2003年1月31日(金)
<<まいどありい!>>
猛烈な寒さはいくぶん緩む。午前中は例によって山科駅前SBUXで一時間ほどす ごす。ふと隣の席の若い女の子を見ると、うちの大学を受験するらしく、かな り使い込んだ形跡がある立命館(文系)A方式入試の赤本を持っていた。まいど ありい!お友達や後輩たちにも受験を勧めてね、と言いたいところ(実際には 言わなかったけど)。

「会議、講義などの用が無い限り大学には寄りつくべからず」というのが 夢見るH先生の無言の教えであるが、3日がかりの世直しプロジェクトですっ きりと整理・整頓された部屋が嬉しくて、午後から出勤。雑用さえ押しかけて こなければ、この部屋は人もうやらむ快適な研究室であることをしみじみと知っ た一日であった。毎日こんなんだといいのにな。

2003年1月30日(木)
<<科学者の仕事>>
昨日に引き続き猛烈に寒い。

午前中は例によって山科駅前SBUXで1時間ほど過ごし、午後は京都会館で 開かれた「地震に関するセミナー」に参加。地震学と防災の両面からの講演が いくつかあり、ずいぶん参考になった。特に、阪神大震災後に精力的に進めら れた京都盆地の地質・地盤調査の最新結果が真新しい内容で、興味深かった。

このセミナーは、要するに、今後40年以内の間に(東)南海地震が起こる のはほぼ確実で、その影響で京都(近辺)では今後数年の一度ぐらいの割合で大 規模な内陸活断層型地震が起こる事が予想される。それに対しての備えをやり ましょう、というもの。

大規模な地質調査の結果をまとめたスケール入りの精密そうな地盤の断面図や、 地震の震源地と規模を地図上にプロットした図、それらの基礎データをもとに コンピュータ・グラフィックスの動画で表示した地震波の伝播の様子、その他 色々なグラフや図表などを見せられると、おもわず「ああ、これこそが科学者 の仕事だ(カッコイイな)」って気になる。これは半分見てくれに惑わされて いるわけだけど、そうばかりでもないと思う。

ずっと昔から思ってたことだけど、科学の中の”ちゃんとした分野”はいずれ も固有の表現形式を持っていて、それらはそれなりに洗練されていて美しい。 数学や物理での数式は勿論、化学の化学式や地震学での図表やグラフなども (意味はわからなくても)眺めているだけで楽しい。私は化学は嫌いだけど、 ベンゼン環(ヘンゼル環ではない!)が連なっている図を見るのは好きである。

講演者の中に社会心理学者というのも居たが、彼のグラフや図式の使い方 を見ていると、言いたい事はわかるけどそれをそんな図式で表すのはちょっと 妙な感じがするな、という点がいくつか見られた。やはり理科系の分野特有の グラフや図式の使い方、そしてそれらに対するセンスというものは確かに存在 するようだ。

2003年1月29日(水)
<<世直しする>>
いつもよりもちょっと早起き。山科駅前SBUXで小一時間ほど道草を食ってから、 午前中に出勤。今日も論文コピー・資料類の整理プロジェクト。全てを整理し て世直しするんだ!という意気込みで生協で追加キャンパス・フォルダーと個 別フォルダーなるものを買い込み、分類整理作業に励む。昼過ぎにめでたく世 直しプロジェクト完了!美しい...美し過ぎる.... ここに全てが終り、そして ここから全てが始まるのである。

昼食後は教室会議。メインは公募人事の選考。それ以外にも重くはないが 油断のならない議題が一件。私は数学の教員人事に立ち会うのは初めてなので、 どういう風に選考が進められるのだろうかと興味津津であったが...詳細は秘 密。以後の人事委員会の開催予定・経過等もみーんな秘密。

