ここ掘れワンワン

数学に転向してから気付いた事であるが、数学を研究していく上で一番大事な 事は良い問題を見付けることのようである。計算機科学の研究においても良い 問題を見付ける事は大切だが、それは数学ほど困難ではない。単純な言い方を すれば、世の中で何が必要とされているか、それを実現するためには現在の技 術で何処が弱いかを順に探っていけば、おのずと問題は見付かるし、問題に対 して完全な解答を与えなくても、ある程度の進展があればそれはそれで良しと される。そして地道にコツコツやっていけば、必ずと言ってもいいほど何らか の進展は得られるものである。計算機科学でも理論系はもう少し厳しいが、そ れでも数学に比べると大したことはない。

数学には「世の中のニーズ」なる有難くもうっとうしい神様の御宣託は無いの で、問題は自分で見付けなければならないし、問題の自由度も大きい。 良い問題が見付かれば、研究は半分ぐらい成功したのも同じである。逆に変な問題 につかまると痛い目にあう。 多くの数学者は、良い問題と出会うために日々悩んでいると言ってもいいので はないだろうか。そして良い問題を見付けるにはセンスと運が必要である。 例えば、その人の講演を聞いてみると結構面白く、さりとて難しくもなく、そ ういう風に考えればそういう結果は自然と出て来るだろうな、でも、うまい所 を突いたなあと思う仕事はよく見られるものである。技術的にもアイディアも それほど突飛でないので、そんな仕事なら自分でも出来そうだなと思えて来る。 しかし、自分でやってみると案外できないものである。こういうのは、問題を 見抜くセンスの違いなのだろう。 勿論良い問題を見付けても、それが解けなければいけないから、ある程度以上の 実力も必要であるが。

世界的に見て、相当偉い数学者がよってたかって研究し著しい進展をしてい る分野には、多くの数学者が参入する傾向があるが、そういう分野を追い かけようとすると結構しんどい。確かに色々な問題を見出せるけれど、 自分が解こうと思っていた問題が他の誰かにさっさと解かれたりする。 たぶんこのあたりの事を考えれば面白いのではない かなと、自分が問題として意識し始めた矢先に、既に誰それが解決したという 事がわかってがっかりする場合も多々ある。かと言って誰も考えていない問題 を見付けて解こうとすると、これがまた途方もない難問でまともな結果 が得られないこともある。大学院生あたりだと、指導教授が問題を見付けやすい ところまで学生を導いたり、時には問題を与えたりするようであるが、これもまた 教授の眼力と学生の実力の相関関係で、うまくいったり行かなかったりするようで ある。また、修士課程の学生を博士課程に進学させるかどうかを判定する基準も、 自分で問題を掴めるかどうかがポイントになるらしい。自分で問題を見出せない 人は一人前の数学者になれないと判断されるのである。しかし苦労して見付けた問題 がうまい具合に解決できて、さらにその周辺に一連の ほど良い問題群が見付かる事もある。こういうのを「一発当てた」という。数 学者もけっこう山師稼業である。

一方で天才的な数学者はここだ!と目を付けたところで、難問の山々をものと もせずにブルドーザーでジャングルを整地していくように新天地を切り開いて いくようである。凡庸な数学者達はブルドーザーが通った後に落ち穂拾いのよ うに適当な問題を探しあてたり、場合によってはさんざん探し回ったあげく、 何も残っていない事に気付いて のたれ死にしたりするようである。