先週土曜日、先生方が体育学会で鹿屋に出発された日、神戸の「しあわせの村」まで、駅伝観戦に行ってきました。
今でこそ定番の駅伝なのですが、最初は六甲アイランド周回コースで開催されていました。大学4年生の時、阪神淡路大震災の影響で、「しあわせの村」で開催になりました。その時、走るはずもなかった最終区を走らせてもらえたことを懐かしく思い出しました。
その最終区、立命館大学Aチームからは、スポ健2年生の加藤未有さんが選ばれ、立派に走っていた姿がとても印象的でした。前期のダンスの授業ではいつも笑顔でしたが、とても逞しい顔つきで走っている姿がかっこ良かったです(^^;)
東北大に行ってから、一度も関西の駅伝を見に来た事はなかったので、一人でこっそり観戦して、こっそり帰る予定だったので、スタート前に懐かしいグランドを見ながら歩いていると「こんにちは!」とか「先輩!」とか「おー!久しぶりだな!」とか...挙げ句の果てには、「まっちゃーん!豊岡先生も来られるで!」と研究室の大先輩でもある大体大コーチの足立先生から声をかけて頂きました。競技からも遠ざかり、現場指導に関わっているわけでもないので、敢えてこっそり見に行きたかったのですが、声をかけてくださることが本当にありがたい限りでした。
グランドも周回コースの嫌な坂道?も全く変わっていませんでした。昔はもっと暑い中のレースだったような。。。恩師も全く同じことをおっしゃっていました。温暖化のはずなのに、涼しく気候には恵まれました。
許可をいただき、初めて掲載させていただきました!右が恩師です。学生時代は全日本大学女子駅伝2連覇した時のお話をよくうかがいました。指導者は選手と同等、もしくは、それ以上のプレッシャーに打ち勝つ力が必要なのかもしれません。
大学院時代からお世話になっている大先輩、足立先生(左)は、豊岡先生からの襷リレーで指導者としてがんばっていらっしゃいます。
ちなみに、足立先生の奥様は水曜日の3時間目、インスのエアロビクスの授業に来てくださっています。来年度は、スポ健のみなさんもお世話になります!とても明るくて元気な先生なので、楽しみにしていてくださいね(^0^)
恩師の豊岡先生にお会いし、光栄にもスタートから、豊岡先生の解説つき?で一緒に観戦させていただきました。先生の独特の口調が懐かしかったです。当時は、朝から晩まで豊岡先生の隣の部屋(研究室)にいたので、先生が紙切れなどに、練習メニューを立てたり、駅伝前には何度も選手の名前とタイムを書いて、駅伝のオーダーを予測し、戦術を練っている姿を思い出しました。走っている選手のちょっとした変化をも見逃さない観察力は健在で、本当に素晴らしくて、「私は絶対にこの先生のもとで現場に還元できる研究がしたい!」と純粋に大学院進学を希望した頃の気持ちを思い出しました。
お話していて、変わったと感じたことが1つありました。トップアスリートばかりに目を向けていらっしゃった先生が、遅い選手(表現が悪くてすみません。私もその一人です)のことも、とてもよく観察されていることでした。第一線は足立先生に譲り、様々な市民ランナーの指導をされているとのことだったので、常に勉強されている姿勢にも感動し、恩師の背中からまた一つ学びました。「あの選手、お前と同じような走り方だな!」という言葉に、よく覚えてらっしゃるなあと驚きましたが、嬉しかったです。
現在は分子メカニズムの解明など基礎実験へと研究分野は若干、進化しています。これも私自身のオリジナルが加わったから?と都合良く考えるようにしています。恩師が敷いてくださったレールに乗って走り続けていると、自分の道を失っていくような気がしています。研究の柱は変えなくても、自分の道を創って行くこと、新しく創れなくても、自分の道に装飾していくことが大切だと感じています。私のオリジナルである「腸管免疫と選手のコンディショニング」という装飾を施して、いつか必ず、選手に還元できる資料として提供できる日を目指し、日々努力して行こうと改めて心に決めました。選手のゴールを見届け、先生と一緒に競技場を後にしました。昔は豊岡先生から最後に一言頂き解散。。。という絵図だったので、寂しい気がしましたが、足立先生に襷リレーしたのだから、いっさい口出ししないという意志は、現場の指導者として潔く、かっこ良く感じました。やっぱり名コーチです。
来月、私にとっての第2の故郷である仙台で全日本大学女子駅伝が開催されます。最初は大阪での開催だったのが、私が博士課程で仙台に住みはじめた時、仙台での開催となりました。仙台大学の陸上部の先生に「君は陸上選手のコンディショニングから離れられない宿命なんじゃないの?」と冗談混じりで言われたことがあり、ますます現場から遠かろうとしていました。当時は私の視野も狭かったのだと思いますが、研究者として生きるため、現場と離れる覚悟で博士課程に進学したので、後ろめたい気持ちがありました。
「運動免疫学」の道に進んで他人と違う方面から、選手のコンディショニングに還元できる研究をする!と新たな決断ができたのは、東北大学の恩師である永富先生のおかげだったと感謝しています。自分のバックグラウンドは大切に、将来の自分の糧にしなければいけない、と気づいた時期でもありました。
あっという間に時がすぎ、スポ健に赴任することになって今年、十数年ぶり!に関西インカレを見に行き、大阪体大の懐かしいグランドに足を運んでみたり...。昨年までトップアスリートとして活躍されていた大体大の後輩でもあるO塚先生から「関カレ、見に行った方がいいですよ!競技場行って選手見てたら元気もらえますよ!」という何気ない一言を頂いたことがきっかけでした。助手、助教部屋にもポジティブな風を吹き込んでくださったことにとても感謝しています。選手に近い(=若い!?)現場的な視点から新鮮な話を聞かせてくださったり、現場に還元したいという一心で、研究に取り組む姿や、被験者になってくださった選手に対する接し方を見ていて、改めて現場と正面から向き合う気持ちを思い出させてくださいました。(きっと、院生のみなさんにとっても何でも相談しやすく、頼れるお兄さん的な先生なのではないでしょうか(^^;))
私は「運動免疫学」の必要性を、いかにして選手やコーチに分かりやすく還元して行けるかが、目標の1つでもあるので、遠ざけてきた現場と素直な気持ちで向き合って行くため、再度、勉強しなおそうと思っている今日この頃です。(また書きたいことがあふれて、長くなってしまいました!すみません。。。次回からは注意します)香