獰猛なる永遠の稚児?研究は格闘技だ!型上司


「真理はひとつ」となどと考えるのは、せいぜい大学の学部生あたりまでで、 大学院生以上になると、「真理はボスの数だけ存在する」と知る。もう少し正 確に言うと、真理なんてそう簡単に発見できる訳がないから、真理に至る 道筋で研究の善し悪しを判断する事が日常的となる。その道筋をたどっていけ ば本当に真理にたどりつけるかどうかは神のみぞ知るで、「これが正しい道な のだ」と強烈に信じ、かつ政治的野心と手腕にたけた人がいて、それに同調す る人が一定数数以上になったときに”ボス”が誕生する。ボスの信じる「正し い道」を認めてしまえば、そこから先は明確な論理が展開し、研究業績の善し 悪しや、研究の進歩は比較的正確に判定できる。しかし、「正しい道」そのも のはは、神の心中を察して得られた御宣託なのだから、論理的根拠などは、そ もそもあり得ない。「信じるもののみ救われる」なのである。

この上司からは以上の事を学んだ。なんだか”ボス”というのも大変である。” ボス”たるもの、研究の善し悪しを「客観的かつ公平に」判断しようとしては いけない。大体誰が最も神の心を知り得るか?という真剣勝負をしているのだから、 「客観的かつ公平な判断」などという人間世界の馴れ会いのような事は、そも そもまやかしである。「我こそは神の御宣託をうけた選ばれし者ぞ」と信じ、 常に自分の好き嫌いだけで物事を判断すればよろしい。それこそが最も正確な 方法なのである。そして好き嫌いを峻別する曇無き目は、稚児の心を持ち続け られる者のみが持つ事ができる。

うーん。これは大変だ。

善人なおも往生す。まして言わんや悪人をや。

立派な研究者たるもの、かように脂切った精神の持ち主でなければならない。 私なぞは、淡白な人であるから、この上司のようになる事は無理だし、この上 司に共鳴するにはちょっと趣味が違い過ぎる。まあ、「善人なおも往生す。」 と言うから、これを心の支えにぼちぼちやって生きましょう。