ところで今回の人事委員会とは全く独立の一般論なのだが、どういうわけ だか、ある人を強く推薦して自分の元に呼び寄せた人と呼び寄せられた方の人 は、後に険悪な関係になることが多いような気がする。古典的な例では田辺元 と彼を高く評価して京大哲学科に招き入れた西田幾太郎。田辺は後に西田哲学 を激しく批判して、個人的にも西田に寄り付かなくなったようだ。(学説で対 立しても個人的友好関係は変わらない、というふうにはならないものらしい。)

私の身近な例でもそういう例は決して珍しくない。同業者として長年う まくやってきた間柄でも、同じ大学で働くようになったとたんに相手の事を 「あんな人間とは思わなかった」と激しく軽蔑する、あるいは、軽蔑し合う例 や、かつてはその人を熱心に推薦して招き入れようとした人が、後に同じ人を 追い出すことに執念を燃やすなんて例も聞いたことある。また、小講座制のあ る大学のある学科では、各講座の教授とその教授が自ら選んだはずの助教授たちが ことごとく喧嘩しているという噂も耳にしたことがある。

ある種の人々は、権力の中の権力である人事権に甘味な蜜を見出すよ うだが、私はどちらかというとかかわらずに済むものならその方がいいという気 分である。

2003年1月28日(火)
<<人生やり直す>>
山科駅前SBUXで小一時間ほど道草を食ってから、昼過ぎに出勤。今日は論文コ ピー・資料類の整理プロジェクト。全てを整理して人生やり直すんだ!とい う意気込みで生協でキャンパス・フォルダーなるものを大量に買い込み、分類 整理作業に励むも、途中で教授会の時間が来てしまう。

結局キャンパス・フォルダーは使い切ったものの、整理プロジェクトは今 日じゅうには終らず。まあ残りはぼつぼつでいいか、なんて事を言っていると、 未整理の資料等が中途半端な場所に中途半端に積み上げられた状態で2年ぐら いそのままになってしまいそうだから、明日も歯を食い縛って残りをやろう。

19時過ぎ教授会終了。

2003年1月27日(月)
<<三つの山>>
今日は研究室の整理をしようと決心して、山科駅前SBUXで小一時間ほど道草を 食ってから、昼過ぎに出勤。途中何度も途方に暮れたり挫折しそうになったり しながらも、夕方頃にやっとほぼ全てのゴミが出尽くす。あと は机の上や本棚のファイル・ボックスなどに滅茶苦茶に散在している論文等の 資料類の整理を残すのみ。

2000年の夏に机の右端に30センチ程の高さに積み上げた論文のコピー の山が、今日までそのままになっている。そうこうしているうちに、ドイツか ら帰ってきた2001年4月頃から、机の左端に論文の別のコピーの山が成長し 始め、今や右側の山に匹敵するぐらいの高さになっている。そして、2002 年の秋頃にその山の成長は止まり、代って机の中央の奥の方に、巨大雑用関係 の資料の山がぐんぐん成長し始めた(この山は本日専用ファイル・ボックスに 撤去された)。

以上の現象が何を意味するかを考察することは、私の研究のこれまでの進 み方を振り返る上で興味深い問題であるが、そんな事を振り返ってみてもしょ うがないので、とにかく整理するつもりである。Herzog先生は、(あの不器用 な雰囲気に似合わず)沢山の論文コピーをとても上手に保管・管理していた。 それを真似てみようかと思う。

2003年1月26日(日)
<<満員御礼大繁盛>>
朝はゆっくり起き、午後は相変わらず満員御礼大繁盛の山科駅前SBUXにて 2時間ほど考える。ここんところ本ばかり読んでいたけれど、久しぶりにモノ を考えると頭がすっきりして気分も良い。そういえば、いつの間にか「鬱病」 も治っているみたいだ(いつ再発するかわかったものではないけど)。

山科駅前SBUXは、何だか知らないけど中学高校大学の定期テスト、各 種入学試験、医療関係や法律実務関係の資格試験などの試験勉強をしている若 い子たちで一杯で、さながら(かつての)公立図書館みたいである。図書館は 飲食禁止だけど、ここなら当然そういうことはないし、公立図書館が試験勉強 のためだけの利用者を締め出すようになってきたので、SBUXなどに人が流 れ込むようになったのだろう。

