My Research Story -- 私の研究物語
1993年以前 数学を勉強していた時代
京都大学理学部で主に可換環論と(Grothandiek以前の)代数幾何学を勉強する。
微積分を含めた解析学を「高校数学の延長」と馬鹿にしてほとんど勉強しな かった事と、それをカバーできる程代数学が抜群に出来た訳でもない事から、
院入試に落第ししばらくグレる。
(ほんとうは「しばらく」なんて程度ではなく、10年ぐらいグレていた。)
1983年 〜 1985年 駆け出しの計算機技術者時代
沖電気工業株式会社の研究所に入り、エンジニアリング・ワーク ステーションのOS,特に
ネットワーク部分の設計と実装を行う。この時の経験が後に立命館大学情報学科の
教員に転じた時に大いに役に立つ。逆に言えば、この時の経験以外は 何も役に立っていない。
物を作るだけ の"ふつうの計算機科学"はつまらないし、"ふつうの計算機科学者"は自分とは根本的に
別の人種で、こういう連中と一生つき合っていくのは大変な事だと悟る。
1985年 〜 1989年 研究者としての修行時代
通産省の新世代コンピュータ技術開発機構の研究所に移り、 理論を立てながら物を作る
-- (という意味では"ふつうの計算機 科学"ではない) -- 理論計算機科学に転ずる。
消去法により、研究テーマとしてプログラム理論を選ぶ。
研究所長が類稀なる 大人物で、ふつうの計算機科学者もふつうでない計算機科学者も
自由に研究できる環境だったので、大いに楽しい時代であった。
ふつうの計算機科学者の中にも、真に尊敬すべき人物はいる事を知り、計算機科学はそれなりに
立派な学問なんだと思うに至る。
1989年 〜 1991年 バリバリの研究者でっせ!
沖電気の研究所に戻り、プログラムの検証・合成システムの開発を行う。
ちょうどバブルが弾けて、社内で緩やかなリストラ(つまり、首 切りではないリストラ)が始まる。
上司に「高山君も視野を広げるために、営業に移らないか?」と 言われ、学生時代から、営業とスーツが大嫌いで商才も無い人間
が、いかにしてそこそこ知的で心豊かで毎日風呂に入れる人生が送れるか?を人生 最大の問題として取り組んでいた私としては大いにびびる。
研究開発職で転職先を探したが、うまくいかず。
そうこうしているうちに、大学院で勉強した訳でもないのに、な ぜか理学博士号が取れてしまう。工学博士よりも、理学博士の方
が断然カッコ良くてエライのだと思っているので、大いに喜ぶ。
1992年 〜 1996年 リストラを恐れて大学へ
博士号が取れたおかげで、大学教員として立命館大学情報工学科(のち情報学科)
に移れた。転職先として申し分無く、理論計算機科学をやっていて良かったと
しみじみ思う。
京大数学科では、私の立命館大学への 転職を聞いて驚いた某教授が「数学科の大学院入試に落ちた奴が、
学位取って大学教員にまでなれるなんて、計算機科学ってのはやっぱりいい加減
な学問だ」と言ったとか言わなかったとかの噂を耳にする。 真偽のほどはさておき、隠れ純粋数学至上
主義者である私としては、大いに納得する。
大学では引続きプログラム理論の研究を行うと同時に趣味として、大学卒業後きれいさっぱり忘れていた数学の勉強を細々と始
める。
1996年〜1999年 理論計算機科学に見切りをつける
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理論計算機科学者として、"ふつうの計算機科学"を指向する"ふつうの計算機科学者"およびその予備軍ばかりと毎日毎日つき合っていると、「物言えど唇寒し」「縁無き衆生は度し難し」の意味が深く理解できるようになる事がわかった。
立命館大学に理論計算機科学を根付かせるのは、砂漠で米を作るよりも難しいと悟る。余り無理して体壊したら元も子もないので、楽に生きようと決心する。
- 楽に生きるようになったら、理論計算機科学よりも数学の方がうんと深くて面白い事に気づく。いずれにせよ、これ以上計算機科学にかかわるのは、自分にとっては人生の浪費だと悟り、数学に転向する。
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数学に転向したとは言え情報学科の教員なので、「死んだフリして生きて行こう」と決心する。しかし、そうこうしているうちに、まさかと思っていた数理科学科への移籍の話がすんなり決まってしまい、「立命館大学ってホントにいい大学だ」としみじみと感じ入る。
2000年〜2010年頃 「私は数学者です」
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数学に転向してから
自分は生まれた時から一貫して純粋数学至上主義者であったし、
これからもそうであることに気づく。
- 自分にも数学のゴミ論文が書けることがわかり勇気百倍。
これからは、自分の事を「『自称数学者』を自称する者です」とも「『数学者』を自称する者です」
とも言わず「私は数学者です」と言うことにした。
2010年頃〜 「私は数学者ではありませ ん」
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その後、数学研究者としてどうにかこうにかやってきたのだが、学生時代から
ずっと数学だけやってきた数学者と、しばらく外の世界をほっつき歩いていた
私との
メンタリティーのえも言われぬ違いの大きさに気づく。
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そこで2010年頃から、「私は数学者でも何でもありません、その辺のおっさ
んです」と言うようになった。