数学と計算機科学

私の大学受験生時代は、計算機といえば大型計算機を意味する時代で、ファミ コンもインターネットもコンピュータ・グラフィックスも無い時代であった。 ちょうど情報工学科なるものが、あちこちの大学で開設され始めた頃で、当時 の私のような数学好きの高校生に対して、「数学科では飯が食えんぞ。情報工 学科ならほとんど数学科と同じようなものだから、そちらに進んでもいいので はないか。」とか「情報工学科に進むのなら、数学が得意でないとだめだぞ。」 という「大嘘」が進路指導としてまかり通っていた。

確かにその時代には、情報工学科の学生といえば数学好きと相場が決まってい たようだし、当時の計算機科学はまだ数学や電子電気工学の影響下にあったので、 大嘘というのはちょっと言いすぎかも知れない。しかし1990年代後半の現 在、情報関連の学問は独自の発展を遂げ、数学や電子電気工学とは一線を画す ようになってきている。計算機科学の中でも数学とは技術的にも思想的にも何の かかわりも無い分野も少なくない。また、情報関連の学部学科の学生も、数学 嫌いというのが普通の姿である。日本語の文章に中学3年生か高校1年生程度 の簡単な数式が入っただけで、全く内容が理解できなくなる学生も別に珍しく はない。

だから、現在では数学が苦手で電気や機械や建築・土木関連はちょっと無理、 しかも国語や社会も苦手なので社文系の学部学科もちょっと無理という生徒に 対して、情報関連の学部学科を勧めるという進路指導がされているのではない かと推察している。情報関連は時代の華だし、当面食いっぱぐれはないだろう から悪い事ではない。それに、情報関連の職種は幅が広いから、どういう能力 の人でもそれなりに仕事を見付ける事ができる。私の時代のような「大嘘」進 路指導は、もはやどこの高校でも行っていないであろうと信じる。
 

  •  「コンピュータ・プログラムという数学の塊」???
  • 計算機科学の中には、数学とは技術的にも思想的にも何のかかわりも無い分野が 少なくないのだが、そういう分野でも実は数学が微妙に関係しているように思 う。以前NHKのクローズアップ現代という番組で、キャスターの国谷さんが 「コンピュータ・プログラムという数学の塊」と言うのを聞いて、私は思わず 「無茶苦茶言うなあ」と吹き出したのだが、考えようによっては真実を突いて いる。

    私の勤務する大学の教員の間では、良いプログラマを育てるために数学を教え るというのは全くナンセンスである、という確固たる認識がある。まあ、この 考え方は、私としては完全には支持できないのだが、確かに数学を全く知らな くてもプログラミングはできるし、数学大嫌いのスーパー・プログラマも実際 に数多く存在する。しかし、数学が好きか嫌いかは個人の趣味の問題だが、例 えば高校レベルの数学が全く理解できない人が、コンピュータ・プログラムの 複雑な構造を理解するのは難しいのではないかと思う。特にコンパイラやオペ レーティング・システム、ネットワーク制御プログラムといった、基本ソフト ウエアと呼ばれる計算機の心臓部分にあたるプログラムの構造を理解するのは、 ほとんど不可能と思われる。コンピュータ・プログラムと数学は一見全く似て いないし、多くのプログラムは数式を計算するような処理とは無縁の処理を行 うものである。しかし、プログラムを設計したりプログラムの誤りを見付けた り、改良したりする時の頭の働かせ方は、数学を考える時のそれとほとんど同 じだからである。

    実際、私の勤務する情報学科では、数学好きの学生はほとんど皆無であるが、 数学が得意な学生は少なからず存在する。数学は嫌いだけど、単位を取るため にいやいやながらでもやればできる学生達である。そういった学生の多くは全 般的に学業成績が優秀である。 また、数学出身者の中にはスーパー・プログラマに成長する人が少なくない。 計算機の事を全く勉強しなかった数学科の学生達が、昔から情報関連に数多く 就職できたのも、計算機科学をきちんと理解できる思考力を買われてのことだと 思われる。かつては、数学出身者はほぼ自動的にオペレーティング・システム かコンパイラといった基本ソフトウエアの開発部門に配属されるような時代も あったようである。

