースケ


何せ考えのそれほど広くない、押し着せの「世間の常識」を公理集合として、 単純な推論規則を3回程使って人生のあらゆる出来事を考える人である。とも すれば、一介の凡夫にとどまったであろうこの人を俄然際だたせているのは、 ひとえに異常な程鍛え上げられた「筋肉」である。

鬼の吐息に草木は枯れ、時はただれ、
その牙にて善男善女を食らう。
見よ!その筋肉は三千仏の法力と渡り会う。

「筋肉」への強い指向性と、作り物のように鍛え上げられた肉体に対する自己愛が、 この人の全てを決定している。別に筋肉の形而上学など考えない。なぜなら、 あらゆる「筋肉的なもの」を彼から取り去ったら、あとには「考えのそれほど 広くない、押し着せの世間の常識を公理集合として、単純な推論規則を3回程使って 人生のあらゆる出来事を考える人」でしかないのだから。

山谷(さんや)の生活に休み無く、
呼吸する水脈、呼応する筋肉。
この人は明日を質問攻めにはしない。

この人は、結構わがままに育てられているところがあり、小児の情緒が堅い筋 肉の容器で厳密に保存され続けている。

歩く毅然は食べる撫然となり、
世界は自分で、自分は世界で
手の平までが僕を裏切り始めた。ちぇっ。

しかしながら、「人徳」とはまさにこの人のための言葉であろう。 鬼のような筋肉と、あらゆる「筋肉的なもの」を支え る、あまりに平凡な人格との不調和がつくりだした、この自然の創造物 は、なぜか人の心をなごませるのである。

時は鬼によって凍らされ
空間は空白に落ちぶれていた。
鬼はあなたの心から私の心へ。