整数論は代数か?

     同僚のK氏の学生向け講演を聞いて、代数的整数論が「代数的整数・論」であっ て「代数的・整数論」ではないと知り、まさに目からウロコが落ちる気持であっ た。確かに代数体の代数的整数を扱っているわけだから、それはそうだろうと 大いに納得した。人の話というのは聞いてみるものである。

     さて、日本の大学の数学科で代数関係といえば整数論と代数幾何の2本立てで ある場合が多い。私の専門である可換環論などは代数幾何の一部という扱いだ し、非可換環論などは整数論の一部みたいに扱われている。可換環論プロパー や非可換環論プロパー、はてまた群論関係のスタッフをそろえている大学はど ちらかというと少数派のようである。かように整数論は代数幾何と並び代数の 代表とされているようである。さらに、整数論の研究者を日本数学会の会員名 簿で調べると、K氏を含めて専門分野は「代数」となっている。だからK氏の口 癖である「整数論は整数論なのであって代数ではない」というのも説得力に乏 しい気がする。しかしこの口癖はK氏のオリジナルではなく、谷山豊も同じ事 を言っていたようであるし、代数的整数を研究するためなら代数でも解析でも 幾何でも手段は選ばないというのだから、学問的に見て「代数」と言い切って しまうことには無理がある。そもそも日本数学会の会員名簿に「整数論」など という分類は無いから、整数論屋は内心忸怩たる思いで自らの専門を「代数」 と分類しているのかも知れない。それにしても、整数論に限らず代数、解析、 幾何、そして応用数学などという分類は、大学組織の名称としては意味がある かも知れないが、学問的には余り意味が無くなってきたような気がする。

     例えば、私の学生の頃は代数幾何といえば代数多様体論と複素多様体論の二系 統になんとなく分かれている感じであった。前者を専攻するものは代数好きの 学生で、可換環論を学びスキーム論から代数幾何に入っていき、後者を専攻す るものは解析や幾何が好きで、可微分多様体論や多変数解析関数論を学び小平 先生の論文で代数幾何に入っていき、研究するテーマもそれぞれなんとなく違っ た事を取り上げていたような気がする。もっとも既に私が生まれた頃にはセー ルがGAGAの原理を発見したりして、代数多様体の議論と複素数多様体の議論 は相互に対応つけられることが分かっていたから、二系統といっても便宜的な ものでしかないという感じではあったが。また、応用数学も純粋数学から離れ た世界であったし、数理物理学なんてのもどちらかというと応用数学っぽくて、 (純粋)数学者は余り興味を持っていなかったように思う。

     ところが私が計算機科学などにうつつを抜かしている10年ぐらいの間に、数 学の風景はだいぶ変わってしまった。今では代数幾何といえば代数多様体論、 複素多様体論、微分幾何が混然一体となった観があり、さらに数理物理学など も代数幾何と深く関連してきている。数理物理学はなんだか純粋数学の一部の ようになって、ずいぶん注目されているようである。かくして、「幾何や解析 が嫌いだから代数的な代数幾何をやるんだ」という事はほとんどナンセンスな 時代になってしまった。だから、今では代数幾何学屋は「代数幾何は代 数ではない」と言うのではないだろうか。

     私はかつて解析をさぼり倒した劣等生として、理論計算機科学を経て現在代数 を専門にしている。理論計算機科学は代数ではないが、すこぶる代数的な学問 なので専門分野を変えるにあたってそれ程大きな心理的障壁は無かった。今の ところは純代数的方法で何とか研究していけるが、やはり解析を知らないとい まひとつ理論の奥行きというか他分野との深いつながりが見えにくくて面白く ない。解析的結果の対応物を代数的に構成しようと思っても、元の解析がよく わからないと手が出なかったりする。そこでたまにまとまった時間が取れれば 解析の本を読破しようと努めている。また数理科学科では、現在の担当者を押 しのけて代数系の科目を担当するような事は避けて、できるだけ他の先生が担 当したがらない(?)低回生向けの解析系の科目を狙って担当しようと色々画策 しているところである。