[ 2011年05月 ] の記事一覧

2011.05.11

「終わらざる春?!」に想う

 54日に再度、郷里・石巻に足を運んだ。今回は、駅レンタカーが借りれるほどに復旧も進んできていた。但し、同じ市街地の中でも、復旧の進み具合の差は大きい。

門脇(かどのわき)地区・渡波(わたのは)地区に、福島大学に勤務する学兄ともども足を運ぶことができた。前回の、旧北上川河口付近に小高く聳える日和山から眺めた被災地域の姿は、実際に足を踏み入れると、この身に襲い掛からんばかりに迫ってきた。

TVの映像でもよく流れていた門脇小学校は、校舎の中が津波に浚われただけでなく、火災によって焼け焦げた姿を瓦礫の山の中に晒していた。また、より海岸寄りにあって、地域の拠点病院であった石巻市立病院は、内部はすっかり津波に浚われていたし、瓦礫の山の中で「身動き出来ない」といった姿を晒していた。周辺の整備されていたはずの舗装道路は、土砂に埋もれてしまって、昔ながらの「でこぼこ道」と化していた。まだ水溜りも残っていた。因みに、門脇小学校は、山手にある門脇中学校に「間借り」する形で学校を再開していた。この門脇中学校は、体育館と教室の一部が「避難所」となっており、小学校が「併設」されることで、余裕のない施設条件のもとで、何とか教育機能を発揮しようとしていて、現在、午前中授業を実施中だという。グラウンドの3分の1程が駐車場になっていたが、それ以外の土がやたらとでこぼこしているし、轍の後も見受けられた。避難民その他の人々の駐車場となっていて、すっかり「荒らされて」しまっていた。体育の授業を行なうためにグラウンドを確保してはいたが、ただ走るだけでも、大変な状態だろう。

渡波地区の「新漁港」(完成当時は、東洋一との触れ込みだった。)の構内の建物は、ほとんど全て内部が「荒れ果てた」状態だった。そして、埠頭から間近の水産会社の建物の前には、大きな漁船が未だに「鎮座」した格好だった。

56日に立ち寄ったJR東名(とうな)駅では、遠目には柵でも巡らしているのかと思わせるものが。JR仙石(せんせき)線の枕木と線路が捲り上げられた跡だ。「奥松嶋」の景勝の地への入り口の辺りだ。東松島市、この一帯の被害はもちろん甚大だ。

蛇足ながら、行方不明だった従兄弟は、隣の駅JR野蒜(のびる)駅近くでガソリンスタンドを経営していたが、52日にようやく遺体が家族の元に帰ってきた。東京へ搬送され、火葬に付す際に身元が確認出来たのだという。

これから春爛漫の季節を迎えようという矢先の大震災。あれから丁度2ケ月。「津波地震」の爪痕は、未だに痛々しい。 mm生

2011.05.10

110の別嬪さん。

<RecOだより57>
先週ご紹介した、レシピ集の撮影が、この土日で無事終了しました。

土曜日の夕方から研究のための出張が入り、タイムスケジュールが乱れそうになりましたが、そこはab研+M1女子のみなさんとRA奥井さんのチームワークと、さらには大学院見学の学生さんらの協力で乗り切り、日曜日の16時には終わることができました。

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全部で110品のレシピを撮影してくれたジェロさん。
ありがとうございました。






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終了後、ジェロさんを囲んでの撮影。
(あ、KONIcyanがいない・・・残念。)







出来上がった料理を毎回ペロリと平らげてくれた、先生方、院生「腹ぺこ隊」にも心から感謝です。


2011.05.08-02.jpgのサムネール画像
 

みなさんの「おいしい〜!」は4日間のモチベーションを維持する、最高の声援でした!

 頭の中だけではなく「おいしい」と声に出すことのパワーを再認識しました。

 特に大きな声で4日間「おいし〜!!」と叫び続けてくださった【jin】先生には「象印賞」(知らないだろうなぁ)を差し上げたいです。

【ippo】先生が出来上がった料理に話しかけてくれた「別嬪さんに撮って貰いなね〜」の通り、110の別嬪さんの写真が揃いました。

 本のできあがりが楽しみですが、実はここからの編集作業が結構大変(のはず)。別嬪さんたちの写真を眺めながら、これからの「産みの苦しみ」を乗り越えようと思います。

 本当にみなさん&RecO studio のおかげです。ありがとうございました!【abc.】

  さあ、明日からは朝食実習が始まります! 
 今年の1回生はどんな朝ごはん風景を作ってくれるのか、今から【Izumi】先生とワクワクしています。





2011.05.09

河川敷のグラウンド整備

ゴールデンウィークも終わりました。如何お過ごしでしたでしょうか?