夜は溜まっていた「アリー・マイラブ5」の録画を消化して、ドイツ語を ちょっと勉強。

2003年1月25日(土)
<<助平心>>
ゲーテとスポーツクラブの単純で平凡な土曜日である。

Joe Harrisの本はとりあえず切り上げ、Harris & Eisenbud のGeometry of Schemesのつまみ食いを始める。本当はMiglioreのlinkage理論のモノグラフを 手早く読んでしまおうとしていて、ちょっとJoe Harrisの本を参照しただけな のだが、えらく横道にそれてしまったのだ。いかんな。早くMiglioreに戻らな くっちゃ。

代数幾何学の、層とかスキームとかコホモロジ―とかは完璧とは言えない けれど大体わかってきた。しかし、そういう基本的な道具立てを使ってどんな 事を考えているのかという全体像は私にはまだ見えてない。そのあたりがもう ちょっと見えるようになったら学生時代から知りたかった事がわかったことに なるし、ついでに可換環論の新しい問題とかヒントとか自分がやっている事の 幾何学的意味付けなどが見つからないかという助平心もあるのだけど。  

2003年1月24日(金)
<<整理整頓>>
朝自宅を出たものの、迂闊に大学に近寄ってはロクなことはあるまいと、午前 中は山科駅近辺をうろつく。昼過ぎに出勤。郵便ポストとメイルをチェックす るも、予想の範囲を越える不吉な連絡・指令等はなし。よろしい。とりあえず 今日の前半は順調のようだ、ということで予定通り採点モードに再突入。線形 代数の採点を終え、ついでに昨日の数理モデル論の採点も終える。

「線形代数」の一回生分は、A判定6名(うちA+判定2名)、B判定11名、 C判定42名、不合格7名(受験しなかった分を含む)。2回生以上にも同一の 採点基準を適用したのだが、幸い4回生以上の不合格者はゼロ。 情報学科4回生配当「数理モデル論」はA判定4名(うちA+判定2名)、B判 定1名、C判定7名、不合格8名(受験しなかった人を除く)。

全ての採点が終り事務に成績表を提出し終った夕方、今日こそは部屋の整理 をしようなどと無謀な決心をする。とりあえず今日はゴミを放出。一部の学生達は 私の部屋をよく整理整頓されていると褒めてくれる。しかし整理整頓されてりゃあ何 でもいいってわけではない。問題は一体何が整理整頓されているかである。

机の上、机の引出し、本棚に並べられたファイル・ボックス等をひっかき 回すと、げろげろげろげろ出るわ出るわ、昔の出席簿、過去の試験問題やその 解答例、前世紀の学生たちの答案、伝票の写し、その場限りのお知らせの紙、 会議の議事録や資料、何人(なんびと)たりとも読む気を起こさせないために精 一杯長々としたわかりにくい文章を書いたのではないかと疑いたくなる立命館 名物の分厚い"文書(もんじょ) "の山、昔提出した書類の写し、その書類を書 くために使った資料の切れっ端、昔書いた論文の下書き、その下書きのコピー、 そのコピーに赤を入れて校正したもの、その校正したもののコピー、学会費の 請求書や領収証、大昔の国際会議のcall for papers, 押しかけ営業マンが置 いていった名刺、毎年毎年あの手この手と工夫してみたものの誰一人として希望者が 居なかった情報学科の卒研説明会用に作ったOHPと配布資料、1995年度 に個人研究費で買ったものがあればこれを貼りつけなさいというラベル・シー ル、1996年度に個人研究費で買ったものがあればこれを貼りつけなさいと いうラベル・シール、1997年度に個人研究費で買ったものが...五月蝿い ので以下省略!、とうの昔に廃棄処分した機械のパンフレットと取扱説明書等々。 つまり、整理整頓されているもののほとんどは単なるゴミなのである。

ごみ放出プロジェクトは思いのほか巨大な作業となってしまい、今日は途中 で行き倒れる。また月曜日にでも続きをやろう。

2003年1月23日(木)
<<悲しい性(さが)>>
午前中は情報学科4回生配当「数理モデル論」の試験。講義で見掛ける学生は 8名程度だが、今日はちょうど20名が受験していた。ここにも座敷童のS太 郎が出現!

