「分数ができない大学生」

    「分数ができない大学生」という本が出たり、各種週刊誌の記事、さらに日本 数学会の調査報告等で大学生の数学の学力崩壊が問題になっている。曰く、数 学の授業時間の激減や少数科目入試の影響で、大学の勉学に最低限必要な数学 の学力が絶望的に落ちていて、いわゆる補習授業程度ではとても対処できない。 曰く、理工系のみならず文系の経済学や経営学でも数学が益々必要になってい るにもかかわらず、入試での数学を事実上廃止したため、中学程度の数学の学 力しか無い学生が大量に発生し、全く教育が成り立たない。曰く、数学の学力崩壊の背景 には、単なる理数系離れではなく学生の「勉強離れ」があって、それが学問の 性格上数学に顕在化している。曰く、国際的に見てここまで数学がないがしろ にされている国は日本をおいて他になく、欧米先進国やアジア諸国では、文系 理系を問わずむしろ数学教育を強化しており、このままでは21世紀の日本は 競争力を失い衰退を余儀なくされる、等々。

     深刻な問題であることは確かであるが、深刻だと思っているのは数学教育関係 者だけなのであって、それ以外の人々はこの問題には関心を持とうとしない のではないか。 数学関係者だけがいくら騒いでいても、他の人々が「どーでもいいこと」と思ってい れば、物事何も良くならない。「だからこそ、数学教育関係者以外の人々にも 理解を求めなければならないのだ」というのは正論であるし、 それに水を差すつもりは毛頭ない。しかし、私自身はいまひとつ「啓蒙活動」をしようという 元気が出ない。

      人の考えを変えることは大変な事である。私はその事を身をもって知っている。 私は現在情報学科に所属しているが、例えば「分数ができない大学生」なんて 本を、我らが同僚達が手に取ることなんて恐らく無いだろうし、 内容を聞いてもまあヒトゴトとしか思わないと断言できる。例えば最近アジア やインドでソフトウエア産業が急速に伸びているそうだが、その背景には数学 教育に大変力を入れている「事実」があるのだと言っても、やはり何とも思わ ないだろう。もっとも私はこの「事実」を自分で確かめた訳ではないが、どの みち相手は聞く耳を持たないのだから、無理して確かめることもあるまいと思っ ている。彼らにしてみれば、それは中高校や一般教養の数学教育の問題なので あって、それはそれでちゃんとやってもらえば良い訳で、我々の問題ではない、 といったところであろう。しかし数学教育の問題は、学生のプログラミング教 育やソフトウエア設計の教育がなかなか思うような効果を上げられないという 問題に深く関係しているのだから、そうヒトゴトのようにばかり思ってられな いと思うのだが。まあ、彼らがどうでもいいというのだから、どうでもいいの でしょう。何も私の勤務校の情報学科だけで、情報科学全体を支えている訳で もないし。

     もひとつ元気が出ない理由は、「私学の論理」とかいうものの存在である。要 するに私学は世の中の流れと学生のニーズに応えて経営を成り立たせて行くの だから、世の中的に数学教育が軽視され、学生はおしなべて数学嫌い(という より論理的に複雑な事が嫌い)なのだから、それに反する教育を無理して行う のは間違いなのである、という論理である。何だか気骨の無い話だが、「受験 生に嫌われて、大学が潰れたらどうする!?」とスゴまれると、「まあどうで もいいや。ウチの大学だけで日本の将来を支えている訳でもないし。」いう半 ばヤケクソな気になる。もっともこれは私の所属する大学に限らず、全国の私学 や地方国立大でも似たような状態であろうと思う。 旧制帝大級の大学だと、流石に勉強嫌い数学嫌いの学生は入学できない だろうから、「そちらの先生方、日本の将来のために自らの信じる高度な 教育に邁進してください」と言いたいところである。 しかし旧制帝大級の大学でも、ずいぶん旗色の悪い話ばかりが聞こえてくる。

      こうなると、「何も日本だけが世界の将来を支えているわけでもないし」と考 えるのが正しい。落ちるところまで落ちれば良いのである。日本の数学教育が 壊滅状態になったあかつきに、もしまだ経済力が残っていれば有為の人材を 海外に求めればよいし、経済もダメになっていたら100年ぐらいかかって一からやり直 せば良いのである。何も死ぬ訳でもあるまいから、どんと構えて行きましょう。しかし最低限の種籾ぐらい は残しておかないと本当に困るだろうから、数学が好きな学生は大事に育てな ければならないし、一人でも多くの人が数学に夢を持って世の中に出て行ける ように努力しなければならないと思って、私なりに頑張っているつもりである。 ヨーロッパの政治力も経済力も小さい国では、 数学に限らず高度な学問に対する人々の敬意が非常に高い。最近亡くなった 世界的数学者エルデスは、世界中を旅しながら数学を研究していた「放浪の数学者」 で、母国ポーランド[ハンガリーが正しい。2000年4月10日]には某大学に籍を置いていただけだそうである。 しかし、ポーランド[ハンガリーが正しい。2000年4月10日]の国民は「エルデスはわが国に籍を置いていたのだ」 と非常に誇りに思っているそうである。麗しい話だと思う。 まあ、日本も落ちる所まで落ちれば、そういう国に変わっていける希望が無いわけでも なかろうと思っている。 ということで、私は「数学教育の崩壊」の問題を、 割合楽観的に考えてるように している。