スポーツ、キャンプ、帰省、ボランティアなど各自の活動をされていたことでしょう。

スポーツ健康科学部の先生方もまとまった時間をそれぞれの活動で過ごされていました。

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昨日の日曜日は、河川敷のグラウンド整備のお手伝いをしました。町内会の元気な高齢者が中心となって活動している「ワイガヤ会」が町内会(特に、こどもさんのいる家族)に呼び掛けたものです。近くを流れる新草津川の河川敷の草を刈り、草のグラウンドづくりをしました。きれいに草が刈り取られ、サッカーフィールドより一回り小さいグラウンドができあがりました。午後からは、小学生が中心となって、グラウンドの川沿いにひまわりを植えました。ひまわりは、景観をよくし、日よけにもなり、そしてボールが川へ落ちるのを防止するためになるようです。

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ワイガヤ会の皆さんは、本当にお元気で、町内のこどもの成長をねがい、今回のようなグラウンド整備だけでなく、将棋、コマ回しの指導、夏祭りの準備など、地域コミュニティのコアとなって、地域を支えてもらっています。人間関係が希薄になっている時代にあって、コミュニティを支えるのは、その地域の文化を受け継いできた経験知の多い人々が、次世代へとその経験知と文化を引き継ぐ土壌であることを改めて認識させられました。

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地域のみならず、いろんなコミュニティに所属する我々にとって、守るべき、発展すべき文化と継承すべき人財の育成は、必須の責務といえでしょう。

【忠】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011.05.08

研究科の academic presentation の学生さんを紹介します

東日本大震災で被害に遭われた方に
心よりお見舞い申し上げます。

私は、前期の月曜三限に、スポーツ健康科学部研究科の
"Academic Presentation I" という授業を担当しています。
(ちなみに、後期の Academic Presentation II は、
Hassy 先生の担当です)

この授業では、自然科学系の学会でよく行われている
ポスター発表英語で 出来るようになることが目標です。

この授業も、プロジェクト英語 と同様に、
学生中心の実践型授業になるよう心がけています。

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前回の授業では、「自分の研究分野の面白さについて学部生に紹介する」
というテーマで発表を行ってもらいました。

もうすぐスポ健の教員を前にした中間発表ですので、
どんな発表をしてくれるか、今から楽しみです。

それでは、また。失礼致します。
             敦







2011.05.07

男子バスケットボ-ル部を訪問

今回訪ねたのは、男子バスケットボ-ル部の山本麗衣那さん(スポーツ健康科学部1回生)です。佐藤善治先生の基礎演習クラス(Bクラス)のメンバ-で、仲間から元気過ぎるわ~と。挨拶が最高!


山本さんは、高校までバスケットボ-ルを続けてきて、大学でも選手の道を考えたのだけど、もっとバスケットを科学的に研究してみようと考え、トレ-ナ-として入部したそうです。まだ1ヶ月しか経過していないけど、選手時代とは異なり選手をサポ-トする面白さを感じているそうです。練習中の水分摂取の準備一つとっても、選手の動きやコーチの指示を見ながら対応しなくてはと感じているそうです(凄いな~)。


今はトレ-ナ-になるための猛勉強中で、スポ-ツ損傷の予防や対応など多くの勉強が待っているようです。現在、スポ-ツ強化センタ-の東トレ-ナ-らが運営している学生トレ-ナ-を育成する組織(RAM:Ritsumeikan Athletic Medicine)で勉強中。この組織は、アメリカンフットボ-ルチ-ムやラグビ-チ-ムを対象に週3日の頻度で一定期間勉強を続ける仕組みになっているそうです。ここで学んでから、実際に選手へテ-ピングを巻くことができるそうです。


現在、男子バスケットボ-ル部で藤田さん(生命科学部3回生)がトレ-ナ-として活躍中で、憧れの先輩と早くテ-ピングを巻きたいそうです。
そして大学生活の4年間「とにかくチームが関西で優勝し、インカレで関東の強豪と互角に戦ってもらうように全力で支えたい」と熱く語ってくれました。