午後はさっさと帰って心静かにすごそうかと思っていたら、事務から昨日 の線形代数の答案整理が終ったという連絡が入る。雑用は発生したらすぐに手 をつけるという、小学生時代の「早く宿題を終らせ早く遊ぼう」以来の悲しい 性(さが)によって、午後は急拠採点モードに突入。

私の「線形代数」作戦は以下の通りである。前期はまだ高校気分が抜けな い学生達に喝を入れるつもりで「普通に」採点して何割か落す。これはいわば 数理科学科の学生としての通過儀礼。さらに後期もばんばん落されるとなると、 彼らは意気消沈して数学に嫌気がさしてしまう恐れがある。これはまずい。そ こで、後期は多少気を良くしてもらって元気を出して2回生に進んでもらおう と、(評価は辛いが)不合格者は少なくする。また、通常私の試験は(どうでも 良いような「その他諸々」科目ばかり担当しているので)「問題は阿呆みたい にやさしく、採点も大甘、それでも零点なら断固として落す」という方針だが、 線形代数は基幹科目なので、問題のレベルはそれほど落さないようにする。

今日でどうにか1回生の分の採点が終了した。めでたいことに上記作戦は 順調に進行している。試験を受けた学生の不合格者は3名程度にとどま る見込み。ただし、これで彼らが「元気を出して2回生に進んで」くれるかど うかは、予断を許さないけどね。

2003年1月22日(水)
<<救済レポート >>
午前中は山科駅前SBUXで過ごし、午後から出勤。部屋でJoe Harrisを読んでい ると、来年度にうちのゼミで卒研をやる予定のT君が桂利行「代数幾何学入門」 を返却しにやってきたので、すこし雑談。雑談内容と昨日K川先生から聞いた 話を総合すると、先日彼女が言っていた「私、ガロア理論が全然わかってませ ん!」というのは大いに怪しいと思われる。学生の自己申告は真に受けてはい けない、ということか。あるいは、その後猛勉強してかなりのところまで理解 するに至ったのか。とにかく、今年の3回生でガロア理論をひととおり理解し ている学生は、少なくとも現段階では案外多いのかもしれないな。

その後、15時から線形代数の試験。何故か解答用紙に答案を書き切れず、 2枚目の解答用紙を要求する学生が続出。一体何を書いているのだろうか。 採点が楽しみである。試験の後、雑用をせよというメイル が2通と、日誌の読者である学生からのメイルが届いていたので、雑用をしたり メイルの返事を書いたりしてすごす。

上記の学生からのメイルに関連してコメントをいくつか。まず、昨日の日 誌で線形代数の試験について問い合わせをしてきた学生達が、一夜漬けの勉強 でうまく行かなければきっと救済レポート課題を求めて私の部屋に押しかけて くるであろう、という意味の事を書いたのだが、そういう決めつけ方は彼らに 対してとても失礼だと思うので、ここでお詫びして訂正します。

ただし、一般論として、救済レポートを要求するというのはいけません。 もし仮に、昨日の学生たちがそれをやったとすれば、私はやはり彼らを「けし からん」と思ったことでしょう(実際はそういう事はなかった)。第一、教員の 部屋に押しかけて粘り強く交渉し救済措置を要求した(ずうずうしい)人が得を し、そういう事ができない引込み思案な人が損をするわけだから、とても不公 平である。第二に、往生際が悪い。人生頑張って結果が出ることもあれば、全 然ダメってこともある。どっちに転んでも、その結果を静かに受け入れようで はないか(これは私自身への戒めも込めている)。第三に、何としても単位が欲 しければ日頃から頻々と教師の所に押しかけて個人指導でも何でも求めれば良 いのだが、それをやらずに試験の後になって何とかしてくれと頑張るのは気に 入らない。効率良く単位を集めたいのかも知れないけど、頑張るところを間違 えている。第四に、以上のことからせっかく「卒業を控えた4回生だから、大 甘に採点してそっと単位を出しておこうか」という気分になりかけていたとし ても(実際にそういう気分かどうかは秘密)、それがブチ壊しになってしまう。

