僕が代数学を選んだけ

     大体数学が得意で数学科に入って来る学生は、高校時代に高木貞治の「解析概 論」を愛読していたという人が多いわけです。ずっと後になってわかったことです が、世の中には、高校時代の愛読書が グロタンディエックのEGA (Elementes de Geometrie Algebrique)とかSGA (Seminarie de Geometrie Algebrique) だったという超 秀才や、Kleene の Introduction to Metamathematics をむさぼり読んだとい うシブイ趣味の秀才もたくさんいたのですが、すくなくとも学生時代は、数学 少年数学少女というのは「解析概論」を読んで解析学の基礎をマスターして大 学に入ってくるのだと信じていたのです。

     私といえば、S. ラングの「解析入門I」という、高校の微積分に毛の生 えたような内容のものを読んだだけで、大学レベルの数学はほとんど何も勉強 していなかった。で、「解析概論」の"卒業生"達は、1回生の頃からやれ広義一様収 束だの、複素関数論だの、留数定理を使った定積分の計算だの、偏微分だの全 微分だの、ルベーグ積分だの、ってな事を言っているわけで、「これはかなわ んなあ」と思ったのです。

     何とか彼らに対して優位に立てる分野は無いものかと考えていたのですが、そ れが代数だったわけです。「解析概論」卒業生諸君の多くは、群の抽象的定義 を見て「これはかなわん」と言うわけです。私はわりと形式的思考に相性が良 くて、群の定義もそんなものかと簡単に受け入れられましたから、これは断然 代数をやるべきだと思ったわけです。ついでに言うと、大学の微積分学の最難 関と言われているεδ論法や全微分の概念なども、さして抵抗無く形式的思考 の一貫として(もちろん多少数学的イメージも思い描くのですが)受け入れられま した。だから、安心してしまって、まじめに解析学を勉強しなかったのです。 これが私の人生を変えてしまう程の(?)大失敗の元だったと思っています。 そもそも特に解析の場合、形式的思考としてだけ理解していたのでは、 本当の理解にはなっていないわけです。

    それ以外には、高校時代にガロアの伝記を読んで感動し、ガロア理論を勉強し ようと思ったとか、フィールズ賞学者の広中平祐氏が京大に帰って来るという ので、じゃあ代数幾何を専攻しようかと思ったとかいう、ミーハーな動機もあ ります。結局広中先生の教えは受けられなかったのですが。

     あともう一つの理由として、かなり感覚的なものもあります。解析学の本では、 積分記号や極限記号、Σ記号や不等式など、高校数学でも馴染みの深い記号が 並んでいますが、実はそういう記号の並びが(内容がわからなくても)美しいと 思えるようになったのは、つい最近の事です。最近は夜眠れない時は、できる だけわけのわからない解析の本を眺めることがあります。その記号の乱舞を眺 めていると気持が安らかになって、心地よく眠れます。学生の頃は、解析学の 本に使われている記号に軽い嫌悪感さえ覚えました。それに比して、代数学の 本での記号の使い方は、G とか G/N とかいう、意味がありそうでなさそうな、 不思議な感じのするものが多く、なんとなく大学生になって高尚な事を勉強し ている気分になったものです。つまり、非常に表面的なレベルですが、代数学 が感覚的に合っていたのですね。

     大学を卒業してから10数年計算機科学をやっていたのですが、つまらなくなっ て数学に戻った時も、やはり代数学を選びました。その理由は簡単で、要する にいい齢になって数学に戻る場合は、昔取った杵柄でやらないとシンドイから です。この頃は、解析学の豊かさや感覚的な美しさもよくわかるようになって いたのですが(齢の功です)、若い頃ちゃんとやってなかった事は齢を取ってからはなかなか 手が出せない。解析学も表面的には勉強したのですが、そういう勉強はほとん ど何の役にも立たないわけです。20歳前後というのは頭を耕す時期で、その 頃に基礎を作っておかないとだめみたいです。そういう意味で、大学の教育に ついても表面的な事をあれこれやるのではなく、基礎を広く深くじっくり勉強 させるべきだ、と事あるごとに発言しています。