学生との数学ゼミ

     学生との数学ゼミ(卒業研究)というのも、場合によっては楽しいものである。 「場合によっては」というのは、ゼミの学生が考える事を最初から放棄してい るような人達では無い場合を指す。数学は自ら考える学問であるから、自分の 頭で考えようともしないで、何もかも教師に教えてもらおうという態度がどう しても抜けない学生は、「単位はやるから、もう来ないでくれ」という事にな る。そういうゼミからは何も意味のあるものは生産されないから、せめて 単位だけでも生産して、傷が浅いうちにお互い手を引きましょうというわけである。

     別に数学者養成を第一目標にしている大学の教師ではないのだから、 私にとって数学ゼミはもっぱら学生と数学を楽しむ場である。数学が楽しめる ならば、ゼミで扱う話題のレベルがどうのこうのということは、とりあえず関 係ない。あまりにつまらない話だと面白くないが、多くの場合、学生のレベル に合った内容で、結構楽しめる話題は見付かるものである。もちろん、必ずしも 自分が専門にやっている分野に直結した話題である必要もない。何らかの 関連を持っていることは望ましいけれど。

     なにはともあれ、楽しくやれば教育効果が上がり、めでたしめでたしなのであ る。ここで「教育効果が上がった状態」とは、学生が「数学勉強して楽しかっ たな」と思って社会に巣立って行くことにほかならない。楽しく学んだ事だけ が、長い人生でその人の底力になるのではないだろうか。それに、今の日本は、 数学にまつわる忌まわしい記憶に満ち満ちあふれた社会人で充満している。こ れは、数学という学問にとってもはなはだ良くない。大学に分数計算のできな い学生があふれ返り、中学・高校での数学の授業時間数が先進国の中で最低レ ベルまで減らされ、数学の体系や流れそして豊かさ を徹底的に台無しにした数学の切り売りのような教科書が高校で使われるようになり、大学の数 学教員のポストがなし崩し的に消滅しつつあるのも、とどのつまりは 地球大の「忌まわしき数学の 記憶」を拡大再生産し続けてきた事が原因である。

    しかし、何も数学教育と学問の将来を憂えて学生と数学ゼミをやっているわけ ではない。天然ボケ系の学生とゼミをやると、こちらとしてははゆっくりもの が考えられて、今まで見落としていた事がハッとひらめいたりする事が多々あ る。器用だけど、経験や知識が不足しているために、時に上滑べりな議 論に陥ってしまう学生とゼミをしていると、普段当り前と思っていた理論の意 味がよくわかったりする。それ以外にも、研究のネタにはならないけど、 学生とあれやこれやと議論しているうちに、今まで 考えもしなかった面白い例を思い付くことや、普段はほとんど無視していた 定理が自分の研究に使える事に気づくこともある。 そして当然ながら、学生から「なるほど!それはうまい!」というアイディア がぽろっと出ることもある。それやこれやで、結構こちらとしても勉強になるし、 自分の研究にも役立っているのである。むしろ、そのために学生をうまく 利用している、という面も無きにしもあらずである。