数理科学科に移ってきて、本当に頻繁に救済レポートのお願いだの、救済 レポートを書いてきたから受け取ってくれだの(私はまだレポートを課すとも 課さないとも言ってないのに!)という事を経験するのだけど、これは悪しき 風習だと思う。少なくとも、私には逆効果だよ。

2003年1月21日(火)
<< 吐き気 >>
本日午前中はYt先生の最終講義。満員御礼。心温まる話とはこのことを指すの であろう。三田のI大先生も久しぶりにBKCに駆けつけていた。I先生と話す機 会が無かったのが残念。昼休みは案の定つまらない雑用をいくつかやっている うちに終る。午後はとろーりとろーりの院ゼミ。自家養成サクラI君は、相変 わらず目に見えない座敷童との神経戦を繰り広げていた。その後、何故か17 時30分から教室会議。開催時刻から考えて、これは夕食抜きの徹夜 覚悟だなと判断し、多少空腹対策を講じで会議に臨む。重くは無いが油断でき ない議題でもって20時前に終了。

明日は線形代数の試験であるが、今日になって何人かの4回生(以上)の学 生達が試験の範囲等について質問に来る。前日になるまで放置していたにもか かわらず、明日の試験に卒業がかかっているから救済措置とかは無いのか、な どと奇妙な事も聞いてくる。一夜漬けの準備で試験がうまく行かなければ、彼 らは試験直後に教員の部屋に押しかけてレポート課題を出してくれだの何だの と言ってくるのだろうか。もしそうだとすれば、ちょっと人生なめ過ぎている と思うし、若い身空で「人生なめ切っても自分の思い通りになる」と学習され ても困るから、レポート云々の申し出があったとしても 断固として断るつもりである。

ところで、「人生なめ切っても自分の思い通りになる」といえば、かつて 次のような(たぶん実話だと思うが)逸話を聞いたことがある。ある国のある人 物(男)は、色々な経歴を経てやっとたどりついたある大学で、大学教授として 良き同僚や学生に恵まれ充実した学者生活を送っていた。ところが彼の細君が 夫の勤務地での生活に飽きたというので、独身時代に自分が楽しく過ごした遠 くの町で適当な大学を探して転勤せよと夫に迫ったそうである。しかも、自分 の我儘で夫をよりプレステージの低い大学に転勤させたとなると世間体が悪い から、そこそこ名の通った大学を探すようにという条件付きで。で、どうなっ たかというと、夫は素直に細君の言う通りにほんの少しばかり努力した。その 結果、多大な幸運のおかげで特に大きな困難もなくすぐに全てが細君の思う通 りになった。そして、夫婦は(少なくとも細君は)末永く幸せに暮らしたとさ、 めでたしめでたし。

大学教員のジョブ・マーケットは世界中どこでも氷河期のままである。ど この国でも、教師として雇ってくれるのなら世界じゅうどこの大学でも喜んで 行きたい、と考えている人は沢山いる。然るべき実力があるにもかかわらず、そ うやって何年も浪人している人も少なくない。また、せっかく何処かの教員ポ ストにつけたとしても、良い同僚や学生に恵まれるという保証など何処にもな いのである。私にも適当はポストを求めて悩み続けていた数年間があった。だ から、上の話を聞いた時は思わず吐き気を感じ、こんな話聞かなきゃ良かった と深く深く後悔したことを覚えている。

2003年1月20日(月)
<< まっさらな時間 >>
今日は何も予定がない。このまっさらな時間は、学者の端くれらしく書物を読 み静かに考える事に費やすべきである。然れば、雑用生産装置である大学など に迂闊に近寄って、大切な時間をつまらない雑用一色で塗りつぶしてしまうよ うなことはあってはならない。よって、昨日にひきつづき、自宅および山科駅 前SBUX等でJoe Harrisの本を読んだりして、心静かにすごす。

