夏期に入り、院生のみなさんが毎日実験に取り組んでいる姿を見ていて、自身の院生生活を思い出したりします。
インテグレーションコアとラルカディアを隔てて、タータンが敷き詰められています。O塚先生、伸先生、Sasaki君、Ha4moto君、Yo4da君が実験準備をしていました。こんな風景がとても懐かしく感じました。修士の頃、同学年に9名しかいなかったので、全実験は全員で行っていました。グランドや体育館に埋設されたフォースプレートを走る実験や、トレッドミルを走って血中乳酸の測定シュミレーションをしたり、水中体重計で体脂肪を測定したり、(水中が苦手な私だけ狭い中で溺れそうになったこともあったり(泣))予備実験ばかりしていたことを懐かしく思い出しました(^0^)
学部も修士課程も博士課程も異なる場所で育った私には、それぞれの場所がとても良い勉強になっています。修士の頃は、恩師である豊岡示朗先生が1年間、南アフリカに研修でご不在だったことが幸いし、思考錯誤の中で自由に実験することができました。さらに博士課程においても、指導教官であった永富良一先生は放牧教育で常にスローな私にはぴったりの環境で研究生活を送ることができました。失敗ばかりでしたが、失敗は成功以上の経験ができるチャンスだということを、身を以て学んだ気がしています。
マイペースで自由に実験できる環境下で、時折、厳しく突つかれたり、急に別の方向に走り出した時はストップを強いられたり、遠くから様子を見守りながら、独創性を養えるような教育をしてくださったと恩師の先生方にはとても感謝しています。研究テーマは全く自由で「報告」「連絡」「相談」さえ怠らなければ、マイペースの私にはとてもありがたい教育でした。その代わり、失敗したら自己責任。時には笑ってすまされないようなシビアなことも多々ありましたが、これも私が受けて来た教育として生かされています。
博士課程では、運動免疫学で動物実験に移行したので、何が大変かと言えば、財源である指導教員(ボス)に自身の研究への興味感心を引きつけることでした。ボスに興味を持ってもらえれば、どんな内容の研究でも、新しいことでもチャレンジさせてもらえました。私の場合、同期の中で最も要領が悪く、能力も低かったので、実験スタートのOKがもらえるまではかなりの時間を要し、本実験に入ったのは忘れもしない博士2年目の9月からでした。しかし、何度もボスと話すチャンスが出来て、さらに自分がやりたい研究は絶対に譲らず、貪欲に取り組めたことや、スローな私を見守ってくださるボスだったので、とても恵まれていたと感じています。飽きずに?何度も話を聞いてくださった永富良一先生の寛大さにはとても感謝しています。
単に「実験がやりたい」というだけではなく、「なぜこの実験がやりたいかという背景、実験によってどのようなメリット・価値があるか」をきちんと説明でき、他者を納得させ、引きつけることが出来なければ、財源は動くはずがないことも学んだ博士課程でした。相手の興味を引きつけるための術や、次に進むための方法、実験で必要な高価な抗体などを買ってもらうためのデータ報告の戦術など、ボスとの目に見えない駆け引きを学んだように感じています。
ある時、ボスには内緒で先に業者さんに抗体を注文し、この実験結果をボスに見せれば、必ず次の実験のOKが出るはず、という確信と掛けをしながら実験にのぞんだこともありました。(ボスは気づいていらっしゃったかもしれません。叱りもせず、黙って見ていてくださったことに本当に感謝しています。)常に研究のことばかりを考えて365日、研究だけに力を注ぐことができた日々がとても懐かしく感じています。
研究の駆け引きと術は、研究費をゲットする際の申請手段の1つとして生かされているように感じています。もしかすると、放牧教育は、研究者を育てるだけでなく、研究者として生きて行く術を獲得させるための「ボスの戦略」だったのかもしれません。
試行錯誤の末に失敗することや、結果がでないことの方が多かったのですが、失敗すると成功以上の多くとを学べるメリットがあります。皆が同じレールに乗って研究を走らせている研究室とは異なり、十人いれば十の研究テーマという教育方針で、とても時間はかかりましたが、多くを学んだ大学院での研究生活でした。
私の場合、ストレートで博士課程に進学したわけではなかったので、最後の掛けでもありました。医学系研究科4年目の夏に「私は研究者になれなければ死ぬ覚悟です」と話したことを思い出しました。永富先生にとっては衝撃的な言葉だったようですが、私自身は決してネガティブな気持ちはなく、後がないぐらいの気持ちで、必死に取り組むことが大好きなので、例え方が悪かったことを反省しています。その影響か、現在も時折、心配して連絡をくださることがあり、ありがたい反面、申し訳なく感じています。。。しかし、この気持ちは現在もずっと持ち続けていて、気づいたら、自分のラボを持つことが目標の1つとして新たに追加されていました。
様々な指導法があるように、学生・生徒や選手の育て方は十人十色だと思います。指導者を目指しているスポ健の学生さんも多いことでしょう。ある程度、枠にはまった指導方法の柱から、自身の特徴を見つけだし、どんな指導者に成長して行くのか、とても楽しみにしています。香
7月のヨーロッパスポーツ科学会議の後、リバプールからオックスフォードの国際運動免疫学会へ向かう列車でご一緒させていただいた、京都府立医大のYuko先生と「世界の車窓から」みたい!と話しながら撮影しました。窓の外をよく見ると、「放牧?」の羊や牛たちがたくさんいました。ふと、私が博士課程の頃の教育を思い出しました。嬉しいことに、Yuko先生もブログを読んでくださっているそうです!驚いたことは、学会中、お会いした先生方数名から「ブログ見ていますよ!」と声をかけていただいたことでした!そう言われると、嬉しくて文章もエスカレートしてしまいます(^^;)Yuko先生と研究や将来の話、女性研究者として生きていくための諸々の話...果てることがないくらい話しつづけ、オックスフォードに到着しました。研究の話は2人とも大好きです。いつか共同研究ができればなあと話しています。香