オペレーティング・システム

     オペレーティング・システムは、それを研究する立場から見ると結構面白い。 何といっても、計算機ソフトウエアの中で最大規模のプログラムであり、当然 その構造は複雑である。ソフトウエア工学、プログラミング言語、計算機アー キテクチャー、アルゴリズム論等々、計算機科学におけるありとあらゆるアイ ディアが結集されている、現代文明の最高技術のひとつだと言っても過言では ないと思う。特に、メモリ管理などを行うカーネル部分とプロセス管理を行う スーパバイザー部分およびファイル管理を行うファイルシステムは美しい構造 を持っている。また、ネットワーク制御プログラムや、それを使った オペレーティング・システムのネットワーク化は、現在でも魅力的な研究テーマ の宝庫ではないだろうか。これらは、それ自体は数理科学ではないけれど、 数理科学者からみても十分に鑑賞に耐えるものだし、挑戦に値するものだと思う。

     しかしながら、オペレーティング・システムを実際に研究するとなると、話は かなり違ってくる。理論的な美しさに酔いしれることができるのは、設計の最 初の時期だけで、それは長い長い研究期間全体のほんの一部でしかない。大部 分は、泥沼をのたうちまわるような、およそ理論的な美しさとはほど遠い退屈 でなおかつ神経をすり減らす作業の連続である。こういう期間をできるだけ短 縮するのがソフトウエア工学の目標であり挑戦なのだが、残念ながら現在のソ フトウエア工学ではほとんど太刀打ちできない。さらに、ごく短い期間でもオ ペレーティング・システム設計の美しさを味わえるのは、開発部隊の中のごく 一部の人である。そのごく一部の人になれるチャンスも滅多に無い事である。 それは、オペレーティング・システムをまともに研究し開発するプロジェクト がほとんど無いからである。

      オペレーティング・システムの本格的な開発プロジェクトが滅多に無い理由は、 それだけのヒト、モノ、カネを集めるのが並大抵でない事もあるが、何といっ ても、多大な投資をして良いオペレーティング・システムを開発しても、それ を普及させるには大きな壁があるからである。ユーザから見ればオペレーティ ング・システムが頻繁に変わるのは好ましくない。従って、IBM360系OSとか、 Windows98などのMS-DOS系とか、UNIX系とかの少数の系列以外の新しい考え方 のオペレーティング・システムを普及させるのは商業的にもほとんど困難であ り、当然企業も大きなリスクを賭けてまで新しいオペレーティング・システム の開発に投資することはしない。多くは既成のオペレーティング・システムに 少し手を加えるだけの改良研究であり、それは勿論技術者にとってはそれほど 挑戦的な仕事ではない。

      オペレーティング・システムの研究を大学で 行う事は、ヒト、モノ、カネの圧倒的な不足からさらに困難である。 最近はオペレーティング・システムの心臓部分を簡素化し、小人数ですこしずつ開発していける、 マイクロカーネルという考え方が出て来ているらしいが、オペレーティング・システムの 原理を十分理解して、開発作業にまじめに打ち込む優秀な学生を確保するだけでも、 大変な事であろう。情報工学科というものが誕生した20年程前には、 アプリケーションソフトの開発は他学部・他学科出身者でもできる。 しかし、オペレーティング・システムやコンパイラなどの複雑なシステム・ ソフトウエアの構造が理解でき設計できる人は、情報工学科でしか教育できな いのだから、そういう事を教育の柱にすべきだ、といった議論もあったようである。 しかし、現在そういう事をまじめに考えられる情報系学部学科なんて、 日本にはほとんど存在しないのではないだろうか。

     私は設計の中心メンバーではなかったものの、計算機を始めた初期に全く新し いオペレーティング・システムを最初から開発するプロジェクトに参加するこ とができた。最初はオペレーティング・システムの魅力にとりつかれたものだ が、上記の事情がわかってからは、こういうものは「遠くにありて想うもの」 であって、決して自分でやるものではないと思うに至った。計算機科学の現場 では、オペレーティング・システムの構造を理解する事よりも、商業製品とし てのオペレーティング・システムの使い方に精通する方が重要視される。頻繁 に繰り返されるバージョンアップに対応して、最新版の情報や、インストール 方法や設定方法についての情報を如何にうまく集められるかが大事なのである。 このような情報をいくら集めても、オペレーティング・システムの原理的な理 解にはつながらないし、所詮は人が作った物を永遠に追いかけているだけであ る事を思うと、オペレーティング・システムは過去の美しい思い出だけにして おくべきだと思う。