2003年1月19日(日)
<<目に見えぬ座敷童との神経戦 >>
朝はゆっくり起きて、午前中は自宅内外で野暮用。午後はJoe Harrisの本を読 んだりして自宅で静かにすごす。

10年ぐらい大学で教えていてわかったことは、学生というのは技術的に 難しいことは段階的に教えていけばかなりのレベルまで理解できるが、ちょっ とでも概念的に新しいことは(それらは往々にして物事をより高みから眺めるよ うな考え方をする)、いくら丁寧に講義したつもりでも頑固なぐらい理解しな いということである。例えば、

といった調子である。教える方からすれば、ほとんど当たり前のような概念を 説明しているだけという気分なので、学生たちの頑固さ、石頭ぶりにはいささ か閉口する。しかしながら、これは必ずしも学生達の頭の悪さを意味しないの ではないか、という気がしてきた。つまり、学生に限らず、人間は誰しも頑固 で石頭なのではないか。

新しい優れた概念を発見するには物凄い創造力が必要である。物凄い創造 力を見せ付けられると、凡人は腰を抜かす。例えば、ヒルベルトが不変式環の 有限性か何かの定理を抽象代数的方法で(つまり現代の視点から見れば「現代 的方法で」)証明したとき、(現代の視点から見れば「古典的」)不変式論の 大家ディクソンは「これは神学であって数学ではない!」と猛烈に不快感を表 したそうである。(ディクソンは大家だけど、天才ではないのであろう。)

その一方で、新しい概念というのは、それが(大学で講義するに値するぐ らいに)優れた概念であればある程、分かってしまえば当たり前で、かつ、分 かってしまえば分かるまでの苦労はすっかり忘れてしまう、という性質をもつ ようだ。

教師の方は(大抵の場合)自分で発見したわけでもない概念を、(かつて 七転八倒して理解したことも忘れて)いとも簡単なことのように教えるけれど、 学生の方はそれを生み出した天才達の苦悩の現場をさ迷い、時にディクソンの ような抵抗感を示すのである。そういう意味では、教室の中で発見の歴史が再 現されているわけで、面白いといえば面白い。

と、こんな事がわかったところで、「ものわかりの悪い」学生達にどうやっ て教えたら良いか妙案が見つかるわけでもないんだけどね。

2003年1月18日(土)
<< Joe Harrisの教科書>>
午前中はちょっとした必要があってSpringer GTMシリーズのJoe Harrisの代数 幾何の本を少し眺め、午後はゲーテ、夜はスポーツクラブ。ラクトスポーツク ラブの土足禁止のロッカー・ルームで、靴を履いて歩いている”不良外人”が いたので注意してやったら、何故か本人から感謝されてしまった(何だ、不良 じゃないじゃないか)。近頃の日本人相手にそれをやると、刺された り撲り殺されたりするんだろうな。日本人は"不良外人"よりもタチが悪い。

ところで、Joe Harrisの本は膨大な数の由緒正しい古典的具体例を中心に (古典的)代数幾何学を語るという極めて魅力的な教科書である。必要に応じ てぼつぼつとつまみ食いのように読める。可換環論的にも面白い例が沢山書か れているようだ。この豊富な具体例の存在こそが、代数幾何学の豊さの秘密で はないだろうかと思う。

今日の鬱病治療は谷川俊太郎「詩めくり」(1984年刊)。日めくりよ ろしく一日一詩形式の詩集。本日1月18日のところを見ると

三歳の時以来
彼は泣き喚いたことがない
まるでテレヴィジョンのように忙しいので
という言訳が成立する

とある。「という言訳が成立する」って何なんだよー。 あー、この訳のわからなさがたまんないなー。さらに、 私のお気に入りは以下のふたつ。「無線士はうんざりしている」 ってところが良い。