山本さんの夢は、中学校の体育の先生になることで、特にバスケットを始める中学生らの指導(コーチング)に関わりたいそうです。
私は、この中学校の時期に正しいフォ-ムや試合の楽しさを教えていくことは、とても大切かなと思っています。勝ち負けも大切だけど、バスケットの面白さを沢山教えてくれる先生になってくれることを山本さんに期待しています。
例えば、「アメリカ東部で1891年に考案されたバスケットボ-ルは、4年間ほど9人制でサッカ-ボ-ルを使用していたそうですよ。そしてゴ-ルの高さは、昔も今も同じです。」なんて山本先生から習うと友達に教えたくなるのは私だけかな。


今回お話を聞かせて頂き、指導者をめざす仲間が本当に多いことを実感しました。われわれ教職員は、山本さんはじめ多くの仲間が指導者として巣立ってもらえるようにもっともっとサポ-トしなければと・・・。頑張ります。

 

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RMAでの研修風景です。
氷水をペットボトルに注入中。
水分補給の準備は、トレ-ナ-の基本ですね・・。

 

 

 

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トレ-ニング機器の清掃です。
日頃の手入れも、トレナ-の業務なんだな~

 

 

 

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練習終わりました。一日ご苦労様です。
奈良の天理から通ってるんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

【shine】

 

 

 

 

 

 

2011.05.06

keep my paceしかし常に好奇心を!

Hassyです。
黄砂は吹けど天気のよかった大型連休でしたがいかがお過ごしだったでしょうか。
私は授業がない今がチャンス!ということで、溜まっているペーパーワークに勤しもうとしましたが、遅々として進まず、焦りが募るばかりです。。。

さて、ブログに新規参入して早1ヶ月、この金曜日も他曜日と同様にご愛読いただいているようで感謝です。
え?「もっとブレイクスルーを!?」「文字が大きいだけでもっと笑いを!?」
貴重なご意見、ありがとうございます。
タスキを受けてのスタートダッシュはやや失敗したようですが、keep my paceでやっていきますので引き続きご愛読のほどよろしくお願いします。
(ちなみに褒めると伸びるタイプのはずです、私は。ただ、褒めて伸びる者は叱咤しても伸びる者なのでしょう)
叱咤激励は関心の証、ありがたいことです。

そんな仲間たちと先日いい肉を食べる機会がありました。
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O-111が世間を騒がせておりますが、ここは新鮮なお肉を絶品の味で楽しめるところでした。
写真はロースを焼いて食べる前です。
この「焼肉を食す」行為がシータ波を誘発するそうです。
シータ波は「記憶」などの脳の能力に関係しており、新しい刺激等、脳が外界に興味を示しているときに現れるものです。「脳は何かと言い訳する(池谷裕二著)」によると、シータ波がでているときの課題の成績が良いことが動物実験で確認されているようです。
今年から小学校に通っている我が息子は今どんどん知識を吸収しており、その記憶力は凄いと親バカながら感心しておりましたが、どうもシータ波が関係しているようです。
何事にも好奇心を持って接すれば、シータ波が強く発信され、神経回路も非常に効率的に機能するようです。

自身の研究においても常に様々な好奇心を持って接していきたいものです。
<<ちなみに海馬の性能そのものは歳をとっても衰えないようです。
やはりマンネリ化した思考回路が記憶力を低下させる可能性があるとのこと、注意したいですね。>>

2011.05.05

判断力と行動力



 
GWも後半にさしかかり、地震からほぼ2ヶ月になろうとしています。今年度、mm生先生のブログを読むたびに、被災地を思います。
 地震2日後、仙台に住んでいる母校の研究室の後輩から実験室が崩壊だと報告をうけました。10日程たった頃、実験動物のほとんどが殺処分することになったと聞きました。医学の進歩を目指す実験のため、自然界に存在しない遺伝子操作された生物を人間がつくりだしたはずなのに、天災が原因で、人間の手で殺処分することになるなんて、動物実験を中心に研究している私には、何とも言えず悲しく複雑な気持ちになりました。
 ある後輩からは3月の最終週、研究室恒例の送別会もないまま仙台を経ち、就職先の東京へ引越したと連絡をもらいました。昨年、立命館に来る際、研究室のみなさんから、送別していただいたことを思い出します。
関西では揺れもほとんどなく、平和な日常を送っていますが、テレビやラジオで地震速報が流れるたびに緊張が走ります。

