あとがき ーー 誰が阿呆やねん?!ーー


19歳の頃の私は、「だだの馬鹿な学生」であった。大学でも教授や学友に馬 鹿だ阿呆だと言われ続けていたような気がする。(今でも当時の指導教官に会 うと、”馬鹿学生の成れの果てである自分”という存在を思いきり意識してい まうので、余り精神衛生上よろしくない。) しかも、場所が数学科なので、御 丁寧にも”私が阿呆であることの証明”をいちいちキチンと示してくれるから、 たまらない。私は結構プライドが高いので、2、3回”証明付き”で馬鹿だと 言われると、その人に会う度に同じ事を言われているような気分になる。ただ こちらを見て微笑んでいるだけでも「あ、高山の阿呆が来た。」とアザ笑われ ているような気分になるのだ。こういう人生を送っていると、なかなか自分を 好きにはなれない。で、今でも私は19歳の頃の自分は余り好ではない。

「ICOT人名鑑」を書いていた29歳の私は、「ただの頭のおかしい会社員」だっ たのだが、この頃の私は結構好きである。学生時代には、「大学を卒業して社 会に出てしまったら面白い事なんて何も無い」と堅く信じていたのだが、計算 機屋の世界がそうなのか、社会というのはそもそもそうなのか知らないが、あ まり人から馬鹿だ阿呆だと言われる事がなくなった点が良い事である。ーー困っ た奴だ、と言われる事は増えたがーー。これは精神衛生上大変よろしい。逆に、 私が認定した人間を除いて計算機屋なんで皆阿呆だ、という気分がみなぎり、 「天下無敵モード」になり始めたのもこの頃である。私は29歳前後に大学時 代に言われ続けて来た「阿呆だ馬鹿だ」の蓄積を色々な形でほとんど全て発散 したようである。旧版「ICOT人名鑑」を読み返すと、良き友人に恵まれ、無敵 モードに入っていた当時の発辣とした気分がよみがえってきて、何とも気持ち がいい。

39歳を前にした今、「ICOT人名鑑」を復刻改訂した。「天下無敵モード」は 私の属性として定着し、ふてぶてしいオジサンぶりが板についてきた観がある が、今となっては誰が阿呆だろうが誰が馬鹿だろうが、どうでもいいような気 分になってきている。「何でもありや!おもろいやんけ」モードに入りつつあ るようだ。改訂版「ICOT人名鑑」にそのことが現れているかどうかは、読者諸 賢の判断に任せたい。