一番手が潰れるとき

数学科というのは、多くの場合数学者を目指す若者が集まる。 そうでない大学もあるが、ここでは考えない。 数学者のポストは数学科の定員よりもうんと少ないのだから、当然将来数学者 になれる可能性のある「優秀な学生層」と、そうでない「番外学生層」に別れ る。 この分類は、大体大学院重点化で大学院修士課程の定員が倍増する以前の レベルで考えて、 どこかの大学院に入れる学生と、どこにも入れずに民間会社等に就職する学生 という基準で分類される。 旧制大学の時代ならともかく、大学院を出ずに数学者になれるのはよほどの天 才か、さもなくば何かの間違いでしかない。ちなみに私は何かの間違いで数学 者になったクチである。

「優秀な学生層」はさらに優秀さの順に一番手、二番手、三番手に別れる。し かし将来数学者として成功するかは、この順位はあまり関係ないようである。 私の経験と人から聞いた話を総合すると、どうやら「一番手はズッコケ、二番 手が偉くなり、三番手は(運が良ければ)そこそこ行ける」という法則があるら しい。 学生時代には「こいつだけには逆立ちしてもかなわん!」と思ったカミソリの ような学生が何人かいた。こういう奴が将来フィールズ賞なんぞを取るのであ ろうと思ったりしたものである。ところが、大学を卒業して10数年してから、 彼または彼女の消息を聞くと、数学者になれなかったとか、数学者にはなれた が、学生時代のまぶしい程のきらびやかさを知る者にとってはいまひとつの状 態であったりする。いっぽう、「フィールズ賞候補生」に圧倒されて影の薄かっ た二番手学生が、何だかとても偉くなってしまって元気一杯であることも少な くない。

これはどうしてなのか?燕雀いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや。所詮 私のごとき元番外学生にわかろうはずはないのである。しかし想像はできる。理論計算機 科学をやっていた頃の私は、自信満々であった。最初に手掛けた一連の仕事を 数年がかりで仕上げた後、次はひとつ難問に取り組んでやろうと思った。何せ 自信満々なのである。その辺の連中がやっているようなチマチマしたアプロー チでやってもたかが知れている。ここは一つ全く新しい方法でやってみようと いうことで、位相群が作用する主バンドルの分類空間の構成法にヒントを得 て、プログラムの並列化問題の新しい理論を作ろうという話に手を出した。こ のアイディアはとてもすばらしいものに思え、私は夢中になって理論構築を試 みた。ところがこれがいけなかったのである。いくつかの部分的結果を得たも のの、最終的な理論が完成した瞬間に、この方法が決定的弱点を持っており、 期待した程の結果は得られないであろう事がわかってしまった。こりゃあダメ だと思った時にはもう3年近い年月が過ぎていた。大学院の博士課程ぐらいの 学生が同じ事をやれば、もう潰れるしかないであろう。既に大学教員になって いる私とて、3年を棒に振るのは結構痛く、「あれでちょっと人生が変わっち まったなあ」と思っているぐらいである。まあ、それで計算機科学から足を 洗う決心がついたのだから、怪我の巧名なのかも知れないが。

思うに「一番手」の人はセールやヴェイユに続けとばかりに、とんでもない難問に 手を出してしまうのではないだろうか。もし成功すれば、歴史に名を残すこと ができるだろうが、失敗すれば潰れるしかないのである。二番手あたりは、謙虚 に時流に沿った問題を時流に沿ったアプローチとちょっとしたアイディア で攻めて、うまく行けば一発当てて偉くなり、そうでなくてもそこそこの結果を得られ、少なくとも潰れる 可能性は少ない、ということなのではないだろうか。