今何時ですかと
山羊に訊ねられるおそれがないというのは
人生のいいところのひとつだ(3月23日)

ツタンカーメンから無線連絡が入った
私は永遠であると言っている
何かの暗号だろうか
無線士はうんざりしている(7月28日)

3月23日と7月28日は何かいいことがありそうな気がしてきた。楽し みだな。

2003年1月17日(金)
<<雑用部屋>>
卒研も講義も終了し、今日は何も予定は無い。久しぶりにお気に入りスポット を彷徨しようかしら。いや、数式処理ソフトを使いたいからパソコンのある自 宅か大学がいいな。自宅の私の部屋は暖房が貧弱で少し寒いし(貧乏臭い 話だが、これが悪夢の始まりなのである)、 暖かい大学の研究室で過 ごそうかしら。巨大雑用等も一段落しているし、今日は邪魔は入らないと思う (魔がさしたとしか言いようのない判断ミスである)。でも、もしやということ もあるし(この判断はかろうじて正しいかった)、山科SBUXで小一時間程 過ごしてから出勤。

さあて、今日は研究室の整理をして勉強や研究がしやすいように環境を整 え、余った時間で闇雲手探り計算でもやろうかと思って大学に着くと、早速下 らない雑用の山が待っていた。夕方までひたすら雑用に追わる。研究室の整理 すらも出来なかったが、どうせ研究室なんて雑用部屋なんだから「勉強や研究 がしやすいように環境を整える」必要なんて無いのだとふて腐れる。やはり夢 見るH先生を見習って、大学には極力寄りつかないようにするのが正しい。撫 然。

雑用が終った夕方、座敷童のS太郎君につかまって、何だかよくわからない 質問をされる。彼の質問にはいつも独特の癖がある。面白い。しばしS太郎と こんにゃく問答をして気を紛らわせ、撫然を晴らす。

今日の鬱病治療。谷川俊太郎「日本語のカタログ」(1984年刊)。散文 詩が多く載せられていて、買った当時は面白がって読んでいたけれど、今はや や胸につかえる。

2003年1月16日(木)
<<人類文化の冒涜>>
午前中は情報学科4回生配当「数理モデル論」の講義最終回。ふと教室を見る と、おお!?座敷童か?と思いきや、「君、何でこんな所におるんや!?」の S太郎であった。S太郎座敷童を含めて受講生は11名に膨れ上る。その多くは 試験情報を聞き出そうという魂胆なのだろうが、そうは問屋はおろさないので ある(何故かというと、どんな試験問題を作ったかすっかり忘れてしまったか ら)。今日は、この講義の目標であったヒルベルト零点定理の証明を淡々と行 う。この日のために延々と準備をしてきたようなものである。気分良いことに、 証明の終了と授業終了のベルが同時になった。終り良ければ全てよし。

午後は卒研最終回。4回生M君による「多項式写像へのグレブナー基底の応 用」についての発表。切りの良いところまで終らせるために、17時過 ぎまでゼミを行う。これで今年度の講義・演習等は、21日の"とろーろとろー りの院ゼミ"1回を残すのみとなった。やれやれである。

ゼミの後は、雑用を少しやってから代数学IV(代数曲線論)の試験の採点。A 判定2名、B判定3名、C判定6名、不合格6名。但し、不合格者には試験を受 けなかった学生を含む(何名含んでいるかは秘密)。

その後、帰ろうと思ってたところで一回生の学生が質問に来る。線形代数 かと思ったが、何とCプログラミング!モンテカルロがどうのこうのとか言い 出すので、「馬鹿もん!そんな下品な事、俺に聞くな!」とどやしつけようか と思った。しかし、彼のわけのわからない粘っこい性格(および風貌も?)は何 だか田中耕一氏に似ているように思える。わけのわからない粘っこさは研究者 に必須の素養のひとつである。ここでどやしつけて追い返すことが結果的に彼 の才能の芽を摘むことになれば、それは人類文化の冒涜になるのではないか と考え、結局きちんと相手することにした。