    近年数学関連の学部学科で、数学だけでは就職できないという理由で、計算機 関連の科目をカリキュラムに加える事が多くなってきたが、これはまた別の事 情であろう。すなわち、不況で企業が浮き足立っていて、1〜2年の教育期間 を惜しむようになり、「即戦力」を求めるようになった事(その程度の余裕も 無い企業に一体将来はあるのだろうか?)、そしておそらくひと握りの大学を 除いて、数学科を出たといっても必ずしも数学をまともに理解し、数学の思考 力がついているとは限らない事、数学科の主な就職先であった中学高校の教員 の採用枠が大幅に減少し、情報関連に数多く就職させなければならなくなった 事、そして近年の風潮として「すぐに役に立ちそうな」ことをやってないと、 色々風当たりが強い事、などが関係しているのであろう。

    これは数学の研究者養成大学では、多少の例外はあるものの真実 である。私が学んだ大学の数学科は、紛れもない研究者養成機関であった。研 究者養成大学とは、極端に言えば「1人の天才を生み出すために、99人の廃 人を作る大学」である。大学側から廃人と認定された者は社会に放り出され、 「数学崩れの廃人」として一から人生をやり直すのである。

    そこは、2回生終了の時点でほぼ全員が数学者を目指しているという、 異常な所であった。「自分は高校教師になりたいから数学科に来たのであって、 数学が好きだか来たわけではない」という不思議な考えを持つ学生は皆無である。 しかし、3回生になり本格的な数学の講義や演習が始まると、バタバタと「第一次 落ちこぼれ学生」が発生し、彼らの数学者への夢は雲散霧消する。その多くは 4回生の「卒研ゼミ」(数学講究)を選択する時点で、数学を選ばずに計算機科 学を選び、情報関連技術者への道を考えるのである。その他の学生は、4回生 になっても数学にしがみつくものの、大学院入試に失敗し「第二次落ちこぼれ」 となって渋々情報関連か金融関連に就職する。大学院入試を突破した学生も、 大学院博士課程に進学を拒否されて「第三次落ちこぼれ」となって、やはり渋々 情報関連か金融関連に就職する。では、大学院博士課程を無事終えた数少ない 学生はどうなるか?ある者は大学の数学教員として就職し、ある者は予備校や 塾や高校等の教師となり、例外的に情報関連か金融関連に就職できる者もいる、 といったところである。ここで大学教員の職を得られなかった者もやはり「第 四次落ちこぼれ」である。このような数学科における「落ちこぼれ」の階層を考えると、世俗 的な意味では第一次か第二次落ちこぼれあたりで手を打って、数学者以外の道を考え るのが賢いやり方だとも言える。

    いずれにせよ、数学科では優秀ならざる学生が情報関連に進むのである。近年大学院が拡 充され、学部学生の8割程度が大学院に進学できるようになった。これは、大 学院修士課程にかつての「第一次落ちこぼれ」と「第二次落ちこぼれ」が合流 することを意味する。当然数学をまともに理解できないくせにアカデミックな 事に憧れるという、かつての私のような(!)困った学生が大学院に溢れ返るこ とになる。数学科の大学院修士課程が、かつてのように数学者予備軍のエリー ト達にしのぎを削らせる場所ではなくなる。すると教官の間から「出来の悪い 学生には、計算機でもやらせておけばよい。」という意見が出るのである。 「誰もが現代の数学のように高度に抽象的な学問を理解できるとは限らない。 『頭の悪い』学生には、計算機で何か計算させるような具体的な事をやらせれ ばよいし、その方が民間企業等への就職にも有利だろう」という訳である。 最近では計算機好きの優秀な若手数学者も輩出しているし、 数学の研究において計算機実験を行う事も増えているから、 この意見には全面的には賛成しかねるが、一面の真実を突いていることは確かだと思う。 『頭冴え冴え』の教官達に露骨に見下される立場の学生は、たまったものでは ないと思われるが、これが数学の厳しさだとも言える。 しかし、これぐらいでいちいち腐っていたのではどうにもならないのである。