某研究所でデータフローマシンの研究をやっていて、日本の非ノイマン型計算 機研究の黄金時代を築いたのだが、その上司もまたこの人の大学の先輩でタダ モノならぬ大物であり、何だかんだと言いながら ーー 実際その先輩については 「何だかんだ」と言っていたようであるーーと腐れ縁(?)でガッチリ結び付いた 九州人名コンビであったという。
現場第一線の研究者をやっていたある日突然、ICOTに出向となり、管理職を命 じられた。「まじめに」管理職してーーこれは外交辞令であって、本当のとこ ろはほんの一時期を除いて大いに疑問符がつく管理職ぶりであったーーいたの もつかの間で、とうとう一方的に「私は管理職をやめる!」宣言をし、管理職 のルーチンワークは部下に押しつけて研究に復帰した。
とは言ってもICOTはデータフローマシンの研究を続けられる状況ではないし、 一体何をやるのだろうと思っていた。すると、しばらくは愚図愚図としていて データフローマシンの研究をまとめて学位を取ったりしていたが、その後計算 機アーキテクチャの研究からはスッパリと足を洗い、180度方向転換して定 理自動証明システムの研究に乗り出した。この辺の思いきりの良さは、計算機 科学に限らず真に優れた研究者と能天気で無能な研究者の両方に見られるもの で、中途半端な研究者は、過去のささやかな成功にしがみついてしまって、な かなかこういう思い切り方はできないものである。
ところで、失礼ながら、電子工学出身のハードウエア寄りの(当時)30代後半 の研究者が、今さら全く畑違いの数学基礎論とか計算理論とかが深くかかわる 定理自動証明の研究ができるのだろうか?と大いに疑問を持ち、かつ冷やかに 見守っていたのだが、今や並列定理自動証明システムの研究で大成功をおさめ、 その分野の第一人者となっている。それまでの過程がちょっと凄い。
一体こういう驚異的(脅威的?)な集中力は、九州男児の真骨頂なのか? 個人的資質なのか?彼の出向元である天下の某研究所の気風か?それとも 酒の力か?