 そんな中、大阪大学に勤めていらっしゃる大学院の先輩である藤田和樹先生から、母校の恩師、永富良一先生を代表として「UNDAUndo(physical activity & exercise) Network for the Distressed Areahttp://sendai-kci.icr-eq.co.jp/unda/))という団体を発足させたと連絡をいただきました。地震から3週間後に立ち上げたとのことでした。
「被災地健康運動支援情報ネットワーク仙台みやぎ設立趣意書(
syuisyo.pdf)」その判断力と行動力には、いつもながら、とても驚かされます。私は特にマイペースなので、余計にそう感じるのかもしれませんが。

 藤田和樹先生は、運動疫学がご専門で、研究室内の疫学グループを取りまとめてくださっていました。ご自身も昔はアメリカンフットボールの選手で、引退後も様々なスポーツに挑戦し、本当にパワフルという言葉がぴったりの先生です。現在はノルディックウォークの指導者もされています。私が大学院生の頃、高齢者の方を対象とした運動教室や、福島県の西会津での体力測定、いろいろな経験をさせて頂きました。西会津の冬は、雪かきの最中に、屋根から落下して来た雪に埋もれて亡くなられる方もいらっしゃるほどの豪雪地帯になります。近年では高齢化が進み、雪かきも大変だそうです。冬場は特に外に出ることが少なくなるため、身体活動量の低下を防ぐ目的で運動指導のDVDを作成し、自宅でできる運動プログラムをつくり、西会津地区の高齢者の方に配布し、実際に訪問されて指導なさることもありました。年に数回の体力測定には、研究室メンバーおよそ30名が、測定者としてのトレーニングを積み、測定手伝いとして出動していました。
 大阪体育大学で学んでいた頃は、トップアスリートや市民ランナー、活動的な方の測定経験しかなかったので、最初は血圧測定1つにしても、本当に戸惑いました。ジョギング教室にいらっしゃるランナーの方々とは全く異なり、重度の疾患をお持ちの虚弱高齢者の方を測定する時は移動や測定中の補助が必要であったり、改めて気づかされることばかりでした。

 ほんのわずかな経験の積み重ねによって、いざと言う時の判断力や行動力が養われていくのかもしれません。

 今年度、私の担当授業であるダンスとニュースポーツ、「授業が割り当てられている」という気持ちでしたが、藤田先生から連絡を頂いてから、自身の気持ちを切り変えました。
 せっかく学生のみなさんと近い位置で授業ができるチャンスでもあるので、一緒に「チャレンジする授業」を心がけています。
みなさんと接している中で、部活のことであったり、疑問に思っていることであったり、いろんな話を聞かせてくれます。授業だけに限らず、素晴らしい経験でなくても構わないから、新しいことにチャレンジし、まずは、たくさんの経験の引出しを作ってほしいと心から感じています。きっと、社会に出た時、その引出しに蓄えられた経験が生かされる日が来る、そんな風に思っています。香




2011.05.04

「最低限度の生活」に想う

 東日本大震災からもうすぐ二ヶ月となる。いまだ困難な避難所生活を強いられている被災者の方々が多い。先行きの見えない、さまざまな物資の欠乏の中、大きな不安をもちながら、それでも懸命に生きている大勢の方々がいる。

5月3日は憲法記念日だった。日本国憲法第25条は謳っている。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と。もちろん、ここで語られる「最低限度」の生活は、第二次世界大戦・「太平洋戦争」の敗戦による未曾有の災禍の直後の復興に際して「想定」されたものであるから、その中身がそのまま現代に当てはまるわけではない。大切なのは、その時代の社会・経済状況などに相応しい中身が準備されることだ。この点で、今回の大震災後の被災地の方々の生活は如何ほどのものなのか、想像を逞しくして想いを巡らす必要があろう。

また、「健康で文化的な」の意味についても、こうした状況だからこそ考えてみたいものだ。ともすると健康とは、「強い人」が意識されるし求められもする。一方では、「どれだけの人が強さを獲得できるのだろうか」ということも意識させられるのだが、問題なのは、そこで求められる「強さ」の意味である。願わくば、「しなやかで余裕があり包容力のある謙虚な強さをこそ」だ。

