外書購読攻略法

     数学科に外書購読なる講義があるが、学生諸君はあまり力を入れていないらしく、 担当の先生がよくこぼしているようだ。結論を先に言えば、外書購読は絶対に 役に立つ!学問的立場からは勿論、功利主義的立場からも役に立つ!私が英語 の数学書を読むようになったのは大学2回生の頃である。私の通っていた大学 では外書購読なる科目は無かったが、ちょっと、というより「かなり」背伸び して参加した先輩達の自主ゼミは英語の文献をテキストにしていた。 代数は群論をちょっとやっただけでHartshornのAlgebraic Geometryを読もう というのだから、天才的秀才ならざる私としてはかなり無理があったのは 当然のことであった。結局数学の内容はよくわからなかったが、数学英語の勉強 にはなったし、4回生の卒研ゼミで英語のテキストを読む時にも苦労しなくて済ん だ。さらには就職してから、計算機科学関係の文献を読む時にも大いに役立っ た。最近では計算機科学も普通の技術者ならば日本語の文献だけで何とななる ようだが、ちょっと上を目指して新しい技術の開発技術者や研究職でやってい きたければ英語の文献は絶対に避けて通れない。逆に言えば、英語アレルギー でいる限り、まともな研究指向の職への道は永久に閉ざされるのである。科学 技術英語は文学作品や新聞の英語に比べればはるかに簡単である。ちょっとの努力で 早いうちに英語アレルギーを無くしておけば、数学から離れた職業に就いてもきっと役に 立つ。だから「私は英語はダメなんです」なんて言って英語の文献を極力 避けて通ろうと色々「努力する」なんてのは、愚か者のやる事としか思えない。

     数学英語をモノにするにはそれなりのコツがある。たぶん10人の数学者に聞 けば10通りの方法が語られるであろうが、私の方法は「ずぼら主義」である。 初めて英語の数学書に触れる人にとって一番の難関は専門用語と独特の言い回 しである。こういうのをいちいち普通の辞書を引いて調べてもくたびれるだけ だし、得るところも少ない。普通の英語の辞書に数学用語なんて殆んど出てい ないからだ。最近は数学用語英和辞典なるものも出ているが、こういうのを使 うのも「ずぼら主義」の精神に反する。まず英単語の攻略法だが、これはしっ かりした日本語の教科書の索引を使えばよろしい。例えば裳華房の数学選書シ リーズ(「可換体論」(永田雅宣)や「線型代数」(佐竹一朗)や「多様体論」 (松島与三)などが出ているシリーズ)や岩波全書(「群論」(浅野・永尾)や 「関数論」(吉田洋一)などが出ているシリーズ)の索引には、数学用語の全てに 英訳がついている。こういうのを使えば単語対策は大体終りである。次に独特 の言い回しの攻略法だが、まず同じような事が書いてある日本語の文献で対応 する所を見付けて見比べてみて、「こういう時はこういう言い回しをするのか あ。なるほど!」と納得すればよい。日本語の翻訳本があればそれでもいいが、 翻訳本でない方が早く力がつくと思う。数学用語や独特の言い回しは文学作品 と違って無限にある訳ではないから、このようにして日本語の本と見比べなが らしばらくやっていけば、比較的短期間に攻略できるはずだ。また、代数、 解析、幾何全ての分野で同じ事をやる必要もない。どれか一つの分野について やっておけば、後で述べるような理由によりほぼ十分なのである。

     日本語の和訳を作るなどというのは、「ずぼら 主義」の精神に真向から反するものであって感心しないし、第一いつまでも浮 袋にしがみついて水泳の練習をするようなものであるから、かえって上達に時 間がかかる。最初から英文和訳は一切作らないように取り組むべきである。一 度日本語のテキストと見比べたりして意味がわかったら、そのままにしておく。 しばらくして一度調べた日本語の意味の記憶がおぼろげになってきた頃に、も う一度英文を読み返してみる。今度は記憶がおぼろげな部分をまじめに英語を 読んでそのまま意味を理解するように努めるのである。この際、やっぱりよく わからないとなれば、また日本語のテキストを上記の要領で調べ直せばよい。 二度手間になるかも知れないが、こういう事を無駄だと思って局所的な効率化 を図り、大域的な効率をダウンさせるのは愚か者のやることである。だいたい 和訳を書いたノートをちゃんと保管管理して後で見返せるようにしておくなん て、そんな面倒はまっぴらだ!と思う心が大切である。和訳を書いたり、ノー トを保管・管理しているといかにも勉強している気分になるかも知れないが、 手足が動いているだけで頭は働いていないのである。頭を使わない限り上達は あり得ないのだ。

     こんな風にしばらくやっていると、そのうち英 文を英文のまま理解できるようになる。新しい単語が出て来ても、数学書とい うのはその意味をちゃんと(英語と数式で)定義してあるから、この英単語はこ ういう意味なんだなとそのまま受け入れられるようになるのである。かくして 数学者は日本語訳を聞かれても答えられない英語の専門用語をいっぱい知って いるのである。それで何の不自由もない。このレベルに達しればしめたもので あるし、そこへの道はちょっとした心掛けさえあれば決して至難の道ではない のである。