透明人間

     数学に転向した当初、計算機ボケした頭を数学に切替えようとして色々な数学 の学会に参加した。学生時代にお世話になった先生達や先輩、同級生たちが、 それぞれ少しずつ歳をとったものの昔のまま活躍しているのを見ると、なんだ か別世界にタイムスリップしたような気がしたものである。面白いことに、彼 らは私を見ても全然わからない。これは無理もないことかも知れない。数学科 では私のように会社に就職したりして数学を離れることは、この世から消滅し てあの世に行ってしまったのも同然である。あの世に行ってしまって10年近 く経つ人間がまさか戻ってくるとは思わないのであろう。彼らにこちらから名 を名乗って僕を覚えているかと聞くと、5秒ぐらい何のことだかわからないと いった顔をして、それからえらく驚く。俺は幽霊じゃないのだからそんなに 驚かれても白けるんだよなと思ったが、こんな事なら黙って知らん顔していた ほうが面白いかも知れないと思った。周りに知っている人間がたくさん居て、 しかも彼らは自分に全く気づかないというのは、まるで透明人間である。子供の頃はよく一度でいいから透明人間になってみたいと思っ たが、その夢が実現したわけだからもうすこしこの状況を楽しんでやろうとい うのだ。

     私は計算機の学会ではずいぶん顔が知られていたから、学会で知人とばったり 出会ったり、ちらりと目が合ったり、自分の知らない人が声を掛けて来たりす る。それはそれで楽しい事だが、いつも注意していなければならない。ところ が、数学の学会では透明人間状態なのだから、誰の目を気にすることなく自由 にウロウロできるわけだ。そういえば、駆け出しの計算機科学者だった頃は、 やはり同じような状態だったわけで、久しぶりで若き日に戻った気持でもあっ た。これはいささか頼り無い感じとすがすがしさが入り混じったような気分で あり、自分はここから一からやり直せるんだなと思うと元気が出て来たもので ある。これはほとんど元旦の気分である。こうやって透明人間の私は、学会を 自由に漂い数学者達の色々な雑談を耳にした。

     面白い事に、数学者達は顔を合わせても案外数学の雑談をしないものである。 分野を狭く限った研究集会などで、お互い非常に近い問題を研究している数学 者の場合は例外である。このときは、雑談なんてものではなく突然深い数学 の議論となり、その場で共同研究が始まってしまう。それ以外の場合は、宿泊 しているホテルがどうだとか、子どもの受験がこうだとかいったたわいの無い 話をしたりして、私達は数学なんて興味ありませんよと言わんばかりの雰囲気 である。意識的に数学の話を避けているような感じすらする。これは計算機科 学者の集団には見られない傾向だと思う。 計算機科学者は、多少分野が違った研究者同志でも、最近どういうテーマが 注目されているとか、それは一体どういう内容のものなのかとか、 誰がどんな研究をやっているとか、お前が今やっている研究はどういう事なのかとか、 といった事をよく話す。数学者の場合、こういった雑談は、専門のごく近い研究者同志を除いて ほとんど交わされないようである。 数学は高度の精神集中を要求する激 しい学問である。また数学者の世界では、工学部と正反対にベテランが研究と直接関係の無い 仕事を多数引き受けて若い人に十分な研究時間を確保してやるという 習慣がある。したがって、ベテラン数学者の中には本人の意図と反して 研究の第一線から降りてしまって いる人も少なくないように思う。さらに、数学は各専門分野が高度に分化してそれぞれで進 化してしまっているから、少し専門が離れていると同じ数学者でも相手の言っ ていることがほとんど理解できないので、まともな話にならないこともある程 度事実である。また、自分が今考えている問題は、誰かに邪魔されたり出し抜 かれたりすることなく自分で密かに考えていたいという気持もあるので、お 互い相手をそっとしておいてやろうという気分が働くのかもしれない。それや これやが、数学の雑談をしない数学者たちの背景にあるのではないかと思う。

     数学者達の雑談でもうひとつ特徴的な事は、学生の教育とか教室運営とかいっ た教育者としての話題が多いことである。その多くは、学生の質が落ちてしまっ たとか、教室運営や大学運営について、数学者の立場から考えてとんでもない 事が進行しているとかいう、旗色の悪い話が圧倒的に多く、愚痴のこぼし合い といった様相を呈している。確かに私が数学に戻った頃から、日本の数学教育 や大学の理学部、工学部、教育学部等の数学教室は大変厳しい状況に置かれて いるから、この傾向は最近のことなのかも知れない。しかしながら、数学は元々 目先の利益に直結した学問ではないから、日本の知的風土においては何かと風 あたりが強いわけだし、エリート大学理学部などのひとにぎりの大学教員を除 いて、数学者のほとんどは大学組織においては数学の講義や演習を担当する一 塊の数学教育者でしかない。つまり彼または彼女が立派な数学研究者であった としても、数学研究者を目指す学生と深い議論を行うというふうに研究者とし て学生に向き合うことはあまりない。例えば、整数論で有名な研究者であって も、所属する大学では、単に学生から煙たがられている確率統計論の先生であっ たりするわけだ。だから、こういう話題が多くなるのも当然だという気がする。 こういった雑談から、数学者というのは大学組織を越えた所で結束が強く、そ の結束を通じて数学者達が研究活動を維持発展させていくための環境を守って いかねばならないという強い意識があることがうかがえる。

     このような雑談を耳にしたり、色々な分野の講演会荒しをして楽しんでいたの だが、少しづつ顔を知られるようになり、数学の世界での透明人間状態を卒業 しなければならない日も、そう遠くはないような気がする。