 ところで、今年は、1931年の「満州事変」から80年の節目の年。「戦時体制に入ると、まず国家は自国の文化を破壊しようとする。それを破壊し終わってはじめて、敵の文化抹殺に取りかかるのである。紛争に際しては、真の文化は有害だ。国家が推進する大義によって国家的アイデンティティが確立し、戦争という神話を煽ることで国民を栄光と犠牲へと駆りたてている時、大義の価値、神話の真偽に疑問をさしはさむような輩には、内なる敵というレッテルを貼らなければならない。・・・戦争にある国家は、本物でヒューマンな固有の文化を沈黙させる。こうした文化破壊が順調に進めば、敵の文化抹殺に取りかかっても、道義的な気兼ねもしないですむ。・・・」(クリス・ヘッジス/中谷和男訳『戦争の甘い誘惑』河出書房新社、2003年、p.95-96参照)ようなことに決してならないように、そして、いたずらに「想定外」を連発することを避け、すぐ謂れのない「差別と偏見」を増長させることもなく、脆くて無責任な「安全神話」を造り出すこともないようなしっかりした文化状況でありたいものだ。 mm

2011.05.03

レシピの撮影。

<RecOだより56>
先週末と今週末の4日間、RecOでは料理レシピの撮影が行われています。

私が雑誌(ベースボールクリニック)に10年間連載してきたものを、単行本としてまとめることになり、その写真を撮り直すためです。

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カメラマンは世界的スポーツカメラマン本多ジェロさん。料理を撮っても最高です。
写真はRecOに自前のセットを組んでいるところ。






今回の力強い助っ人は、私の研究室の管理栄養士でもある3名の院生と、今年からリサーチアシスタントとなった奥井さん。

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110品のレシピの仕分け、材料の買い出し、準備など、テキパキと進んで行きます。





更に日替わりで、M1の二人のKさんや、2人の学部生も大活躍!
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お昼と夕方、撮影を終えた料理を並べて試食。







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まりの数に消費を心配しましたが、全くの杞憂に終わりました。

M1「腹ぺこ隊」の面々や先生方でほぼ毎回完食!


おかげさまで撮影はとても楽しく順調に進んでいます。


今週の土日も続きます。
もし週末BKCにいたら、RecOを覗いてみてくださいね。【abc.】




2011.05.02

個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ

先週のスポーツ健康科学セミナーⅡのゲストスピーカーには、月刊スポーツメディスンの編集長をされている清家輝文さんにお話しを頂きました。

 

ご自身のキャリア、出版・編集という仕事、大学と仕事、仕事とは何か・生きるとは、についてお話し頂きました。

清家さんの経歴をご紹介すると、中学時代から出版を将来の仕事にしようと決めておられ、大学選択の基準は、有名な大学ではなく、好きな勉強ができることを基準に選択。大学の学費、生活費は、自らのバイトで稼ぎ、好きな勉強に没頭。学生時代に詩集2冊を自費出版。大企業には興味がなく、編集プロダクションに入り、色んなスポーツ(甲子園、相撲、ラグビー、サッカーなど)の取材と編集に学生時代から携わり、そのまま出版業界へ。日本で初めてのトレーニング専門誌「トレーニングジャーナル」ならびにスポーツ医学、スポーツ整形の専門誌「月刊スポーツメディスン」の創刊を手がけてこられました。神戸市の震災復興計画、「アスリートタウン構想研究会」など社会活動も数多く携わられています。

 出版に関わる仕事の中かで、『編集』について、編集人らしいお話しを頂きました。出版に関わっては、必ず「情報」と「編集」は切っても切れないものである。また、編集は、出版にかかわらず、イベント、シンポ、組織、ムーブメントも編集できる。いいかえると世の中は全て「編集」可能である。どのように編集するかが、編集人たる立場の人の腕の見せ所である。

 仕事については、「自分にあった仕事はない!」。「自分にすべき仕事は何か」を考えなさいと示唆をいただいた。それを探すのに、①自分が好きなこと、②楽しいこと、③嬉しいこと、④何をするために生まれてきたのか、という順で問いかけろ、とアンパンマンのマーチの一節もいれてもらいながらメッセージを頂きました。

 何のために生まれて 何をしていきるのか

 答えられないなんて そんなのは嫌だ! 

 何が君の幸せ 何をして喜ぶ

 解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

 

 最後に、標題にある宮沢賢治のことば

 個性の優れる方面に於て、各々止むなき表現をなせ

 自らの得意の分野で、これを表現しなければならないことを表現しない人生はあり得ない。自らの特徴を最大限に活かし、それを表現すべきである、で締めくくって頂きました。

 お持ち頂いた資料には、下記もありました。こちらも是非お読み下さい。

 

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

 

 清家さん、ありがとうございました。

 

  【忠】